すでに出版して10年以上、英語圏で功利主義研究が深められているけど古くなるどころかその反対。どの最新の研究を読んでも、この本に追いつくどころか何十年も前の水準に思える。
たぶん歴史上は2050年くらいに出版される予定だったのが何かを間違えて2007年に出版されたんだと思います。
ちなみに著者は別の論文でベンサム研究も深くやっているので、古典マニアにも安心。
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統治と功利 単行本 – 2007/5/30
安藤 馨
(著)
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リベラリズムを構想する政治理論として古典功利主義を現代的に再構成。偏見に基づく批判に抗してカ強く擁護し、今日の問題に応答する新しい功利主義を描き出す。
本書では、個人が何をなすべきかではなく、いかなる法・国家制度が望ましいかを問う「統治理論としての功利主義」に焦点を当ててその構想の輪郭を描き出す。時代遅れの教説として真剣な検討の対象にさえされないといった戯画化された功利主義批判に一石を投じ、統治功利主義がリベラリズムの最良の構想でありうることを明らかにする。
本書では、個人が何をなすべきかではなく、いかなる法・国家制度が望ましいかを問う「統治理論としての功利主義」に焦点を当ててその構想の輪郭を描き出す。時代遅れの教説として真剣な検討の対象にさえされないといった戯画化された功利主義批判に一石を投じ、統治功利主義がリベラリズムの最良の構想でありうることを明らかにする。
- 本の長さ328ページ
- 言語日本語
- 出版社勁草書房
- 発売日2007/5/30
- ISBN-104326101695
- ISBN-13978-4326101696
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登録情報
- 出版社 : 勁草書房 (2007/5/30)
- 発売日 : 2007/5/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 328ページ
- ISBN-10 : 4326101695
- ISBN-13 : 978-4326101696
- Amazon 売れ筋ランキング: - 266,019位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2013年3月12日に日本でレビュー済み
同じ研究者を志す者として羨望を禁じ得ないほど素晴らしい。そのまま英訳してHarvardやOxfordから出版されてもなんら不思議ではないほどの内容。
いわゆる「リベラル」とそれへの批判が中心となっている現代政治哲学において、とくに功利主義が軽視されがちな日本において、長年蓄積されてきた功利主義の知的営為の奥深さを再認識させられるだけでなく、統治の理論としての功利主義の魅力を教えてくれる。
第一部では、功利主義内部のさまざまな分岐点を丹念にフォローし、それら分岐の論理的・倫理的な意義について論じるとともに、「統治功利主義」と称される筆者の立場を、これら理論的な分岐点に対してどのようなスタンスをとるかを示すことによって、浮かび上がらせている。
ちなみに、ここで扱われる多様な分岐点とは、「統治理論vs個人道徳」、「行為功利主義vs規則功利主義」、「直接功利主義vs間接功利主義」、「厚生vs内在的価値」、「主観的功利説vs客観的功利説」など。
第二部は、アマルティア・センが功利主義に見た三つの構成要素――帰結主義;厚生主義;総和主義――をおおむね妥当と受け容れたうえで、功利主義外部からのこれらを理由とする功利主義批判を吟味し反論している。
第三部は、功利主義が、とくに筆者の統治功利主義が、善から独立して正を導出するという意味でじゅうぶんに「リベラル」であることを示す。
本書を読めば、多くの自称リベラルが、むしろ共同体主義的ないし卓越主義的であることを痛感する。彼らは、これまで「リベラル」であるとされてきた諸価値(諸善)をなんとなく信奉する人々の集団、いわば「リベラル共同体」の一員であるにすぎないか、あるいは「リベラル」とされてきた社会にふさわしいと目される個人道徳としての「リベラリズム」を信奉していたにすぎないのである。
いわゆる「リベラル」とそれへの批判が中心となっている現代政治哲学において、とくに功利主義が軽視されがちな日本において、長年蓄積されてきた功利主義の知的営為の奥深さを再認識させられるだけでなく、統治の理論としての功利主義の魅力を教えてくれる。
第一部では、功利主義内部のさまざまな分岐点を丹念にフォローし、それら分岐の論理的・倫理的な意義について論じるとともに、「統治功利主義」と称される筆者の立場を、これら理論的な分岐点に対してどのようなスタンスをとるかを示すことによって、浮かび上がらせている。
ちなみに、ここで扱われる多様な分岐点とは、「統治理論vs個人道徳」、「行為功利主義vs規則功利主義」、「直接功利主義vs間接功利主義」、「厚生vs内在的価値」、「主観的功利説vs客観的功利説」など。
第二部は、アマルティア・センが功利主義に見た三つの構成要素――帰結主義;厚生主義;総和主義――をおおむね妥当と受け容れたうえで、功利主義外部からのこれらを理由とする功利主義批判を吟味し反論している。
第三部は、功利主義が、とくに筆者の統治功利主義が、善から独立して正を導出するという意味でじゅうぶんに「リベラル」であることを示す。
本書を読めば、多くの自称リベラルが、むしろ共同体主義的ないし卓越主義的であることを痛感する。彼らは、これまで「リベラル」であるとされてきた諸価値(諸善)をなんとなく信奉する人々の集団、いわば「リベラル共同体」の一員であるにすぎないか、あるいは「リベラル」とされてきた社会にふさわしいと目される個人道徳としての「リベラリズム」を信奉していたにすぎないのである。