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ヴァインランド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第2集) 単行本 – 2009/12/11
アメリカ文学最高峰の鬼才が、17年の沈黙の後に発表した過激でポップな大傑作。ヒッピーおやじとティーンズ娘の軽妙な会話で始まる巨編は次第に陰謀渦巻くダークな世界へ。全面改訂の詳注付。
- 本の長さ502ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2009/12/11
- 寸法13.7 x 3.6 x 19.7 cm
- ISBN-10430970963X
- ISBN-13978-4309709635
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登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2009/12/11)
- 発売日 : 2009/12/11
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 502ページ
- ISBN-10 : 430970963X
- ISBN-13 : 978-4309709635
- 寸法 : 13.7 x 3.6 x 19.7 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 490,010位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 129,141位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年11月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
兎に角、痛快。あの1968年、ニクソン、レーガン。そしてベトナム。政治の季節、三島、解放区。インナガダダビダ🎶タランティーノ的展開。私のリアルタイム。
2017年5月23日に日本でレビュー済み
なぜ物体と述べているかは、本とさえ呼びたくないほど話にならない内容。
言葉が意思を伝える手段としてあるはずだが、ここまで機能していない本は珍しい。
内容がまとまりがなく、ストーリーもエンディングもない。フィクションとしての体裁すら
守っていない。
それがピンチョンのスタイルと言っても、それは独善に他ならない。
翻訳者にも問題があり、余分な文章が多すぎる。
誰かに拷問や厳しい罰則を与えたいなら、この本の読書感想文を書くように命じた方
がいい。そのぐらい長ったらしく、読む時間が無駄に感じる。
言葉が意思を伝える手段としてあるはずだが、ここまで機能していない本は珍しい。
内容がまとまりがなく、ストーリーもエンディングもない。フィクションとしての体裁すら
守っていない。
それがピンチョンのスタイルと言っても、それは独善に他ならない。
翻訳者にも問題があり、余分な文章が多すぎる。
誰かに拷問や厳しい罰則を与えたいなら、この本の読書感想文を書くように命じた方
がいい。そのぐらい長ったらしく、読む時間が無駄に感じる。
2011年6月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現在、佐藤良明さんや柴田元幸さんによるトマス・ピンチョン全集が刊行されていますが、今回よんだのは池澤夏樹個人選集 世界文学全集II-11 「ヴァインランド」佐藤良明訳です。
いやあ、楽しみました。
いつの間にか全体主義国家となったアメリカを痛烈に批判する小説です。
同時に、そんな国を改革する機会に出くわしながらいい加減な学生運動でおわった反抗する世代に対する痛烈な批判でもあります。
1973年に「重力の虹」を描いた後にずっと長編を出さなかったピン著んが1990年に発表したのがこの「ヴァインランド」です。
ヒッピー文化、ドラッグ文化を描いているかと思えば、国家権力による反対勢力の弾圧を描き、かと思うと、日本人である「カルマ調整師タケシが出てきたり、忍者が出たり、映画やポップスのパロディが出たり、テレビ番組の言及(これがとても多い!)が続いたり、に偽や中なことこの上ない。
帝国主義(アメリカのことです)に対抗する勢力内にかつてはいたのに、いつの間にか仲間を裏切る生活を送ることになった女性フレネシと、そのフレネシに立ち去られた後に残された娘プレーリィをヒッピー文化の中でけなげに育てるゾイド、フレネシをあやつるブロック・ヴォンド、そして忍術を使う黒人女性DLやら、フレネシの両親とその眷属(彼らが集まって親族の集会を開くのがヴァインランドなのですが)・・・いや、多数の登場人物が入れ替わり立ち替わりあらわれ、しかもいつの間にか舞台は時間も場所もかわってしまうという忙しい描写!
安っぽい描写の中に、深いメッセージをこめるなんぞ、本当にピンチョンはうまいもんです。
次は、この小説の前の「重力の虹」を読んでみます。
いやあ、楽しみました。
いつの間にか全体主義国家となったアメリカを痛烈に批判する小説です。
同時に、そんな国を改革する機会に出くわしながらいい加減な学生運動でおわった反抗する世代に対する痛烈な批判でもあります。
1973年に「重力の虹」を描いた後にずっと長編を出さなかったピン著んが1990年に発表したのがこの「ヴァインランド」です。
ヒッピー文化、ドラッグ文化を描いているかと思えば、国家権力による反対勢力の弾圧を描き、かと思うと、日本人である「カルマ調整師タケシが出てきたり、忍者が出たり、映画やポップスのパロディが出たり、テレビ番組の言及(これがとても多い!)が続いたり、に偽や中なことこの上ない。
帝国主義(アメリカのことです)に対抗する勢力内にかつてはいたのに、いつの間にか仲間を裏切る生活を送ることになった女性フレネシと、そのフレネシに立ち去られた後に残された娘プレーリィをヒッピー文化の中でけなげに育てるゾイド、フレネシをあやつるブロック・ヴォンド、そして忍術を使う黒人女性DLやら、フレネシの両親とその眷属(彼らが集まって親族の集会を開くのがヴァインランドなのですが)・・・いや、多数の登場人物が入れ替わり立ち替わりあらわれ、しかもいつの間にか舞台は時間も場所もかわってしまうという忙しい描写!
安っぽい描写の中に、深いメッセージをこめるなんぞ、本当にピンチョンはうまいもんです。
次は、この小説の前の「重力の虹」を読んでみます。
2010年2月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大作「重力の虹」の日本語訳は、ろくに注釈もなしに出版されていたこともあって、正直歯が立ちませんでした。
本作は量も比較的少なく、米文化を土台とした作品のディテールを理解するための注釈もふんだんに付けられていて助かります。
訳者も解説で、本作は「すごい」小説というよりは「うまい」小説だと語っています。
そのうまさというのは、あらゆる文化的ディテールを援用して作品世界に不可思議なリアリティを出したことと、視点をめまぐるしく変えることで作品世界にある種の立体感を出したことから来るのでしょう。
情報が作品の方向性に即しているのが分かるので、意味のない蘊蓄にはなっていません。
作者はコーネル大学に飛び級で進学し、かなり優秀な成績を修めながら研究者にはならずに作家になりました。訳者は、一種の俗っぽさが彼には切り離せないものとしてあったと語ります。
本作でやたらアメリカのテレビ番組やポップミュージックやらが出てくるのも、本人が紙袋をかぶって公衆の面前に現れたりするのも、そういう一種の低級さというか、サブカルチャー的なものがあるからでしょう。
サブカルチャーと言っても、とっつきやすいものとして現れず、難解な言い方で猥雑さを展開するようなところに、この作家の特性があるし、それはアメリカらしい特徴と言えないでもないと思います。
日本にこんな作家は今のところいないと思います。世界文学がどんなものか知る好例の一つかもしれません。
本作は量も比較的少なく、米文化を土台とした作品のディテールを理解するための注釈もふんだんに付けられていて助かります。
訳者も解説で、本作は「すごい」小説というよりは「うまい」小説だと語っています。
そのうまさというのは、あらゆる文化的ディテールを援用して作品世界に不可思議なリアリティを出したことと、視点をめまぐるしく変えることで作品世界にある種の立体感を出したことから来るのでしょう。
情報が作品の方向性に即しているのが分かるので、意味のない蘊蓄にはなっていません。
作者はコーネル大学に飛び級で進学し、かなり優秀な成績を修めながら研究者にはならずに作家になりました。訳者は、一種の俗っぽさが彼には切り離せないものとしてあったと語ります。
本作でやたらアメリカのテレビ番組やポップミュージックやらが出てくるのも、本人が紙袋をかぶって公衆の面前に現れたりするのも、そういう一種の低級さというか、サブカルチャー的なものがあるからでしょう。
サブカルチャーと言っても、とっつきやすいものとして現れず、難解な言い方で猥雑さを展開するようなところに、この作家の特性があるし、それはアメリカらしい特徴と言えないでもないと思います。
日本にこんな作家は今のところいないと思います。世界文学がどんなものか知る好例の一つかもしれません。
2010年3月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これにて初めてピンチョンデビューを果たしたのですが、いや、もうガツンとやられました。
なんだか独特の文体だし、わけのわからぬ単語や固有名詞が沢山出てくるしと、最初は物語に入りきれなかったのですが、
いちいち意味を吟味するのを放棄し、言葉の洪水とはちゃめちゃな展開に身を任せると、もう楽しくて仕方ありませんでした。
「国家権力と個人」という今まで幾度となくテーマにされてきた重い問題をこんなに軽く書いてしまうなんて。
文学を極めた人が、あえて文学の重力や文字の重みから解放されようとする意志を強く感じました。
タランティーノがジョージ・オーウェルの『1984』を撮ったような、
町田康が真剣に国家権力に向かい合ったかのような小説。
最後に、訳者の佐藤良明さんのあとがきに少し手を加えさせていただき、一文でこの本を表してみます。
「ピンチョンはドストエフスキーをシンプソンズのキャスティングで演じているのだ」
なんだか独特の文体だし、わけのわからぬ単語や固有名詞が沢山出てくるしと、最初は物語に入りきれなかったのですが、
いちいち意味を吟味するのを放棄し、言葉の洪水とはちゃめちゃな展開に身を任せると、もう楽しくて仕方ありませんでした。
「国家権力と個人」という今まで幾度となくテーマにされてきた重い問題をこんなに軽く書いてしまうなんて。
文学を極めた人が、あえて文学の重力や文字の重みから解放されようとする意志を強く感じました。
タランティーノがジョージ・オーウェルの『1984』を撮ったような、
町田康が真剣に国家権力に向かい合ったかのような小説。
最後に、訳者の佐藤良明さんのあとがきに少し手を加えさせていただき、一文でこの本を表してみます。
「ピンチョンはドストエフスキーをシンプソンズのキャスティングで演じているのだ」
2010年10月5日に日本でレビュー済み
出だしはなんだかなあという感じですが、ある程度我慢して先に進
むと俄然、面白くなってくるという感じでした。幸い、山形浩生さん
のホームページに出ていた「ピンチョンの東京行き」で、ほんの少し
だけ、本作の創作過程と一部の訳文に触れたりしていたので、なんと
か頑張れたというのが正直なところですが。そうでなければ、ゾイド・
ホイーラーに感情移入するのは難しいかも。(それにしても、山形さ
んのこの文章を読むたびに、どうしても村上龍の「イン・ザ・ミソス
ープ」を想起してしまうのは何故でしょう。)
曼荼羅形式とでも呼べばいいのか、時空を超えた出来事が一幅の絵
に収められているような感覚で物語が描かれていて、すごいというか、
うまいと言うか。60年代末から1984年までの革命の顛末が比較
的陽気に語られるのですが、語る言葉が軽いという訳ではありません。
何しろ時代のうねりに巻き込まれて大勢の人間が死んだか、人生を棒
にふった訳ですから、そこに鎮魂めいたものがあってもしかるべきで
すよね。訳者の佐藤良明さんは、シンデルロという造語を当てて、そ
の雰囲気を上手く表しているなあと感心します。
それは、たぶん(たぶんですよ)ピンチョンが意図したように、一
つの時代を埋葬するために当時の思い出の品々を棺の中に詰め込める
だけ詰め込むという企みにもよく合って楽しい葬式になっているとい
うように思います。
それにしても、どうしても理解できなかった部分がありまして、例
の飛行機の中で起こるポセイドン・アドベンチャーのような出来事っ
て、あれは一体何なんでしょうか?
むと俄然、面白くなってくるという感じでした。幸い、山形浩生さん
のホームページに出ていた「ピンチョンの東京行き」で、ほんの少し
だけ、本作の創作過程と一部の訳文に触れたりしていたので、なんと
か頑張れたというのが正直なところですが。そうでなければ、ゾイド・
ホイーラーに感情移入するのは難しいかも。(それにしても、山形さ
んのこの文章を読むたびに、どうしても村上龍の「イン・ザ・ミソス
ープ」を想起してしまうのは何故でしょう。)
曼荼羅形式とでも呼べばいいのか、時空を超えた出来事が一幅の絵
に収められているような感覚で物語が描かれていて、すごいというか、
うまいと言うか。60年代末から1984年までの革命の顛末が比較
的陽気に語られるのですが、語る言葉が軽いという訳ではありません。
何しろ時代のうねりに巻き込まれて大勢の人間が死んだか、人生を棒
にふった訳ですから、そこに鎮魂めいたものがあってもしかるべきで
すよね。訳者の佐藤良明さんは、シンデルロという造語を当てて、そ
の雰囲気を上手く表しているなあと感心します。
それは、たぶん(たぶんですよ)ピンチョンが意図したように、一
つの時代を埋葬するために当時の思い出の品々を棺の中に詰め込める
だけ詰め込むという企みにもよく合って楽しい葬式になっているとい
うように思います。
それにしても、どうしても理解できなかった部分がありまして、例
の飛行機の中で起こるポセイドン・アドベンチャーのような出来事っ
て、あれは一体何なんでしょうか?
2010年6月10日に日本でレビュー済み
池澤夏樹編の世界文学全集の一冊。以前、新潮社版を読んだことはあったが、全面改訂の詳注付きということで、再読してみた。
帯にあるようにピンチョン版の『1984』らしく、現代の(といっても80年代の)、しかし、オーエルの描いたものとは別な監視社会のありようをポップな文体で描いている。
彼は、そのポップさを装った文体で、60年代後半から70年代にかけてのアメリカの反体制運動とそれを抑圧する国家、そしてそれに巻き込まれる人々の姿を、登場人物の視点や時代を激しく切り替えながら描写し、ぐいぐいと読者である私を引きこんでいった。
相変わらず、私には難解だけど、彼の小説にはどこか魅かれるところがある。といってもまだ全部の作品を読んだわけではないが。
と思っていたら、もうすぐピンチョンの全集が新潮社から出るとのこと。その予習のためにも、この本の巻末の、翻訳者である佐藤良明氏の解説は読んでおくべきかもしれない。
全集、楽しみだ。
帯にあるようにピンチョン版の『1984』らしく、現代の(といっても80年代の)、しかし、オーエルの描いたものとは別な監視社会のありようをポップな文体で描いている。
彼は、そのポップさを装った文体で、60年代後半から70年代にかけてのアメリカの反体制運動とそれを抑圧する国家、そしてそれに巻き込まれる人々の姿を、登場人物の視点や時代を激しく切り替えながら描写し、ぐいぐいと読者である私を引きこんでいった。
相変わらず、私には難解だけど、彼の小説にはどこか魅かれるところがある。といってもまだ全部の作品を読んだわけではないが。
と思っていたら、もうすぐピンチョンの全集が新潮社から出るとのこと。その予習のためにも、この本の巻末の、翻訳者である佐藤良明氏の解説は読んでおくべきかもしれない。
全集、楽しみだ。
2011年8月24日に日本でレビュー済み
本家アマゾン(アメリカ)のHPを見ると、
平均評価は★4つ。★1、★2も結構あったりして、
原書で読んでも評価は分かれるようだ。
日本人が登場するのはうれしいが、
くの一修道会とか、秘拳ふるえる拳とか、
泣く子も黙るヤマグチクミとか、ゴジラ?の足跡とかは、
ちょっとやりすぎか…。
タランティーノのキルビルを髣髴とさせるような安っぽさがまず目につく。
しかし、物語の背景にある、
冷酷な生存競争のルールや
あまりにも軽すぎる命の扱われ方が、
突如軽妙な文体に不協和音を掻き立て、
軽いだけではないこの物語の底の深さを
ちらちらと照射するのである。
無駄のない、重厚な物語にできるのに、
あえてB級映画っぽくしているのではないか、
と最後まで疑念を抱かせる作品だ。
よく見れば誰もが認めざるをえない名画を、
上書きされた落書き越しに見せられるような、
そんな不思議な小説だった。
平均評価は★4つ。★1、★2も結構あったりして、
原書で読んでも評価は分かれるようだ。
日本人が登場するのはうれしいが、
くの一修道会とか、秘拳ふるえる拳とか、
泣く子も黙るヤマグチクミとか、ゴジラ?の足跡とかは、
ちょっとやりすぎか…。
タランティーノのキルビルを髣髴とさせるような安っぽさがまず目につく。
しかし、物語の背景にある、
冷酷な生存競争のルールや
あまりにも軽すぎる命の扱われ方が、
突如軽妙な文体に不協和音を掻き立て、
軽いだけではないこの物語の底の深さを
ちらちらと照射するのである。
無駄のない、重厚な物語にできるのに、
あえてB級映画っぽくしているのではないか、
と最後まで疑念を抱かせる作品だ。
よく見れば誰もが認めざるをえない名画を、
上書きされた落書き越しに見せられるような、
そんな不思議な小説だった。