原発事故の話がたくさん出てきます。
SF関係者の嫌な所ばかりが印象に残りました。
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戦後SF事件史---日本的想像力の70年 (河出ブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2012/2/11
長山 靖生
(著)
SFファンダムの発展、異端サブカルチャー、アングラ演劇、万博、オタク文化……日本社会はいかに豊かな「リアル」を培ってきたか。敗戦から3.11後まで、SF的想像力/創造力の系譜を活写。
- 本の長さ284ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2012/2/11
- ISBN-104309624391
- ISBN-13978-4309624396
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商品の説明
著者について
1962年、茨城県生まれ。評論家。歯科医の傍ら、近代日本の文化史・思想史から、文芸評論や現代社会論まで、幅広く執筆活動を行っている。『日本SF精神史』(河出ブックス)で日本SF大賞・星雲賞ダブル受賞。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2012/2/11)
- 発売日 : 2012/2/11
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 284ページ
- ISBN-10 : 4309624391
- ISBN-13 : 978-4309624396
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,028,127位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 277,997位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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イメージ付きのレビュー
4 星
“SF的想像力”の欠如が、現代日本を衰退へと導いてしまった?
第41回星雲賞ノンフィクション部門を受賞した『日本SF精神史/幕末・明治から戦後まで』に続き、戦後から3.11.東日本大震災が起こった2011年あたりまでのSF及びその周辺の事件を綴った大変な労作。 とにかく、微に入り細を穿(うが)つ、徹底した事実検証振りが凄まじい。 商業誌版『幻想文学』(幻想文学会出版局)のハイブロウさに驚き、一般受けしなかった紀田順一郎と荒俣宏による『幻想と怪奇』、あまりに高尚過ぎた季刊誌『牧神』の早々とした休刊を鑑みて、買い支えのため二冊ずつ購入したというから、その計り知れない情熱が窺える。 今こそ再評価すべき安部公房の「仮説の文学」と諸作品群、星新一と小松左京、筒井康隆などの登場、代表的なアニメからのアプロ―チ『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』、後のスタジオ・ジブリ関連とターニング・ポイント的影響力を具えた『新世紀エヴァンゲリオン』、宮崎勤による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の衝撃)(個人の病理現象まで“オタク”」→著者が言う“SF的想像力”にするべからず)、拡散し過ぎたが故に必然的だったのかもしれないSF冬の時代及びSF氷河期、etc。 あまり長くなっても敬遠される中、駆け足ながら、丁寧と見て好いくらいに網羅した事件簿だと思う。 SFは裾野が広く、各個人が三次元座標の総てへ思い入れのベクトルを延ばせる分野になりがちであるから、当方も気になる点は多々あれど、三点だけ。 P224、工作舎の遊星叢書(プラネタリー・ブックス)『科学的愉快をめぐって』、『月と幻想科学』を引き合いに出すなら、山野浩一と荒俣宏と松岡正剛による『SFと気楽』こそ取り上げて然るべきでは? 「新聞には10年前のことが書かれてある」、「人類は地球を終わらせるために出て来た」等、著者が終盤に何度も繰り返す“SF的想像力”そのものでしょ。 さらに同人誌『チャンネルゼロ』へ言及するなら、いしいひさいちのチマチマ漫画“地底人シリーズ”のナンセンス性&スラップスティック感、SFというジャンルのキャパシティの底知れなさにも触れて欲しかった。 そして、阪神淡路大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件、AMAZONが配信開始とウインドウズ95登場とアナハイムのディズニーランドがリニューアル、テレビ版『新世紀エヴァンゲリオン』スタート等々があった1995年と緊密に結び付ければ、もっとこの本の主旨が明確になったかも。。 国政に目を向ければ、日本社会党・自由民主党・新党さきがけ合体の村山内閣とその改造内閣という混乱の時代、企業における家族制度のような終身雇用制度が一挙に解体へと向かい、試行錯誤しながら進む男女雇用機会均等法で露わになるセクハラ、パワハラ、モラハラ……でも、あの頃は今最も重要だと言われる格差と貧困問題を誰も口にしなかったんだよ。
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2012年3月26日に日本でレビュー済み
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日本SFをSFたらしめているもの。それは「定義づけられるような作品の傾向ではなく、「ここではない別の何か」を求め続ける精神」(本書113頁)と断じる著者。
星雲賞受賞の『 日本SF精神史 』で幕末から七〇年代までのSF通史を著した長山氏による、戦後SFの通史です。前著とあわせ、幕末から3.11に至る本邦SF通史が完成しました。
著者は現在のわが国に蔓延する想像力の欠如に警鐘を鳴らし「われわれは都合の悪いことを想定外とする妄想リアリズムを脱して、危機や絶望への想像も含めて、「想定外を想像すること」の衝撃に向き合うSF的想像力/創造的リアリズム」によって日本再生への再出発を計らねばならない、とします。
常に社会と戦いつつ、あらゆる想像力と進取の精神を取り入れ、様々なサブジャンル(はSFから殆ど独立しましたが。しかもそっちの方がよほど隆盛。とほほ)を生み出した本邦SFの戦後史。本書は戦後SF界をめぐるジャンル外との論争、内部対立、世代闘争、他ジャンルとの交流を賑やかにえがきます。
第六、七章は『SFマガジン』誌上で三ヶ月にわたって連載していた「僕がSFでマンガでアニメで、おたくと呼ばれた頃−−記憶の中の80年前後SFファンダム史」に加筆、修正したものです。加筆は主に、著者のホームである幻想小説方面に厚く。
安部公房は61年に「現実というものは本能的に追求すれば怪談的となり、知的に探求すれば科学的(SF的)になるものであって、(中略)特に私小説的方法では、現実の本質は捉えられない。」(70頁)としつつ、SFこそが文学の主流中の主流に位置する、というアジりました。それから半世紀、ついに SF出身の作家 が芥川賞を取りました。
3.11以降の状況は、小松左京の『 日本沈没 』を否が応でも想起させます。
いまこそ、SF的想像力の復権を。
星雲賞受賞の『 日本SF精神史 』で幕末から七〇年代までのSF通史を著した長山氏による、戦後SFの通史です。前著とあわせ、幕末から3.11に至る本邦SF通史が完成しました。
著者は現在のわが国に蔓延する想像力の欠如に警鐘を鳴らし「われわれは都合の悪いことを想定外とする妄想リアリズムを脱して、危機や絶望への想像も含めて、「想定外を想像すること」の衝撃に向き合うSF的想像力/創造的リアリズム」によって日本再生への再出発を計らねばならない、とします。
常に社会と戦いつつ、あらゆる想像力と進取の精神を取り入れ、様々なサブジャンル(はSFから殆ど独立しましたが。しかもそっちの方がよほど隆盛。とほほ)を生み出した本邦SFの戦後史。本書は戦後SF界をめぐるジャンル外との論争、内部対立、世代闘争、他ジャンルとの交流を賑やかにえがきます。
第六、七章は『SFマガジン』誌上で三ヶ月にわたって連載していた「僕がSFでマンガでアニメで、おたくと呼ばれた頃−−記憶の中の80年前後SFファンダム史」に加筆、修正したものです。加筆は主に、著者のホームである幻想小説方面に厚く。
安部公房は61年に「現実というものは本能的に追求すれば怪談的となり、知的に探求すれば科学的(SF的)になるものであって、(中略)特に私小説的方法では、現実の本質は捉えられない。」(70頁)としつつ、SFこそが文学の主流中の主流に位置する、というアジりました。それから半世紀、ついに SF出身の作家 が芥川賞を取りました。
3.11以降の状況は、小松左京の『 日本沈没 』を否が応でも想起させます。
いまこそ、SF的想像力の復権を。
2022年6月12日に日本でレビュー済み
第41回星雲賞ノンフィクション部門を受賞した『日本SF精神史/幕末・明治から戦後まで』に続き、戦後から3.11.東日本大震災が起こった2011年あたりまでのSF及びその周辺の事件を綴った大変な労作。
とにかく、微に入り細を穿(うが)つ、徹底した事実検証振りが凄まじい。
商業誌版『幻想文学』(幻想文学会出版局)のハイブロウさに驚き、一般受けしなかった紀田順一郎と荒俣宏による『幻想と怪奇』、あまりに高尚過ぎた季刊誌『牧神』の早々とした休刊を鑑みて、買い支えのため二冊ずつ購入したというから、その計り知れない情熱が窺える。
今こそ再評価すべき安部公房の「仮説の文学」と諸作品群、星新一と小松左京、筒井康隆などの登場、代表的なアニメからのアプロ―チ『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』、後のスタジオ・ジブリ関連とターニング・ポイント的影響力を具えた『新世紀エヴァンゲリオン』、宮崎勤による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の衝撃)(個人の病理現象まで“オタク”」→著者が言う“SF的想像力”にするべからず)、拡散し過ぎたが故に必然的だったのかもしれないSF冬の時代及びSF氷河期、etc。
あまり長くなっても敬遠される中、駆け足ながら、丁寧と見て好いくらいに網羅した事件簿だと思う。
SFは裾野が広く、各個人が三次元座標の総てへ思い入れのベクトルを延ばせる分野になりがちであるから、当方も気になる点は多々あれど、三点だけ。
P224、工作舎の遊星叢書(プラネタリー・ブックス)『科学的愉快をめぐって』、『月と幻想科学』を引き合いに出すなら、山野浩一と荒俣宏と松岡正剛による『SFと気楽』こそ取り上げて然るべきでは?
「新聞には10年前のことが書かれてある」、「人類は地球を終わらせるために出て来た」等、著者が終盤に何度も繰り返す“SF的想像力”そのものでしょ。
さらに同人誌『チャンネルゼロ』へ言及するなら、いしいひさいちのチマチマ漫画“地底人シリーズ”のナンセンス性&スラップスティック感、SFというジャンルのキャパシティの底知れなさにも触れて欲しかった。
そして、阪神淡路大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件、AMAZONが配信開始とウインドウズ95登場とアナハイムのディズニーランドがリニューアル、テレビ版『新世紀エヴァンゲリオン』スタート等々があった1995年と緊密に結び付ければ、もっとこの本の主旨が明確になったかも。。
国政に目を向ければ、日本社会党・自由民主党・新党さきがけ合体の村山内閣とその改造内閣という混乱の時代、企業における家族制度のような終身雇用制度が一挙に解体へと向かい、試行錯誤しながら進む男女雇用機会均等法で露わになるセクハラ、パワハラ、モラハラ……でも、あの頃は今最も重要だと言われる格差と貧困問題を誰も口にしなかったんだよ。
とにかく、微に入り細を穿(うが)つ、徹底した事実検証振りが凄まじい。
商業誌版『幻想文学』(幻想文学会出版局)のハイブロウさに驚き、一般受けしなかった紀田順一郎と荒俣宏による『幻想と怪奇』、あまりに高尚過ぎた季刊誌『牧神』の早々とした休刊を鑑みて、買い支えのため二冊ずつ購入したというから、その計り知れない情熱が窺える。
今こそ再評価すべき安部公房の「仮説の文学」と諸作品群、星新一と小松左京、筒井康隆などの登場、代表的なアニメからのアプロ―チ『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』、後のスタジオ・ジブリ関連とターニング・ポイント的影響力を具えた『新世紀エヴァンゲリオン』、宮崎勤による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の衝撃)(個人の病理現象まで“オタク”」→著者が言う“SF的想像力”にするべからず)、拡散し過ぎたが故に必然的だったのかもしれないSF冬の時代及びSF氷河期、etc。
あまり長くなっても敬遠される中、駆け足ながら、丁寧と見て好いくらいに網羅した事件簿だと思う。
SFは裾野が広く、各個人が三次元座標の総てへ思い入れのベクトルを延ばせる分野になりがちであるから、当方も気になる点は多々あれど、三点だけ。
P224、工作舎の遊星叢書(プラネタリー・ブックス)『科学的愉快をめぐって』、『月と幻想科学』を引き合いに出すなら、山野浩一と荒俣宏と松岡正剛による『SFと気楽』こそ取り上げて然るべきでは?
「新聞には10年前のことが書かれてある」、「人類は地球を終わらせるために出て来た」等、著者が終盤に何度も繰り返す“SF的想像力”そのものでしょ。
さらに同人誌『チャンネルゼロ』へ言及するなら、いしいひさいちのチマチマ漫画“地底人シリーズ”のナンセンス性&スラップスティック感、SFというジャンルのキャパシティの底知れなさにも触れて欲しかった。
そして、阪神淡路大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件、AMAZONが配信開始とウインドウズ95登場とアナハイムのディズニーランドがリニューアル、テレビ版『新世紀エヴァンゲリオン』スタート等々があった1995年と緊密に結び付ければ、もっとこの本の主旨が明確になったかも。。
国政に目を向ければ、日本社会党・自由民主党・新党さきがけ合体の村山内閣とその改造内閣という混乱の時代、企業における家族制度のような終身雇用制度が一挙に解体へと向かい、試行錯誤しながら進む男女雇用機会均等法で露わになるセクハラ、パワハラ、モラハラ……でも、あの頃は今最も重要だと言われる格差と貧困問題を誰も口にしなかったんだよ。
第41回星雲賞ノンフィクション部門を受賞した『日本SF精神史/幕末・明治から戦後まで』に続き、戦後から3.11.東日本大震災が起こった2011年あたりまでのSF及びその周辺の事件を綴った大変な労作。
とにかく、微に入り細を穿(うが)つ、徹底した事実検証振りが凄まじい。
商業誌版『幻想文学』(幻想文学会出版局)のハイブロウさに驚き、一般受けしなかった紀田順一郎と荒俣宏による『幻想と怪奇』、あまりに高尚過ぎた季刊誌『牧神』の早々とした休刊を鑑みて、買い支えのため二冊ずつ購入したというから、その計り知れない情熱が窺える。
今こそ再評価すべき安部公房の「仮説の文学」と諸作品群、星新一と小松左京、筒井康隆などの登場、代表的なアニメからのアプロ―チ『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』、後のスタジオ・ジブリ関連とターニング・ポイント的影響力を具えた『新世紀エヴァンゲリオン』、宮崎勤による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の衝撃)(個人の病理現象まで“オタク”」→著者が言う“SF的想像力”にするべからず)、拡散し過ぎたが故に必然的だったのかもしれないSF冬の時代及びSF氷河期、etc。
あまり長くなっても敬遠される中、駆け足ながら、丁寧と見て好いくらいに網羅した事件簿だと思う。
SFは裾野が広く、各個人が三次元座標の総てへ思い入れのベクトルを延ばせる分野になりがちであるから、当方も気になる点は多々あれど、三点だけ。
P224、工作舎の遊星叢書(プラネタリー・ブックス)『科学的愉快をめぐって』、『月と幻想科学』を引き合いに出すなら、山野浩一と荒俣宏と松岡正剛による『SFと気楽』こそ取り上げて然るべきでは?
「新聞には10年前のことが書かれてある」、「人類は地球を終わらせるために出て来た」等、著者が終盤に何度も繰り返す“SF的想像力”そのものでしょ。
さらに同人誌『チャンネルゼロ』へ言及するなら、いしいひさいちのチマチマ漫画“地底人シリーズ”のナンセンス性&スラップスティック感、SFというジャンルのキャパシティの底知れなさにも触れて欲しかった。
そして、阪神淡路大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件、AMAZONが配信開始とウインドウズ95登場とアナハイムのディズニーランドがリニューアル、テレビ版『新世紀エヴァンゲリオン』スタート等々があった1995年と緊密に結び付ければ、もっとこの本の主旨が明確になったかも。。
国政に目を向ければ、日本社会党・自由民主党・新党さきがけ合体の村山内閣とその改造内閣という混乱の時代、企業における家族制度のような終身雇用制度が一挙に解体へと向かい、試行錯誤しながら進む男女雇用機会均等法で露わになるセクハラ、パワハラ、モラハラ……でも、あの頃は今最も重要だと言われる格差と貧困問題を誰も口にしなかったんだよ。
とにかく、微に入り細を穿(うが)つ、徹底した事実検証振りが凄まじい。
商業誌版『幻想文学』(幻想文学会出版局)のハイブロウさに驚き、一般受けしなかった紀田順一郎と荒俣宏による『幻想と怪奇』、あまりに高尚過ぎた季刊誌『牧神』の早々とした休刊を鑑みて、買い支えのため二冊ずつ購入したというから、その計り知れない情熱が窺える。
今こそ再評価すべき安部公房の「仮説の文学」と諸作品群、星新一と小松左京、筒井康隆などの登場、代表的なアニメからのアプロ―チ『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』、後のスタジオ・ジブリ関連とターニング・ポイント的影響力を具えた『新世紀エヴァンゲリオン』、宮崎勤による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の衝撃)(個人の病理現象まで“オタク”」→著者が言う“SF的想像力”にするべからず)、拡散し過ぎたが故に必然的だったのかもしれないSF冬の時代及びSF氷河期、etc。
あまり長くなっても敬遠される中、駆け足ながら、丁寧と見て好いくらいに網羅した事件簿だと思う。
SFは裾野が広く、各個人が三次元座標の総てへ思い入れのベクトルを延ばせる分野になりがちであるから、当方も気になる点は多々あれど、三点だけ。
P224、工作舎の遊星叢書(プラネタリー・ブックス)『科学的愉快をめぐって』、『月と幻想科学』を引き合いに出すなら、山野浩一と荒俣宏と松岡正剛による『SFと気楽』こそ取り上げて然るべきでは?
「新聞には10年前のことが書かれてある」、「人類は地球を終わらせるために出て来た」等、著者が終盤に何度も繰り返す“SF的想像力”そのものでしょ。
さらに同人誌『チャンネルゼロ』へ言及するなら、いしいひさいちのチマチマ漫画“地底人シリーズ”のナンセンス性&スラップスティック感、SFというジャンルのキャパシティの底知れなさにも触れて欲しかった。
そして、阪神淡路大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件、AMAZONが配信開始とウインドウズ95登場とアナハイムのディズニーランドがリニューアル、テレビ版『新世紀エヴァンゲリオン』スタート等々があった1995年と緊密に結び付ければ、もっとこの本の主旨が明確になったかも。。
国政に目を向ければ、日本社会党・自由民主党・新党さきがけ合体の村山内閣とその改造内閣という混乱の時代、企業における家族制度のような終身雇用制度が一挙に解体へと向かい、試行錯誤しながら進む男女雇用機会均等法で露わになるセクハラ、パワハラ、モラハラ……でも、あの頃は今最も重要だと言われる格差と貧困問題を誰も口にしなかったんだよ。
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2015年4月2日に日本でレビュー済み
一見視野が広そうに見えて案外狭い。著者(および編集者)の勉強不足が目立つ。一番気になるのが安部公房の扱いである。60年代の日本SFと同時代のアヴァンギャルド/カウンターカルチャーが密接な関係にあったことを代表するピースのひとつが安部なのだから、安部にページを割くのは当然なのだが、どうにも著者のとらえ方には違和感が残る。著者は安部のドキュメンタリー論に無邪気に驚嘆しているが、安部のドキュメンタリー論は、あくまで当時の前衛たちのドキュメンタリー論の典型例であって、安部独自のものではない。アングラのヴィジュアル・イメージを決定づけたアーティストのひとりである中村宏が元々はルポルタージュ絵画運動の作家として、それこそシュールとドキュメントを融合する作家として出発し、彼らに多大な影響を与えたオルガナイザー・花田清輝がシュールとドキュメントを融合することで社会主義リアリズムを完成させることが可能になると論じ、それに対して松本俊夫がシュールとドキュメントが融合すれば通俗芸術に堕した社会主義リアリズムは不要と解く「前衛記録映画論」を発表し・・・といった背景あってのドキュメンタリー論なのだが、それをわかっていない、というのは戦後史/文化史として致命的である。参考文献一覧を見ると安部の全集はあるが花田も松本の「映像の発見」もない。たしか同じ出版社の同じシリーズからここらへんのことを扱った本がでていたように思うし、オカルト・ブームのくだりもスガ秀美の「1968年」を読んだ後だと出し遅れの証文感がある。「愛国戦隊大日本」論争のくだりは冷戦文化を考える上で貴重な証言になっているし、オタクが秋葉原ではなく神保町に集っていたころの情景など、興味深い部分もあるので、へんに大風呂敷広げず自分史に徹底すれば良い本になったであろうにもったいない。
レビューへの反響(2017年11月3日現在)・・・参考になった3票 参考にならない1票
レビューへの反響(2017年11月3日現在)・・・参考になった3票 参考にならない1票
2012年3月21日に日本でレビュー済み
本書のポイントは、その懐の広さだろう。
もともと本書を読もうと思ったのは、マンガ、アニメ、映画などにも言及しているからだった。
しかも本書では、マンガからミステリに分類されていた幻想小説系作品までを、同じSFというくくりで取り上げている。
そして、その取り上げ方が実に真摯なのである。
もちろん本書の中核はSF小説であり、それをめぐるさまさざまな事件の歴史的な俯瞰である。
しかし小説の周辺には、いつでも他のSFメディアが存在していた。
しかもSFをめぐるさまざまな事件は、実はその小説メディアと他メディアとの軋轢によって生まれることが多かった。
万国博覧会、全共闘、アングラ劇団等々が、日本のSF史に大きな影響を及ぼしていた。
本書ではマンガやアニメなど他メディアのSFを一段低いものとしてではなく、まったく同レベルのものとして扱っている。
すなわち今日のSFがあるバックボーンが小説だけではないことを、キチンと認識しているのだ。
そして、その中で生じた多くの事件の歴史の上に、今のSFがある。
そしてそのSF的な精神、つまりは「科学的思考」の欠如が、昨年の原発災害の一要因であることにまで言及している。
本書で特筆すべき点は、数多くの雑誌の衰亡とSF史の関係だろう。
それも「SFマガジン」や「幻想と怪奇」をはじめとした小説誌などだけではなく、「ぱふ」や「OUT」といったコミック・サブカルチャー誌までがその対象となっている。
このあたりが非常に面白かった。
思えば戦後のSFは、「空想科学」ということで未来への希望を謳った。
そして日本は、その未来への希望のひとつに「原子力」を据えるという方法を選択した。
その後の社会が「SF的精神」を徐々になくした方向に向けられていったか、そして今後の日本にいかに「SF的精神」が必要かを、さまざまな事件を通して本書は述べているのだ。
もともと本書を読もうと思ったのは、マンガ、アニメ、映画などにも言及しているからだった。
しかも本書では、マンガからミステリに分類されていた幻想小説系作品までを、同じSFというくくりで取り上げている。
そして、その取り上げ方が実に真摯なのである。
もちろん本書の中核はSF小説であり、それをめぐるさまさざまな事件の歴史的な俯瞰である。
しかし小説の周辺には、いつでも他のSFメディアが存在していた。
しかもSFをめぐるさまざまな事件は、実はその小説メディアと他メディアとの軋轢によって生まれることが多かった。
万国博覧会、全共闘、アングラ劇団等々が、日本のSF史に大きな影響を及ぼしていた。
本書ではマンガやアニメなど他メディアのSFを一段低いものとしてではなく、まったく同レベルのものとして扱っている。
すなわち今日のSFがあるバックボーンが小説だけではないことを、キチンと認識しているのだ。
そして、その中で生じた多くの事件の歴史の上に、今のSFがある。
そしてそのSF的な精神、つまりは「科学的思考」の欠如が、昨年の原発災害の一要因であることにまで言及している。
本書で特筆すべき点は、数多くの雑誌の衰亡とSF史の関係だろう。
それも「SFマガジン」や「幻想と怪奇」をはじめとした小説誌などだけではなく、「ぱふ」や「OUT」といったコミック・サブカルチャー誌までがその対象となっている。
このあたりが非常に面白かった。
思えば戦後のSFは、「空想科学」ということで未来への希望を謳った。
そして日本は、その未来への希望のひとつに「原子力」を据えるという方法を選択した。
その後の社会が「SF的精神」を徐々になくした方向に向けられていったか、そして今後の日本にいかに「SF的精神」が必要かを、さまざまな事件を通して本書は述べているのだ。
2013年7月8日に日本でレビュー済み
著者の他の本を読んだことはあったが正直吾妻ひでおの表紙に惹かれての「ジャケ買い」だったことは否めないが期待を上回る労作だった。
個人的には80年代半ばにSF読者になったのでそれ以前の岡田斗司夫らによるSF大会「分裂」騒動(79年)、「ぱふ」分裂騒動やコミケ・クーデター事件に「太陽風交点」文庫化事件(81年)、「愛國戦隊大日本」騒動(82年)等に関する記述はゴシップ的な好奇心を喚起されつつも(私が不勉強だっただけでリアルタイムでなくても知っていた人は多いのかもしれないが)「こんなことがあったのか」と改めて驚かされた。
ただし著者が1962年生まれであることを考えると、とりわけ実体験以前の時代に関してよくぞここまで研究したとの感嘆の念は抱くものの、副題で「日本的想像力の70年」と謳ってはいるが時期や題材によって記述が手厚かったりそうでなかったりするのは否めない。また他のレビューでも触れられている平井和正の新興宗教への関与(後追いで読んだとはいえ作品の内容にまで及んだ宗教からの深い影響には子供であった自分も強い違和感を感じた)、あるいは角川春樹が80年代に仕掛けたメディア・ミックス戦略など、意図的かそうでないかはわからないが言及されていないトピックもある。だから本書を「これぞ戦後SFの正史!決定版!」と手放しで賞賛するのはどうかと思う。著者の博覧強記ぶりに敬意を表しつつも、本書以外にも幅広く読んでみることこそが戦後SF史に迫るには最良の方策ではないだろうか?
個人的には80年代半ばにSF読者になったのでそれ以前の岡田斗司夫らによるSF大会「分裂」騒動(79年)、「ぱふ」分裂騒動やコミケ・クーデター事件に「太陽風交点」文庫化事件(81年)、「愛國戦隊大日本」騒動(82年)等に関する記述はゴシップ的な好奇心を喚起されつつも(私が不勉強だっただけでリアルタイムでなくても知っていた人は多いのかもしれないが)「こんなことがあったのか」と改めて驚かされた。
ただし著者が1962年生まれであることを考えると、とりわけ実体験以前の時代に関してよくぞここまで研究したとの感嘆の念は抱くものの、副題で「日本的想像力の70年」と謳ってはいるが時期や題材によって記述が手厚かったりそうでなかったりするのは否めない。また他のレビューでも触れられている平井和正の新興宗教への関与(後追いで読んだとはいえ作品の内容にまで及んだ宗教からの深い影響には子供であった自分も強い違和感を感じた)、あるいは角川春樹が80年代に仕掛けたメディア・ミックス戦略など、意図的かそうでないかはわからないが言及されていないトピックもある。だから本書を「これぞ戦後SFの正史!決定版!」と手放しで賞賛するのはどうかと思う。著者の博覧強記ぶりに敬意を表しつつも、本書以外にも幅広く読んでみることこそが戦後SF史に迫るには最良の方策ではないだろうか?
2012年4月8日に日本でレビュー済み
内容に関しては他のレビューの記述どおり素晴らしいものです。が、このような本は史料としての価値も高く、引用、転載の可能性も大きいので、揚げ足取りと思われるのは承知の上で誤りを指摘しておきたいと思います。
まず、澁澤龍彦はシュルレアリストではありません。エイトマンの煙草は電子頭脳の冷却剤で、原子炉とは無関係です。『スターウォーズ』の初期邦題は『惑星大戦争』で『宇宙大戦争』は1959年の東宝特撮映画です。編集、校正のミスでしょうが普通は「眼球」でなく「目玉」でしょう。
あと、ケアレスミスとは別に、どうにも納得できないのが平井和正と新宗教団体GLAとの関係に全く触れていないこと。これは当時、他のSF作家や漫画家など、その周辺をも巻き込んだ展開があっただけに、意識的な問題回避が行われたとしか思えません。実際に米国でもダイアネティックスやサイエントロジーなど、同様の動きがSF界に及ぼした影響は大きなものがありました。
なんにしても作者の次の作品に対しても期待度は高いと思います。
まず、澁澤龍彦はシュルレアリストではありません。エイトマンの煙草は電子頭脳の冷却剤で、原子炉とは無関係です。『スターウォーズ』の初期邦題は『惑星大戦争』で『宇宙大戦争』は1959年の東宝特撮映画です。編集、校正のミスでしょうが普通は「眼球」でなく「目玉」でしょう。
あと、ケアレスミスとは別に、どうにも納得できないのが平井和正と新宗教団体GLAとの関係に全く触れていないこと。これは当時、他のSF作家や漫画家など、その周辺をも巻き込んだ展開があっただけに、意識的な問題回避が行われたとしか思えません。実際に米国でもダイアネティックスやサイエントロジーなど、同様の動きがSF界に及ぼした影響は大きなものがありました。
なんにしても作者の次の作品に対しても期待度は高いと思います。