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存在しないものに向かって: 志向性の論理と形而上学 単行本 – 2011/6/23
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- 本の長さ288ページ
- 言語日本語
- 出版社勁草書房
- 発売日2011/6/23
- ISBN-104326102071
- ISBN-13978-4326102075
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商品の説明
著者について
登録情報
- 出版社 : 勁草書房 (2011/6/23)
- 発売日 : 2011/6/23
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 288ページ
- ISBN-10 : 4326102071
- ISBN-13 : 978-4326102075
- Amazon 売れ筋ランキング: - 649,091位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 692位形而上学・存在論
- カスタマーレビュー:
著者について
2005年、京都大学大学院文学研究科で博士号(文学)を取得。2017年より名古屋大学大学院情報学研究科准教授。専門は情報の哲学、技術哲学など。翻訳書にアンディー・クラーク『生まれながらのサイボーグ』(共訳、春秋社、2015年)、ウェンデル・ウォラック&コリン・アレン『ロボットに倫理を教える』(共訳、名古屋大学出版会、2019年)、マーク・クーケルバーク『AIの倫理学』(共訳、丸善出版、2020年)、著書に『ロボットからの倫理学入門』(共著、名古屋大学出版会、2017年)、『人工知能と人間・社会』(共編著、勁草書房、2020年)、『学問の在り方――真理探究、学会、評価をめぐる省察』(共著、ユニオン・エー、2021年)などがある。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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私たちは,何かについて知ったり何かを信じたり何かを想像したり何かを空想したり妄想したりします.「知ること」「信じること」「想像すること」「空想すること」「妄想すること」などは,すべて心(または意識)の働きです.これらは,「何かについての」あるいは「何かに向かっての」心の働きです.そこで,これらの動詞を志向性動詞と言います.志向性動詞には,他にも「恐れる」「愛する」「憎む」「崇拝する」「尊敬する」などがあります.例えば「私は明けの明星と宵の明星は同じ金星であるということを知っている」というような表現をします.「私は…ということを知っている」の「…」のところに文(または命題)が入るような志向性動詞を本書では「志向性演算子」と呼びます.ですから,「知る」は志向性演算子です.また,「私は初音ミクを愛する」という表現では,「私は…を愛する」の「…」のところに対象(今の例では「初音ミク」)が入ります.このような志向性動詞を本書では「志向性述語」と呼びます.したがって,志向性動詞「愛する」は志向性述語です.ここでは,志向性演算子のみに触れることにします.
「合理的に考える」という志向演算子を採ります.このとき,「私が合理的に考えている世界」を認めることができます.もう少し正確に言えば,その世界は「私が合理的に考えていることすべてが実現している世界」です.「私が合理的に考えていることがすべて実現している世界」は,おそらく「論理法則がすべて成り立っている世界」です.というのは,「論理法則が成り立たない世界」は合理的とは言えないでしょうから.「論理法則がすべて成り立っている世界」のことを,可能世界と呼びます.「論理的に可能なことすべてが成り立っている世界」が可能世界です.
次に,「論理法則が成り立たない世界」は不可能世界と呼ばれます.不可能世界は,「不可能なことが成り立っている世界」です.その世界では,「私は人間でありかつ人間ではない」という命題(つまり矛盾した命題)が成り立ち,「私が人間ならば私は人間である」という命題(同一律)が成り立たない世界です.
今度は,「妄想する」という志向演算子を採ります.すると,例えば「私が妄想することすべてが実現している世界」が認められます.「私は,安倍晋三氏が全知全能の神であると同時に私のパソコンのマウスであると妄想する」などと表現できます.妄想なので,この表現に現れる命題「安倍晋三氏は全知全能の神であると同時に私のパソコンのマウスである」は,真であるとも言えますし,偽であるとも言えますし,真でも偽でもないとも言えますし,あるいは真かつ偽であるとも言えます.このように「私が妄想することすべてが実現している世界」は,何でもありの世界であり,論理が完全に破綻している世界です.このような世界のことを本書では,開世界と呼んでいます.
多分,このような世界は,どんな論理体系の中にも閉じ込めることができないので,開いた世界と呼ぶのではないかと思います.これに対して,可能世界と不可能世界は,特定の論理体系の中に閉じ込めることができるので,閉世界と呼ばれます.(不可能世界は関連論理という論理体系において重要な役割を果たします.一方,可能世界は,必然性や可能性などの様相概念を扱う様相論理で不可欠な役割を担っています.)[このパラグラフで述べたことは,[ ]内の文を除いてですが,不正確か間違っているかですので注意して下さい.]
以上,まとめますと,論理法則が成り立つ可能世界,論理法則が成り立たない不可能世界,何でもありの開世界,の三つの世界があることになります.ただし,正確には,可能世界の集合,不可能世界の集合,開世界の集合となります.各世界が一つだけあるのではなくそれぞれ複数あるわけです.現実世界は,可能世界の一員です.
初音ミクの例で言えば,こうなります.ここで,「現実世界」を「@」で,「私が初音ミクについて思い描いていることすべてが実現している世界」を「W」で示します.「@においては,初音ミクは存在しないが,Wにおいては,初音ミクは存在し心も魂も人格も持っている」と言えることになります.
現実世界を認めるだけでなく現実世界以外の可能世界,不可能世界,開世界も認めるのが,著者プリーストが主張する「非存在主義(noneism)」(これはマイノング主義を洗練させたものです)を論理的に支えている「世界意味論(world semantics)」です.
現実のみがあるのだから,現実ではない世界を論じるのは,現実逃避に過ぎない,と考える人もいるかもしれません.現実世界だけを認める立場は現実主義と呼ばれますが,これは人種主義(racism)や性差別主義(sexism)などのアナロジーで言えば,現実を依怙贔屓する現実偏重主義(actualism)と呼んでよいでしょう(本書73ページ参照;ただし「現実偏重主義」という訳は私による).
非存在主義は,現実世界における「非存在対象を認める」(本書15ページ)のですが,しかし,非存在対象は現実世界では「どんなありかたもしていない」のです.しかし,非存在対象は「他の世界では存在しているかもしれないし,そうでないかもしれない」(同ページ)のです.
意外に思われるかもしれませんが,非存在主義は,「具体的対象は存在し,それ以外のもの(抽象的対象[例えば,数1],世界,単に可能だけの対象[例えば,黄金の山],不可能な対象[例えば,丸い四角形])はすべて端的に存在しない」(本書viページ;ただし,[ ]内は私の挿入)と考えます.非存在主義は非存在対象を認めるので,プラトン主義に近いと思われがちですが,それは誤解です.どちらかと言えば,非存在主義は唯名論に近いのではないかと思います.非存在主義が数1といった抽象的対象は存在しないと言明するのに対して,プラトン主義者なら,数1は存在すると主張するのではないでしょうか?
非存在主義は,存在している対象とともに存在していない対象をも研究します.というのは,「存在するものを理解するには,存在しないものを理解しなければならない」(本書218ページ)からです.
以上,本書(の主に第一章)に対する私の不正確な所感でした.本書について興味を抱いた方で,しかも,厳密かつ正確に知りたいと思った方は,是非本書を手にとって読んでもらいたいです.非常に面白いと思います.特に,第5章「なにがないかについて」の中で行なわれているクワイン批判は,わくわくしながら読みました(クワイン主義者が読んだなら,憤慨するでしょうけど).
本書は,翻訳書ですが,最初から日本語で書かれたのではないかと思えてしまうほどこなれた日本語で訳してあります.名訳と言えるのではないでしょうか.また,訳者たちの長い解説が巻末にありますが,非常に丁寧に書いてあって役立ちます.本書を手に取った方は,まず訳者たちの解説を読んでから,本文を読まれるのがよいかと思います.私自身,本書を理解できたとは到底言いがたいですが,読み応えがあります.何回も繰り返し読んで本書を本当に理解したいと思っています.
(追記:著者プリーストは,はしがきで「論理学者でない読者にも可能な限り近づきやすくしたいと思っているので,表記法に関しては,厳密さよりも読みやすさを優先させた」(本書xiページ)と書いてます.また,プリーストは,「一階論理の基本的な知識は前提されている.形式論理の初級コースを受講していれば背景知識としては十分だろう.量化様相論理の基礎的な知識も,理解にとって好都合だろう」(同ページ)と注意をしています.この著者の注意を読んで何のことを言っているのかさっぱり分からない,という人は,電話帳のように分厚い本ですが,戸田山和久著『論理学をつくる』(名古屋大学出版会)で一通り論理学の勉強をしてから本書に取りかかるのが(遠回りのようですが)多分ベストであると思います.)
でもちょっと 難しいかもです