日本での出版順に読んでいるので、9冊目のイーガン。短編集としては4冊目です。
今回読んだのは文庫版ですが、底本が〈奇想コレクション〉ということもあり、バラエティに富んだ作品が集められている感じです。その意味ではイーガンの日本で最初の短編集『祈りの海』に似ているかも。
4冊の短編集はすべて日本独自の編集ですが、編者が同じなので既刊との重複を避けたためか、本書は比較的初期の作品が多いようです。全10作品の内、5作品が1990年以前、3作が91年と92年、2作が95年です。
既刊の収録作品にもありましたが、特に1980年代の作品はホラー風味の強い作品が多く、SFというよりは社会風刺の味付けをしたダーク・ファンタジーのようです。
解説によるまでもなく、現在のイーガンがハードSFの代表作家と呼ばれていることを考えるとホラー系の作品群には違和感があるのですが、デビューした頃のイーガンはマーケットの小さいハードSFではなく、より一般的な読者層を狙っていたのかなと邪推しました。
しかし、同じ頃発表された奇想を主体にした作品群もかなり特殊な読者層をターゲットにしているとしか思えないものが多く、マイナー志向であることに変わりはなさそうです。SF界で評価が高いのもそのことが関係しているのではないでしょうか。評者も含めてSFファンはマイナー志向が多いと思うので。
以下、個々の作品について(ネタバレはできるだけ避けますが、気になる方は自己責任でお読みください。)
「新・口笛テスト(1989)」 広告業界の音楽ディレクターが災難に巻き込まれる話。もっとエスカレートして人類史的な大事件になるかと思ったが、意外に小規模な段階で収束した感じ。昔型のカテゴリー分類ではCMに関する社会派SF、風刺SFと呼ばれたのではないか?イーガンの作品なので脳神経テーマとされているけれど。
「視覚(解説によると1995年の発表だが、執筆は1990年頃らしい。評者もそう思う。)」 本篇は確かに脳神経テーマの作品。幽体離脱を視点の移動として描いたところにイーガンらしさ、新しさがあるのだろう。奇想の説明を理解はできるが納得はできない。認識の変革?一種の風刺なのか?それとも、驚異的な人間の視覚というものの原理を基礎にして再構成したハードSFなのか?
「ユージーン(1990)」 宝くじを当てた若い夫婦が将来生まれる子供に高い知能を与えようと考える話。親が子供の将来に影響を与えることの正当性について。 「ひとりっ子(2002)」は、この話の発展形か? 『宇宙消失(1992)』の“拡散と収縮”のアイデアの原型かも? 傑作。
「悪魔の移住(1991)」 悪魔のような生物が懺悔して改心する話かと思って読んでいたら・・・。読み終わってから、この話をネタとして昔聞いたことがあることを思い出した。ああ、これがあの話だったのかと。噂で聞いた時には冗談か馬鹿話と思ったけど、中身は凄くシリアス。実験動物に対する倫理問題から、医療技術の進歩、心の問題まで、広い範囲の複数のテーマについて語る話。ネタは思いついたとしても、余人には、この話はなかなか書けないのではないか。 傑作。
「散骨(1988)」 SF味はほとんどなく、幻想小説的なホラー風味の社会風刺小説。
「銀炎(1995)」 感染後、短期間で全身症状を発症して死に至る感染症〈銀炎〉の感染ルートを追う疫学専門家の話。今の時期にぴったりのパンデミック・テーマかと思って読んでいたら、違った。高度なテクノロジーを使って勧誘を行う新興宗教団体を舞台にして、コミュニケーション・ギャップというか、信じていることの基盤が異なる人との間の、相互理解の不可能性を描こうとしたものではないか。後半の展開がちょっと唐突な感じ。秀作。
「自警団(1987)」 邦訳されている中では最初期の作品。SFというよりも幻想的要素の強いホラー。ただ、社会風刺の要素がかなり混じっているので、ファンタジーというよりも社会性が強く、その点ではSFに近いかも。ただ、SF的な論理性は弱い。解説に言う“国民性”を語ることに対する批判とはなんだろう?よくわからない。むしろ次作の方がそれにふさわしいのでは?
「要塞(1991)」 世界中で増加する環境難民によって自分たちの日常が脅かされると考える排他主義者たちが、究極の防護障壁と考えるものは何か。 生化学的アイデアの社会派SF。 佳作。
「森の奥(1992)」 最初は何をテーマにした話なのか分からなかったが、終盤になってようやく、どうやらアイデンティティをテーマにした話らしいと気付く。 奇想SF。 佳作。
「TAP(1995)」 21世紀前半、既に世界中で9万人が脳内にインプラントしている究極の言語システム“TAP”のヘビーユーザーである女性詩人が突然死する。詩人の娘から母親の死の謎の解明を依頼された私立探偵(女性)が調査の結果、たどり着いた真実とは。“TAP”の設定と描写がハードSF。母親とは異なる情報環境で育つ息子。“TAP”を開発した女性技術者の暴走。人類進化テーマのSF。今になって、全然違うけど小松左京の『継ぐのは誰か』を思い出した。認識の拡大と考えると“ニュー・タイプ”? やっぱり傑作かも?
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TAP (奇想コレクション) 単行本 – 2008/12/2
脳に作用して言語能力を向上させる極小マシンTAPを使用していた老詩人が、密室で死んだ。これは殺人事件か? その真相は……表題作「TAP」ほか全10編を収録した、現代SFの最先端作家イーガンの日本オリジナル傑作選。
- 本の長さ371ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2008/12/2
- ISBN-104309622038
- ISBN-13978-4309622033
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商品の説明
著者について
1961年オーストラリア西海岸パース生まれ。SF作家。西オーストラリア大学で数学理学士号を取得。「祈りの海」でヒューゴー賞受賞。著書に、『宇宙消失』『ディアスポラ』他。「現役最高のSF作家」と評価されている
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2008/12/2)
- 発売日 : 2008/12/2
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 371ページ
- ISBN-10 : 4309622038
- ISBN-13 : 978-4309622033
- Amazon 売れ筋ランキング: - 782,725位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 7,764位英米文学研究
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年6月13日に日本でレビュー済み
2023年8月29日に日本でレビュー済み
オーストラリアのSF作家、イーガン氏の短篇集。
映画、音楽、遺伝子、腫瘍、カメラ、自警団、探偵等、様々なタイプの作品が網羅されております。
どれも面白かったですが、私の読解力が低い為か、よく理解できない感じの物もありましたが、それでも読んでいる間は楽しかったです。
これを読む前に、イーガンさんの作品は長編でいくつか読んでおりますが、現代の物理や数学の知識が大分出てくる、難解な物が多かった記憶がありまして、本書も難しいかもしれないと思って、ビビりながら読みましたが、本書収録作は比較的読みやすくて良かったです。
バラエティのある作品を集めた短篇集。機会があったら是非。
映画、音楽、遺伝子、腫瘍、カメラ、自警団、探偵等、様々なタイプの作品が網羅されております。
どれも面白かったですが、私の読解力が低い為か、よく理解できない感じの物もありましたが、それでも読んでいる間は楽しかったです。
これを読む前に、イーガンさんの作品は長編でいくつか読んでおりますが、現代の物理や数学の知識が大分出てくる、難解な物が多かった記憶がありまして、本書も難しいかもしれないと思って、ビビりながら読みましたが、本書収録作は比較的読みやすくて良かったです。
バラエティのある作品を集めた短篇集。機会があったら是非。
2017年10月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
さすがにTAPは面白かったけど、イーガンの本領はやはり長編だなと思った次第。
難解な科学知識も読者がギリギリついてこれるところまで手心を加えているとは思うが、いやそれでも歯ごたえがありすぎる。
現象世界と言葉のかい離に鋭く切り込んだのは、哲学という分野だろう。
そんな唐突な啓示を与えてくれるのも、この作家の醍醐味である。
長編に比べると、多少インパクトが弱いので☆3つ。
既知の思考から、ひとまず離脱してみたい方にはイーガン作品の渉猟をお勧めする。
難解な科学知識も読者がギリギリついてこれるところまで手心を加えているとは思うが、いやそれでも歯ごたえがありすぎる。
現象世界と言葉のかい離に鋭く切り込んだのは、哲学という分野だろう。
そんな唐突な啓示を与えてくれるのも、この作家の醍醐味である。
長編に比べると、多少インパクトが弱いので☆3つ。
既知の思考から、ひとまず離脱してみたい方にはイーガン作品の渉猟をお勧めする。
2009年7月30日に日本でレビュー済み
グレッグ・イーガン『TAP』河出書房新社を読み終えた。
奇想コレクションの一冊。待ちに待っていたイーガンの短編だったけど、予想にたがわず、期待どおりの面白さ。
特に気に入ったのは表題作の「TAP」。
いかにもありそうな脳内インプラントの話だけど、イーガンはそれをひとひねり。宗教、政治といったところにもつながり、単なる空想の話ではなく、ありうべき現実として描かれている。
ほかにもホラーっぽいのもあり、イーガンの短編の面白さがよくわかる一冊になっている。
未訳の作品も早く、翻訳されないかな。
奇想コレクションの一冊。待ちに待っていたイーガンの短編だったけど、予想にたがわず、期待どおりの面白さ。
特に気に入ったのは表題作の「TAP」。
いかにもありそうな脳内インプラントの話だけど、イーガンはそれをひとひねり。宗教、政治といったところにもつながり、単なる空想の話ではなく、ありうべき現実として描かれている。
ほかにもホラーっぽいのもあり、イーガンの短編の面白さがよくわかる一冊になっている。
未訳の作品も早く、翻訳されないかな。
2016年7月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
初期作品という触れ込みですが、やっぱりイーガン!翻訳のせいか、初期作品のせいかはわかりませんが、若干流れに乗りにくい感はありましたが、読み進んでしまえば、紛れもないイーガンでした。
2017年6月20日に日本でレビュー済み
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イーガンといえば、物語の基礎をガチガチの理論で固めるイメージだったけど、この作品ではかなりゆるい感じ。
いや、理論はあるんだけどほとんどブラックボックスというか、魔法みたいな扱い。
必然、人間描写や物語そのものに多くが割かれてるんだけど、翻訳があまりに逐語訳的ですっごい読みにくい
いや、理論はあるんだけどほとんどブラックボックスというか、魔法みたいな扱い。
必然、人間描写や物語そのものに多くが割かれてるんだけど、翻訳があまりに逐語訳的ですっごい読みにくい
2008年12月17日に日本でレビュー済み
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最初の「新・口笛テスト」は、究極の音楽といったテーマの作品です。これはよくあるテーマで、クラークの「白鹿亭綺譚」にもありました。
既存の音楽がCMに汚染されるというのは、現実にも起こっていることだなと思いました。嗅覚でキンモクセイの香りが、あるものと関連付けられているようなもので、それ単体で楽しむことが難しくなっています。
ラストの「TAP」には、究極の言語とでも言うべき物が出てきます。感情の動きも含めて記録・再生する装置ということならSFではそれほど珍しくもありませんが、言語として存在するのに意味があります。テッド・チャンの「理解」と似ているといえば似ているかも。
究極の言語というのは、情報の完全なデジタル化ということなのかなと思いました。視覚や聴覚から嗅覚、味覚、触覚といった全ての感覚や考えを、完全な形で言語に変換できるということなのだから。
既存の音楽がCMに汚染されるというのは、現実にも起こっていることだなと思いました。嗅覚でキンモクセイの香りが、あるものと関連付けられているようなもので、それ単体で楽しむことが難しくなっています。
ラストの「TAP」には、究極の言語とでも言うべき物が出てきます。感情の動きも含めて記録・再生する装置ということならSFではそれほど珍しくもありませんが、言語として存在するのに意味があります。テッド・チャンの「理解」と似ているといえば似ているかも。
究極の言語というのは、情報の完全なデジタル化ということなのかなと思いました。視覚や聴覚から嗅覚、味覚、触覚といった全ての感覚や考えを、完全な形で言語に変換できるということなのだから。
2011年10月3日に日本でレビュー済み
この著者の小説は本書と『万物理論』とアンソロジーに収録されていた一編『しあわせの理由』を読んだが、どこか幻想的な物を感じる。描写がなんとなく、だからひょっとして訳者が同じかと確認するとそうだったので、訳者の持ち味かもしれない。他の訳も見なければ分からないが。体外離脱や宗教といった題材の選び方も理由の一つだろうか。ともかく、現時点では科学的なディテールに拘ったファンタジーという印象だ。
本書の収録作は視覚や記憶、言語、アイデンティティなどの認識を扱った話が多く、割りに好みだったが、『要塞』が少し気になる。これはアイデアを並べただけでストーリーが希薄だ。『万物理論』の前半でも似たようなことを思ったが、話作りが苦手なのだろうか。アイデアが好きなだけにそれを活かした話も見たかった。
本書の収録作は視覚や記憶、言語、アイデンティティなどの認識を扱った話が多く、割りに好みだったが、『要塞』が少し気になる。これはアイデアを並べただけでストーリーが希薄だ。『万物理論』の前半でも似たようなことを思ったが、話作りが苦手なのだろうか。アイデアが好きなだけにそれを活かした話も見たかった。