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感覚の幽い風景 単行本 – 2006/6/1
鷲田 清一
(著)
- 本の長さ211ページ
- 言語日本語
- 出版社紀伊國屋書店
- 発売日2006/6/1
- ISBN-10431401007X
- ISBN-13978-4314010078
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登録情報
- 出版社 : 紀伊國屋書店 (2006/6/1)
- 発売日 : 2006/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 211ページ
- ISBN-10 : 431401007X
- ISBN-13 : 978-4314010078
- Amazon 売れ筋ランキング: - 677,625位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,458位哲学・思想の論文・評論・講演集
- - 10,771位近現代日本のエッセー・随筆
- - 65,218位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2013年6月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まだ途中なので中途半端ですが、書かせて頂きます。私は感覚人間(感覚が人一倍鋭い人の事)です。こうした感覚を更に深く出来ないかと思い、この本を手にしました。読んだ感じから言うと、"一つの言葉を取り上げて、深く掘り下げて行く"。そんな感じです。感覚を言葉の力で、切り開こうとした意欲作です。人間の能力を限定して切り開くのではなく、社会や文化から人間の能力を観て行く。「こんな見方があるのか」と目から鱗が落ちました。また同時に読み進むると奇妙な感情に陥ります。所謂スピチュアルでは有りませんが、こうしたフレーズの一端は実は日常の中にある事が納得出来ます。誰にお勧めと言う訳では有りませんが、興味を持ったなら読んでみて下さい。必ず何かを感じ取れます。
2015年6月21日に日本でレビュー済み
鷲田清一氏は年齢が近いせいか京都の平熱は読みやすかったが
この紀伊国屋の i feel読書風景 連載のエッセイは正直特異な身体論の哲学者の世界観です。
食、苦痛、聴取、気配、接触、輪郭、感覚、塞ぎ、住居、服飾、身体変工 と
感覚は記憶の中に生きている と想ってしまう など共感する文章を頼りに読み進めたが
やはり楽しめない余白の部分んが気になりました。
何年か経過して、また読み返しても良いかなあ というのが偽らざる読後感でした。
この紀伊国屋の i feel読書風景 連載のエッセイは正直特異な身体論の哲学者の世界観です。
食、苦痛、聴取、気配、接触、輪郭、感覚、塞ぎ、住居、服飾、身体変工 と
感覚は記憶の中に生きている と想ってしまう など共感する文章を頼りに読み進めたが
やはり楽しめない余白の部分んが気になりました。
何年か経過して、また読み返しても良いかなあ というのが偽らざる読後感でした。
2014年5月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
輪読用で、先入観も偏見も無く読み始めた。著者が問題を提起し、著者が見解(結論)を述べ、それを深く見て行くと言う手法である。その見解に、なぜそのように考えたのかを説明しない。これこれは、こうなんだ、のみ。例えば、「・・・(病気などの介助で)食べさせてもらうこと、それは悲しい。食べる姿を見られること、それは辛い。命をつなぐために食べているところを見られることは、悲しさや羞ずかしさを通り越して、惨めさの窮みである」など、著者が出した結論を前提として話が進む。「えっ、それがなんで悲しいの?なんで惨めなの?」と疑問を挟む余地は無いのである。
評者は西欧で理学、工学、文学、医学など体系的に勉強したせいか、つい「結論に至る道筋を示して下さい」、と言いたくなる。またアフリカに長く滞在した経験から、例えば、食べることに関しては「生きるために食べることは、恥ずべき行為ではなく、生きている証であり、尊厳の証明である」、などと著者とは全く異なった結論となってしまう。ここでは著者の結論が全てなので、結論が異なると、そこから先は接点を見付けようがないのである。
しかし、他の評者が、この手法を高く評価していることから、このような手法がすで確立しているのか、結論への道筋を説明しなくとも、感覚的に理解できる優れた読者もおいでなのかもしれない。読んでみると、科学的でもなく、西欧の哲学的でもなく、論理的でもなく、私には著者が何を言っているのか分からない。大学院を幾つか修了したが、苦しかった古典ギリシア語の哲学の授業よりもはるかに理解できない。
この本は、是非それでも読んでみたい方、頭の体操をしてみたい方、この著者の問題提起と著者の結論(どこから来たのか私には分からない)が感覚的に理解できる方には積極的にお勧めする。それ以外の方には、おそらくwaste of time, waste of moneyと言ってよいであろう。
評者は西欧で理学、工学、文学、医学など体系的に勉強したせいか、つい「結論に至る道筋を示して下さい」、と言いたくなる。またアフリカに長く滞在した経験から、例えば、食べることに関しては「生きるために食べることは、恥ずべき行為ではなく、生きている証であり、尊厳の証明である」、などと著者とは全く異なった結論となってしまう。ここでは著者の結論が全てなので、結論が異なると、そこから先は接点を見付けようがないのである。
しかし、他の評者が、この手法を高く評価していることから、このような手法がすで確立しているのか、結論への道筋を説明しなくとも、感覚的に理解できる優れた読者もおいでなのかもしれない。読んでみると、科学的でもなく、西欧の哲学的でもなく、論理的でもなく、私には著者が何を言っているのか分からない。大学院を幾つか修了したが、苦しかった古典ギリシア語の哲学の授業よりもはるかに理解できない。
この本は、是非それでも読んでみたい方、頭の体操をしてみたい方、この著者の問題提起と著者の結論(どこから来たのか私には分からない)が感覚的に理解できる方には積極的にお勧めする。それ以外の方には、おそらくwaste of time, waste of moneyと言ってよいであろう。