中古品:
¥357 税込
配送料 ¥250 5月28日-29日にお届け(21 時間 35 分以内にご注文の場合)
詳細を見る
中古商品: 良い | 詳細
コンディション: 中古商品: 良い
コメント: ご覧頂き感謝してます。ヤケ 角に折れあり 中古書籍のため商品は経年の使用感、経年劣化,ヤケなどがある場合がございます。アマゾン掲載画像とカバーデザインなどが違うことがございます。当社の出品は、アマゾンコンディションガイドライン 【良い】 に準じて出品を行っております。【検品担当者より】中古品の為、できる限りの確認作業を心がけておりますが、もし見逃しがあった場合はご了承下さい。※日、祝日出荷ご了承いただけましたら幸いです。あくまでも中古本という事をご理解しての購入をお願い致します、新品のような状態を希望の方のご購入はご遠慮願います。作業は行っておりません。当社2営業日以内に日本郵便ゆうメールにて発送いたします。 ゆうメールは、土日曜、祝日の配達がないため到着予定日が土日曜 祝日と重なる場合は、翌平日の配達となります。帯は付属しません。中古のためアクセスコードなどある場合、その有無は確認できません。あくまでも中古本という事をご理解しての購入をお願い致します、新品のような状態を希望の方のご購入はご遠慮願います。ご了承いただけましたら幸いです。
Kindleアプリのロゴ画像

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません

ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。

携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。

KindleアプリをダウンロードするためのQRコード

世界の歴史 23 (河出文庫 816A) 文庫 – 1990/5/1

3.6 5つ星のうち3.6 9個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 河出書房新社 (1990/5/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1990/5/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 411ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 430947182X
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309471822
  • カスタマーレビュー:
    3.6 5つ星のうち3.6 9個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中3.6つ
5つのうち3.6つ
9グローバルレーティング

この商品をレビュー

他のお客様にも意見を伝えましょう

上位レビュー、対象国: 日本

2010年10月8日に日本でレビュー済み
 「第二次世界大戦」は山川の『世界史B用語集』によれば1939年から1945年に「起きたもの」とされている。しかし、原因自体は第一次世界大戦の終わりから始まっていると言われる。内容も第一次世界大戦以上に複雑で簡単に説明するのが難しい戦争。そういう歴史に素直に入りこめる方法としては、ある程度の国と人物に焦点を当てて、そこ中心に述べてもらうのが初心者には望ましいのではないか。特にこの巻は出てくる国の数だけでも今までの比ではない。その意味でドイツと日本に焦点を当てているのは、非常に面白く、日本人にとっても有難い。
 
 私は未だに「分かりやすい」といわれる第二次大戦の概説書に出会ったことがない。また「バランスよく」まとまった歴史「書」には不安を感じる。特に現代史は毎年のように新しい資料が発掘され、改訂されてゆく。だからこの『第二次世界大戦』も色々と著者自身試行錯誤を重ねているように思われる。また、日独の歴史と人物を中心としつつも柔軟に多様な議論の成果を取り入れながら比較検討を重ねている姿勢が素晴らしい。
 
 この第23巻は1970年の作品だけれども、1970年には1939〜45年というその当時から25年〜30年前の歴史がどう見えたかという歴史の実物教育にもなっているような気がする。中学・高校の歴史教育が、まだ大正デモクラシー前後で終わってしまっている私たち日本人には格好の入門書であるとも思う。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年12月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
研究者らしい重厚な祖述には好感が持てる。ただ、本書は、ワイマール共和制の時代から日独伊三国同盟(40年9月)ないしは日ソ中立条約成立(41年4月)までの時期と「戦争の遺産」と題する戦後の大戦処理問題が主題である。他方で、日米開戦から日本の敗戦に至る太平洋戦争の4年間の記述は皆無である。「現代史の専門家でもない私が、この巻を執筆することになったのは、・・・」(p.392)と巻末で著者が弁明する理由も、この辺りにあるのだろう。戦史を期待して本書を手にした読者は、大いに裏切られた気分になるだろう。とは言え、ワイマール共和制から世界恐慌に至る時期の記述は参考になる点も多々あるので、本書をどう評価するかは読者の関心次第ということになるだろう。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2010年3月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 第二十三巻、この巻は他のどの巻とも違う構成と内容で出来ている。まず、書名とは異なって、第二次世界大戦の概説書ではない。また、戦争当事国間の事の経緯をバランスよくまとめたものでもない。この巻のほとんどの章は、ドイツ史研究家の三宅正樹氏による、第一次世界大戦後のドイツと日本の側からの歴史記述が展開されている。正直、三宅氏の文章は主語述語の配置が入り組んだ複文構成を多用していて、なおかつ句読点の置き方が少しおかしくて読みづらく、内容把握の時点でストレスがたまるが、肝心の内容も一つの視点としては参考になるという以上のものではない。上山春平氏の序章と終章は、それに比べて納得のいくものだった。

 第二次世界大戦の概説を期待していた自分としてはあまり参考にならなかった。他の巻がすばらしいだけに少し残念な出来の一冊。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年8月25日に日本でレビュー済み
 本書は、第二次世界大戦をドイツと日本、特に、ヒトラーと近衛文麿を中心として見ていく。著者2名だが、大部分は三宅正樹さんの執筆らしい。
 曰く・・・
 第一次世界大戦を現状維持を便利とする国と現状破壊を便利とする国との争いとしてとらえ、前者が平和をとなえ後者が戦争をとなえるのはそれぞれの利益に基づくというのが近衛文麿の基本観点であり、田中、石原、東条らは近衛の思想の枠内におさまる。
 第一次世界大戦後の日本では国際協調派(原敬、幣原喜重郎、西園寺公望、斎藤実、岡田啓介など、海軍系はこちら)と武断外交派(田中義一、森恪、杉山元、板垣征四郎、東条英機など、陸軍系はこちら)の対立があり、国際協調派が最初は優勢だったが、最後には武断外交派が主導権を握った。近衛は国際協調派ではないが、武断外交に徹することもせず、むしろ武断外交派を抑えようとしていた。国際協調派の米内内閣は陸軍武断外交派に嫌われ、そのあとに陸軍が仕立てた林銑十郎内閣は国民から人気がない。このような政治状況において、陸軍受けがよく、国際協調派とも折り合い、国民人気もあった近衛が登場した。
 近衛は、軍人たちがやたらに好戦的で彼の平和への努力をぶちこわそうとするのは、軍人たちが共産主義にかぶれ、戦争を長引かせて共産主義革命を起こそうとしているのではないかと本気で考えていたフシがある(そういう上奏文を提出している)。
 ドイツ・ワイマール共和国で外相も務めたラーテナウは、第一次世界大戦中に計画経済を実施して成功。レーニンはこれに大いに注目している。
 近衛の言い分は、支那事変に責任を感じればこそ、この解決を最大の使命とし、そのためには米国との諒解が必要と考え日米交渉に全力を尽くした、というもので、そのアメリカに戦争犯罪人として指名されることは心外。逮捕される前に自殺している。
 第一次世界大戦後のヴェルサイユ会議に出席したイギリスのロイド・ジョージは、自身の政治的立場を強くするために対独強硬路線をあおって大衆の支持を受けて臨んだため、ドイツに対して公正な態度をとろうにも取れなかった。フランスのクレマンソーはもっと対独強硬。イタリアは領土問題で不満が残る。日本は戦勝国だったが語学力不足が障害になったらしく、サイレント・パートナー状態。ともあれ、山東半島のドイツ利権を手に入れた。しかし、要求していた人種差別撤廃条項を国際連盟規約に持ち込むのは失敗。オーストリア=ハンガリー帝国はオーストリアとハンガリーに分割され、オーストリアは小さくなった。
 ヴェルサイユ会議のころのフランスには勝ったとはいえ対独恐怖心があり、これがドイツに対する苛酷懲罰につながった。フランスは4000万人で人口は増加しないが、ドイツは6000万以上でしかも増えている、という状況がある。ロシアは革命が起こったし、イギリスは海で隔てられている。
 ドイツは第一次世界大戦の賠償金の多くをアメリカ資本(外債購入)に頼り、ドイツの賠償金はイギリス、フランスの戦費(の借金返済)を埋め合わせる。もともと英仏に金を貸したのがアメリカなので資金循環している。アメリカの大恐慌でドイツからアメリカ資本が引き上げ、この循環システムが壊れる。 
 ワシントン会議に先立つ英帝国会議では日英同盟をどうするかが議論になる。第一次世界大戦中の加藤高明の21箇条要求が英米を刺激したことが遠因となり日英同盟は解消につながっていく。加藤高明は日英同盟をかなり大事に考えており、こういう結果になることは想定外。その一方、日本では日英同盟に加えて日露同盟の必要性を唱えるグループがあり、その中心が元老・山県有朋(あれもこれもという複雑な同盟はビスマルクっぽい?)。山県有朋には若き日に長州奇兵隊として英米仏蘭と戦って負傷したトラウマがあったが若い加藤高明にはそこまでの恐怖心がない。山県は21箇条要求にも第一次世界大戦の対独参戦も反対だった。1916年に事実上の日露同盟成立。ところがロシア革命でこれはなかったことに。しかも日英同盟まで失い日本は国際的孤立へ。ところがこれを危機と感じず、むしろシベリア出兵する始末。
 ドイツは毎年90万人の人口増加がある。ヒトラーの考える打開策は(1)産児制限(2)ドイツの国土開発(3)東方侵略(4)経済拡張政策。(1)は人種劣化につながるとして却下。(2)は限界がある。すでに大きな植民地をもっている民族にやがて押し切られてしまう。(4)はイギリスとぶつかる。第一次世界大戦の失敗はこの第4の道を選んだから。イギリスとぶつかってはならない。残った道は(3)であり、すなわち、東欧とロシアへの侵攻。これがナチスの基本ドクトリン。
 イギリスは、ドイツがのしあがってイギリスを脅かすことを望まない。フランスは、ドイツという強国の存在そのものを許さない。ヒトラーはこの相違に注目する。ドイツは自国存続のために格闘しているのであるから、フランスは敵であり、イギリスとイタリアは組める相手。そして、ロシアとの戦争は前提。こういったスケッチは「わが闘争」にすでに示されている。1939年にドイツがソ連と対独不可侵条約を結んだとき、近衛や松岡洋右は、ドイツが日ソ間の国交調整をして日独伊ソの協商となることを見込んで日独伊三国同盟に踏み切ったがこれが大きな読み違い。ドイツにとってソ連は敵というのは基本線。
 ヒトラーによれば、旧ロシアと異なり、革命後のロシアの中核にあるのはユダヤ人であるという(トロツキーとかレーニンとか?)。ヒトラーの見立てでは、ユダヤ人は組織維持能力をもたずむしろ組織分解酵素であるからロシアは崩壊寸前であり、とても組める相手ではない。イギリス、イタリアと同盟し、フランスをまず倒し、背後を安全にしてからロシアに攻め込むことを計画する。ヒトラーの第1の誤算は、イギリス(とくにチャーチル)がまったくなびかなかったころ。
 ヒトラーの位階では、アーリア人種とスラヴ人種の中間が日本民族。日本が1942年に英領シンガポールを陥したとき、ヒトラーは同盟国の勝利という意味では喜んだが、黄色人種にアーリア人種のイギリス人が屈服したことについては嫌悪感を示している。
 ローズベルト大統領自身はケインズ経済学には不案内で、ケインズと会ったとき、彼は数字を並べ立てる数学者だと評し、ケインズは大統領にはもう少し学問があると思っていたんだが、と評している。お互いに大した印象を与えていない。
 ワイマール憲法には、緊急事態のときには大統領に大きな権限を与える条項がある。これは憲法が成立したころ皇帝がとんずらしてたので議会主義のドイツの弱さを補強するために大統領が皇帝の代理機能を果たせるようにするためだった。ブリューニング首相は、恐慌対策のための不人気政策をこの権限を使って実行。ナチの伸張を防ごうとしたが大統領ヒンデンブルグに2年で解任される。ブリューニング内閣は緊急命令を乱発したので、議会制民主主義が壊れていく。その後の首相も失策続きで、1933年にヒンデンブルグはヒトラーに組閣を命じる。
 山県有朋は、いずれ白色人種と黄色人種の人種戦争が激烈になる、と読む。そのためには英に加えて露を同盟国として引き込み、白人諸国にくさびをうちこんでおくべき、と考える。
 田中義一内閣はわずか2年だったが、ここで満洲事変から日米戦争につらなる昭和外交の軌道が敷設された。著者は田中を操ったのは怪人物・森恪であるという。森恪の路線は、武力をもって満州、モンゴルに侵攻し、ベルサイユ体制、ワシントン体制に挑戦しようとするもの。森自身は1932年に病死している。田中内閣のあとの浜口雄幸内閣ではもはや森=田中外交を完全に精算できなくなっていた。
 浜口内閣、第2次若槻内閣、犬養内閣となり、犬養内閣の蔵相高橋是清はリフレ政策を推進。軍事費が少ないと反感をもたれ、2・26事件で暗殺される。
 昭和軍部が力をもっていた主な理由は陸海軍大臣現役将官制と統帥権独立。西園寺公望内閣のとき、陸軍は陸相を政府に送らなかったため、西園寺内閣は議会で多数を占めていたのに辞職している。明治憲法により統帥権は天皇に帰属する、とされる。ロンドン海軍軍縮会議のとき、浜口内閣が調印しようとすると統帥権干犯であるという意見がでてくる。このスローガンの発明者は北一輝らしい。統帥権干犯は政争の具になっていき政党政治そのものが墓穴を掘った。さらに陸軍の兵士の供給源が農村部にあり、経済不況による農村の疲弊が深刻だった。陸軍は政府に現状打破のちからがないと考え、陸軍みずからがどうにかせねばという雰囲気があった。青年将校たちは、(ナチスなどがやっていた)統制経済、計画経済を不況克服の切り札と考え、満州に王道楽土を建設しようとし、満州事変につながる。
 リットン調査団のリットンは国際的には無名。日本の恨みを引き受ける役割だったので引き受け手がなかなかいなかった。イギリスは満州については寛容なところもあったが、アメリカは外交に道徳と主義を持ち込まねば気が済まないところがあり、これに反対する(スチムソン・ドクトリン)。
 森恪は国際連盟脱退の急先鋒だったが、斉藤首相も松岡洋右すら国連脱退を望んでいなかった。森の死の2ヶ月後に日本は国連脱退。
 ヒトラーは首相に指名されても外相ノイラートを留任させ、諸外国の信用をつなぎとめる。その一方、リッペントロップ機関など外務省と重複する組織をつくり、外務省を骨抜きにしていく。この複雑な組織はヒトラーだからこそ統制できたともいえる。したがって、第三帝国が戦争に突入しなくても、ヒトラーの後継者の時代になれば第三帝国な内部の軋轢で崩壊しただろうといわれる。
 ドイツはリットン報告書の採択に賛成している(外務省の考え)。また蒋介石に軍事顧問団を派遣している。その一方、リッペントロップ機関は日本軍部と交渉し、日独防共協定を結ぶという二重外交。
 イタリアは、英仏とともにドイツ再軍備に抗議していたが、エチオピア侵略をなじられるとドイツに接近。ドイツはとなりのポーランドを懐柔しようとしたが失敗。イギリスはポーランドに対する保障宣言をおこなって後援。孤立気味だったソ連は1939年に独ソ不可侵条約に調印。これにはポーランド分割協定があった。ナチズムと共産主義の握手は世界を驚かせる。ヒトラーにとっては一時の便法だったが、そもそもヒトラーにとってポーランドがいっしょに対ソ戦に従事するという読みを外したのがつまづきの石。ヒトラーはポーランドを先に片付けることに決める。ただ、英仏とはまだ戦いたくない。イタリアとの同盟も独ソ不可侵条約も英仏にポーランドから手を引かせるための威圧の手段だったともいわれる。ヒトラーは18日でポーランド軍を壊滅させる。
 さらに、ドイツはベルギーを席巻。このときベルギーのダンケルク港のイギリス軍を攻めず、撤退させている。イギリス軍33万人が救われた。あくまでも、イギリスとは戦いたくない、という意思の現れ?パリを落とした後、ドイツはイギリスに和平をよびかけるが、チェンバレンのあとのチャーチルは屈服しない。ついにロンドン空襲。しかし、戦闘機スピットファイヤーやレーダーをもつイギリス軍の前に手痛い損害を出してしまう。
 ヒトラーはアメリカの参戦可能性も心配。そこで、日本(特に海軍)がクローズアップされてくる。ところが、皮肉なことに期待の海軍よりも(あまり興味もない)陸軍の方が軍事同盟に乗り気。近衛は、松岡外相が表面では強硬外交をとなえながらも、その本心は親米的国際協調路線にあると判断し、彼なら軍部を抑えて日中事変を解決してくれると期待していたらしい。その近衛と松岡が日独伊三国軍事同盟を締結したのは、おそらく、いずれソ連も含めた大陸同盟をつくって国際的孤立を抜け出し、大陸同盟を背景としてアメリカと毅然とした交渉をしようと考えていたのかもしれない。日本は、ドイツに日ソ問題を仲介してほしいが、どうもその気配がない。松岡は1941年にドイツの反対にかかわらず日ソ中立条約を成立させる。ドイツは、独ソ戦が近いことを松岡に匂わせるが、機密保持のため日本にはきちんと伝えず。松岡はまったく気づかず。ゆえに、松岡に会ったスターリンも松岡の日ソ中立条約への熱心さから、ドイツ歴訪後の松岡がこれだけ熱心なのはドイツにソ連を攻める意思はないからだろうと判断したらしい。日本にいたソ連のスパイ・ゾルゲは独ソ戦情報をスターリンに伝えるが、黙殺されている。ところが同年6月に独ソ開戦。スターリンにも近衛にも寝耳に水。こうなると近衛は三国同盟脱退を考えたが松岡はこうなったら対ソ戦をすべきと主張。ちなみにイタリアは完全に従属変数なので三国同盟は実質的には日独同盟。一方の日本もアメリカに奇襲攻撃をかけて太平洋戦争開始。ヒトラーはアメリカに参戦して欲しくなかったのにどうもチグハグ(結局、ヒトラーが日本を信用せずに本音を語らなかったこと、日本の首脳がそのヒトラーを理解したつもりになったこと、が掛け違いの原因か)。
 一方、日ソ中立条約成立のころ、近衛は独自にアメリカと国交調整工作をしていたらしく、これを知った松岡と近衛も仲が悪くなり、松岡は日米交渉をぶち壊す方向で動き出す。この二人の齟齬がまた掛け違いになっていく。松岡は結局内閣から追放される。
 日米交渉はドイツを不安にさせる。松岡のあとの豊田外相はこのころドイツ大使を冷淡にあつかっている。しかし、東條内閣で日米交渉が行き詰まると日本は三国同盟にまた向き直るという風見鶏状態。
 ニュルンベルク裁判や東京裁判で戦争を国家の政策手段とした用いた国の責任者は処罰される、という国際法上の判例ができたことは大きい(その後の、米ソは戦争いっぱいしてるが)。
 みたいな話。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート