近代における郊外の都市開発の中で学園町の建設について触れられた本です。
しかし,大学町がどのような人間の集う町になったのかなどの概念がなく,淡々と著者が錬金術と評した都市開発手法について事例が述べられているといった感じです。
(タイトルを純粋に読めばたしかにその内容でいいのか……)
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「大学町」出現---近代都市計画の錬金術 (河出ブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2010/8/11
木方 十根
(著)
大都市の郊外には「大学」、「学園」とついた駅名や地名がある。 大学キャンパスの存在が郊外開発と密接にかかわっていたからである。 箱根土地の堤康次郎、東急の五島慶太、阪急の小林一三などの実業家、後藤新平、関一のような政治家、内田祥三、本多静六ら建築家や造園家、そこにはさまざまに都市計画の理想を描いた者たちの「顔」が見える。 一橋大学、東京工業大学、慶應義塾大学(日吉)、名古屋大学、関西学院、大阪市立大学…… 東京・名古屋・大阪を舞台に、都市計画の揺籃期における苦闘のドラマを描き出す。
- 本の長さ217ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2010/8/11
- ISBN-104309624197
- ISBN-13978-4309624198
商品の説明
著者について
1968年岐阜県生まれ。名古屋大学卒業後、東京藝術大学大学院、名古屋大学助手を経て、現在、鹿児島大学大学院理工学研究科准教授。共著に『建築史の想像力』など。2004年度日本都市計画学会論文奨励賞受賞。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2010/8/11)
- 発売日 : 2010/8/11
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 217ページ
- ISBN-10 : 4309624197
- ISBN-13 : 978-4309624198
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,056,845位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 11,644位建築 (本)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2018年2月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2014年12月13日に日本でレビュー済み
「大学キャンパスというものは、都市のなかでも比較的大規模な施設であり、長期間
一定の場所に存続し、同一の機能のもとに利用されつづける施設である。……このような
大学キャンパスの存在は、大都市の郊外という場所を考えていくうえで重要な意味を
持つと筆者は考えている。……郊外論の文脈において大学キャンパスの存在は、差異化と
序列化を推し進める要素の典型としてとらえられる。……そのなりたちの実情を、具体的
かつ事例に応じて個別的に検証し、社会的背景と場所との関係を明らかにしていく」。
本書が取り上げる主な大学は(今で言う)一橋、東工大、慶応、名大、大阪市立大。
射程とするのは戦前におけるそれら「大学町」計画。
例えば時の東京商科大学、紆余曲折を経つつも、1920年に大学令を受けて大学への
昇格を果たすも関東大震災で一橋の校舎は壊滅、そんな中で、堤康次郎の指揮の下、
「合わせて約200万坪にも及ぶ開発規模、しかも国立大学町では、買収着手から1年で
土地交換や分譲を行うという、およそ常識を超えた開発」が立ち上がる。
大規模な用地を求めれば、郊外といえども、そこはあまりにしばしば地形的に困難を
抱えることとなる。しかしながら、大岡山然り、日吉然り、そうした起伏をも特徴へと
変えようとする野心的な設計が図られることとなる。
なるほど、行政やデベロッパー、大学当局の思惑や企てについては見えた、としよう。
本書がしばしば物足りないのは、「大学町」を成り立たせるためのその住人の暮らしに
あまりその焦点が向かわない点にある。
いかに街の巨大ランドマークとなるハコモノを設置しようとも、魅力的なライフプランを
提示できなければ、僻地に移り住もうとは思わない。いちいちが偉大なる小林一三の
劣化コピーでしかない堤にふさわしく国立の開発は停滞するのだが、この地に限らず、
日々の生活のヴィジョンを脇に置いて、移転、新設に至る経緯ばかりを列挙されても、
「大学町」としての実感を見出すことができず、どうにも片手落ちとの感が拭えない。
奇しくも、土台となった筆者の学位論文の表題は「近代日本における高等諸学校の
立地と計画に関する研究」、本書の射程もあいにくながら、その域に見事に留まる。
戦前における「大学」建設の歴史としてみれば丁寧に調べられた本だとは思う。
ただし、「大学町」をめぐるテキストを期待して読むと、どこか不足を感じざるを得ない。
一定の場所に存続し、同一の機能のもとに利用されつづける施設である。……このような
大学キャンパスの存在は、大都市の郊外という場所を考えていくうえで重要な意味を
持つと筆者は考えている。……郊外論の文脈において大学キャンパスの存在は、差異化と
序列化を推し進める要素の典型としてとらえられる。……そのなりたちの実情を、具体的
かつ事例に応じて個別的に検証し、社会的背景と場所との関係を明らかにしていく」。
本書が取り上げる主な大学は(今で言う)一橋、東工大、慶応、名大、大阪市立大。
射程とするのは戦前におけるそれら「大学町」計画。
例えば時の東京商科大学、紆余曲折を経つつも、1920年に大学令を受けて大学への
昇格を果たすも関東大震災で一橋の校舎は壊滅、そんな中で、堤康次郎の指揮の下、
「合わせて約200万坪にも及ぶ開発規模、しかも国立大学町では、買収着手から1年で
土地交換や分譲を行うという、およそ常識を超えた開発」が立ち上がる。
大規模な用地を求めれば、郊外といえども、そこはあまりにしばしば地形的に困難を
抱えることとなる。しかしながら、大岡山然り、日吉然り、そうした起伏をも特徴へと
変えようとする野心的な設計が図られることとなる。
なるほど、行政やデベロッパー、大学当局の思惑や企てについては見えた、としよう。
本書がしばしば物足りないのは、「大学町」を成り立たせるためのその住人の暮らしに
あまりその焦点が向かわない点にある。
いかに街の巨大ランドマークとなるハコモノを設置しようとも、魅力的なライフプランを
提示できなければ、僻地に移り住もうとは思わない。いちいちが偉大なる小林一三の
劣化コピーでしかない堤にふさわしく国立の開発は停滞するのだが、この地に限らず、
日々の生活のヴィジョンを脇に置いて、移転、新設に至る経緯ばかりを列挙されても、
「大学町」としての実感を見出すことができず、どうにも片手落ちとの感が拭えない。
奇しくも、土台となった筆者の学位論文の表題は「近代日本における高等諸学校の
立地と計画に関する研究」、本書の射程もあいにくながら、その域に見事に留まる。
戦前における「大学」建設の歴史としてみれば丁寧に調べられた本だとは思う。
ただし、「大学町」をめぐるテキストを期待して読むと、どこか不足を感じざるを得ない。
2010年9月26日に日本でレビュー済み
大学町ができるまでの経緯を、背景、資料から詳しく説明している。
運営方法についての情報がやや少ない。
作るだけの大学町はいらない。
都心回帰がそれを表していないだろうか。
国立(こくりつ)大学と国立(くにたち)大学の違いがわからない。
東京以外の人には、国立音楽大学は、どう考えても こくりつおんがく大学で、
くにたちおんがく大学 とは読めない。
そういう事態をひきおこしたことの反省がないのだろうか。
運営方法についての情報がやや少ない。
作るだけの大学町はいらない。
都心回帰がそれを表していないだろうか。
国立(こくりつ)大学と国立(くにたち)大学の違いがわからない。
東京以外の人には、国立音楽大学は、どう考えても こくりつおんがく大学で、
くにたちおんがく大学 とは読めない。
そういう事態をひきおこしたことの反省がないのだろうか。
2010年12月9日に日本でレビュー済み
東京・名古屋・大阪という3大都市圏における大学の、主に大正〜戦前期での郊外移転のあり方を検証して、大震災のあった東京、私鉄文化の大阪、帝大昇格を官民で後押しした名古屋というそれぞれの背景事情などによってキャンパスを伴う地域の開発がどのように形づくられたかを追う。名古屋大学や関西学院大学などの個性あるキャンパスの形成され方等、興味深く読むことができた。欧米の伝統ある大学キャンパスを一面の理想としながらも、日本の大学においてその立地条件などから特に普及したとみられる時計台や並木道などの「大学らしい風景」を大切に育てていくべき、という提言には単なる無いものねだりではない説得力を感じた。