『なぜ古典を読むのか』(イタロ・カルヴィーノ著、須賀敦子訳、河出文庫)では、世界の古典的文学作品が取り上げられています。
なぜ古典を読むのかという問いに、著者はこう答えています。
「古典を読むことには、それ独特の味わい、独特の意味がある。おとなになってから読むと、若いときにくらべて、より多くの細部や話の段階を味わうことができる(はずだ)」。
「古典とは、読んでそれが好きになった人にとって、ひとつの豊かさとなる本だ。しかし、これを、よりよい条件で初めて味わう幸運にまだめぐりあっていない人間にとっても、おなじくらい重要な資産だ」。
「古典とは、忘れられないものとしてはっきり記憶に残るときも、記憶の襞のなかで、集団に属する無意識、あるいは個人の無意識などという擬態をよそおって潜んでいるときも、これを読むものにとくべつな影響をおよぼす書物をいう」。
「古典とは、最初に読んだときとおなじく、読み返すごとにそれを読むことが発見である書物である」。
「古典は、読んだとき、それについて自分がそれまでに抱いていたイメージとあまりにかけ離れているので、びっくりする、そんな書物である」。
「古典は義務とか尊敬とかのために読むものではなくて、好きで読むものだ。・・・利害をはなれた読書のなかでこそ、私たちは『自分だけ』のものになる本に出会うことができる」。
「『自分だけ』の古典とは、自分が無関心でいられない本であり、その本の論旨に。もしかすると賛成できないからこそ、自分自身を定義するために有用な本でもある」。
バルザックを論じた中で引用されているチェザレ・パヴェーゼの日記の一節が印象に残りました。<バルザックは、神秘をはぐくむ巣として大都会を発見し、彼がたえずとぎすました感覚は、好奇心だ。それこそが彼のミューズだ。彼は喜劇的でも悲劇的でもなく、ひたすら好奇心いっぱいである。ものごとの絡み合うなかで、彼はまるで匂いを嗅ぎながらといったように話を進め、なぞを予感し、機械の部品ひとつひとつを、するどい、活きのいい、勝ちほこる快楽をもって、分解していく。まるで初めて会う人物に近よるように、ものを見る。彼は、相手が希有なオブジェであるかのように、ためつすがめつし、これらを描写し、彫りあげ、定義し、説明し、その特異さのすべてを外に抽出して。驚きを保証する>。私がバルザックを大好きな理由が分かりました。彼と私に共通するもの、それは好奇心だったのです。
一方、ヘミングウェイに対しては辛口です。「私にとって――私にかぎらず、ずいぶん多くの人、たとえば、私の同年配、同世代の人たちにとっても――、ヘミングウェイが神様だった時代があった。・・・やがて私たちは、それらの限界や欠点を見抜くことになる。私が文学の道をおぼつかなく歩みはじめたころに賞讃を惜しまなかった彼の詩的世界や文体が、すこしずつ狭いものに見えはじめ、マンネリズムに陥りやすいものであることがわかり、彼の生き方――そして人生哲学――も、なにやらうさんくさく思え出し、はては、それらに対して反感や不快感をさえおぼえるようになった。だが、結論からいってしまうと、あれから十年余を経たいま、わがヘミングウェイ『修行』をふりかえったとき、差引残高は黒字といってよいだろう。『よお、おれはだまされなかったぜ、おやじ』。彼の文体をまねるのはこれが最後としても、私はこう彼にいってやりたい。『あんたは、ぼくのわるい教師になりそこねたぞ』」。
「解説」で池澤夏樹が、こう書いているのには驚きました。「ヘミングウェイが『神様だった時代があった』とカルヴィーノは書く。その先がすごい(=辛口だ)。・・・カルヴィーノより更に22年遅れて生まれたぼくにとってもヘミングウェイの印象は正にこのとおりだった。『武器よさらば』から入って、『日はまた昇る』に戻り、短篇の一つ一つに感動し、『誰がために鐘は鳴る』で気持ちが離れてしまって後は低迷、最後に『老人と海』でぐっと持ち直した。カルヴィーノはこの体験をとてもうまく整理してくれた。そしてぼくにとってもヘミングウェイの『差引残高は黒字』だと思う」。池澤と同年代の私も、ヘミングウェイ作品はほとんど読んだが、私の場合は、最初から最後まで、ヘミングウェイの小説はどうも好きになれませんでした。その原因をカルヴィーノが教えてくれました。
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なぜ古典を読むのか (河出文庫) 文庫 – 2012/4/5
イタロ・カルヴィーノ
(著),
須賀 敦子
(翻訳)
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卓越した文学案内人カルヴィーノによる最高の世界文学ガイド。スタンダール、ディケンズ、ヘミングウェイ、ボルヘス等の名作を紹介。
- 本の長さ401ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2012/4/5
- 寸法10.7 x 1.6 x 15 cm
- ISBN-10430946372X
- ISBN-13978-4309463728
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商品の説明
著者について
1923年キューバ生まれ。2歳でイタリアに帰国。『くもの巣の小道』でデビュー。三部作『まっぷたつの子爵』『木のぼり男爵』『不在の騎士』のほか、『レ・コスミコミケ』『見えない都市』他。1985年没。
1929年兵庫県生まれ。著書に『ミラノ 霧の風景』『コルシア書店の仲間たち』『ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』『ユルスナールの靴』『須賀敦子全集(全8巻・別巻1)』など。1998年没。
1929年兵庫県生まれ。著書に『ミラノ 霧の風景』『コルシア書店の仲間たち』『ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』『ユルスナールの靴』『須賀敦子全集(全8巻・別巻1)』など。1998年没。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2012/4/5)
- 発売日 : 2012/4/5
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 401ページ
- ISBN-10 : 430946372X
- ISBN-13 : 978-4309463728
- 寸法 : 10.7 x 1.6 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 90,985位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2023年4月26日に日本でレビュー済み
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日本の世界文学についての書き手とは異なった深掘りとその知識は
やはり面白いです。
いわゆる悪文の範疇だと思いますが、昔の日本の書き手も
こういうタイプはたくさんいたので、まあこんなものだと思えば
こんなものでしょう。これは訳者の責任ではないです。
一方で事実を「じじつ」と書くなどの表記も何かこだわりを感じ、
翻訳上、有意義な効果を上げているとは思いません。
須賀敦子自身の文体はもっと明晰で緻密に組み立てられていますので、
ちょっと異なる文章だと思ったほうがいいでしょう。
やはり面白いです。
いわゆる悪文の範疇だと思いますが、昔の日本の書き手も
こういうタイプはたくさんいたので、まあこんなものだと思えば
こんなものでしょう。これは訳者の責任ではないです。
一方で事実を「じじつ」と書くなどの表記も何かこだわりを感じ、
翻訳上、有意義な効果を上げているとは思いません。
須賀敦子自身の文体はもっと明晰で緻密に組み立てられていますので、
ちょっと異なる文章だと思ったほうがいいでしょう。
2004年6月24日に日本でレビュー済み
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イタリア人作家による、古今東西の古典を自由自在に論じたエッセイが32篇。表題「なぜ古典を読むのか」という、カルヴィーノらしい軽妙なエッセイが巻頭に置かれ、その後は「オデュッセイア」、オウィディウスから「ロビンソン・クルーソー」「パルムの僧院」、バルザック、トルストイ、そしてコンラッドやヘミングウェイ、ボルヘス、レーモン・クノーまで、取り上げられている作家・作品はさまざま。ガッダ、パヴェーゼなどイタリア人作家を取り上げた文章も比較的多いのが、イタリア文学好きには貴重です。
訳者あとがきによると、これらの文章はもともとイタリアのエイナウディ社の文学叢書のまえがきとして書かれたものが多い、とのこと。その訳者は須賀敦子さん。本書でもすばらしい訳文を堪能させてくれます。
カルヴィーノ好き、そして文学を愛する人必読の、贅沢なブックガイドです。
訳者あとがきによると、これらの文章はもともとイタリアのエイナウディ社の文学叢書のまえがきとして書かれたものが多い、とのこと。その訳者は須賀敦子さん。本書でもすばらしい訳文を堪能させてくれます。
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2019年1月21日に日本でレビュー済み
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原文に忠実に翻訳なさっているためか、読みにくいと思いました。
しかし、訳者あとがきを読むと、須賀敦子氏の文体、
つまり、文章のスタイルのせいもあるようです。
体言、助詞や接続語で文章が終わる、
関係代名詞のような修飾語が多くて、主部が長い、
カッコ付きの挿入文が多い、
などにより、読みにくいと感じました。
須賀敦子氏のエッセイが、肌に合っていて、
お気に入りの方には読みやすいのかもしれません。
目次は次の通りです。
なぜ古典を読むのか
オデュッセイアのなかのオデュッセイア
クセノポン『アナバシス』
オウィディウスと普遍的なつながり
天、人間、ゾウ
『狂乱のオルランド』の構造
八行詩節の小さなアンソロジー
ガリレオの「自然は書物である」
月世界のシラノ・ド・ベルジュラック
『ロビンソン・クルーソー』、商人が守るべき徳性についての帳簿
『カンディード』あるいは速度について
ドニ・ディドロ『運命論者ジャック』
スタンダールにおける微細な認識の方法について
『パルムの僧院』入門 はじめて読む人たちのために
バルザックのなかの小説都市
チャールズ・ディケンズ『我らが共通の友』
ギュスタヴ・フロベール『三つの物語』
レフ・トルストイ『ふたりの軽騎兵』
マーク・トウェイン『ハドリバーグを堕落させた男』
ヘンリー・ジェイムズ『デイジー・ミラー』
ロバート・ルイス・スティーヴンソン『砂丘のあずま屋』
コンラッドの船長たち
パステルナークと革命
世界はチョウセンアザミ
ガッダ『メルラーナ街の厄介きわまる件のごたごた』
エウジェニオ・モンターレ「たぶんある朝、歩いて」
モンターレの岩礁
ヘミングウェイと私たち
フランシス・ポンジュ
ホルヘ・ルイス・ボルヘス
レーモン・クノーの哲学
パヴェーゼと人身供犠
編者覚え書き
訳者あとがき
文庫版解説―お節介な男を擁護するために 池澤夏樹
しかし、訳者あとがきを読むと、須賀敦子氏の文体、
つまり、文章のスタイルのせいもあるようです。
体言、助詞や接続語で文章が終わる、
関係代名詞のような修飾語が多くて、主部が長い、
カッコ付きの挿入文が多い、
などにより、読みにくいと感じました。
須賀敦子氏のエッセイが、肌に合っていて、
お気に入りの方には読みやすいのかもしれません。
目次は次の通りです。
なぜ古典を読むのか
オデュッセイアのなかのオデュッセイア
クセノポン『アナバシス』
オウィディウスと普遍的なつながり
天、人間、ゾウ
『狂乱のオルランド』の構造
八行詩節の小さなアンソロジー
ガリレオの「自然は書物である」
月世界のシラノ・ド・ベルジュラック
『ロビンソン・クルーソー』、商人が守るべき徳性についての帳簿
『カンディード』あるいは速度について
ドニ・ディドロ『運命論者ジャック』
スタンダールにおける微細な認識の方法について
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チャールズ・ディケンズ『我らが共通の友』
ギュスタヴ・フロベール『三つの物語』
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マーク・トウェイン『ハドリバーグを堕落させた男』
ヘンリー・ジェイムズ『デイジー・ミラー』
ロバート・ルイス・スティーヴンソン『砂丘のあずま屋』
コンラッドの船長たち
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世界はチョウセンアザミ
ガッダ『メルラーナ街の厄介きわまる件のごたごた』
エウジェニオ・モンターレ「たぶんある朝、歩いて」
モンターレの岩礁
ヘミングウェイと私たち
フランシス・ポンジュ
ホルヘ・ルイス・ボルヘス
レーモン・クノーの哲学
パヴェーゼと人身供犠
編者覚え書き
訳者あとがき
文庫版解説―お節介な男を擁護するために 池澤夏樹
2013年2月14日に日本でレビュー済み
分類分けすると評論集ということになるのでしょうが、本のまえがきや解説といったものが多く、(概ねですが)読みやすい著作と思います。私が理解できてるかどうかは別として。
本書で取り上げられている作家・作品で読んだことのあるものはボルヘスだけだったので、そこに書いてあることについてどうのこうのは私には言えません。言えませんが、取り上げられている作品を読みたくなるのです。小難しいこともいっぱい書いてあるのですが、カルヴィーノの作品への愛着が伝わってくるんですね。愛着、という言葉を使いましたが、作品そのものの力、作品に魅かれた時の状況、作品から触発された事柄、作品から呼び起こされた/作品が呼び起こした別の作品・・・が混ざり合って愛着が沸くんだと、本書を読んで感じました。そして、その愛着を感じさせる作品が「古典」と呼ばれるものなんだろうな、と。
本書を読んでいて不思議な感じがしました。「古典」についてカルヴィーノが語っているのですが、自身の著作解題に思えてきたのです。神話、科学、倫理、創造、論理、自然、批評、構造などなど、作品誕生秘話が書いてあるような。自身の血となり肉となる、それが「古典」というものなのでしょうか。
カルヴィーノの「古典」論ということだけでも読む価値はあると思いますが、本書はそれにプラスして訳者・須賀敦子さんの解説、池澤夏樹さんの文庫版解説が合わさって、「なぜ古典を読むのか」という本になっています。“本読み”にはいろいろと気付きのある、はっとさせられる、良い本と思います。
本書で取り上げられている作家・作品で読んだことのあるものはボルヘスだけだったので、そこに書いてあることについてどうのこうのは私には言えません。言えませんが、取り上げられている作品を読みたくなるのです。小難しいこともいっぱい書いてあるのですが、カルヴィーノの作品への愛着が伝わってくるんですね。愛着、という言葉を使いましたが、作品そのものの力、作品に魅かれた時の状況、作品から触発された事柄、作品から呼び起こされた/作品が呼び起こした別の作品・・・が混ざり合って愛着が沸くんだと、本書を読んで感じました。そして、その愛着を感じさせる作品が「古典」と呼ばれるものなんだろうな、と。
本書を読んでいて不思議な感じがしました。「古典」についてカルヴィーノが語っているのですが、自身の著作解題に思えてきたのです。神話、科学、倫理、創造、論理、自然、批評、構造などなど、作品誕生秘話が書いてあるような。自身の血となり肉となる、それが「古典」というものなのでしょうか。
カルヴィーノの「古典」論ということだけでも読む価値はあると思いますが、本書はそれにプラスして訳者・須賀敦子さんの解説、池澤夏樹さんの文庫版解説が合わさって、「なぜ古典を読むのか」という本になっています。“本読み”にはいろいろと気付きのある、はっとさせられる、良い本と思います。
2020年8月19日に日本でレビュー済み
著者と訳者の博識と文学及び古典への情熱が感じられる、知情意全てに訴える力作であった。古典を読むことの意義を改めて教えられて本であったので間違いなく『なぜ古典を読むのか?』には十分に答えてくれた作品ではあったが、著者による「では古典とは何か?」という古典の本質に触れる洞察が見えたかといえば残念ながらそうではなかったように思われる。古典読書案内として優れていることは間違いない。
2021年10月27日に日本でレビュー済み
何気なく古本屋に行って未読のカルヴィーノの本があれば、とりあえず入手しようかという私ですが、この本は書評集であり、しかも紹介されている作品の大半を私はまだ知らないので、珍しく購入を躊躇したことを覚えています。
しかし読んでみて、紹介された作品の内容を知らなくても面白く感じました。たぶんそれは、ストーリーの紹介よりもっと大きな、それぞれの作品の個性と重要性の把握が端的にすぐれているからなのでしょう。
「恐ろしい地中海の神、マラリアに、デイジー・ミラーは人身御供として捧げられる。同国人の清教徒精神も、現地人の異教精神もこれを打ち負かすことはできなかった。そして、まさにそれゆえに双方から、なんとコロセウムで燔祭に処せられる。」(p.231)
「心理学的な厚みを根本から除外するボルヘス的遠近法にとって、倫理的な問題はまるで幾何学の定理ででもあるかのように単純化され、それによると、個人の運命は選択するずっと以前に受容されなければならない、総合的な図面をかたちづくっているのです。」(p.344)
さらに引用はしませんが、パステルナークについての章は難解でありながら、人間と政治の関わりへの視野を広げてくれる力作です。パルチザン体験を持つカルヴィーノならではの熱量がここに込められているように思えました。単に読む人の意表を突いた作品をものするだけではない、人間としての幅広さと懐の深さを、感じさせてくれる一冊です。
しかし読んでみて、紹介された作品の内容を知らなくても面白く感じました。たぶんそれは、ストーリーの紹介よりもっと大きな、それぞれの作品の個性と重要性の把握が端的にすぐれているからなのでしょう。
「恐ろしい地中海の神、マラリアに、デイジー・ミラーは人身御供として捧げられる。同国人の清教徒精神も、現地人の異教精神もこれを打ち負かすことはできなかった。そして、まさにそれゆえに双方から、なんとコロセウムで燔祭に処せられる。」(p.231)
「心理学的な厚みを根本から除外するボルヘス的遠近法にとって、倫理的な問題はまるで幾何学の定理ででもあるかのように単純化され、それによると、個人の運命は選択するずっと以前に受容されなければならない、総合的な図面をかたちづくっているのです。」(p.344)
さらに引用はしませんが、パステルナークについての章は難解でありながら、人間と政治の関わりへの視野を広げてくれる力作です。パルチザン体験を持つカルヴィーノならではの熱量がここに込められているように思えました。単に読む人の意表を突いた作品をものするだけではない、人間としての幅広さと懐の深さを、感じさせてくれる一冊です。