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オン・ザ・ロード (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-1) ハードカバー – 2007/11/9
〈ぼくがこの作品を選んだ理由 池澤夏樹〉
自由というのはこんなに楽しいものか。20世紀半ば、『オン・ザ・ロード』は若者の解放宣言だった。男二人、ニューヨークからメキシコ・シティまでのおしゃべり過剰の、気ままな、行き当たりばったりの旅にぼくたちは同行する。
- 本の長さ470ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2007/11/9
- 寸法13.7 x 3.4 x 19.6 cm
- ISBN-104309709419
- ISBN-13978-4309709413
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商品の説明
著者からのコメント
『オン・ザ・ロード』の語り手はサル・パラダイス(Sal Paradise)というが、このすごい名前は友人のアレン・ギンズバーグの詩の一節にあった「sad paradise」という言葉からインスピレーションを得ている。意味は、言うまでもあるまい、「悲しい楽園」だ。
また、とんでもないヒーローであるディーン・モリアーティ(Dean Moriarty)の姓は、「mortality」という言葉を容易に連想させる。ご存知のひとも多いだろう、「ひとはだれしもいずれ死ぬ運命にある」という意味の言葉だ。
ふたつの名前に隠されたこのような意味を頭の隅っこに置いて『オン・ザ・ロード』を読むと、無鉄砲なやつらのハチャメチャなバカ騒ぎの向こうに、だまし絵のように、もうひとつの風景が浮かびあがる。そこにあるのはこういう認識だ──ひとはだれしもいずれ死ぬ。人生は悲しい楽園だ。
ディーンはなぜ「おれたちに時間はない」と言うのか。なぜすべてに急ぐのか。
サルはなぜ「狂ったように生き、狂ったようにしゃべり、狂ったように救われたがっている」やつらを「かけがえのない人間」と言うのか。
そのわけも、名前に隠された意味を考えると、わかる。
ケルアックをなめちゃいけません。この男、ほんとにディープでした。(青山南)
出版社からのコメント
著者について
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2007/11/9)
- 発売日 : 2007/11/9
- 言語 : 日本語
- ハードカバー : 470ページ
- ISBN-10 : 4309709419
- ISBN-13 : 978-4309709413
- 寸法 : 13.7 x 3.4 x 19.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 225,512位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 21,426位文芸作品
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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この小説の語り手はジャック・ケルアックの分身サル・パラダイスだが、主人公はディーン・モリアーティをおいて他にはいない。気の赴くままにアメリカ中を駆け巡り、何処にいてもどんちゃん騒ぎを巻き起こすディーンの姿は痛々しいまでに享楽的だ。彼はまるで命がかかっているかのように喚き、暴れ、笑う。語り手のサルや彼の友人たち(バロウズやギンズバーグたち)はみなビートニクの作家として、そしてビート・ジェネレーションの観察者として作品とその名を残したが、ディーン(ニール・キャサディ)は作家ではない。彼は作品を生み出す代わりに、自らの生き様でビートを表現してみせたパフォーマーなのだ。彼こそがビートの熱源であり、震源であり、根源だった。しかし彼は自ら見える形で発信する力を持たない。だから彼はサルというカメラを必要とした。サルもまた、ディーンという無二の被写体を必要とした。しかし彼らの力関係は均衡していない。物事を前に進めるのはディーンだが、サルがディーンから目を離したとき、彼の存在は我々には知覚できない。サルなくしてディーンは存在できないが、ディーンなくしてもサルは存在できる。この歪さこそが彼らの友情を特別なものにしていた。
ゆえにラストシーン、サルとディーンが袂を分かつ場面では、単なる友情の終わりには到底留まらない寂寞の想いが沸き起こる。それは一つの時代の終焉であり、一人の人間の実質的な死なのだから。
主人公はコロンビア大学中退後離婚し父親を亡くした若者だ。
生きるあてもなくディーンという親友とアメリカを放浪する。
ディーンの人生は悲惨だ。
ろくでなしの父親に捨てられ盗みを覚え少年院で暮らし
大人になってからも手癖は悪く女にもだらしなく酒とドラッグに溺れる。
典型的な地に足つかない風来坊だ。
普通の暮らしからひたすら逃げているのだろう。
人格は躁病型だ。
のべつまくなし意味の無い言葉を羅列する。
これも普通からの逃亡だろう。
現実を直視出来ないのだ。
ドロップアウトした者が自分より悲惨な人間に親近感を覚えるのはよくある。
落ち着くのだ。
だが、待っているのは破滅だ。
最後に辿り着いたメキシコで赤痢に罹り高熱を出した主人公をディーンは捨て去る。
これが結果的には良かった。
その後、ニューヨークでディーンと再会した時、主人公は友人とキャデラックに乗りデューク・エリントンのコンサートに行く途中だった。
友人はボロボロの身なりの言葉もまともに喋れない狂ったディーンが同行することを嫌がった。
主人公は仕方なくその場にディーンを置き去りにした。
それがディーンと会った最後になった。
結局、主人公がディーンを見捨てた形になった。
だが、最後まで運命を共にしていたら主人公も破滅していただろう。
「なまじかけるな薄情け」という。
結局、主人公は才能のある甘ちゃんの文学青年だった。
この小説に人生を変えられたと言ったディランも根本的にはそうなのではないだろうか。
最後は、別々の人生の道に分かれて去る。
ぼくは自分の「影」が消えたように感じ、
ディーンのことばかり考えている場面で、終わります。
その青春の旅路は重い荷を背負った巡礼者のように
行きつ戻りつ、ビートな(くたびれる)旅でした。
その旅がたどった道を、地名と(乗り物)でたどると、
第1部:
ニューヨーク ⇒(バス・ヒッチハイクで)⇒ サンフランシスコ ⇒ ロサンジェルス ⇒ ベイカーズフィールドに逆戻り ⇒(バスで)⇒ ニューヨーク ⇒ パターソン
第2部:
(車で)⇒ ニューヨーク ⇒ ニューオリンズ ⇒(バスで)⇒ ニューヨーク
第3部:
ニューヨーク ⇒(バスで)⇒ デンヴァー ⇒ サンフランシスコ ⇒ サクラメント ⇒(キャデラックで)⇒ シカゴ ⇒(バスで)⇒ デトロイト ⇒(シェアライドで)⇒ ニューヨーク ⇒ ロングアイランド
第4部:
マンハッタン ⇒(バスで)⇒ ワシントンDC ⇒ アッシュランド ⇒ シンシナティ ⇒ セントルイス ⇒ デンヴァー ⇒(フォードで)⇒ ラレード(国境) ⇒ メキシコ・シティ
第5部:
ディーン: ⇒ ニューヨーク
サル: ⇒ ニューヨーク ⇒ サンフランシスコ
「おまえはアメリカの暗い道(ロード)を徒歩で行く巡礼を最後はつづけなさい、
という意味だったのか?」(487頁)。
「とほでいく」?!
広大なアメリカとメキシコを徒歩で行くなんて、巡礼の道のよう。
ケルアック自筆の『オン・ザ・ロード』表紙イメージの写真(501頁)
を見ると、確かに、歩いている、徒歩で!
ほとんど車が通らないような、長い一直線の田舎道の上をとぼとぼと。
親指も上げてないので、止まってくれる車もないようだ。とほほ。
こんな旅の途中でできた、たくさんのともだち。
この物語の最後では、みんな消えてどこかへ行ってしまった。
ビートのきいたジャズがまだ耳の中に残ってビンビン響いているというのに。
私は本作の重要な要素である「ビート・ジェネレーション」は生きる指針が見つからず消耗していった様々な人々を描いていて、ディーンやサルがその不安を忘れるために一時の享楽にすがっているように思え、作品が何とも物悲しくも感じられました。
取り留めがないストーリーなので本作の魅力を捉えづらいとは思いますが、アメリカの1950年頃の時代背景を知るとともに後のヒッピームーブメントの先駆けとなる価値観の変化の胎動を感じるどこか物悲しくもあり、どこか前向きなエネルギーも感じるとても味わい深い作品でした。
中でも著者が若い時に亡くした兄を投影しているとも言われる"ペテン師だが、ひとをペテンにかけるのも思いっきり生きたいからで"【興奮しすぎのオカシイやつ】ディーンの奔放さが、このどこから読んでもいい物語にリズムを与えてくれていて、読み進むにつれて何とも不思議な愛おしさを感じさせてくれます。
大量消費時代の繁栄しつつ、冷戦下において画一化、順応を求められた時代のアメリカの空気を感じたい誰か。あるいは"お前の道はなんだい?聖人の道か、狂人の道か、虹の道か、グッピーの道か"カウンターカルチャー好き、ボブ・デュラン好きな誰かにオススメ。
旅の途中で出てくる人物はわかりやすいけど、主人公の周りの人間がわかりにくい。
誰が誰かわからず、性別がわからないこともあり、特徴も最後までイメージできませんでした。
端々に際立つ表現はあるものの、基本的には車をぶっ飛ばして飲んで騒ぐの繰り返しなので
展開もなく眠くなります。
4部、5部に入ってからようやくおもしろくなり、旅を感じました。
蠅の王ぐらい虫だらけのジャングルの夜や、断崖に住むインディアンの家族、別れの寂しさなど、
印象的な話が多くどんどんページが進みましたが、それまでがとにかく退屈な読書でした。