はじめに
I 時代と社会
1 解離現象から見た「おたくとオウム」
2 思春期と攻撃性――「サブカルチャー」の視点から
3 「社会的ひきこもり」とヴァーチャル・リアリティ
II 「事例」検討
4 精神科医は多重人格の幽霊を見るか?
5 「教養」から「神経症」へ――手塚治虫の現在形
6 メタ密室と命名の身振り――ポー、ラカン、清涼院流水
7 解離の技法と歴史的外傷――『ねじまき鳥クロニクル』をめぐって
III 対話
8 「多重人格」の射程 大澤真幸×斎藤環
9 トラウマと解離 中井久夫×浅田彰×斎藤環
10 工学化する社会/動物化する人間 東浩紀×斎藤環
IV 「精神分析」のために
11 「空虚さ」を超え「不安」のほうへ
12 「歴史の終わり」と空虚さの病理
13 解離とポストモダン、あるいは精神分析からの抵抗
14 「精神分析」を回避することの困難さについて
おわりに
初出一覧。
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解離のポップ・スキル 単行本 – 2004/1/1
斎藤 環
(著)
- 本の長さ346ページ
- 言語日本語
- 出版社勁草書房
- 発売日2004/1/1
- ISBN-104326652888
- ISBN-13978-4326652884
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
人格は増殖する-多重人格や記憶喪失を引き起こす心のメカニズム「解離」をキーワードに、犯罪から文学までを分析、時代の顔を映し出す。引きこもり問題で名をはせた精神科医による社会評論集。
登録情報
- 出版社 : 勁草書房 (2004/1/1)
- 発売日 : 2004/1/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 346ページ
- ISBN-10 : 4326652888
- ISBN-13 : 978-4326652884
- Amazon 売れ筋ランキング: - 919,667位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,882位臨床心理学・精神分析
- - 13,494位心理学入門
- - 14,349位心理学の読みもの
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2022年7月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
精神科医としても物書きとしても無責任の一言。トラウマ、解離についてひととおりの勉強はされているものとして、精神医学用語としての心的外傷にも解離にもまったく頓着せず、「精神分析」とされる手つきでそこにまったくの独自解釈をくわえ、それをもとに解離やトラウマを語っているため、解離やトラウマについて語られた本ではなく、このひとが考える解離やトラウマについて、いつものように文化事象を媒介として語っているだけの、要は話半分の本。コラムのように読めばいいわけですが、それにせよファンが多いのだからこういう適当なことは書かないでくれよ、とうんざりさせられることもしばしばです。
2017年4月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
Amazonで購入させていただきました(2017年4月11日現在、文庫化はされていません)。
著者の斎藤環(さいとう・たまき)さんは、
①(社会的)ひきこもり
②病跡学(『関係の化学としての文学』で2010年度の日本病跡学会賞を受賞)
③(ラカンの)精神分析(『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』で2013年に第11回角川財団学芸賞を受賞)
④思春期・青年期の精神病理学
が専門の精神科医でいらっしゃいます。
本レビュー執筆時現在(2017/4/11)には母校・筑波大学の医学医療系社会精神保健学の教授でいらっしゃいます。
本書のタイトルにも使用されている「解離」という精神障害の定義は以下のとおりです。
「心というひとまとまりのものにおいて、時間的ないし空間的な連続性がそこなわれることである」(p.ⅰ)
「解離」の具体的な例としては以下のとおりです。
・「多重人格」(p.ⅰ)
・「記憶喪失」(p.ⅰ)
本書の成りたちについて、「おわりに」のなかで斎藤さんは以下のように述べていらっしゃいます。
「本書は一九九〇年代後半からちょうど世紀の変わり目にかけて、いくつかの雑誌に掲載された論文や対談をまとめたものである。いずれも「解離」と呼ばれる精神現象を主なテーマとしているため、このようなタイトルになっている」(p.335)
また、「現代は、解離の時代である」(p.i)という前提のもとに斎藤さんは「はじめに」で、以下のように本書の内容をまとめていらっしゃいます。
①「(前略)私は、敢えて頑迷固陋な立場を貫き、及ばずながら「精神分析」を擁護し続けてきた。本書は大げさに言えば、その闘いの記録である」(p.ⅱ)
②「(前略)私がかつて著書『文脈病』で示したような「記述の問題」に関する思索を発展的に引き継ぐものでもある」(p.ⅲ)
「おわりに」には以下のような記述も見うけられます。
「本書に一貫した問題意識を一言で言えば、いかにして「解離」を精神分析化するか、ということに尽きる」(p.336)
さて、斎藤さんは「本書執筆時点での、解離に関する最終的な見解」(p.336)として以下のようにおっしゃっています。
「(前略)精神分析以降の世界における精神分析家という複雑かつ困難な立場、トラウマそのものが欲望されるような奇妙な社会状況、解離の理論化に際してなされがちな「心のモジュール化」への疑問など(後略)」(p.338〜339)
ここで、このレビューを見てくださった方への便宜のために、以下に目次を列挙したいとおもいます。
はじめに
I 時代と社会
1 解離現象から見た「おたくとオウム」
2 思春期と攻撃性 「サブカルチャー」の視点から
3「社会的ひきこもり」とヴァーチャル・リアリティ
Ⅱ「事例」検討
4 精神科医は多重人格の幽霊を見るか?
5「教養」から「神経症」へ 手塚治虫の現在形
6 メタ密室と命名の身振り ポー、ラカン、清涼院流水
7 解離の技法と歴史的外傷 『ねじまき鳥クロニクル』をめぐって
Ⅲ 対話
8「多重人格」の射程 大澤真幸×斎藤環
9 トラウマと解離 中井久夫×浅田彰×斎藤環
10 工学化する社会/動物化する人間 東浩紀×斎藤環
Ⅳ「精神分析」のために
11「空虚さ」を超え「不安」のほうへ
12「歴史の終わり」と空虚さの病理
13 解離とポストモダン、あるいは精神分析からの抵抗
14「精神分析」を回避することの困難さについて
おわりに
初出一覧
本書は「初出一覧」まで含めて346ページです。
斎藤さんのいつもの著作と同じく、読みやすくサクサクとストレスなく読めます(ただ、ぼく個人的にはなぜか「11「空虚さ」を超え「不安」のほうへ」は読みにくい、というか難解でした。おそらくフロイト=ラカンの精神分析に通暁していること前提で書かれているからだとおもわれます)。
本書は上記のように14章で成りたっていますが、それらを斎藤さんは「おわりに」のなかで以下のように要約されていらっしゃいます。
「本書ではまず、解離が前景化しつつある状況を「おたく」や「オウム」、あるいは思春期の攻撃性を象徴する「キレる」といった現象にことよせて概括的に述べ、ついで幽霊とヒステリーの対比や村上春樹の文学、社会的ひきこもり、ミステリー小説の変遷や手塚治虫の作品論などが「症例」として論じられている。続く対話編は、望みうる最高水準の論客に恵まれたこともあり、精神医学の外部の視点から解離がどのようにとらえられるかを知るための貴重な機会となるだろう。臨床的ヒントも多く含まれた、示唆的な対話たりえていると自負している。そして最終章の「精神分析」においては、以上の議論を踏まえて、解離を可能な限り厳密に精神分析化するための試みがなされる。その試みはいまだ途上にあるため、最終的な解答が示されるわけではない。しかし、今後いっそう解離に関する論議を深めていくうえでの土台造りとしては、それなりにうまくいったと考えている」(p.335〜336)
ちなみ本書のタイトルの意味ですが、「解離がさまざまな表現領域で多用され、まさにポップ表現のための技術(スキル)として無意識的に導入されつつある状況一般を指して用いた」(p.342)とのことです。
解離という精神病理や精神分析、もちろん斎藤環さんに興味がある方にはオススメです。
*本レビューのタイトルは、レビュー中にも引用したように、本書からの引用です。
**ぼくは精神医学や精神分析等に関して門外漢ですので、本レビュー中に間違い等散見されるかもしれませんが、文責はぼく自身にあります。
著者の斎藤環(さいとう・たまき)さんは、
①(社会的)ひきこもり
②病跡学(『関係の化学としての文学』で2010年度の日本病跡学会賞を受賞)
③(ラカンの)精神分析(『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』で2013年に第11回角川財団学芸賞を受賞)
④思春期・青年期の精神病理学
が専門の精神科医でいらっしゃいます。
本レビュー執筆時現在(2017/4/11)には母校・筑波大学の医学医療系社会精神保健学の教授でいらっしゃいます。
本書のタイトルにも使用されている「解離」という精神障害の定義は以下のとおりです。
「心というひとまとまりのものにおいて、時間的ないし空間的な連続性がそこなわれることである」(p.ⅰ)
「解離」の具体的な例としては以下のとおりです。
・「多重人格」(p.ⅰ)
・「記憶喪失」(p.ⅰ)
本書の成りたちについて、「おわりに」のなかで斎藤さんは以下のように述べていらっしゃいます。
「本書は一九九〇年代後半からちょうど世紀の変わり目にかけて、いくつかの雑誌に掲載された論文や対談をまとめたものである。いずれも「解離」と呼ばれる精神現象を主なテーマとしているため、このようなタイトルになっている」(p.335)
また、「現代は、解離の時代である」(p.i)という前提のもとに斎藤さんは「はじめに」で、以下のように本書の内容をまとめていらっしゃいます。
①「(前略)私は、敢えて頑迷固陋な立場を貫き、及ばずながら「精神分析」を擁護し続けてきた。本書は大げさに言えば、その闘いの記録である」(p.ⅱ)
②「(前略)私がかつて著書『文脈病』で示したような「記述の問題」に関する思索を発展的に引き継ぐものでもある」(p.ⅲ)
「おわりに」には以下のような記述も見うけられます。
「本書に一貫した問題意識を一言で言えば、いかにして「解離」を精神分析化するか、ということに尽きる」(p.336)
さて、斎藤さんは「本書執筆時点での、解離に関する最終的な見解」(p.336)として以下のようにおっしゃっています。
「(前略)精神分析以降の世界における精神分析家という複雑かつ困難な立場、トラウマそのものが欲望されるような奇妙な社会状況、解離の理論化に際してなされがちな「心のモジュール化」への疑問など(後略)」(p.338〜339)
ここで、このレビューを見てくださった方への便宜のために、以下に目次を列挙したいとおもいます。
はじめに
I 時代と社会
1 解離現象から見た「おたくとオウム」
2 思春期と攻撃性 「サブカルチャー」の視点から
3「社会的ひきこもり」とヴァーチャル・リアリティ
Ⅱ「事例」検討
4 精神科医は多重人格の幽霊を見るか?
5「教養」から「神経症」へ 手塚治虫の現在形
6 メタ密室と命名の身振り ポー、ラカン、清涼院流水
7 解離の技法と歴史的外傷 『ねじまき鳥クロニクル』をめぐって
Ⅲ 対話
8「多重人格」の射程 大澤真幸×斎藤環
9 トラウマと解離 中井久夫×浅田彰×斎藤環
10 工学化する社会/動物化する人間 東浩紀×斎藤環
Ⅳ「精神分析」のために
11「空虚さ」を超え「不安」のほうへ
12「歴史の終わり」と空虚さの病理
13 解離とポストモダン、あるいは精神分析からの抵抗
14「精神分析」を回避することの困難さについて
おわりに
初出一覧
本書は「初出一覧」まで含めて346ページです。
斎藤さんのいつもの著作と同じく、読みやすくサクサクとストレスなく読めます(ただ、ぼく個人的にはなぜか「11「空虚さ」を超え「不安」のほうへ」は読みにくい、というか難解でした。おそらくフロイト=ラカンの精神分析に通暁していること前提で書かれているからだとおもわれます)。
本書は上記のように14章で成りたっていますが、それらを斎藤さんは「おわりに」のなかで以下のように要約されていらっしゃいます。
「本書ではまず、解離が前景化しつつある状況を「おたく」や「オウム」、あるいは思春期の攻撃性を象徴する「キレる」といった現象にことよせて概括的に述べ、ついで幽霊とヒステリーの対比や村上春樹の文学、社会的ひきこもり、ミステリー小説の変遷や手塚治虫の作品論などが「症例」として論じられている。続く対話編は、望みうる最高水準の論客に恵まれたこともあり、精神医学の外部の視点から解離がどのようにとらえられるかを知るための貴重な機会となるだろう。臨床的ヒントも多く含まれた、示唆的な対話たりえていると自負している。そして最終章の「精神分析」においては、以上の議論を踏まえて、解離を可能な限り厳密に精神分析化するための試みがなされる。その試みはいまだ途上にあるため、最終的な解答が示されるわけではない。しかし、今後いっそう解離に関する論議を深めていくうえでの土台造りとしては、それなりにうまくいったと考えている」(p.335〜336)
ちなみ本書のタイトルの意味ですが、「解離がさまざまな表現領域で多用され、まさにポップ表現のための技術(スキル)として無意識的に導入されつつある状況一般を指して用いた」(p.342)とのことです。
解離という精神病理や精神分析、もちろん斎藤環さんに興味がある方にはオススメです。
*本レビューのタイトルは、レビュー中にも引用したように、本書からの引用です。
**ぼくは精神医学や精神分析等に関して門外漢ですので、本レビュー中に間違い等散見されるかもしれませんが、文責はぼく自身にあります。
2008年1月29日に日本でレビュー済み
「解離」とは、
心というひとまとまりのものにおいて、
時間的ないし空間的な連続性が
そこなわれている状態のこと。
端的に言えば、
多重人格や記憶喪失といった症状をひきおこす
心のメカニズムを指す言葉です。
本書のタイトルは、「解離」という現象がさまざまな表現領域で多用され、
まさにポップ表現のための技術(スキル)として無意識的に導入されつつある
状況一般を指して名づけられたものです。
著者は、そうした状況の例として「トラウマ」と「じぶん探し」の流行を挙げます。
告白本やサイコミステリーなどで、トラウマ語りのフィクションがもてはやされる
現状がありますが、あくまでそれは「トラウマ的幻想」である、ということ。
無意識の回路などではなく、あらかじめ共有されたパターンを介し、
人々の行動に影響を及ぼしているに過ぎません。
そして、そうしたトラウマが求められる背景には、
自己を空虚なものとしてしか感じられなくなった時に、
自己定位のために、トラウマや自傷すらも利用しようとする
屈折した「じぶん探し」がある、と著者は指摘しています。
心というひとまとまりのものにおいて、
時間的ないし空間的な連続性が
そこなわれている状態のこと。
端的に言えば、
多重人格や記憶喪失といった症状をひきおこす
心のメカニズムを指す言葉です。
本書のタイトルは、「解離」という現象がさまざまな表現領域で多用され、
まさにポップ表現のための技術(スキル)として無意識的に導入されつつある
状況一般を指して名づけられたものです。
著者は、そうした状況の例として「トラウマ」と「じぶん探し」の流行を挙げます。
告白本やサイコミステリーなどで、トラウマ語りのフィクションがもてはやされる
現状がありますが、あくまでそれは「トラウマ的幻想」である、ということ。
無意識の回路などではなく、あらかじめ共有されたパターンを介し、
人々の行動に影響を及ぼしているに過ぎません。
そして、そうしたトラウマが求められる背景には、
自己を空虚なものとしてしか感じられなくなった時に、
自己定位のために、トラウマや自傷すらも利用しようとする
屈折した「じぶん探し」がある、と著者は指摘しています。
2004年2月16日に日本でレビュー済み
著者は,解離やPTSDの概念の流布によって広がった素朴な心の理論の流行に抗して,ラカン派精神分析やそこに含まれる超越論的立場を守ろうとする立場を固持しようとしている。そして本書の眼目は,まだその試みの実証は今後の課題であると断りつつも,歴史的事象や社会現象の理解に解離のメカニズムを用いようとすることである。私から見ると,それらの現象に解離という精神現象の理解を適応することに概念的に若干の無理があるように感じられるのだが,興味深い試みであることは間違いあるまい。さらに付け加えるなら,著者の議論には他の方法にない利点を示していない点,理論優先の議論になっている印象がある。しかし,臨床家が「過激な折衷主義者であるべきだ」と主張するような確かなバランス感覚を有する著者は,大きく道を踏み外すことはないだろうと思う。
その他,著者は,本書においても漫画やミステリーの評論にその持ち前である切れ味を十二分に発揮している。
その他,著者は,本書においても漫画やミステリーの評論にその持ち前である切れ味を十二分に発揮している。