私はもともと、音楽と文学にはたいへん深い興味を持っており、いろいろな作品を鑑賞してきましたが、
絵画にはあまり食指が動かず、本書の主人公のひとりであるゴーギャンのことも、その名前と、晩年タヒチへ行ったこと、
それから数点の作品(『われわれはどこから来たのか…』『タヒチの女』など)を知るばかりでした。
また、恥ずかしながら、もうひとりの主人公でありゴーギャンの祖母でもある、フローラ・トリスタンのことは名前すら知っておりませんでした。
しかし、この作品を読み進めていくうちに、ゴーギャンとフローラという似ても似つかない、それでいてどこか共通した
精神を内に燃やしたような人物に惹かれていき、久しぶりに読み終わるのが惜しい読書体験となりました。
人は誰しも、自分の心のなかに想像上の楽園をもっていて、それがこの地上のどこかに実在してほしいと願っているものですが、
それを単なる「想像」におしとどめることを潔しとせず、「信念」にまで昇華させたことが、
ゴーギャンとフローラの偉大さのゆえんなのではないかなと思いました。
これが並の人間であれば、挫折と絶望を幾度もくりかえす内に、もはや「想像」は「想像」にすぎないのだとして諦めてしまい、
楽園とはほど遠いような環境のなかで人生を浪費していってしまうものです。
しかし、ゴーギャンとフローラは何度「ここは楽園ではない」と現実をつきつけられても、
それでも「きっと次の角には……」と信じて邁進し続けたのです。
そしてたとえ最後まで楽園が見つからなかったとしても、その勇猛果敢な姿に私は心からの感動を覚えました。
私にも、私以外のこの作品の読者の方にも、そして今このレビューを読んでくださっているみなさんにも、きっと心のなかに描く自分だけの楽園があるはずです。
重要なのは、その楽園から目を背けないこと、そして、それがきっとどこかに実在するのだと信じて追い求め続けることではないでしょうか。
それは大変なことかもしれない。ゴーギャンやフローラのように、最後まで見つからずに終わってしまうかもしれない。
それでも、次の角に楽園があるかどうかは、自分の目で見てみるまではわからないのです。
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楽園への道 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-2) ハードカバー – 2008/1/10
マリオ・バルガス=リョサ
(著),
田村さと子
(翻訳)
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購入オプションとあわせ買い
ゴーギャンとその祖母をテーマにした巨匠の待望の大作を本邦初紹介。画家ゴーギャンとその祖母で革命家のフローラ・トリスタン。飽くことなくユートピアを求めつづけた二人の激動の生涯を、異なる時空をみごとにつなぎながら壮大な物語として展開。
「スカートをはいた煽動者」フローラ・トリスタン、「芸術の殉教者」ポール・ゴーギャンーー祖母と孫がたどった自由への道ーー
フローラ・トリスタン、「花と悲しみ」という美しい名をもつ一人の女性。彼女は、女性の独立が夢のまた夢だった19世紀半ばのヨーロッパで、結婚制度に疑問をもち、夫の手から逃れて自由を追い求めた。そしてやがて、虐げられた女性と労働者の連帯を求める闘いに、その短い生涯を捧げることとなる。ポール・ゴーギャン。彼もまた、自身の画のためにブルジョワの生活を捨て、ヨーロッパ的なるものを捨てて、芸術の再生を夢見つつ波瀾の生涯をたどる。貧困、孤独、病など、不運な風が吹き荒ぶ逆境の中、それぞれのユートピアの実現を信じて生き抜いた二人の偉大な先駆者を、リョサは力強い筆致で描ききる。
〈ぼくがこの作品を選んだ理由 池澤夏樹〉
文学はいつも反逆者の味方だ。絵を描くためにフランスを捨てて南の島に行ったゴーギャン、男性社会の偽善を糾弾したフローラ。彼らの反逆は今に通じている。この二人が孫と祖母の仲なのだから、作家にとってこれほど魅力的な設定はない。
「スカートをはいた煽動者」フローラ・トリスタン、「芸術の殉教者」ポール・ゴーギャンーー祖母と孫がたどった自由への道ーー
フローラ・トリスタン、「花と悲しみ」という美しい名をもつ一人の女性。彼女は、女性の独立が夢のまた夢だった19世紀半ばのヨーロッパで、結婚制度に疑問をもち、夫の手から逃れて自由を追い求めた。そしてやがて、虐げられた女性と労働者の連帯を求める闘いに、その短い生涯を捧げることとなる。ポール・ゴーギャン。彼もまた、自身の画のためにブルジョワの生活を捨て、ヨーロッパ的なるものを捨てて、芸術の再生を夢見つつ波瀾の生涯をたどる。貧困、孤独、病など、不運な風が吹き荒ぶ逆境の中、それぞれのユートピアの実現を信じて生き抜いた二人の偉大な先駆者を、リョサは力強い筆致で描ききる。
〈ぼくがこの作品を選んだ理由 池澤夏樹〉
文学はいつも反逆者の味方だ。絵を描くためにフランスを捨てて南の島に行ったゴーギャン、男性社会の偽善を糾弾したフローラ。彼らの反逆は今に通じている。この二人が孫と祖母の仲なのだから、作家にとってこれほど魅力的な設定はない。
- 本の長さ500ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2008/1/10
- 寸法13.7 x 3.5 x 19.7 cm
- ISBN-104309709427
- ISBN-13978-4309709420
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商品の説明
著者について
1936-。ペルー生まれ。ラテンアメリカ文学の中心作家として数々の文学賞を受賞。『緑の家』『世界終末戦争』他。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2008/1/10)
- 発売日 : 2008/1/10
- 言語 : 日本語
- ハードカバー : 500ページ
- ISBN-10 : 4309709427
- ISBN-13 : 978-4309709420
- 寸法 : 13.7 x 3.5 x 19.7 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 204,763位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 23位その他の外国文学の全集・選書
- - 77位スペイン文学
- カスタマーレビュー:
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2019年12月29日に日本でレビュー済み
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ゴーギャンと、その祖母の闘いが交互に語られ、ページをめくる手が止まりませんでした。価値観を揺さぶられる大作です!
2010年11月7日に日本でレビュー済み
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画家ポール・ゴーギャンとその祖母で社会革命家フローラ・トリスタンの物語。
フローラの死後ポールが生まれているため2人の接点はないが、
生き様が似ており、2つの物語は時を超えてシンクロしているようだ。
特筆すべきは、ポールとフローラへの語りかけ。2人称の文体だ。
「この頃のおまえは本当に苦しかったね。でも決してあきらめなかったね…」
まるで子へ向けられた親のまなざしのようである。
ともに古い「西洋」を捨てて次の角にある(はずの)「楽園」を目指した。
決して賢明とは言えない生き方を選び、ついに「楽園」を見ることなく、
志半ばで若くして病に倒れこの世を去ってしまった。
この上なく優しいリョサの彼らへの語りかけを聞いていると、
本書は2人に贈る鎮魂の書でもあるのだろうかと思えてくる。
情緒的あるいは抒情的な描写はほとんどない。
命をかけて生き抜いた2人の人生そのままにスピード感を持って最後の最後まで物語は失速しなかった。
最後の、ゴーギャンの死に際の記述など、淡々と書かれているのだがその想像力は圧巻であり、
決して涙など流さず最後までペンを離さず書き切ったと言わんばかりの迫力を感じた。
とにかくスケールの大きさを感じる。偉大な2人の主人公に劣らない巨匠の傑作。
フローラの死後ポールが生まれているため2人の接点はないが、
生き様が似ており、2つの物語は時を超えてシンクロしているようだ。
特筆すべきは、ポールとフローラへの語りかけ。2人称の文体だ。
「この頃のおまえは本当に苦しかったね。でも決してあきらめなかったね…」
まるで子へ向けられた親のまなざしのようである。
ともに古い「西洋」を捨てて次の角にある(はずの)「楽園」を目指した。
決して賢明とは言えない生き方を選び、ついに「楽園」を見ることなく、
志半ばで若くして病に倒れこの世を去ってしまった。
この上なく優しいリョサの彼らへの語りかけを聞いていると、
本書は2人に贈る鎮魂の書でもあるのだろうかと思えてくる。
情緒的あるいは抒情的な描写はほとんどない。
命をかけて生き抜いた2人の人生そのままにスピード感を持って最後の最後まで物語は失速しなかった。
最後の、ゴーギャンの死に際の記述など、淡々と書かれているのだがその想像力は圧巻であり、
決して涙など流さず最後までペンを離さず書き切ったと言わんばかりの迫力を感じた。
とにかくスケールの大きさを感じる。偉大な2人の主人公に劣らない巨匠の傑作。
2020年10月17日に日本でレビュー済み
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非常によいと記載がありましたが、極度の色あせ、汚れ多数。返品手続きもアナウンスが悪く時間がかかる。
2010年10月30日に日本でレビュー済み
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著者のノーベル賞受賞のニュースを見て、すぐに本書を注文した。
本書は、画家であるポール・ゴーギャンとその祖母であったフローラ・トリスタンの波乱に満ちた物語が交互する形で展開される。
ゴーギャンといえば最後の楽園タヒチで描いた作品が有名で、
モームの「月と六ペンス」のモデルにもなっている。
「月と六ペンス」と比べると、ずっと人間臭く親しみやすいゴーギャンとして描かれている様に感じたが、
決して画家としての天才性や型破りなキャラクターが損なわれることはない。
ゴーギャンの代表作とされる絵画についての記述が実に的確で、
実物を見ているかのように活き活きと伝わって来るのはさすが。
最後の方で、「時々、日本にいる自分を彼は想像していた」とあり、
「おまえは月並みなポリネシアではなくて、あの国へ楽園を探しに行くべきだったのだよ」
と著者はゴーギャンに語りかけている。
もしゴーギャンが日本に滞在していたら、
どんな傑作を描いていただろうかと想像せずにはいられない。
社会主義活動家の祖母フローラの物語もとても興味深く、
ゴーギャンの物語とあまりシンクロする訳ではないが、
フローラのDNAがゴーギャンに確実に受け継がれていると感じさせる所もあって面白かった。
本書は、画家であるポール・ゴーギャンとその祖母であったフローラ・トリスタンの波乱に満ちた物語が交互する形で展開される。
ゴーギャンといえば最後の楽園タヒチで描いた作品が有名で、
モームの「月と六ペンス」のモデルにもなっている。
「月と六ペンス」と比べると、ずっと人間臭く親しみやすいゴーギャンとして描かれている様に感じたが、
決して画家としての天才性や型破りなキャラクターが損なわれることはない。
ゴーギャンの代表作とされる絵画についての記述が実に的確で、
実物を見ているかのように活き活きと伝わって来るのはさすが。
最後の方で、「時々、日本にいる自分を彼は想像していた」とあり、
「おまえは月並みなポリネシアではなくて、あの国へ楽園を探しに行くべきだったのだよ」
と著者はゴーギャンに語りかけている。
もしゴーギャンが日本に滞在していたら、
どんな傑作を描いていただろうかと想像せずにはいられない。
社会主義活動家の祖母フローラの物語もとても興味深く、
ゴーギャンの物語とあまりシンクロする訳ではないが、
フローラのDNAがゴーギャンに確実に受け継がれていると感じさせる所もあって面白かった。
2010年10月16日に日本でレビュー済み
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その絵をよく知っていても、ゴーギャンの生涯については、ブルジョワで比較的恵まれた画家であるという印象があるくらいだった。ポスト印象派の展覧会でゴーギャンの有名な自画像を見てなにか感じるものがあった。とらえがたいという印象。
池澤夏樹さん個人編集で珠玉の作品ぞろいで気に入ったこの文学全集のうちの一冊を読んでいて、この本を知って早速注文した。ゴーギャンとその祖母であるスカートをはいた革命家フローラとの生涯が交互に章ごとに描かれている。最初は、文中にある呼びかけがだれのものであるのかが気になったが、あとで著者であることを知ってその技法の独創性に驚いた。
この本ほど読み終わったあとに茫然自失となる経験は私にはめずらしかった。
ゴーギャンもその祖母も当然お互いに会ったことがないにもかかわらず、その生涯を通底しているものに共通点がある。その意志の強靭さ、自由な精神、孤独、肉体を蝕むものとの闘い、みずからを燃焼させた人生。
ゴッホが出てくる箇所もある。その純粋さ、その理想の高さ、その狂おしいまでの誠実さに涙が出た。
生とはこれほど鮮烈で残酷なものでありうるのだ。
見事な小説家の手になる芸術家の生涯を読むと絵を見るときの理解度が増すことを痛いほど知らされたということもある。
著者がノーベル文学賞を受けたことを知り、とてもうれしく思ったのは言うまでもない。
池澤夏樹さん個人編集で珠玉の作品ぞろいで気に入ったこの文学全集のうちの一冊を読んでいて、この本を知って早速注文した。ゴーギャンとその祖母であるスカートをはいた革命家フローラとの生涯が交互に章ごとに描かれている。最初は、文中にある呼びかけがだれのものであるのかが気になったが、あとで著者であることを知ってその技法の独創性に驚いた。
この本ほど読み終わったあとに茫然自失となる経験は私にはめずらしかった。
ゴーギャンもその祖母も当然お互いに会ったことがないにもかかわらず、その生涯を通底しているものに共通点がある。その意志の強靭さ、自由な精神、孤独、肉体を蝕むものとの闘い、みずからを燃焼させた人生。
ゴッホが出てくる箇所もある。その純粋さ、その理想の高さ、その狂おしいまでの誠実さに涙が出た。
生とはこれほど鮮烈で残酷なものでありうるのだ。
見事な小説家の手になる芸術家の生涯を読むと絵を見るときの理解度が増すことを痛いほど知らされたということもある。
著者がノーベル文学賞を受けたことを知り、とてもうれしく思ったのは言うまでもない。
2008年10月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
打ちのめされました。
うたい文句の「ポール・ゴーギャンと彼の祖母のたたかい」に何の疑いもなく読んでゆきました。南の島に渡ったポール、そしてフランスで戦う祖母。
彼らは強い。たぶん、我々日本人が彼らのメンタリティに敵うかどうかすらわからないほどに強い。
本書が21世紀になってから書かれた本だと知ったときはもっと打ちのめされた。こんな素晴らしい小説が60代のバルガス=リョサが書いたなんて。
タイトルこそ「楽園への道」(原題の直訳ではありません。念のため)ですが、果たして主人公二人に「楽園」はやってくるのか、まったくわからない。それだけならまだいい。フローラ・トリスタン(ゴーギャンの祖母)は、「楽園」もくそもなく、戦いながら若くして死んでしまった。ポール・ゴーギャンには、ひょっとしたら、「楽園」を感じられたかもしれないが。
私は、フローラ・トリスタンの報われない戦いと虚しい死に、徹底的に打ちのめされた。まさしく「正直者は馬鹿をみる」(フランスにこのようなことわざがあるかどうかはわかりませんが)がごとき死。
マリオ・バルガス=リョサはどこまでもクールだ。ゴーギャンの南の島での生活も、フローラの犬死がごとき生涯も、クールな視線で描いている。それがゆえ、私は徹底的に打ちのめされた。ペルー生まれの(60代の)バルガス=リョサにとっては、彼自身が経験したであろう、厳しい現実を、ただ書いただけなのである。
19世紀のフランスでも、やはり女性差別はあった。それを上っ面だけ書くのではなく、個人のたたかいとして、バルガス=リョサは書ききった。まるで19世紀のフランスに転生して、フローラにのりうつったがごとく。素晴らしい。
ゴーギャンの生涯だってそうだ。ゴーギャンは本を残したが、ただそれを読んだだけ、とは思えないほど、緻密な描写である。
絶対に購入して読んで、損をすることはない。そして打ちのめされて欲しい。かつて、クラッシュのヴォーカル、ジョー・ストラマーが言ったように、「今ある自由は、これまで人々が戦って得た自由なんだ。それを知らない奴が多すぎる」と、感じて欲しい。
蛇足:嘆かわしいことに、バルガス=リョサの傑作「都会と犬ども」は品切れ状態。面白いのになあ。本書を楽しめた方にならお勧め。図書館で借りてきて読みましょう。
うたい文句の「ポール・ゴーギャンと彼の祖母のたたかい」に何の疑いもなく読んでゆきました。南の島に渡ったポール、そしてフランスで戦う祖母。
彼らは強い。たぶん、我々日本人が彼らのメンタリティに敵うかどうかすらわからないほどに強い。
本書が21世紀になってから書かれた本だと知ったときはもっと打ちのめされた。こんな素晴らしい小説が60代のバルガス=リョサが書いたなんて。
タイトルこそ「楽園への道」(原題の直訳ではありません。念のため)ですが、果たして主人公二人に「楽園」はやってくるのか、まったくわからない。それだけならまだいい。フローラ・トリスタン(ゴーギャンの祖母)は、「楽園」もくそもなく、戦いながら若くして死んでしまった。ポール・ゴーギャンには、ひょっとしたら、「楽園」を感じられたかもしれないが。
私は、フローラ・トリスタンの報われない戦いと虚しい死に、徹底的に打ちのめされた。まさしく「正直者は馬鹿をみる」(フランスにこのようなことわざがあるかどうかはわかりませんが)がごとき死。
マリオ・バルガス=リョサはどこまでもクールだ。ゴーギャンの南の島での生活も、フローラの犬死がごとき生涯も、クールな視線で描いている。それがゆえ、私は徹底的に打ちのめされた。ペルー生まれの(60代の)バルガス=リョサにとっては、彼自身が経験したであろう、厳しい現実を、ただ書いただけなのである。
19世紀のフランスでも、やはり女性差別はあった。それを上っ面だけ書くのではなく、個人のたたかいとして、バルガス=リョサは書ききった。まるで19世紀のフランスに転生して、フローラにのりうつったがごとく。素晴らしい。
ゴーギャンの生涯だってそうだ。ゴーギャンは本を残したが、ただそれを読んだだけ、とは思えないほど、緻密な描写である。
絶対に購入して読んで、損をすることはない。そして打ちのめされて欲しい。かつて、クラッシュのヴォーカル、ジョー・ストラマーが言ったように、「今ある自由は、これまで人々が戦って得た自由なんだ。それを知らない奴が多すぎる」と、感じて欲しい。
蛇足:嘆かわしいことに、バルガス=リョサの傑作「都会と犬ども」は品切れ状態。面白いのになあ。本書を楽しめた方にならお勧め。図書館で借りてきて読みましょう。
2017年6月16日に日本でレビュー済み
画家ポール・ゴーギャンと、その祖母で革命家のトリスタン・フローラを描いた歴史小説。
リョサがなぜフランス人を書くのだろうと疑問に思ったが、2人はペルーに血縁があり、時代は異なるがそれぞれ滞在していた時期もあった。さらに巻末の解説によれば、リョサは大学時代にフローラの著書「ある女賎民(パリア)の遍歴」を読み、ゴーギャンよりも、歴史からほとんど忘れ去られたフローラを書きたいと構想を練っていたそうだ。
小説は1844年4月、パリを皮切りにヨーロッパで革命運動を始めたフローラの章と、1892年4月、ヨーロッパを捨ててタヒチに流れ着いたゴーギャンの章が交互に配置されている。この配置はリョサの得意とする構成とは異なり、決して絡まり合ったり一体になったりすることはなく、2人の死で小説が完結するまで保たれる。それでも祖母と孫をひとつの小説におさめたのは、2人がともに反逆者だったからだろう。
語り口は三人称と、リョサと思しき語り手が2人を「おまえ」と呼びかける二人称が混在し、物語が終盤に向かうほど二人称が強くなる。とりわけフローラを呼びかける「おまえ」にぬくもりが感じられるのは、リョサの思い入れの表れだろうか。
フローラの章では、彼女が旅をしながら労働者の集会を開く場面に、様々な回想が織り込まれている。その回想の中でも、彼女がペルーを旅する場面はなんとも魅力的だ。僕はフローラの章を読みながら、「ある女賎民の遍歴」を購入して一緒に読み、彼女の美貌と奔放な生き方に惹きこまれた。
ゴーギャンについてはサマセット・モームの「月と六ペンス」で予備知識はあったが、「マナオ・トゥパパウ」や「ネヴァーモア」など、タヒチでものした傑作を描く場面が素晴らしく、作品画像をネットで何度も眺めてはしばしば頁を繰る手を止めた。もちろん、「気の狂ったオランダ人」を始めとする回想も実に魅力的だった。
リョサの読者なら、本書が「世界終末戦争」や「チボの狂宴」などの系譜に属する歴史小説だとすぐにわかるが、重厚長大で魔術的な「世界〜」の迫力や、独裁者の暗殺というスリルに満ちた「チボ〜」に比べると、そのトーンは実におとなしい。けれどもリョサの最大の魅力である物語る力はやはり強く、翻訳の文章の読みやすさと相まって、600頁を夢中になって読ませる。
リョサがなぜフランス人を書くのだろうと疑問に思ったが、2人はペルーに血縁があり、時代は異なるがそれぞれ滞在していた時期もあった。さらに巻末の解説によれば、リョサは大学時代にフローラの著書「ある女賎民(パリア)の遍歴」を読み、ゴーギャンよりも、歴史からほとんど忘れ去られたフローラを書きたいと構想を練っていたそうだ。
小説は1844年4月、パリを皮切りにヨーロッパで革命運動を始めたフローラの章と、1892年4月、ヨーロッパを捨ててタヒチに流れ着いたゴーギャンの章が交互に配置されている。この配置はリョサの得意とする構成とは異なり、決して絡まり合ったり一体になったりすることはなく、2人の死で小説が完結するまで保たれる。それでも祖母と孫をひとつの小説におさめたのは、2人がともに反逆者だったからだろう。
語り口は三人称と、リョサと思しき語り手が2人を「おまえ」と呼びかける二人称が混在し、物語が終盤に向かうほど二人称が強くなる。とりわけフローラを呼びかける「おまえ」にぬくもりが感じられるのは、リョサの思い入れの表れだろうか。
フローラの章では、彼女が旅をしながら労働者の集会を開く場面に、様々な回想が織り込まれている。その回想の中でも、彼女がペルーを旅する場面はなんとも魅力的だ。僕はフローラの章を読みながら、「ある女賎民の遍歴」を購入して一緒に読み、彼女の美貌と奔放な生き方に惹きこまれた。
ゴーギャンについてはサマセット・モームの「月と六ペンス」で予備知識はあったが、「マナオ・トゥパパウ」や「ネヴァーモア」など、タヒチでものした傑作を描く場面が素晴らしく、作品画像をネットで何度も眺めてはしばしば頁を繰る手を止めた。もちろん、「気の狂ったオランダ人」を始めとする回想も実に魅力的だった。
リョサの読者なら、本書が「世界終末戦争」や「チボの狂宴」などの系譜に属する歴史小説だとすぐにわかるが、重厚長大で魔術的な「世界〜」の迫力や、独裁者の暗殺というスリルに満ちた「チボ〜」に比べると、そのトーンは実におとなしい。けれどもリョサの最大の魅力である物語る力はやはり強く、翻訳の文章の読みやすさと相まって、600頁を夢中になって読ませる。