書名だけ見ると、一見「おバカ風」の本に見えますが、中身はかなり濃いです。一気に読めます。
大体は、東大駒場の共通英語教科書「Universe」の作成顛末ですが、
最後は「教養とは何か、文化とは何か」まで切り込んでいて、読み応え十分です。
私はこんな人に勧めます。
(1) 大学教養英語教育に携わる人(必読)
(2)大学教養教育に関わり、その将来に関心がある人(英語以外の人が読んでも十分読み応えあり)
(3)「大学」の将来に関心がある大学人
(4)現在「大学」がどういう状況にあるか関心のある大学の外にいる人
(5)東大を受験しようとする受験生
それぞれの方への読みどころをあげてみます。
(1)関連の方へは
東大教養課程英語共通教科書が、どう作られ、どう使われ、どう捨てられ、今後どうなるのかの、奮戦記。
教養英語教育の様々な問題が同時に論じられており、どんな大学に勤務しようとも、普遍的な問題提起として、必読。
(2)関連の方へは
単に英語教育だけでなく、広く「教養教育の可能性」を論じる好著。
一見、おバカ風のタイトルからは想像できないような広がりを見せる。
(3)(4) 関連の方へは
「大学」という組織に染み付いた巨大な惰性。著者は英語共通教科書の作成顛末をきっかけに、
そういう「保身の殻」にどう挑戦することができるか、あるいはできないかを、真摯に論じる。
(5) 受験生には
この本の中に出てくるUniverseからの引用をきちんと読むと、
東京大学が、入学してくる学生にどういう英語力を求めているのかが、かなり分かる。
当然、それは入試問題にも反映しているはず。
(蛇足ながら、書名は、東大新聞社の東大受験情報本2004年版『東大のどこがいいの?』に影響を受けているかもしれません。)
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これが東大の授業ですか。 単行本 – 2004/9/22
佐藤 良明
(著)
東大教授「佐藤君」の挑発の書。
「佐藤君」は、「柴田君」たちと、東大の1年生全員が受講する英語の授業を企画した。教科書をつくり、ビデオもつくり、毎回の運営に智慧を絞った。彩り豊かな「教養英語」の出現に学生たちもオーと応えた……。
1990年代の駒場キャンパスに起こった「珍事」を記録し、全国の英語教師の士気高揚を謀る、電撃のメモワール。
● 東大の英語改革
「佐藤君」や「柴田君」(現代英語圏文学最高の翻訳紹介者として名高い柴田元幸氏)のめざした英語改革は、一体どんなものだったのでしょうか? 佐藤君はこう述べています「学生は楽していい点を取りたい。教師も授業には労力をかけず、研究に力を注ぎたい。 両者の利害が一致して、安易な単位授受システムが成り立っていた。これをくずさなければ、と思った」。
佐藤君たちは、どんな授業空間を創ったのでしょうか?
まず、講義に使うオリジナルテキスト『The Universe of English』 が普通ではない。17 世紀オランダ絵画論に始まり、ホーキングの宇宙論、進化論、エコロジーがあるかと思えば、ファミコンや若者消費文化 (……)、ジャンルは多岐にわたる。
(……)このテキストが授業の主役ではない。学生は授業の前に読んでくることが前提なのだ。本文の解説は 20 分ほどでさらりと終わり、逐語訳など一切しない。
代わって、授業に書かせないのがビデオ教材。「東大生の知的レベルと英語レベルにぴたっと合わせた」手作りの教材で、本文の要旨や、関連テーマのスピーチをネイティブ教師の発音で聞く。各教室のビデオとテレビは、この授業のために据え付けた。(『アエラ』1993年9月29日号より)
それはまさに「東大始まって以来の実験的試み」でした。3千数百人が一斉に受講する授業形態も特別なら、大学の教師が「授業コンテンツの制作」にのめり込む姿もかつてないものでした。反響も十分。東大駒場の英語改革は、全国の大学関係者の注目を集めました。駒場の統一テキスト『The Universe of English』は空前の大ベストセラーになりました。
授業そのものはどんなふうに進んだのでしょう? 試験問題は? 教科書やビデオの制作はどんな手順で進んだのか? 教授たちの間の軋轢は? 学生たちの反応は? 英語力増進の成果は?
「東大の英語革命」について佐藤君自身が詳しく報告します。
● これが東大の授業ですか。
「これが東大の授業ですか。」ということばには、どんなメッセージこもっているのでしょう? それを決めるのは、どうも読者であるようです。そこからは「エッ、これが東大の授業?」と読むか、「おお、これが東大の授業なのか!」と読むか。「あとがき」に佐藤君自身はこう書いています。
これを読むみなさんに、このタイトルがどういう意味あいで捉えられるかはわからない。もし勝手なお願いが許されるなら、 このフレーズの意味がクルクル変わるところに注目して、そこを楽しんでいただけたらと思う。これを書きながらわたし自身の気持ちが揺れ動いた─自負から失望へ、投げやり寸前からふたたび自分を取り戻すところまで変転していった─その過程がうまく伝えられたらうれしい。
●本書ははどうして書かれたか?
日本の大学では、「教養として英語を教えるべきである」という意見と、「実用英語を教えるべきである」という意見が、激しくぶつかり合っていました。
その問題は現在、後者の一方的勝利によって幕を引かれつつあります。とともに、文学系の英語教師は窮屈な思いを強いられています。学科の取りつぶしという事態すら進行中の大学もあります。
そんななか、佐藤君は立ち上がりました。文学系の人間が、「大学の教養」をきちんと再定義し、大学の英語の授業に、がっしりとしたコンテンツと、愛と、自信をもって授業すれば、教養と実用などという偽りの対立は消えてしまうのだということを、本書は、過去の経験の詳細なレポートによって証明していきます。これは議論する本ではありません。教材の選び方からリスニングのポイントまで、情報化時代の大学の英語授業の組み立てを一から説いた「便利ブック」なのです。
理系と文系、ポップとアカデミズム、いろんな世界を横断的に思考している佐藤君だから示せる「21世紀の日本の英語教育の方向性」。それに向けて「正されるべき大学教師の姿勢」。本書の後半では、それが熱く論じられています。
いえ、挑発の対象は大学人にとどまりません。すべての英語の先生と、英語の授業を受けさせられた学生・市民に熱く訴えかける内容になっています。正しい行動によって世の中が動かせると信じるすべての人々に、「佐藤君」の語りは、強い共感を呼び起こすことでしょう。
「佐藤君」は、「柴田君」たちと、東大の1年生全員が受講する英語の授業を企画した。教科書をつくり、ビデオもつくり、毎回の運営に智慧を絞った。彩り豊かな「教養英語」の出現に学生たちもオーと応えた……。
1990年代の駒場キャンパスに起こった「珍事」を記録し、全国の英語教師の士気高揚を謀る、電撃のメモワール。
● 東大の英語改革
「佐藤君」や「柴田君」(現代英語圏文学最高の翻訳紹介者として名高い柴田元幸氏)のめざした英語改革は、一体どんなものだったのでしょうか? 佐藤君はこう述べています「学生は楽していい点を取りたい。教師も授業には労力をかけず、研究に力を注ぎたい。 両者の利害が一致して、安易な単位授受システムが成り立っていた。これをくずさなければ、と思った」。
佐藤君たちは、どんな授業空間を創ったのでしょうか?
まず、講義に使うオリジナルテキスト『The Universe of English』 が普通ではない。17 世紀オランダ絵画論に始まり、ホーキングの宇宙論、進化論、エコロジーがあるかと思えば、ファミコンや若者消費文化 (……)、ジャンルは多岐にわたる。
(……)このテキストが授業の主役ではない。学生は授業の前に読んでくることが前提なのだ。本文の解説は 20 分ほどでさらりと終わり、逐語訳など一切しない。
代わって、授業に書かせないのがビデオ教材。「東大生の知的レベルと英語レベルにぴたっと合わせた」手作りの教材で、本文の要旨や、関連テーマのスピーチをネイティブ教師の発音で聞く。各教室のビデオとテレビは、この授業のために据え付けた。(『アエラ』1993年9月29日号より)
それはまさに「東大始まって以来の実験的試み」でした。3千数百人が一斉に受講する授業形態も特別なら、大学の教師が「授業コンテンツの制作」にのめり込む姿もかつてないものでした。反響も十分。東大駒場の英語改革は、全国の大学関係者の注目を集めました。駒場の統一テキスト『The Universe of English』は空前の大ベストセラーになりました。
授業そのものはどんなふうに進んだのでしょう? 試験問題は? 教科書やビデオの制作はどんな手順で進んだのか? 教授たちの間の軋轢は? 学生たちの反応は? 英語力増進の成果は?
「東大の英語革命」について佐藤君自身が詳しく報告します。
● これが東大の授業ですか。
「これが東大の授業ですか。」ということばには、どんなメッセージこもっているのでしょう? それを決めるのは、どうも読者であるようです。そこからは「エッ、これが東大の授業?」と読むか、「おお、これが東大の授業なのか!」と読むか。「あとがき」に佐藤君自身はこう書いています。
これを読むみなさんに、このタイトルがどういう意味あいで捉えられるかはわからない。もし勝手なお願いが許されるなら、 このフレーズの意味がクルクル変わるところに注目して、そこを楽しんでいただけたらと思う。これを書きながらわたし自身の気持ちが揺れ動いた─自負から失望へ、投げやり寸前からふたたび自分を取り戻すところまで変転していった─その過程がうまく伝えられたらうれしい。
●本書ははどうして書かれたか?
日本の大学では、「教養として英語を教えるべきである」という意見と、「実用英語を教えるべきである」という意見が、激しくぶつかり合っていました。
その問題は現在、後者の一方的勝利によって幕を引かれつつあります。とともに、文学系の英語教師は窮屈な思いを強いられています。学科の取りつぶしという事態すら進行中の大学もあります。
そんななか、佐藤君は立ち上がりました。文学系の人間が、「大学の教養」をきちんと再定義し、大学の英語の授業に、がっしりとしたコンテンツと、愛と、自信をもって授業すれば、教養と実用などという偽りの対立は消えてしまうのだということを、本書は、過去の経験の詳細なレポートによって証明していきます。これは議論する本ではありません。教材の選び方からリスニングのポイントまで、情報化時代の大学の英語授業の組み立てを一から説いた「便利ブック」なのです。
理系と文系、ポップとアカデミズム、いろんな世界を横断的に思考している佐藤君だから示せる「21世紀の日本の英語教育の方向性」。それに向けて「正されるべき大学教師の姿勢」。本書の後半では、それが熱く論じられています。
いえ、挑発の対象は大学人にとどまりません。すべての英語の先生と、英語の授業を受けさせられた学生・市民に熱く訴えかける内容になっています。正しい行動によって世の中が動かせると信じるすべての人々に、「佐藤君」の語りは、強い共感を呼び起こすことでしょう。
- 本の長さ212ページ
- 言語日本語
- 出版社研究社
- 発売日2004/9/22
- ISBN-104327410632
- ISBN-13978-4327410636
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商品の説明
著者について
佐藤良明(さとう よしあき) 1950年山梨県生まれ。群馬県立高崎高校出身。東北大学理学部物理学科中退後東大文III に入り直し、最終的には東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。現在の肩書は「東京大学教養学部教授」。英語の授業改革に活躍する一方、現代アメリカの文学・文化・音楽を起点にした幅広い評論活動を展開、『J-POP進化論』(平凡社新書)などのポップ文化論や、トマス・ピンチョン『ヴァインランド』(新潮社)、ロバート・クーヴァー『女中【メイド】の臀【オイド】』(思潮社)、ジョン・レノン『らりるれレノン』(筑摩書房)など卓抜な翻訳で注目された。主著『ラバーソウルの弾みかた:ビートルズと60年代文化のゆくえ』(平凡社ライブラリー、日米友好基金賞受賞)、『郷愁としての昭和』(新書館)のほか、『佐藤君と柴田君』(柴田元幸氏との交換エッセイ集、新潮文庫)、『ロック・ピープル 101』(柴田氏と共編、新書館)、学術的訳業として、グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』および『精神と自然』(新思索社)がある。
登録情報
- 出版社 : 研究社 (2004/9/22)
- 発売日 : 2004/9/22
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 212ページ
- ISBN-10 : 4327410632
- ISBN-13 : 978-4327410636
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