モンゴル史としてはかなりいいと思いました。
西域と繋がっている本です。
ただ、中央ユーラシア史はこの本が書かれた後にかなりの発展があったので少し古いかと思っています。
ティムールにも詳しく、ムガルにも少し触れていますが、ムガル帝国は同シリーズの別の本に書かれています。
中央ユーラシア史やモンゴル史はこの本が書かれた後にかなりの発展があったので、
この本を読んだ後に類書にあたるといいと思っています。
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世界の歴史 11 (河出文庫 800A) 文庫 – 1989/11/1
愛宕 松男
(著)
- 本の長さ417ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日1989/11/1
- ISBN-104309471706
- ISBN-13978-4309471709
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登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (1989/11/1)
- 発売日 : 1989/11/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 417ページ
- ISBN-10 : 4309471706
- ISBN-13 : 978-4309471709
- Amazon 売れ筋ランキング: - 802,555位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 400位その他のアジア史の本
- - 2,700位河出文庫
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年3月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
第十一巻、タイトルは独特だが、内容は、滅びていく唐の制度や文物を対照的な形で継承した北方の征服王朝と南方の北宋・南宋という見立てから前半をまとめ、後半にモンゴル帝国の興隆と衰亡を収録した構成になっている。
前半についてみると、唐の制度・文物に内在していた雑多な冗長性を単純化して敷衍した北方と、実質を充実させて社会・経済・政治・文化を進展させた南方という対照で説明はわかりやすく、また、繁栄の中に衰退が胚胎していることも意識させてくれて納得がいく。後半のモンゴル帝国についての記述は少し物足りなかったが、基本的な出来事や内部の仕組みと力関係をしっかり示しているので、ここから他の著作に進んでいくには参考になると思う。
どの巻にもいえるが、全体的な流れを意識させてくれる記述があって読みやすい一冊。遼金元と続く征服王朝の統治の実態と、中国内部が充実していく過程が読み取れる。
前半についてみると、唐の制度・文物に内在していた雑多な冗長性を単純化して敷衍した北方と、実質を充実させて社会・経済・政治・文化を進展させた南方という対照で説明はわかりやすく、また、繁栄の中に衰退が胚胎していることも意識させてくれて納得がいく。後半のモンゴル帝国についての記述は少し物足りなかったが、基本的な出来事や内部の仕組みと力関係をしっかり示しているので、ここから他の著作に進んでいくには参考になると思う。
どの巻にもいえるが、全体的な流れを意識させてくれる記述があって読みやすい一冊。遼金元と続く征服王朝の統治の実態と、中国内部が充実していく過程が読み取れる。
2013年5月4日に日本でレビュー済み
第10巻の「西域」とも多少かぶる。唐末から宋、チンギス・ハーンのあたりまで。
曰く・・・
唐の第2代皇帝の太宗は、チュルク族にテングリ・ハーン(天可汗)の称号も奉られ、第3代の高宗は天皇大帝を称する。これが「天皇」の語源だろう。
10世紀に北方に契丹族のキタイ帝国成立。キタイ族には馬(に乗ってきた神人)と牛(に乗ってきた天女)という2系統についての神話があり、馬が耶律氏、牛が審密氏に対応する。耶律阿保機のとき、征服王朝・遼が成立する。遼は、宋から絹や銀などの貢納を受けていたが、ウイグル商人がごっそりとこれらを西のイスラム世界に持ち込んでいる。
唐のあと、朱全忠が後梁を立てると、あちこちで王国成立。後梁は後唐に代わられ、更に、遼の助けで石氏により後晋成立。後晋は遼を排除しようとするが逆に遼に滅ぼされる。ただし、遼は中原支配できず撤退している。そのすきに後漢が成立。更に、後周成立し、次に趙匡胤による宋が成立(無血クーデター)。
宋は、力のある節度使をゆっくりと士大夫(知識人)に取り替えていく。ゆっくりと権力を固める。文官優先主義。科挙強化で知識人増加。大規模な編纂事業により彼らを懐柔する。官僚から門閥貴族を排除する。更に、軍を直轄。そのための資金調達手段は専売制(塩)と貨幣鋳造。宋銭は膨大で大量流出。ゆえに古銭としての価値は薄い。
王安石の改革があったが徹底できず。
遊牧民族は、力があるときには中国を侵略するが侵略側にもリスクがある。それよりは朝貢貿易で朝貢する。そうすれば恭順をほめられて下賜品をもらえる。中国にとっても防衛費よりは安上がり。ようするにタカリ。
宋のころ、タングート族の西夏国が台頭する。西夏は隊商から苛酷に徴税する。ウイグル商人は、キタイを通過する北方経路を開発する。キタイにとってはメリットがあり、西夏がほろびてもらっては困る、という関係。よって宋と対立する西夏を遼は応援する。
遼の支配下にあった満州ではジュルチン族(女真族)の完顔阿骨打が反旗を翻し、金成立。宋は金と同盟して宿敵の遼を攻撃し、遼滅亡。ただし、宋はろくに活躍しておらず。揉めた挙句、金は宋を蹂躙している。宋は金に臣礼をとる羽目になる。
モンゴリア高原は、匈奴、突厥、ウイグルの活躍舞台だったが、13世紀のチンギス・ハーンの出現によりモンゴル族が支配した。チンギス・ハーンは、モンゴル族の王族だったが、孤立していたころから建国の功臣が配下に加わっている。個人的能力も大きい。金を攻め、これを屈服させる(モンゴルとしては属国にしたつもり)。が、金が遷都すると、これに怒って再度侵攻。しかし、かつて倒したナイマン部のクチュルクが西遼に亡命してその権力を握ると金どころではなくなる(といっても金はその後滅ぼされるのだが)。西遼をほろぼし、西夏をほろぼし、ホラズム(イラン)をほろぼし、ロシアにも攻め込んだところでチンギス・ハーン崩御。第4代のムンケ・ハーンのころまで帝国は拡大を続ける。
南宋はフビライの元朝に滅ぼされる。元が日本に攻めてきたのは、日本の金銀を狙ったという説や、南宋討伐に利用するための海路をもとめたという説がある。ただ、日本が黄金の国だとおもわれていたのは、金銀以外に、日本はめぼしい輸出品がなかったという事情もある。
元は紙幣を大量に流通させていた。マルコ・ポーロはフビライは錬金術師である、と驚いている。補助貨幣ではなく主力貨幣。しかも途中から不換紙幣になっている。塩税などの税制が価値担保になっていた。要するに塩本位制。元は、北方防備が不要だったので軍事費が低かった。塩専売による塩税を準備金に当てることができた。
モンゴル帝国の宗主権争いでは、フビライとハイドゥ(3ハン連合国)の争いになる。イル・ハン国はフビライ側。これにキリスト教国やらイスラム教国やらがからんでくる。イル・ハン国は最終的にティムール帝国に併呑される。
などなど。
曰く・・・
唐の第2代皇帝の太宗は、チュルク族にテングリ・ハーン(天可汗)の称号も奉られ、第3代の高宗は天皇大帝を称する。これが「天皇」の語源だろう。
10世紀に北方に契丹族のキタイ帝国成立。キタイ族には馬(に乗ってきた神人)と牛(に乗ってきた天女)という2系統についての神話があり、馬が耶律氏、牛が審密氏に対応する。耶律阿保機のとき、征服王朝・遼が成立する。遼は、宋から絹や銀などの貢納を受けていたが、ウイグル商人がごっそりとこれらを西のイスラム世界に持ち込んでいる。
唐のあと、朱全忠が後梁を立てると、あちこちで王国成立。後梁は後唐に代わられ、更に、遼の助けで石氏により後晋成立。後晋は遼を排除しようとするが逆に遼に滅ぼされる。ただし、遼は中原支配できず撤退している。そのすきに後漢が成立。更に、後周成立し、次に趙匡胤による宋が成立(無血クーデター)。
宋は、力のある節度使をゆっくりと士大夫(知識人)に取り替えていく。ゆっくりと権力を固める。文官優先主義。科挙強化で知識人増加。大規模な編纂事業により彼らを懐柔する。官僚から門閥貴族を排除する。更に、軍を直轄。そのための資金調達手段は専売制(塩)と貨幣鋳造。宋銭は膨大で大量流出。ゆえに古銭としての価値は薄い。
王安石の改革があったが徹底できず。
遊牧民族は、力があるときには中国を侵略するが侵略側にもリスクがある。それよりは朝貢貿易で朝貢する。そうすれば恭順をほめられて下賜品をもらえる。中国にとっても防衛費よりは安上がり。ようするにタカリ。
宋のころ、タングート族の西夏国が台頭する。西夏は隊商から苛酷に徴税する。ウイグル商人は、キタイを通過する北方経路を開発する。キタイにとってはメリットがあり、西夏がほろびてもらっては困る、という関係。よって宋と対立する西夏を遼は応援する。
遼の支配下にあった満州ではジュルチン族(女真族)の完顔阿骨打が反旗を翻し、金成立。宋は金と同盟して宿敵の遼を攻撃し、遼滅亡。ただし、宋はろくに活躍しておらず。揉めた挙句、金は宋を蹂躙している。宋は金に臣礼をとる羽目になる。
モンゴリア高原は、匈奴、突厥、ウイグルの活躍舞台だったが、13世紀のチンギス・ハーンの出現によりモンゴル族が支配した。チンギス・ハーンは、モンゴル族の王族だったが、孤立していたころから建国の功臣が配下に加わっている。個人的能力も大きい。金を攻め、これを屈服させる(モンゴルとしては属国にしたつもり)。が、金が遷都すると、これに怒って再度侵攻。しかし、かつて倒したナイマン部のクチュルクが西遼に亡命してその権力を握ると金どころではなくなる(といっても金はその後滅ぼされるのだが)。西遼をほろぼし、西夏をほろぼし、ホラズム(イラン)をほろぼし、ロシアにも攻め込んだところでチンギス・ハーン崩御。第4代のムンケ・ハーンのころまで帝国は拡大を続ける。
南宋はフビライの元朝に滅ぼされる。元が日本に攻めてきたのは、日本の金銀を狙ったという説や、南宋討伐に利用するための海路をもとめたという説がある。ただ、日本が黄金の国だとおもわれていたのは、金銀以外に、日本はめぼしい輸出品がなかったという事情もある。
元は紙幣を大量に流通させていた。マルコ・ポーロはフビライは錬金術師である、と驚いている。補助貨幣ではなく主力貨幣。しかも途中から不換紙幣になっている。塩税などの税制が価値担保になっていた。要するに塩本位制。元は、北方防備が不要だったので軍事費が低かった。塩専売による塩税を準備金に当てることができた。
モンゴル帝国の宗主権争いでは、フビライとハイドゥ(3ハン連合国)の争いになる。イル・ハン国はフビライ側。これにキリスト教国やらイスラム教国やらがからんでくる。イル・ハン国は最終的にティムール帝国に併呑される。
などなど。