第1章 コミュニケーションのなかの責任と道徳
第2章 構成主義的責任論とその限界
ラディカルな責任のスタイル
強い責任理論は規範理論たりうるのか ほか
第3章 私たちはなぜ責任をとる「べき」なのか?
第4章 ささやかなリベラルたちの生
第5章 リベラルたちの社会と自由主義のあいだ
第6章 可能なるリベラリズムのために
第7章 正義の居場所あとがきにかえて
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責任と正義: リベラリズムの居場所 単行本 – 2003/10/1
北田 暁大
(著)
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- 本の長さ434ページ
- 言語日本語
- 出版社勁草書房
- 発売日2003/10/1
- ISBN-104326601604
- ISBN-13978-4326601608
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
リベラリズムへの懐疑を立場として共有しながら、社会システム理論によってリベラルな正義を解釈し、その居場所を確かめる。ポスト・モダン時代の「可能なるリベラリズム」のために。
登録情報
- 出版社 : 勁草書房 (2003/10/1)
- 発売日 : 2003/10/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 434ページ
- ISBN-10 : 4326601604
- ISBN-13 : 978-4326601608
- Amazon 売れ筋ランキング: - 798,410位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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【自己紹介】1971年神奈川県生まれ。東京大学情報学環教授(社会学、メディア史)。博士(社会情報学)。東京大学文学部社会学科、同大学大学院人文社会系研究科修士課程修了、博士課程退学。東京大学社会情報研究所助手、筑波大学社会学系講師、東京大学社会情報研究所助教授、同大学情報学環准教授を経て現職。現在は、アメリカ社会調査史を中心に、調査という社会的行為の歴史をたどり返している。ドイツの戦時期にも手を付けないとといけないとびびっています。最新刊は『社会制作の方法』勁草書房。なんとか春までには有斐閣から社会学の教科書(というか講義録)を出したいと思っています。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2007年5月21日に日本でレビュー済み
哲学書のような本。序章はまあまあ。
だがすべからく〜脱構築してきたのではなかったか?などと意味がわからない。
カルスタが「代用哲学」になってマルクス主義かするのはその通りだ。でもそれがアカデミズムで行われる限り害はないんじゃないの?「代用」なんだし。
あまりにもカルスタやポスコロに遠慮しすぎ・・・
やはり単なるレファレンスだし、それが増えるだけのこと。
あげく「私の好みが、少しでも多くの人の共感を得る」ことができるようにって。
その点で言えば北田が批判している人々の方が共感を得るだろうし、北田はその共感を得ている人たちにだけしかモノを言ってないんじゃあないか。
いやまあそれでいいんだろうけど。好みだし。
あと何度か読み返しても最初の1章は不要な気がする。もしくは2章と入れ替えるか。
ヴェーバーの亡霊とかちょっと恥ずかしくないかい。
だがすべからく〜脱構築してきたのではなかったか?などと意味がわからない。
カルスタが「代用哲学」になってマルクス主義かするのはその通りだ。でもそれがアカデミズムで行われる限り害はないんじゃないの?「代用」なんだし。
あまりにもカルスタやポスコロに遠慮しすぎ・・・
やはり単なるレファレンスだし、それが増えるだけのこと。
あげく「私の好みが、少しでも多くの人の共感を得る」ことができるようにって。
その点で言えば北田が批判している人々の方が共感を得るだろうし、北田はその共感を得ている人たちにだけしかモノを言ってないんじゃあないか。
いやまあそれでいいんだろうけど。好みだし。
あと何度か読み返しても最初の1章は不要な気がする。もしくは2章と入れ替えるか。
ヴェーバーの亡霊とかちょっと恥ずかしくないかい。