この本は物理的には1冊の本ですが、内容的には数冊分(個人的な印象では、文庫本7~8冊分くらい)あると思います。超長編小説なのです。また、長さだけが問題ではありません。どこからどこまでが事実なのかわからない、登場人物の感情はストレートに表現されず象徴的に表現される、登場人物が多くて人間関係が分かりにくい、細かい固有名詞がたくさん出てくるなど、読みにくい理由はたくさんあります。つまり、相当な覚悟がないと読めない本だと思います(事実、私は何度も途中で挫折しました)
しかし、「読んでよかったと思うのか?」と聞かれると、答えは迷うことなく「yes」です。
理由は、親の愛に恵まれなかった子どもの孤独感、悲しみ、そして、怒りをこれほど切実に(そして的確に)表現した小説はないと思うからです。
様々な奇抜なイメージが表現され、象徴的な表現も多いので、そうした不思議な世界に目を奪われますが、読み終わって少年の気持ちに改めて思いを巡らせると、なんとも言葉にならない感情が押し寄せてきます。
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ブリキの太鼓 (池澤夏樹=個人編集世界文学全集2) 単行本 – 2010/5/14
3歳で成長をやめたオスカルは、ブリキの太鼓で身を守り、金切り声でガラスを砕く。ナチス勃興期のダンツィヒを中心に、物語は猛々しくおぞましく滑稽に加速してゆく。ノーベル賞作家の代表作、新訳決定版。
- 本の長さ628ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2010/5/14
- 寸法13.7 x 3.6 x 19.6 cm
- ISBN-104309709648
- ISBN-13978-4309709642
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商品の説明
著者について
ギュンター・グラス
1927年ダンツィヒ生まれ。第二次大戦で最年少兵として戦い負傷して米軍の捕虜となる。その後採掘場などで働く傍ら彫刻を学び同時に詩や戯曲を創作。『ブリキの太鼓』『猫と鼠』『犬の年』他。99年ノーベル賞受賞。
1927年ダンツィヒ生まれ。第二次大戦で最年少兵として戦い負傷して米軍の捕虜となる。その後採掘場などで働く傍ら彫刻を学び同時に詩や戯曲を創作。『ブリキの太鼓』『猫と鼠』『犬の年』他。99年ノーベル賞受賞。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2010/5/14)
- 発売日 : 2010/5/14
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 628ページ
- ISBN-10 : 4309709648
- ISBN-13 : 978-4309709642
- 寸法 : 13.7 x 3.6 x 19.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 486,734位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 22,168位楽譜・スコア・音楽書 (本)
- - 131,932位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2018年2月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「なんでこんなに面白いんだ?」と思いながら読みました。
3歳で成長を止めた少年オスカルが、ブリキの太鼓やガラスを割り砕く声をもって第二次世界大戦前後のダンツィヒを歩き回り、それを語ります。
この小説には「面白いこと」がたくさん書いてあります。それはいやらしいことであったり、身近な人の死であったり、恋愛であったり、戦争であったりします。この小説はそれを「面白く」書いています。いかがわしいことが好きな3歳児(ゲーテとラスプーチンを師に持つ3歳児)の視点から、語り口すら変幻自在にして書いています。人間のおかしみを引き立てるように。
多くの人がご存知だと思いますが、第二次世界大戦前後のダンツィヒは決して明るいことばかりではなく、悲惨なことが数多くありました。この小説にもそういった悲惨なものは現れます。でも、この小説はそういったものにもユーモアと猥褻さをもって立ち向かいます。そういう力を持った小説なのです。そしてその力は、世紀を跨いでなお、古びてはいません。この小説が古典となりつつある今でも、十分オススメできます。
比喩がかなり吹っ飛んでいるところがあるので、文学小説初心者は戸惑うかもしれませんが、まあそのうち慣れます。是非読んでみてください。
3歳で成長を止めた少年オスカルが、ブリキの太鼓やガラスを割り砕く声をもって第二次世界大戦前後のダンツィヒを歩き回り、それを語ります。
この小説には「面白いこと」がたくさん書いてあります。それはいやらしいことであったり、身近な人の死であったり、恋愛であったり、戦争であったりします。この小説はそれを「面白く」書いています。いかがわしいことが好きな3歳児(ゲーテとラスプーチンを師に持つ3歳児)の視点から、語り口すら変幻自在にして書いています。人間のおかしみを引き立てるように。
多くの人がご存知だと思いますが、第二次世界大戦前後のダンツィヒは決して明るいことばかりではなく、悲惨なことが数多くありました。この小説にもそういった悲惨なものは現れます。でも、この小説はそういったものにもユーモアと猥褻さをもって立ち向かいます。そういう力を持った小説なのです。そしてその力は、世紀を跨いでなお、古びてはいません。この小説が古典となりつつある今でも、十分オススメできます。
比喩がかなり吹っ飛んでいるところがあるので、文学小説初心者は戸惑うかもしれませんが、まあそのうち慣れます。是非読んでみてください。
2012年4月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いやー、長い、長いね。なかなか重厚な分量だった。
一編の長編小説というよりは、小話の集合体といった体。ドラえもんの単行本みたいなつくりというとわかりやすいのかな。
だから、ぐいぐい物語に引き込まれていくというより、1つ読んでは終わってまた1つ読んでといった読み方。
読書の波に乗るのが難しかったが、1つ1つはとてもおもしろい。訳はとても軽快でわかりやすかった。
大人になると食料店の跡継ぎにさせられてしまうからと三歳で自ら成長をやめた主人公オスカル。
ずっと三歳児だから、オスカルはモラルの外にいることができた。
つまり、「いい/悪い」ではなく「好き/嫌い」ですべてを判断する。
親の不倫も、ヒトラーも、共産主義も、すべて「好き/嫌い」で判断する。
時代ごとによって変わる「いい/悪い」に囚われた大人たちを子供の無邪気さで容赦なくぶった切っていく。
「ねえ、どうやって子供って生まれるの?」と親に問うような無垢でラディカルなスタンスで社会そのものに問うていくのだ。
この作品は書き手、作る側の人に特に人気のある作品でもある。
ぼくも作り手の端くれとして書かせてもらうと、これはもう設定が見事というしかない。
この設定、お借りできるならばぜひともどこかで貸してほしい。
「三歳で成長をやめる」というちょっと変わった設定をつくることにより、
世界の見え方をがらりと転回させ物語が次から次へと生まれていく。
著者グラスの半自伝的作品をこんなユニークな設定で描くから、暗い時代の暗い自伝が暗くならずにユーモアが生まれる。
主人公が普通の人間ならば湿っぽく、切なくなるだろう話を徹底的にユーモラスに、シニカルに描けたのだと思うわけである。(池澤夏樹の解説とどうも似ているが決してパクったのではなく、解説を読む前にこう思いついたのでお許しを)
巻末で訳者池内紀が物語の背景となったナチスドイツを丁寧に解説している。
ナチズム突入前のドイツが残念なことに今の日本とそっくり。
こりゃやばい時代に突入しちゃうかもしれないね。
きっと、もう日本のオスカルはどこかで生まれていて和太鼓たたきながらガラスをぶち壊しているに違いない。
混沌とした時代を生きるのに必要なのは、自分の「好き/嫌い」に従う心、と、ユーモア。
オスカルの太鼓のリズムはそう言っている。
一編の長編小説というよりは、小話の集合体といった体。ドラえもんの単行本みたいなつくりというとわかりやすいのかな。
だから、ぐいぐい物語に引き込まれていくというより、1つ読んでは終わってまた1つ読んでといった読み方。
読書の波に乗るのが難しかったが、1つ1つはとてもおもしろい。訳はとても軽快でわかりやすかった。
大人になると食料店の跡継ぎにさせられてしまうからと三歳で自ら成長をやめた主人公オスカル。
ずっと三歳児だから、オスカルはモラルの外にいることができた。
つまり、「いい/悪い」ではなく「好き/嫌い」ですべてを判断する。
親の不倫も、ヒトラーも、共産主義も、すべて「好き/嫌い」で判断する。
時代ごとによって変わる「いい/悪い」に囚われた大人たちを子供の無邪気さで容赦なくぶった切っていく。
「ねえ、どうやって子供って生まれるの?」と親に問うような無垢でラディカルなスタンスで社会そのものに問うていくのだ。
この作品は書き手、作る側の人に特に人気のある作品でもある。
ぼくも作り手の端くれとして書かせてもらうと、これはもう設定が見事というしかない。
この設定、お借りできるならばぜひともどこかで貸してほしい。
「三歳で成長をやめる」というちょっと変わった設定をつくることにより、
世界の見え方をがらりと転回させ物語が次から次へと生まれていく。
著者グラスの半自伝的作品をこんなユニークな設定で描くから、暗い時代の暗い自伝が暗くならずにユーモアが生まれる。
主人公が普通の人間ならば湿っぽく、切なくなるだろう話を徹底的にユーモラスに、シニカルに描けたのだと思うわけである。(池澤夏樹の解説とどうも似ているが決してパクったのではなく、解説を読む前にこう思いついたのでお許しを)
巻末で訳者池内紀が物語の背景となったナチスドイツを丁寧に解説している。
ナチズム突入前のドイツが残念なことに今の日本とそっくり。
こりゃやばい時代に突入しちゃうかもしれないね。
きっと、もう日本のオスカルはどこかで生まれていて和太鼓たたきながらガラスをぶち壊しているに違いない。
混沌とした時代を生きるのに必要なのは、自分の「好き/嫌い」に従う心、と、ユーモア。
オスカルの太鼓のリズムはそう言っている。
2022年12月22日に日本でレビュー済み
池内紀訳である(もっとも私はカフカの訳は読んでいない。)全く、疑うこともなく読み続け、あまりにも意味が取れない文章が多く、この意味不明な文をこれだけ多量に書き続ける、さすがギュンター・グラスと、思っていたが…たとえば、 ごく一例を挙げよう。
僕の祖母コリヤイチェクの内部でやっと、あるいはぼくが冗談めかして言った祖母のバター桶においてこそ、当時のぼくの理論によれば、まことの家族生活に至りつくはずだった。あれからいろんなことがあって、いまではぼくが神なる父、その幼な子、そしてさらに重要なことだが精霊に人においつき、肩を並べ、追い抜きさえもある。ぼくのすべてほかの使命ともども、キリストのまねびを不承不承ながら身に負っているからには、僕の祖母への門がとうていとどかないところとなってしまっても、ぼくはやはり先祖たちのいるところに、とびきり麗しい家族風景を思い描いているのである。
…p351 (一字一句、正確です)
「精霊に人に追いつき?」「祖母への門がとうていとどかない?」一読、ほとんど意味が取れない。
同じ部分の集英社文庫版
ぼくの当時の考え方からいけば、真の家族生活が実現される場は、ぼくの祖母コリヤイチェクの内部、ぼくが戯れにあばあちゃんのバター桶と名づけたものの中において、ほかにはなかったろう。あれからいろいろなことがあり、いまではぼくが父なる神と独り子イエスと、そしてこれがもっと重要なことなのだが、精霊とぴたりと肩を並べ、しかもそれを追い越しさえもするのだが、そしてキリストのまねびということも、ほかのすべてのぼくの天職と同様に、気がすすまぬながらぼくの義務になっているのだが、祖母へ至る門がますます手の届かぬものになってしまった今でも、ぼくは、ぼくの先祖がみんな集まるという形が、もっとも美しい家族の光景だと思って、それを心に描いているのである。
…第二部…p229
そうか、門というのは、天国への門、にかけてるのか…問題なく意味が取れる。だからといって、小説が易しくなるわけでもないが。
全編、この調子なのである。驚くほど、意味不明な文の羅列なのである。この河出書房新社の、世界文学全集版の方が、後の訳。新訳を謳っている。池内紀の、ドイツ語能力とは?この適当な仕事ぶりは、何なのであろうか?河出書房新社の、編集者では池内紀にダメ出しは出来なかったのであろうか。それでは、職務放棄と同じである。その結果、このような欠陥商品がこんな値段をつけて市中に流通し、池内紀は、末代まで恥を晒すこととなった。
僕の祖母コリヤイチェクの内部でやっと、あるいはぼくが冗談めかして言った祖母のバター桶においてこそ、当時のぼくの理論によれば、まことの家族生活に至りつくはずだった。あれからいろんなことがあって、いまではぼくが神なる父、その幼な子、そしてさらに重要なことだが精霊に人においつき、肩を並べ、追い抜きさえもある。ぼくのすべてほかの使命ともども、キリストのまねびを不承不承ながら身に負っているからには、僕の祖母への門がとうていとどかないところとなってしまっても、ぼくはやはり先祖たちのいるところに、とびきり麗しい家族風景を思い描いているのである。
…p351 (一字一句、正確です)
「精霊に人に追いつき?」「祖母への門がとうていとどかない?」一読、ほとんど意味が取れない。
同じ部分の集英社文庫版
ぼくの当時の考え方からいけば、真の家族生活が実現される場は、ぼくの祖母コリヤイチェクの内部、ぼくが戯れにあばあちゃんのバター桶と名づけたものの中において、ほかにはなかったろう。あれからいろいろなことがあり、いまではぼくが父なる神と独り子イエスと、そしてこれがもっと重要なことなのだが、精霊とぴたりと肩を並べ、しかもそれを追い越しさえもするのだが、そしてキリストのまねびということも、ほかのすべてのぼくの天職と同様に、気がすすまぬながらぼくの義務になっているのだが、祖母へ至る門がますます手の届かぬものになってしまった今でも、ぼくは、ぼくの先祖がみんな集まるという形が、もっとも美しい家族の光景だと思って、それを心に描いているのである。
…第二部…p229
そうか、門というのは、天国への門、にかけてるのか…問題なく意味が取れる。だからといって、小説が易しくなるわけでもないが。
全編、この調子なのである。驚くほど、意味不明な文の羅列なのである。この河出書房新社の、世界文学全集版の方が、後の訳。新訳を謳っている。池内紀の、ドイツ語能力とは?この適当な仕事ぶりは、何なのであろうか?河出書房新社の、編集者では池内紀にダメ出しは出来なかったのであろうか。それでは、職務放棄と同じである。その結果、このような欠陥商品がこんな値段をつけて市中に流通し、池内紀は、末代まで恥を晒すこととなった。
2011年9月21日に日本でレビュー済み
編者も訳者も、本作についての解説を書いているが、
内容を解釈する手掛かりにはならない。
含意たっぷりの寓話は、一筋縄で説明するのは難しいのだろう。
あるいは理路整然と象徴解釈をほどこしてみても、
何もわかったことにはならないのかもしれない。
細かい描写をあれこれ詮索するよりも
グラスの世界に浸り切り、
オスカルの五感を体感する方がずっといい。
いちいちページを振り返ることはせず、
一気に読み切る気概で挑まなければ、
難解さと狂気の前に挫折する可能性は高い。
体感する物語であり、読後、ふつふつと湧き上がる高揚感は
今でも続いている。
内容を解釈する手掛かりにはならない。
含意たっぷりの寓話は、一筋縄で説明するのは難しいのだろう。
あるいは理路整然と象徴解釈をほどこしてみても、
何もわかったことにはならないのかもしれない。
細かい描写をあれこれ詮索するよりも
グラスの世界に浸り切り、
オスカルの五感を体感する方がずっといい。
いちいちページを振り返ることはせず、
一気に読み切る気概で挑まなければ、
難解さと狂気の前に挫折する可能性は高い。
体感する物語であり、読後、ふつふつと湧き上がる高揚感は
今でも続いている。
2010年12月5日に日本でレビュー済み
池澤夏樹の責任編集による世界文学全集の1冊。
この有名な小説については、その題名も知っているし、映画化された際には観たこともあるし、ギュンター・グラスがノーベル文学賞を受賞したことも知ってはいたのだが、いまごろになって初めて読んだ。
映画化された際は、アカデミー賞を受賞したりと評判になったのだが、当時、中学生、高校生の自分は、その良さほとんどわからず、この小説自体の興味もほとんど持たなかったのだが、その後、グラスの過去の武装親衛隊所属問題などによって改めて関心を持つようになり、この全集に収録されたのをきっかけに読んでみた。
小説自体は、自らの意志で、3歳で成長を止めた主人公のオスカルの独白で、彼の数奇な人生を描いているが、グラスの故郷であるダンツィヒ(現在はポーランド領のグダニスク)の街が、ナチの勃興と没落を切り抜けていく様子も描かれており、単純な寓話ではない。
成長を拒否する主人公に、グラスは何を仮託したのか。3歳の幼児の姿をした怪物、freakが巻き起こすグロテスクな喜劇が、ナチスドイツ、そしてそれに賛同し、追随していったドイツ国民の行いを嘲笑する。そこに何を読むべきなのだろううか。
この有名な小説については、その題名も知っているし、映画化された際には観たこともあるし、ギュンター・グラスがノーベル文学賞を受賞したことも知ってはいたのだが、いまごろになって初めて読んだ。
映画化された際は、アカデミー賞を受賞したりと評判になったのだが、当時、中学生、高校生の自分は、その良さほとんどわからず、この小説自体の興味もほとんど持たなかったのだが、その後、グラスの過去の武装親衛隊所属問題などによって改めて関心を持つようになり、この全集に収録されたのをきっかけに読んでみた。
小説自体は、自らの意志で、3歳で成長を止めた主人公のオスカルの独白で、彼の数奇な人生を描いているが、グラスの故郷であるダンツィヒ(現在はポーランド領のグダニスク)の街が、ナチの勃興と没落を切り抜けていく様子も描かれており、単純な寓話ではない。
成長を拒否する主人公に、グラスは何を仮託したのか。3歳の幼児の姿をした怪物、freakが巻き起こすグロテスクな喜劇が、ナチスドイツ、そしてそれに賛同し、追随していったドイツ国民の行いを嘲笑する。そこに何を読むべきなのだろううか。
2015年6月26日に日本でレビュー済み
高本研一訳と比較しながら読みましたが、私は高本派でした。
原文とは比べてないので、より忠実な訳なのかもしれませんが。(原本も違うようです)
作品じたいの評価は星五つです。海外作品の中でも人に薦めたくなる小説です。
ただ訳がなあ…
池内訳が悪いわけではないのですが、高本訳を超えているようには感じませんでした。
高本訳とかぶらないようにしてる?と思えるほど、わざわざ難しい語句を選んでる箇所も目立ちました。
そのかたわら、慣用表現になおされてたり、体言止めの文もあったり、全体的にアンバランスな印象。
冒頭でオスカルが紙を買ってくるよう言う場面では
「処女の紙(高本訳)」が「けがれのない紙(池内訳)」となっていて性的な意味がこもってないので、
看護師がわざわざ言い直す理由も、店員の娘が顔を赤らめる理由も、池内訳ではわかりませんでした。
ポルノグラスとよばれているくらいだし、露骨な言葉は残すべきだったのでは?
指摘しだしたらきりがないです。
両翻訳者の方、苦心なされたんだろうとは思います。
原文とは比べてないので、より忠実な訳なのかもしれませんが。(原本も違うようです)
作品じたいの評価は星五つです。海外作品の中でも人に薦めたくなる小説です。
ただ訳がなあ…
池内訳が悪いわけではないのですが、高本訳を超えているようには感じませんでした。
高本訳とかぶらないようにしてる?と思えるほど、わざわざ難しい語句を選んでる箇所も目立ちました。
そのかたわら、慣用表現になおされてたり、体言止めの文もあったり、全体的にアンバランスな印象。
冒頭でオスカルが紙を買ってくるよう言う場面では
「処女の紙(高本訳)」が「けがれのない紙(池内訳)」となっていて性的な意味がこもってないので、
看護師がわざわざ言い直す理由も、店員の娘が顔を赤らめる理由も、池内訳ではわかりませんでした。
ポルノグラスとよばれているくらいだし、露骨な言葉は残すべきだったのでは?
指摘しだしたらきりがないです。
両翻訳者の方、苦心なされたんだろうとは思います。