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シリ-ズ心の哲学 (1(人間篇)) 単行本 – 2004/7/1

4.3 5つ星のうち4.3 6個の評価

商品の説明

内容(「MARC」データベースより)

20世紀半ば以降、英語圏において急速に発展してきた「心の哲学」の、代表的な議論をテーマごとに整理してわかりやすく紹介。第1巻は、人間をテーマに、心の哲学のおもな流れや、心的因果と物理主義などについて詳解する。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 勁草書房 (2004/7/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2004/7/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 290ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4326199245
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4326199242
  • カスタマーレビュー:
    4.3 5つ星のうち4.3 6個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中4.3つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2020年11月1日に日本でレビュー済み
編著者の信原幸弘氏は心の哲学や認知哲学を専門とする哲学者である。本書は、20世紀半ば以降に英語圏で盛んになった心の哲学を整理し、展望を加えたものである。

信原氏の序論「心の哲学のおもな流れ」が概要をつかむのに便利である。本書の主なテーマは、「心身問題」つまり心と脳との関係、「志向性」つまり心はいかにして世界を表象するか、そして「クオリア」つまり意識の謎、である。これらのテーマについて、英語圏の哲学者を中心に、微細な議論が積み重ねられてきた。各論については本書にそれぞれいくつかの章が設けられ、議論の内容を追うことができる。英語圏では実に活発に論争が交わされてきたことが理解できる。

上記三つのテーマについて、物理主義のアプローチでは心の問題は物理学(あるいは脳科学)に帰着すると主張するのに対して、それに対する反論では物理学(脳科学)だけでは心の問題を解明し尽くせないと主張する。詳細な議論は素人には難解であるが、本書はその議論の密林への案内役となってくれそうである。

「心の哲学」はその範囲が広すぎて、一人の哲学者だけではカバーするのが困難のようだ。また各哲学者の立ち位置もその本だけ読んでは理解するのが難しい。たとえば邦訳のあるD.C.デネット『解明される意識』はクオリアの問題を「消去する」というアプローチである、と本書で指摘されて納得できた。

「心の哲学」は、脳科学的アプローチに対して立ち止まり研究の方向を再考する役割があるのではないか。その意味ではこの『シリーズ 心の哲学』にも脳科学者の論考が含まれていれば興味が深まると思われる。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2019年5月19日に日本でレビュー済み
本書に含まれる フォークサイコロジ(民間心理学,表象主義) vs チャーチランド消去主義 が面白い。
心の哲学者には、フォーダのように フォークサイコロジ(民間心理学,表象主義) を支持し、科学化しようとする態度をとる者と、チャーチランドのように 心の科学化に於いて フォークサイコロジ(民間心理学,表象主義) が用意している道具(概念)を消去(破棄)しようとする態度をとる者とがいます。この対決は、心の哲学の白眉です。
※ フォークサイコロジ(民間心理学,表象主義) が用意している 道具(概念)の代表は、信念(知識)と欲求(目標)とです。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2004年9月4日に日本でレビュー済み
 「心とは何か」と言う問いは、ふたつのベクトルを持つ。
  乱暴に言えば、ひとつは「『自分』とはなにか」そしてさらに「今それを問うている〈私〉とはなにか」という個別化へのベクトルであり、もうひとつは「心とは一般的になにか」という普遍化へのベクトルである。このふたつのベクトルは、「心とは何か」という問いが、実は多重の「問い」であることを示しているように僕は思う。
 さて、本書で議論されている問いは(第五章を除いて)そのほとんどが、後者のベクトルにある。序論にあるように、『二〇世紀半ば以降、英語圏の哲学において…画期的な変貌を遂げた』議論、つまり『心の自然化、すなわち心を物理的世界に位置づけること』を主な題材にしているからである。
 そこでは、物理主義(心も結局物理学的に還元されるといった説)や、志向性(心が「~について」想像したり、考えたりすること)の問題、クオリア(赤い物を見たときに意識に現れる『赤い色』や、『痛み』など)やフォークサイコロジー(民間心理学、つまり人々が日常的に信じている心理法則)の実在性の問題など、多くの議論が重層的に交わされており、論点を整理するだけでもかなり難しい。
 それらの議論をできるだけ俯瞰的に整理し、(普遍化のベクトルに向けた)心の哲学が、「何を」「どのように」議論しているのかを解説しつつ、各著者がそれぞれのテーマを掘り下げているのが本書である。
 僕としては、「何を」より「どのように」の議論の錯綜ぶりが面白かった。言語哲学や論理学をベースにした緻密な議論のなかにも、論点先取りや自家撞着などがしばしば指摘され、このテーマの「現在進行形」性が浮かび上がってくるのである。
 ただ、『心の自然化』をモチーフとした本だけに、「〈私〉とはなにか」のベクトルで心を問う人が自分の哲学として実感できるのは、第五章『外在主義と自己知の正当化』だけかもしれない。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2006年8月6日に日本でレビュー済み
本書の5つの論文は、心の哲学の主要問題(2章:志向性、3章:意識、など)を別々の筆者が一応分担する形になっている。いずれも問題の整理・展望として有益だが、自分の立場を明確にしているのがいい。その観点からは、1章と4章の対比が面白い。

1章筆者はキム理論をベースに還元的物理主義を擁護する。これは、心に言及する記述表現は実は物理的状態の記述だとする存在論的主張である。心的状態を非還元的状態と認めると心的因果が物理的因果と両立しなくなる、というのがその論拠だ。しかしこれに対する「この2つの因果説明は違う種類の実践である」というバージの正当な批判について、筆者は言及はしているが(P45)再反論で全く要点を外している。これは、物理的因果を真の因果概念だと考え、心的因果を強引に同列に扱おうとした結果だと思う。

対照的なのが4章である。この章は消去主義批判になっているが、「素朴心理学による説明と神経科学的説明とは実践の眼目が違う」という主張は的確だ。ここで批判されているチャーチランドも、日常的な心の理解を素朴心理「学」と称して理論扱いし、神経科学と同列に扱う点が間違っている。日常的な心の知は、行為説明が必要な場面での対応能力も含め、最も原初的な意味での「対人スキル」であり、決して理論ではない。(ちなみに文法だって、翻訳や教育の文脈での1つの実践であって、言語スキルを支える理論として心に内在化するのは同類の誤りと思う)。それを強引に科学理論と同じ土俵に乗せた挙句、言うに事欠いて「3000年間停滞しているダメ理論」だと?仮にダメ理論でも3000年も人間の意味を定めてきた理論ならそいつと心中しても悔いはないな。

そういうわけで自分はたまたま1章より4章がひいきだが、これは論文の質の高低差を意味しない。全体的には期待以上の内容だった。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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