宗教は危ないものだ、怖いものだ・・・と多くの現代人は思っていると思う。それは、日本人だけではない。
私が数年前にキリスト教圏の国で、二人の十代の息子がいる四人家族でホームステイしていたときのことだが
私が、リビングルームの丸机の上に置かれた、十字架にかかったキリストの小さな木製の像を見ていると
長男のほうが、That's all lieと、何気なく言った。両親の二人は困った顔をして、互いを見つめながら笑っていたのを思い出す。
留学中のフランス人は、フランス屈指のパリ政治学院から来ていたが、聖書を読んだことがないと言っていた。
両親ともにカトリックであり、母親のほうは熱心であるが、父親のほうはそうではない。
そして、聖書については、学校教育では一切触れられなかったと教えてくれた。政教分離を徹底しているのだろう。
フランス国民戦線のマリーヌ・ルペンも、去年のForeign Affairsでのインタビューで、このライシテを理由として
反イスラムを正当化していたことを記憶する。(https://www.foreignaffairs.com/interviews/2016-10-17/france-s-next-revolution)
パリ政では、ソクラテスがどうだとか議論をしたり、ニーチェをドイツ語で読もうとしている友人がいたこととかを
話してくれた。また彼は聖書を読んだことはなかったが、サルトルの『嘔吐』は読んだとことがあったのも、対照的でよく覚えている。
そんな話ができるフランスが少し羨ましいと思った記憶もあるが、それよりも思ったのは脱宗教化が進んでいるということだった。
そして、イエス・キリストの生き方に感動し、彼のしようとしたことを理解し、彼がどれだけの思いで十字架の死を選択したかを
理解していると(僭越にも)思っているに私は、とくにこの脱宗教化が一方的に悪いことだとは思わなかった。
それは、本書でヴェイユが指摘している事を引用せずとも多くの人が知っているように
神の名のもとでどれだけの悪事が正当化されてきたかを人は知っているからである。
ヴェイユが指摘している十字軍などを挙げなくとも、キリスト教は神の名のもとに多くの悪を犯してきた。(無論、キリスト教だけではないが)
また、日本で言えばオウム真理教、海外ではPeople's Temple、Children of God, Heaven's Gateなどのカルトが多く存在する。
宗教は怖いという感情に対して、キリスト教や、あるいは上記のようなカルトの信者はその心理を否定しようとする。
しかし、私はそう思わない。宗教は怖いものである。そして危険なものである。気を付けた方がいい。
そして、本書のヴェイユが、ユダヤ人であり、カトリックに近づきつつも、あくまでも洗礼を受けなかった
ということに、彼女もこのような思いを抱いていたからではないかと、私は思った。
ちなみに、私は本書『神を待ちのぞむ』を、精神的に落ち込んでいたときに読んだのだが、
ヴェイユの苦しみ(あるいは苦しむ能力)は、自分の何十、百倍もあるのだと感じた。
宗教的組織に入ることがなぜできないのか、という箇所でヴェイユはこう述べている
(宗教的組織に入り、「大衆」と離れることが自分にとってよくないのは)
「そのたましいが本来純潔であるがゆえに、大多数の人間からすでに離れてしまっているので、大衆とのこの分離が重大な差しつかえとならない人達がおります。あなたさまに申し上げたいと思いますが、私については、反対に、私自身の中に、すべての、あるいは殆どすべての罪の萌芽を持っております」 p.15
教会については
「カトリック信者の環境の中に存在している教会の愛国主義というものに私は恐れを抱いております。私の申します愛国主義とは、この地上の祖国に付与されている感情を指しています。教会はそういう感情を人々に鼓吹するにふさわしくないと思われると申しあげるのではありません。そうではなくて、この種のいかなる感情も、私は、自分のために望まないからです。望むという言葉は不適当です。その対象が何であれ、私にとっては不吉なものだということを知っており、確信をもってそう感じているのです。
聖者達は、十字軍、宗教裁判を認めました。かれらは間違ったのだと私は考えずにはおれないのです。私は良心の光を忌避することはできません。かれらよりもはるかに劣る私が、ある点においてかれらよりも明晰にものを見ていると考えますなら、かれらは、この点に関しては、極めて強力なあるものによって盲目とならされたのだということを認めなければなりません。このあるものこそが、社会的なものとしての教会なのです。このあるものたちが聖者を傷つけたとしますなら、社会的影響をとくに受けやすく、かれらよりはほとんど無限に弱々しい存在である私には、教会が加えないようなどんな害があるというのでしょうか」
pp.20-21
このような箇所にあるように、彼女は歴史のなかで教会が振るってきた、あるいは認めてきた暴力を無視するのではなく、それとしっかりと向き合い直面しています。
おそらくは、これは見つめないほうが楽でしょう。それでも、彼女は見つめ、洗礼や、教会に入ることは「自身の中に、すべての、あるいは殆どすべての罪の萌芽を持って」いる自分にはできないと判断したのでした。
教会が間違いを犯すことは、近年でもボストンでの子供に対する性的虐待でも、また明らかになりました。組織的にもみ消そうともしていたそうです。酷い話です。
このように宗教組織は間違いを犯します。そして、それはある超越的存在を理由とします。それはロジックを超えているので、論理的、科学的な反駁は不可能なものです。
そのような意味で、自然の非呪術化が進んだことは、良かったことだと思います。
私は、このように宗教は危ないものである、危険なものである、ということを認めつつも、それでも何かを信じたい、何か自分を超えるもののために、自分の命を捧げたいと願うのが人間であると思います。
そして、本書を著したのは、まさにそのような思いを持ち、まさにユダヤ人がホロコーストでナチスにより虐殺され、心に決して消し去ることのできないほどの傷を受けた人であった、ということである。
本書には、美しい箇所が多くあるが、その中から二つ。
「不幸のために、しばらくの間、神がかくれて見えないことがある。死者の不在よりも、もっと不在であり、真の暗やみである土牢の中の光よりも、もっと暗くて見えないことがある。たましい全体が、何かぞっとするような恐ろしさの中にひたされている。このような不在のときには、何ひとつ愛することのできるものがない。何よりおそろしいのは、このように何ひとつ愛しうるものがない暗闇にあって、もしたましいが愛することをやめるならば、神の不在が決定的になるということである。たましいは、空しく愛することをつづけるか、少なくとも、せめてたましいのごく僅かな部分においても、愛しようとのねがいを持ちつづけるかしなければならない。このようにして、いつかある日、神がご自身のみ姿をあらわしたまい、この世の美しさをたましいに教えてくださる日がやってくる。ちょうど、ヨブの場合もそうであったように。しかし、もしたましいが愛することをやめるならば、たましいはこの世にあってはやくも、いわばほとんど地獄にひとしいような状態のうちに落ち込むのである」 p.106
もちろん、ヴェイユがこのようなことを書けるのは、彼女がこの地獄を経験し、味わったことがあるからである。そして、それでも愛しようと願い続けるときに、イエスのしたことが、またより一段と深く理解できるようになるのだろう。
「友愛関係には二つの形がある。出会いと別れとである。この二つは、分けることができない。この二つともに、同じ、ただ一つの、友愛という善を含んでいる。いったい、友人でもない二人の人間がたがいに近づいたとしても、出会いはない。離れたとしても、別れはない。同じ善を含んでいるので、この二つはどちらも同じようによいものである」 p.113
……
他にも、多くの美しい箇所があり、本書に興味がある人は手にとってみることを薦める。
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神を待ちのぞむ 単行本 – 1987/6/1
- 本の長さ283ページ
- 言語日本語
- 出版社勁草書房
- 発売日1987/6/1
- ISBN-104326150645
- ISBN-13978-4326150649
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登録情報
- 出版社 : 勁草書房 (1987/6/1)
- 発売日 : 1987/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 283ページ
- ISBN-10 : 4326150645
- ISBN-13 : 978-4326150649
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2021年2月5日に日本でレビュー済み
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彼女は早く亡くなりましたが、信仰にも色々な疑問を持って「正しくありたい」と願い日々の生活を日記を綴っていました。兄が哲学者です。
2021年4月8日に日本でレビュー済み
ついに入信しませんでした。しかし、告解に近い、自らのもつ秘密の打ち明けを神父に対してしたものと思われます。
信仰について、労働について、普遍的価値について、「自分の身を以て考えてみる」ことは、彼女の哲学においては当たり前のことでした。そして、身体の限界まで労働し、消耗し、亡くなりました。数学者の兄が居たと思いますが、おそらく没後の彼女の手稿等の刊行を許した張本人の一人ではないかと思いますが、このひともまた、厳格かつ厳密な論理を駆使するひとで、おそらく、彼女の死を聞いて、そうとうに後悔することがあったろうと思います。
べつのことを付け加えると、ヴィトゲンシュタインもまたきょうだいが続々と亡くなりました。たまらなかったでしょう。しかし、こちらの方は、ヴィトゲンシュタインの精神の働きについて考えておかねばならない課題をいまだに残しています。深くて重いです。
信仰について、労働について、普遍的価値について、「自分の身を以て考えてみる」ことは、彼女の哲学においては当たり前のことでした。そして、身体の限界まで労働し、消耗し、亡くなりました。数学者の兄が居たと思いますが、おそらく没後の彼女の手稿等の刊行を許した張本人の一人ではないかと思いますが、このひともまた、厳格かつ厳密な論理を駆使するひとで、おそらく、彼女の死を聞いて、そうとうに後悔することがあったろうと思います。
べつのことを付け加えると、ヴィトゲンシュタインもまたきょうだいが続々と亡くなりました。たまらなかったでしょう。しかし、こちらの方は、ヴィトゲンシュタインの精神の働きについて考えておかねばならない課題をいまだに残しています。深くて重いです。