なぜ彼女がここまで評価されているのか、いまいちわかりません。
美術雑誌や関係書の表紙をことごとく飾り特集を組まれました。彼女自身もひっぱりだこだったようです。
それほど彼女の登場は鮮烈だったのでしょうか、それまでほんとにこれほどのまたこのような日本画がなかったのでしょうか。
容貌が、キャラクターがそうさせていると揶揄する向きもあるし確かにそれは否めません。
でもまずここは絵自身がどうなのかを問題にするべきでしょうね。
最初に何作か特集された雑誌で見て、「一生懸命描いてるな・・」と思いました。
そりゃ手抜きはしないでしょうが、そうではなくて画力の余裕のなさが絵に滲んでいるように思えたのです。
また技術にあるクセをどの絵にも感じてしまった。
個性というのではなくて「こういうふうにしか描けません」と言っているような技術の偏りが描かれた人物や生物の形に宿ってしまっている。
だからなんだ、と言われてしまえばそうなんだけどもとても不自由な感じがしたのです。
細部はとことん丁寧です。でもそれは何かを覆い隠すためではないかと思わせます。もしくは何かに感付いてほしくないというような。
それは彼女自身わかっているのではないかと思うのですが・・。
絵を輝かせてそれらしく見せる装飾力はプロ、基本的画量は公募展か卒業制作レベル、というところではないでしょうか。
テーマに関してはタイトルにあういう意味のよくわからない説明のようなものを付加するのは個人的に趣味ではありませんね。
また自身の講演やTVで聞かれた言葉に、描かれた絵が向かってないというか語っていたテーマを掘り起こせませんでした。
対談していた面々もお話しの内容も「いかにも」だなぁと。
こんなこと言うのはおせっかいだし身の程知らずですが彼女は画家としてもっと違う方向で活躍していたらよかったのにと思えてなりません。
なにか余計なことをさまざま思い巡らせてくれる画家さんではあります。
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松井冬子 2―MATSUI FUYUKO (2) (Matsui Fuyuko: Paintings) 大型本 – 2008/5/16
英語版
松井 冬子
(著)
- 言語英語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2008/5/16
- ISBN-10430990758X
- ISBN-13978-4309907581
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登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2008/5/16)
- 発売日 : 2008/5/16
- 言語 : 英語
- ISBN-10 : 430990758X
- ISBN-13 : 978-4309907581
- Amazon 売れ筋ランキング: - 799,415位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 831位日本人画家の本
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2009年1月19日に日本でレビュー済み
今日は、松井さんのお誕生日ですね!
私は、NHKの番組を視てから、たいせつなわたしのなかのなにかをみつめはじめました。
私は、素直に、言いますと「冬子さんがお母さんになってくれれば」と想い、
日常をすべて変えました。
闘いました、なにもかもと、
その想いに嘘は在りません。
真実、真理なのです。
やさしい瞳をしてこちらをみつめつづけていたあなたはわたしとおなじで嘘の言えない人です
わたしの覚視した日常は美しくもあり、怖くもありました、
その日常には、
本当になにもなかった
ほんとうにいなかった
本当にだれもいなかった
ほんとうにいなかった
でも、わたしは、いま
つないでいる、つなぎつづけている、
それは、わたしのまわりがほほえみにつつまれている日常だと単純にみつめつづける希望をみんなからいただいたからです!
その想いに嘘は在りえません。
わたしはわたしとたったひとつのこのやさしさのためにできるかぎり生ききりたい!
そんなつよさもくれました、
やさしい瞳をしているあなたがひとりでもおおく咲きますように!
♪
ふれてみて
ゆれる想いは
このこころ
♪
せるろいど
かんじるなにか
いつもいろ
♪
のわきたち
はなはさびても
らんどせる
♪
これまでに
どれほどみたか
もちえた樹
♪
ともだちと
もてないものは
抱き合おう
ちかいみらいは
となりの笑顔
♪
わたしは、こころから、
お誕生日おめでとう!とさけびたい!
こころからありがとう!
私は、NHKの番組を視てから、たいせつなわたしのなかのなにかをみつめはじめました。
私は、素直に、言いますと「冬子さんがお母さんになってくれれば」と想い、
日常をすべて変えました。
闘いました、なにもかもと、
その想いに嘘は在りません。
真実、真理なのです。
やさしい瞳をしてこちらをみつめつづけていたあなたはわたしとおなじで嘘の言えない人です
わたしの覚視した日常は美しくもあり、怖くもありました、
その日常には、
本当になにもなかった
ほんとうにいなかった
本当にだれもいなかった
ほんとうにいなかった
でも、わたしは、いま
つないでいる、つなぎつづけている、
それは、わたしのまわりがほほえみにつつまれている日常だと単純にみつめつづける希望をみんなからいただいたからです!
その想いに嘘は在りえません。
わたしはわたしとたったひとつのこのやさしさのためにできるかぎり生ききりたい!
そんなつよさもくれました、
やさしい瞳をしているあなたがひとりでもおおく咲きますように!
♪
ふれてみて
ゆれる想いは
このこころ
♪
せるろいど
かんじるなにか
いつもいろ
♪
のわきたち
はなはさびても
らんどせる
♪
これまでに
どれほどみたか
もちえた樹
♪
ともだちと
もてないものは
抱き合おう
ちかいみらいは
となりの笑顔
♪
わたしは、こころから、
お誕生日おめでとう!とさけびたい!
こころからありがとう!
2015年2月22日に日本でレビュー済み
上下2冊の分冊形式であり、上野千鶴子の解説と作者自身による作品解説は下巻にしかついていない。作者自身の作品解説は、大変理屈っぽいが、決して嫌味な感じはしない。
トラウマや自傷が、作品制作の原動力となっていることがよくわかる。九相図や餓鬼草紙などの流れを汲むようにも思えるが、こういう絵は描く人にとって一種のセラピーであるのと同様、見る人にとっても一種のセラピーであるのだろう。
下巻で個人的に特に気に入ったのは、自殺の失敗を描いたと作者解説にある「絶え間なく断片の衝突は失敗する」と、小動物の死骸の横に一本の花が描かれた「不幸な現存在の三つの形態」であった。
トラウマや自傷が、作品制作の原動力となっていることがよくわかる。九相図や餓鬼草紙などの流れを汲むようにも思えるが、こういう絵は描く人にとって一種のセラピーであるのと同様、見る人にとっても一種のセラピーであるのだろう。
下巻で個人的に特に気に入ったのは、自殺の失敗を描いたと作者解説にある「絶え間なく断片の衝突は失敗する」と、小動物の死骸の横に一本の花が描かれた「不幸な現存在の三つの形態」であった。
2011年11月10日に日本でレビュー済み
日本画の未来を担う逸材による今のところ唯一の画集の2巻目。平成19-20年に作成された7点の本画のほか、細部や下絵を収録。決して点数は多くないのだが、細部を収録したページでも個々のパーツが一つの絵として完成している執拗な描き込みがされているので、全く物足りなさは感じない。絵画制作に詳しい読者が見ると、この作家の創作過程がより技術的に詳しく吟味できるのだろう。
なお、作家も自覚して博士論文で理論化しているという精神分析/心理学的な創作背景については、本巻所収の上野千鶴子氏とご本人による解説に詳しい。もし、ここに書かれたような暴力のトラウマからの治癒の延長にナルシシズムが存在するというメカニズムが、松井氏の描く女性性や肉体を巡る残酷さ、死が美に昇華される創作過程とパラレルなのだとしたならば、それはとても残酷で哀しいメカニズムである。救われないが故に美しい、という逆説の前には結局僕らは立ち尽くすしかできないのだろうか。
今更こんな小林秀雄みたいな当たり前のことしか書けない自分の凡庸な言語能力が恨めしいが、まずはこの冬に横浜美術館で開催される展覧会(2011年11月〜2012年3月)が待ち遠しい。件の博士論文に関するご本人の講演もあるようだ。
なお、作家も自覚して博士論文で理論化しているという精神分析/心理学的な創作背景については、本巻所収の上野千鶴子氏とご本人による解説に詳しい。もし、ここに書かれたような暴力のトラウマからの治癒の延長にナルシシズムが存在するというメカニズムが、松井氏の描く女性性や肉体を巡る残酷さ、死が美に昇華される創作過程とパラレルなのだとしたならば、それはとても残酷で哀しいメカニズムである。救われないが故に美しい、という逆説の前には結局僕らは立ち尽くすしかできないのだろうか。
今更こんな小林秀雄みたいな当たり前のことしか書けない自分の凡庸な言語能力が恨めしいが、まずはこの冬に横浜美術館で開催される展覧会(2011年11月〜2012年3月)が待ち遠しい。件の博士論文に関するご本人の講演もあるようだ。