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ポール・デルヴォー 〔骰子の7の目 シュルレアリスムと画家叢書〕 (骰子の7の目シュルレアリスムと画家叢書 3) 大型本 – 2006/7/12

3.4 5つ星のうち3.4 7個の評価

商品の説明

著者からのコメント

骰子の7の目」日本語版刊行に寄せて

画家の明証——瀧口修造 

人は絶えず何ものかに賭ける。しかも、6の目の骰子を振りながら、その実は7の目をもとめているのではなかろうか。画家もまた例外ではない。
 絵画は人間のもっとも古い発見のひとつとして、その平らな面の表現の世界は、人に寄り添う影のように消えることを知らない。それは無重力の宇宙を遊泳しながらも、必死に地上へ帰着、ふたたび二次元の床の上に身をよこたえるようなものか。だが、夢はふたたびあらぬ彼方の次元を飛ぶだろう。
 絵画とは、いまや表現の伝統というよりも、慾望回帰のしるしだとさえ言ってよいかも知れない。そのように、絵画は執拗にも、眼あるかぎりの影像の生活とともにある。
 人が絵画を眺めるとき、絵画もまた人を視ている。そして、この地上の眼差しのなかに、もうひとつの次元からの眼差しに出会うのだ。
 これら、伴侶としての画家たちは、おそらくつねに現実の曇り、矛盾、禁忌を越えて、ひとびとの許へ戻ってくるだろう。こうして絵画は鏡の向うのn次元の明証となるだろう。

増補新版刊行に寄せて

32年後に——巖谷國士

「骰子の7の目」というこの詩的な言葉を、不可能のたとえととることもできる。その不可能を可能にするべく、30年前にはじめてシュルレアリスム画家たちの本格的な個別紹介をめざしたこの叢書は、予想をこえて広く支持されるところとなった。
 なによりも瀧口修造による監修の意味と成果が大きい。日本の唯一のシュルレアリストとして生き、当時ジャーナリズムから手を引いていたこの詩人は、だが本叢書のためにいわゆる監修以上のことをした。挿入小冊子の執筆とデザイン、原書にない巻の企画編集、画家の近況紹介、訳者の選定から訳文校閲まで、その仕事の総体はまさに、晩年(1979年没)のもっとも重要なシュルレアリスム活動のひとつに数えられる。
 選ばれた画家たち—そして訳者のうち幾人かもまた没したが、「骰子の7の目」はいまもなお、実現された不可能、未知、驚異のシンボルにとどまっていることだろう。

出版社からのコメント

《—幻の名著<シュルレアリスムと画家叢書「骰子の7の目」>再創刊! 》
 刊行によせて——編集者より

 1973年、このシリーズは、まだアンダーグランド文化が若者たちの間で熱く語られ、 支配するなか、かつてない異様な美術書としてむかえられた。そんな記憶がする。
 監修者の瀧口修造さんは、<流通言語>に疑いを抱きジャーナリズムへの関与から身を引き、詩作と隠遁の日々を送っていた。私はそんな風聞を信じておそるおそる近づいた。大阪万博も終幕をむかえた1970年の秋だった。
 ところが彼はファントマのごとく、唐十郎や土方巽や武満徹や磯崎新や草間彌生や赤瀬川原平やオノヨーコたちのイベントに風のようにあらわれては、風のように去ってゆくのを、私は見、知った。
 やがてそれらの顛末は、数か月後に国際シュルレアリスム誌に掲載された。彼は夜寝ることを知らぬ情報部員であった。アンドレ・ブルトンのようにインターナショナルな。詩と自由とエロスの統合を夢見て。
 こんどの重版は、巖谷國士氏のいうように奇跡に近い復刊といってもよい。 共同出版のパートナーであるフランスの出版社が無断で版権・原版を放棄してしまい、ここ数年来出版不可能の状態であったから。
 瀧口修造さんをはじめ、当時我々とも交流のあった巨匠たちもなくなったが、シュルレアリスム運動を伴走したテキストを書いた批評家たちの所在を懸命にたどったところ、80歳代ではあるがみんな元気で、小社120周年の記念出版にしたい旨オファーしたとこ ろ、大感激。画家たちの遺族との交渉や紹介の便をはかってくれ、更にフランス・ベ ルギーの美術著作権協会も協力的に連動してくれたこともあって、ようやく<幻の名著、渇望の復活>となった。32年間、お互い長く生きていて、よかったのかもしれない。
 今回の復刊は、前回12巻・別巻1のうちベスト6巻を選んだ。それに単なる重版ではない。作品はカラーを充実したり、差し替えたりしたうえ、さらに増ページはもとより、年譜、書誌は2006年まで補足、マグリットには下記の特典がつく。当時自己検閲したベルメールの作品やマン・レイの写真、エルンストのコラージュもたくさん紹介している。ド迫力に満ちたリヴァイズド編集だ!
 巖谷國士氏いわく、<選ばれた画家たち……そして訳者のうち幾人かもまた没したが、「骰子の7の目」はいまもなお、実現された不可能、未知、驚異のシンボルにとどまっていることだろう> 故人となった訳者は、澁澤龍彦、種村季弘、宮川淳の各氏。
 瀧口修造さんは、<絵画とは、——慾望回帰のしるしだとさえ言いってもよいかも知れない——>といったのが、本叢書に寄せた衝撃的なメッセージだった。破壊の時代の予 兆と快感。原点を探るシュルレアリストのことばに説得力があったが。いまは?

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 河出書房新社 (2006/7/12)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2006/7/12
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 大型本 ‏ : ‎ 96ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 430971563X
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309715636
  • カスタマーレビュー:
    3.4 5つ星のうち3.4 7個の評価

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アントワーヌ・テラス
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2016年8月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
40数年前に買いそびれていたのですがここに増補新版を購入することができ、あらためてポール・デルヴォーの作品を眼にすることができて感動にひたっています。
ところでいつも思うのですがよく今回のように増補新版や新訳増補改訂版というものが出版されますが、その増補部分がどのようなもの(項目など)なのかを商品の説明欄において詳しくしらせてもらえないものかと思います。
場合によってはすでに一度購入している書物でも新版を再購入したくなるはずでしょう。
例えばこの同じシリーズの中ではハンス・ベルメールなど。店舗にあれば手に取ってみて以前の版との違いがわかるのですが。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年5月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まず、油彩の作品の写真が半分がモノクロでした。既に展覧会などで知っている油彩などはカラーでした。また見開きで拡大しているので元の作品の全体像が分からないものが何点かありました。期待して買ったので、拍子抜けして落胆してしまいました。本の厚みも薄かったです。ハードカバーでしたが、中身は少なかったです。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年1月29日に日本でレビュー済み
 作品の数は60余り。白黒のものがあること、絵の全体とその一部分とが重複して掲載されている作品があるのが残念。部分の細部を説明しているということでもないので、スペースがあるのであれば別の作品を載せて欲しかった。
 6章から成り、題の意味は「POST−SCRIPTUM」に書かれている。またそれぞれの章の最後に“純粋な解説”とは言えないような、デルヴォーの絵によってインスパイアされたと思われるテクストが書かれ、不思議な印象を与える構成と内容になっている。ビュトールの「ポール・デルヴォーの夢」の雰囲気に近いものがある。
 目次が無く全体像がわかりづらいため、それぞれの章の題名とページ、若干の感想を書きます。

「物の秘密と雰囲気の表現」p4
  この章の最後は著者と画家の対談が載せられ、デルヴォーが影響を受けたアンソール、キリコ、マグリットについて、少年の頃に見た汽車や電車について、繰り返し読みふけったジョルジュ・ヴェルヌについて語られる。ヴェルヌの「地球の中心への旅」の中の登場人物はデルヴォーの絵の中に繰り返して描かれることになる。
「待望の森の広場に」p18
  新印象主義(本書での分類)からスタートし表現主義を経てシュルレアリスム的世界へ入っていく過程を解説している。デルヴォー自身はシュルレアリスムから距離をおいていたらしい。
「空しくも、不毛にもあらざる、されど大胆さに欠けた女人たち」p28
  これは二つに分かれ、「立ち止まった大きな女人たち」と「実用の仕事をはなれて内気な彼女ら」から成っている。解説として、正装した男たちが描かれている理由が述べられ、デルヴォーが言う単なるコントラストとして以外の意味を探ろうとする。
「似ることによりさらに美しく」p46
  モーニングを着こんだ男と裸の女の対比を言葉にしようとする。女は魅惑的である。男と女の間にある孤独と沈黙、あるいは男と女それぞれの中にある孤独と沈黙。
「待ちこがれての涙」p56
  電車と駅のイメージ。これもデルヴォーの絵の解説というより、電車と汽車についての著者の創作に近い。
「死の領域に君臨する」p64
  骸骨のイメージ。
  “人はもしかすると、他者とは理解しあうことができないかもしれない。したがって人は、自分としか対決できないのかもしれない。骸骨の隣で裸の女が手を挙げて呼ぶ。でもだれを。そしてそれはとるにたらないことなのだろうか。”

 この後に「大きな人魚たち」が見開きで、エリュアールの「流謫」の最後の一行も見開きで、そして「鏡の女性」が載せられている。
 図版のあとに、「BIOGRAPHIE」、「BIBLIOGRAPHIE」、「FILMOGRAPHIE」。その後にある巌谷國士による「POST−SCRIPTUM」の中でエリュアールの「流謫」と、この本の各章の題名の関係が説明されている。
 
 最後に栞がおしゃれな雰囲気で挿まれ、瀧口修造の「隣り合う女たち」という小論が載せられている。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2007年7月23日に日本でレビュー済み
シュルレアリスム系の画家でも、デルヴォーはかなり日本人に人気がある人でしょうね。

私も大好きです。ほんとにこれはなんだ?というような幻想の世界です。人形のような女人

のイメージや夜の風景、汽車ぽっぽなど懐かしさも湛えた、相当気質に密着した、在る意味

コンプレックスの強い、性的にも屈折のある芸術家なのでしょう。まあ幻想作家はホモセクシ

ュアルでなくとも屈折した女性(エロス)観の持ち主が殆どです。

この骰子の7の目シリーズにも入っているやはり私の好きな北欧画家スワーンベリと大きく

異なるようでいながら、実はエロスの深い根は共通ではないかと思われます。ただデルヴォ

ーの方が夢そのものにより強く依拠してはいるようですね。あとバルチュスもいいですね。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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