人に愛情を持つことが徹底的に出来ない父親と、そんな父親に徹底的に愛を求め、憎しみを抱き続けて死んでいった母親−これが中島氏の生い立ちだったわけで、他人、世間、共感というものに暴力性を感じるーという氏の感性もわからないことはありません。 私自身は愛されて育ったとは思っていますが、陰に陽に、特に母親の望むとおりの生き方を(愛ゆえに)強要された−という別の種類の苦い経験がありますので。 自分の性質と親の方針がうまくマッチしない場合、子供はやはりコミュニケーション問題を抱えるようになるものだと思います。 とは言え、奥さんや息子さんのことまであのように本に書いて世間に公表してしまっては、憎まれるのは当然だと思うのですが、とにかく自分はそういう人間なのだ、という一種の暴露癖があるのか、それとも助けて欲しいと言うサインなのかー?
“私の周囲には本当の愛を求め続け、そしてたえず愛のない人を断罪し続ける女たちがいる。 そんな環境の中にいるからこそ私は本当の愛を静かに拒否したいのだ”と、中島氏は書いていますが、氏の母親や奥さんが求めているのは本当にそういうアガペー的絶対愛なのでしょうか? 人は確かに究極の愛というものを夢見るものですが、それはどちらかと言えば自分の性質や異性というものがよくわかっていない若い頃であって、人生経験を重ねるうちに、人間レベルの想い・想われの関係に満足(−とまではいかなくとも、少なくとも納得)するようになるものではないでしょうか。 氏の周りにいる女性たちはそういった人間レベルの愛情さえかけてもらえないから怒っているのでは? 中島氏がそういう人間になったのは明らかにご両親のせいなのだからお気の毒だとは思いますが、“そういう自分を受け入れるほかないと思うようになった。 それを鍛えるほかないと思うようになった”というのは明らかに転倒した考え方だと私には思えます。 どうもこの極端さこそが氏を不幸にしているように見えるのですがー。
この本で私が一番学んだ事は、双方向性の愛を持てない人はやはり結婚すべきではないなーと、いうことです。 子供に災禍が及びます。 それでも人が結婚するのはやはり性欲のなせる業なのでしょうか? 中島氏が結婚を決めた動機も“このとき私は正気でなかった”と書いてあるので奥さんは犠牲になったとしか思えません。 ある意味、ご専門の哲学以外の氏の著書の中では一番すごい本ですが、なんとも暗澹たる後味のみが残ります。
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愛という試練 単行本 – 2003/7/18
中島 義道
(著)
- 本の長さ239ページ
- 言語日本語
- 出版社紀伊国屋書店
- 発売日2003/7/18
- ISBN-104314009276
- ISBN-13978-4314009270
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
生い立ち、家族との関係、恋愛…。愛をめぐる体験を赤裸々に語り、暴力的なまでに愛を強要する社会の欺瞞を糾弾しながら、自らの病的な自己愛へも妥協なき思考のメスを入れてゆく壮絶な内省録。
登録情報
- 出版社 : 紀伊国屋書店 (2003/7/18)
- 発売日 : 2003/7/18
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 239ページ
- ISBN-10 : 4314009276
- ISBN-13 : 978-4314009270
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,035,093位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2009年5月9日に日本でレビュー済み
自らの生い立ちから、周囲の人々との関係について、かなり突っ込んで書かれています。
思想的には共感できる部分もあれば、そうとは言えない部分もあります。
救われるという感覚はありません。
多くに共感されることは著者も考えていないでしょう。
それでも書かねばならないという事実に著者の壮絶なまでの知的誠実さを感じます。
まさにタイトル通りの本と思います。
思想的には共感できる部分もあれば、そうとは言えない部分もあります。
救われるという感覚はありません。
多くに共感されることは著者も考えていないでしょう。
それでも書かねばならないという事実に著者の壮絶なまでの知的誠実さを感じます。
まさにタイトル通りの本と思います。
2004年2月16日に日本でレビュー済み
もうどうしようもなく共感してしまった。条件付きの愛で、もしくは愛のない人に育てられた愛を求めるすべての人に試金石として読んでもらいたいと思う。しかし、このもて具合はちょっと反感を買いそうかも。僕自身はこの人よりはうかつにも人を少しは愛してしまっていたことに気づかされたという思わぬ特典があった。結局3回も泣いてしまったのだが。愛の不在の連鎖はかくも恐ろしい。個人的には一生に一瞬でも愛されればOKかなとも思う。多分共感する層は世界の10000分の1にも満たないだろう。
2006年7月23日に日本でレビュー済み
自らにとっての「本当」を追究し続け懐疑し続け、
アクロバティックに正気を保って本を書き続ける哲学者=
中島義道氏が、「愛」をその俎上に載せた本。
書き下ろし。2003年。
はじめの部分で、それが「愛」であるための条件を分析した後、
具体的事例として氏は父について語り、母について語る。
妻について語り、自らの遍歴について語る。
恋愛よりも「夫婦間の残酷」の方に重心が置かれ、
事態は冷静に言語化されていく。ごまかしは感じられない。
しかし、いつものように出口はない。
読み終わって残るのは漠然とした徒労感のようなもの。
他人のことなので落ち込みはしないが、
それでもため息をひとつ、つきたくなる。
「読めば元気になる」という本ではない。
アクロバティックに正気を保って本を書き続ける哲学者=
中島義道氏が、「愛」をその俎上に載せた本。
書き下ろし。2003年。
はじめの部分で、それが「愛」であるための条件を分析した後、
具体的事例として氏は父について語り、母について語る。
妻について語り、自らの遍歴について語る。
恋愛よりも「夫婦間の残酷」の方に重心が置かれ、
事態は冷静に言語化されていく。ごまかしは感じられない。
しかし、いつものように出口はない。
読み終わって残るのは漠然とした徒労感のようなもの。
他人のことなので落ち込みはしないが、
それでもため息をひとつ、つきたくなる。
「読めば元気になる」という本ではない。
2003年12月25日に日本でレビュー済み
私は、この本の内容に非常に共感を覚えました。
人によっては、悪魔のような人だ思うかも知れません。
「愛」至上主義の人にとっては、
非常な嫌悪感を覚えるかも知れません。
このような告白をすることは非常に勇気の要ることだと思います。
しかし、私の中にもこう表現するよりない感情があることも確かです。
もし、私も同じような人生を歩まざるを得ないとすれば、
それはやはり「救いがない」という感じがします。
人によっては、悪魔のような人だ思うかも知れません。
「愛」至上主義の人にとっては、
非常な嫌悪感を覚えるかも知れません。
このような告白をすることは非常に勇気の要ることだと思います。
しかし、私の中にもこう表現するよりない感情があることも確かです。
もし、私も同じような人生を歩まざるを得ないとすれば、
それはやはり「救いがない」という感じがします。