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世界の歴史 10 西域 (河出文庫 799A) 文庫 – 1989/11/1

4.0 5つ星のうち4.0 16個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 河出書房新社 (1989/11/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1989/11/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 392ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4309471692
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309471693
  • カスタマーレビュー:
    4.0 5つ星のうち4.0 16個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中4つ
5つのうち4つ
16グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2010年3月3日に日本でレビュー済み
 正直、「西域」といわれても漠然としたイメージしか浮かばなかったが、この著書は西域とくくられた地域のイメージを豊かにしてくれる効果の強いものだった。

 他の方も仰っている通り、歴史記述としては物足りないのは確かで、短いエピソードの連続に留まってる感は強い。しかし、その代わり、西域探検の詳しい経緯や西域の自然・農業・商業・宗教・生活様式など、考古学上の研究の様子や地理学的な分析に非常に面白みがある。その部分を想起しながら歴史記述の部分を読んでいけば、このシリーズの他の巻にはない味わいが出てくる。

 ここでの記述は第三巻・第七巻・第十一巻・第十九巻などと重複している部分があるので、それらの巻と併せて読めば歴史記述の部分もまた活きてくるのではと思う。このシリーズでは独特な一冊。

 
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2017年6月18日に日本でレビュー済み
『世界の歴史〈10〉西域』です。
これに関しては、さすがにどうなのさ、と思わずにはいられませんでした。

端的に言えば退屈でつまらない記述が多く感じました。
悪い意味での学校の教科書的な。
本書はいわば概説書であり、世界の歴史シリーズの内の第10巻でもあります。つまり本書を読む人は、そこまでマニアック過ぎる詳しい知識は求めていないだろうと思われます。にもかかわらず、延々たる西域の先史時代の記述。それはそれですごい研究ではありますし面白みが無いわけではありませんが、そういうのを知りたい人はそれに関する専門書を読めばいいわけですし。
また、一冊の本として全体の構成があまり考えられていないのかなとも思います。全400ページ弱の中で100ページ過ぎの時点で、「前置きをざっと済ませたが」的な文言が出てきて、確かに前置きという感じでした。
で、結局、「正味」の部分の記述が相対的に薄くなってしまう。
また、四人の筆者による分担のようですが、筆者による文章分担がよく分からなかったです。ただし、最後のティムールの部分に関してだけは筆が走っているというか、それまでの悪い意味での教科書的文章とは一線を画して妙に面白かったのが印象的でした。まあそれはティムールという題材の魅力だからとも言えなくはないですが。
教科書的に徹した学術書の割には誤植も多く残念でした。これは学者の先生が間違えたのではなく校正のレベルが低かっただけだろうとは思いますが、これじゃあ学術文章としてどこまで信じていいのか不安になってしまいます。

ただ、大抵は中国史のオマケとしてしか語られない西域史を、西域史自体を中心に据えて纏めたという意味ではしっかり意義のあるものだったと思います。★3
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年5月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
I like this book comparatively.
I want to recommend this book to other people.
2014年8月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
内容が今回求めているものと少し違ったかなぁ
本が悪いわけじゃなく、こちらの要求と合わなかっただけ・・・
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年4月25日に日本でレビュー済み
 西域とは、チベットとかモンゴルとかなんとかスタンとかのユーラシア中央部のこと。どうも19世紀後半ごろから西域探検がはじまったらしく、まだまだわからないことが多いらしい。
 曰く・・・
 中国では青銅器文化が突然始まっている。中国の自前文化ではなく西域から伝わってきたのか?
 秦の始皇帝の政策は、アケメネス朝ペルシアのダレイオス大王のそれと酷似したものが多い(民政、軍政、監察を分ける三権分立とか)。もしかしたらイラン文化が中国に影響したのかも?
 西域では、いろいろな小国家(オアシス国家)があったらしいだが、トルコ系の突厥が台頭し、一度は唐に征服されたりもするが、名目的な支配にとどまり、そのあと復興している。そのあと、今度はウイグルが台頭。
 正統カリフからウマイヤ朝のころのイスラムは、征服地域において信教の自由を認める代わりに重税を課す。とはいえ、偶像崇拝をする仏教徒は弾圧する。イスラムは唐とは友好的関係を結んでいたが、偶像崇拝教徒である唐は不倶戴天でもある。結局、両者は激突し、イスラムが勝ち、西域のヘゲモニーを握っている。
 チベット仏教(ラマ教)は、インドと唐の両方から仏教を取り入れ、チベット固有の呪術的なボン教の基礎の上に成立したもの。
 オアシス国家は、ときどき遊牧民族の襲撃を受けただろうが、利潤収奪されただけで内部組織への干渉はあまりなかったのでかえって長持ちしている。
 ウイグル帝国は、突厥などに比べるとはるかに文明化していた。マニ教が国教で、都市建設もされていた。一度衰え、ウイグル族はまたあちこちに国家を作ったが、これが小王国なのか大帝国なのかすらわからない、というほどなにもわからない。ウイグル人にはまとまった歴史書がない(土地の売買や金銭貸借などの証文はいっぱいみつかるらしいが)。ウイグル人が支配層で、その下の一般人の民族系統は多様。
 カラハン朝(西部天山方面)もウイグル系?国王はイスラム教。
 ロシア語、モンゴル語、ペルシア語では中国のことを「キタイ」という。契丹が語源。 
 金の攻撃を受け、遼から落ち延びた耶律大石は、どういう経緯か、カラハン朝にたどり着き、そこの君主をしりぞけ、カラ・キタイ朝を創始する。ウイグル王国をふくめた広大な支配地を獲得するが、それほど強固な支配をしていない(ちゃんと税金さえ払えば自治を認める方式)。
 カラ・キタイが衰えてくると、各地の勢力が自立するようになる。イランにはホラズム・シャー朝が成立。チンギス・ハーンに敗れて流れ込んできたクチュルクは、カラ・キタイの王位を簒奪する(仏教を信仰しイスラム教を弾圧)。東のチンギス・ハーンと、西のホラズムは友好関係を結んだが、チンギス・ハーンの派遣した隊商がホラズムの太守に殺され、チンギス・ハーン激怒。モンゴルの西征が始まる。モンゴルは、間にいるクチュルクを倒す(イスラムは歓迎)。モンゴルは、ホラズムのムハンマド王を追い落とす。ムハンマドの子であるジャラール・ウッディーンはなお抵抗(チンギス・ハーンも敵ながら認めていた)。が、結局、ホラズムは滅亡。チンギス・ハーンの死後、息子たちが争い、いくつかのハン国に帝国は分裂する。
 ティムールはチャガタイ・ハン家の旗本の出身(貧乏貴族)らしい。チャガタイ・ハン国は東西に分裂したが、どういう経緯なのか、このティムールが東西のハン国を統一する。ハン家のソユルガトミシュが名目的君主。チンギス・ハーンの血に対する敬愛が一般的にあったらしい。ティムールはインドを破り、オスマントルコ皇帝も捕虜にするし、と大征服運動を展開する。その後、明を攻めようとしたが、途中のインドで手こずり、そのまま病死(74歳)。明とは戦えなかった。ティムールの死後、すったもんだがあり、ティムールには認められなかった第4子のシャー・ルフが帝国を引き継ぐ。しかし、シャー・ルフのあとをついだウルグ・ベクは、その子のアブドゥル・ラティーフに殺される。その後、ゴタゴタし、ミーラーン・シャー家のアブー・サィードが帝国をまとめる。しかし、その後はついに2つに分裂。
 アブー・サィードの孫のバーブルは領土回復を目論むが、シェイバニー朝に破れ、インドに向かい、ムガール帝国を建国。ムガールは「モンゴル」が語源。
 キプチャク・ハン国にいたウズベク族は、シャー・ルフが死んだ頃に活躍したが、やがて定住化を好まない者たちがカザーフ族として分裂する。カザーフは分離者とか冒険者の意。カザーフ族が落ち着いたところが今のカザフスタン。ウズベク族はシェイバニー朝を建てるが、紆余曲折の末、これがウズベキスタンになる。
 などなど。西域は本当にわかりにくい。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2006年12月7日に日本でレビュー済み
「西域」とは中国の言葉であり中国から見た西方地域をさしている。それは時代が進み、中国人の西方世界に関する知識が広まるに伴って拡大を続けた地域であった。本書ではそれは「内陸アジアというのに近い」とされその対象地域はイラン国境にまで及んでいる。日本人にとって西域の知識は主に中国の古典によっており、中国人の見方に重なりあうとしても、西域はより狭く限定された地域であった。言うまでもなく、この「内陸アジア」では幾多の王朝の興亡が繰り返された。それはチンギス・ハーンやティムールに限られるものではない。しかしこれらの王朝の政治的変転にもかかわらず、常にそこにあって、今日に至っても世界史上に光輝を放っているのは東西の商業的、文化的交流を仲立ちした長大なシルク・ロードである。もし今日の歴史的関心が政治ばかりではなく、古来からの人々の生き方にも焦点を合わせつつあるとすれば、西洋による世界支配だけではなく、世界史の表舞台から退場して久しいこの内陸、中央アジアにも目を向けなければならない。加えて今日の政治的状況は知られることの少ないこの広大な地域をも飲み込む勢いにある。

本書は錯綜した歴史と地形をもつ「内陸アジア」をただ一巻の書物に収めようという野心的な試みであった。当然と言うべきか、いまだに類書は乏しい。著者数が4人に上る以上、幾多の工夫が凝らされたに違いないが、なお数多の人物、地名、地形、王朝、またそれらの相互関係の理解には多大の努力を要求される。本書から多くを得ていながらなおもう一工夫あってしかるべきというのが評者の率直な感想である。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2022年12月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
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