私が、この本の名を知ったのは、今から10年ほど前の事である。或る左翼系出版人が、私に、この本(『ハンガリー事件と日本』)を読む事を薦めてくれたのであったが、当時、絶版に成って居た新書版の本書を入手する事は難しく、私は、永い間、この本の存在は知りながら、読む機会を得る事が出来無かった。(その出版人は、長く左翼系の出版社を経営して来た人だったが、日本の「左翼」の内部事情を詳しく知る人だけに、逆に、日本の「左翼」の在り様に批判的な、稀有な人物であった。)その『ハンガリー事件と日本』を、私が読む事が出来る様に成ったのは、この本によってそれが復刊したからであったが、通読して、私は、その「左翼内反体制派」の出版人が、私にこの本を読む様薦めた理由が良く理解出来た。
本書の内容の詳細は、皆さん自身でお読み頂きたいが、1956年、ソ連によって6万人以上のハンガリー人が虐殺されたとも言はれるこの大事件に際して、日本の「左翼」の多くは、なお、ソ連の行動を支持、又は容認する姿勢を取って居たのである。そこから、本書において「ニューレフト」と呼ばれる人々が、既成の「左翼」と袂を分かつ形で生まれた事も事実であろうが、日本共産党指導部を始めとして、日本の「左翼」の実に多くの人々は、ソ連の行動を支持、容認しようとしたのである。
日本の「左翼」にとって、ハンガリー事件は、過去の問題なのだろうか?本書が、思想的立場を超えて、一人でも多くの日本人に読まれる事を切望する。
(西岡昌紀・内科医/ハンガリー事件から50年目の年に)
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ハンガリ-事件と日本: 一九五六年・思想史的考察 単行本 – 2003/5/1
小島 亮
(著)
- 本の長さ227ページ
- 言語日本語
- 出版社現代思潮新社
- 発売日2003/5/1
- ISBN-104329004291
- ISBN-13978-4329004291
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
ハンガリー人民蜂起に対するソ連軍の弾圧を眼前に既成左翼陣営は茫然自失し、権威は失墜してゆく。1956年以降の日本論壇の構造を分析、ニュー・レフトの誕生をブリリアントに描く。87年中央公論社刊の復刊。
登録情報
- 出版社 : 現代思潮新社 (2003/5/1)
- 発売日 : 2003/5/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 227ページ
- ISBN-10 : 4329004291
- ISBN-13 : 978-4329004291
- Amazon 売れ筋ランキング: - 673,609位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2006年12月31日に日本でレビュー済み
2017年8月15日に日本でレビュー済み
レビュー
本書は僕の傷に触れる本である。傷とは詳しくは書かないが、10代から20代後半までの僕の 新左翼運動体験のことです。
本書は1956年に当時の社会主義圏のハンガリーで、起きたハンガリー労働者たちのソ連官僚体制への蜂起が日本の左翼運動にどういう影響をもたらしたかというモチーフで書かれたものです。
大学で戦前期社会主義史を専攻した著者は『講座派マルクス主義』の世界観を空気のように身につけ,他のマルクス主義思想など見向きもしなかったそうです。その著者が東大の博士課程で知り得た人脈のなかから『ハンガリー事件』こそ日本も左翼の新潮流を生み出すことになったことを知るに至るのである。
白眉は『第五章』の日本におけるニューレフト(新左翼)の創成の項だ。
ハンガリー事件の起こった当時、日本共産党のハンガリー事件への対応=社会主義の母国であるソ連への反革命的な敵対行為という見解に、日本共産党水戸第五細胞のみが意義を唱えたのであった。水戸第五細胞の中心的人物が大地文雄だった。
大地は、後に東京にでて、黒田寛一(革マル指導者)や太田竜(第四インター指導者)などと合流し『批評』グループを形成するのであった。
大地とともに、水戸から『批評』に参加したのが、後に黒田に接近した作家高知聡(注1!)や出版社、現ペリカン社社長の救仁郷健がいたのである。
著者が大地の唱えた梅本克己主体性論を発展させた民主的マルクス主義や黒田寛一思想の世界レベルでの先駆性という評価は、1950年代末に時間を逆向できるのなら、僕にも依存はない。
第四インターの純トロチキズム組織は世界中に支部を作っている。第四インターはソ連革命国家に官僚主義を取り入れたスターリン主義にこそ悪の原因を求めているのですが・・・・
革命ロシアとりわけレーニン国家論に、その後のスターリン主義に悪発展する萌芽を宿していたと僕は思っている。
だが日本でのみ何故、ロシア革命をほぼ全面否定的に止揚しようとした反スターリン主義運動が発生したのか?という僕の長年の疑問を本書でも解決されなかった。
個人的な話ですが、僕が生涯この人とは親交を続けたいと思っている20歳近く
年下の友人がいます。その彼が敬愛する中学生時代の大親友が、この本に登場した現ペリカン社社長の救仁郷健のご子息だったこともなんか因縁めいていて不思議な感慨にとらわれたものです。
なお大地文雄の思索のあとは、1980年代末に救仁郷のペリカン社より出版され30年ぶりに陽の目を見たそうである。
★注1
高知聡は亡くなる直前、最晩年に『孤独な探究者の歩み〔評伝〕若き黒田寛一』を出版したのだが、「あとがき」で、最近出た黒田の『実践と場所』第一巻を読んで大ショックを受け、
「あまりに突飛と思われる日本礼讃」「黒田の無残な老化現象」「日本の自然風土の讃美は、…天皇制の讃美につらなる…その点では黒田も無防備ではありえない」と批判した。
本書は僕の傷に触れる本である。傷とは詳しくは書かないが、10代から20代後半までの僕の 新左翼運動体験のことです。
本書は1956年に当時の社会主義圏のハンガリーで、起きたハンガリー労働者たちのソ連官僚体制への蜂起が日本の左翼運動にどういう影響をもたらしたかというモチーフで書かれたものです。
大学で戦前期社会主義史を専攻した著者は『講座派マルクス主義』の世界観を空気のように身につけ,他のマルクス主義思想など見向きもしなかったそうです。その著者が東大の博士課程で知り得た人脈のなかから『ハンガリー事件』こそ日本も左翼の新潮流を生み出すことになったことを知るに至るのである。
白眉は『第五章』の日本におけるニューレフト(新左翼)の創成の項だ。
ハンガリー事件の起こった当時、日本共産党のハンガリー事件への対応=社会主義の母国であるソ連への反革命的な敵対行為という見解に、日本共産党水戸第五細胞のみが意義を唱えたのであった。水戸第五細胞の中心的人物が大地文雄だった。
大地は、後に東京にでて、黒田寛一(革マル指導者)や太田竜(第四インター指導者)などと合流し『批評』グループを形成するのであった。
大地とともに、水戸から『批評』に参加したのが、後に黒田に接近した作家高知聡(注1!)や出版社、現ペリカン社社長の救仁郷健がいたのである。
著者が大地の唱えた梅本克己主体性論を発展させた民主的マルクス主義や黒田寛一思想の世界レベルでの先駆性という評価は、1950年代末に時間を逆向できるのなら、僕にも依存はない。
第四インターの純トロチキズム組織は世界中に支部を作っている。第四インターはソ連革命国家に官僚主義を取り入れたスターリン主義にこそ悪の原因を求めているのですが・・・・
革命ロシアとりわけレーニン国家論に、その後のスターリン主義に悪発展する萌芽を宿していたと僕は思っている。
だが日本でのみ何故、ロシア革命をほぼ全面否定的に止揚しようとした反スターリン主義運動が発生したのか?という僕の長年の疑問を本書でも解決されなかった。
個人的な話ですが、僕が生涯この人とは親交を続けたいと思っている20歳近く
年下の友人がいます。その彼が敬愛する中学生時代の大親友が、この本に登場した現ペリカン社社長の救仁郷健のご子息だったこともなんか因縁めいていて不思議な感慨にとらわれたものです。
なお大地文雄の思索のあとは、1980年代末に救仁郷のペリカン社より出版され30年ぶりに陽の目を見たそうである。
★注1
高知聡は亡くなる直前、最晩年に『孤独な探究者の歩み〔評伝〕若き黒田寛一』を出版したのだが、「あとがき」で、最近出た黒田の『実践と場所』第一巻を読んで大ショックを受け、
「あまりに突飛と思われる日本礼讃」「黒田の無残な老化現象」「日本の自然風土の讃美は、…天皇制の讃美につらなる…その点では黒田も無防備ではありえない」と批判した。
2021年2月7日に日本でレビュー済み
ハンガリー事件が日本の政治思想に与えた影響を調査し,描き出した一冊.
社会党,共産党のドタバタぶりはもちろん,自民党内部の論争や,若き日の佐々淳行まで登場.
情報濃度の点から見れば高濃.
▼
序章:スターリン批判
個人崇拝批判に過ぎなかったフルシチョフ演説(p.6-8)
スターリン批判が東欧諸国に及ぼした影響(p.9-10)
ポズナニ事件(p.10-11)
▼
ハンガリー事件の概要説明:
逆効果となったラーコシ解任(p.11-13)
時間経過(p.13-18)
国際的な「ハンガリー論争」勃発(p.19-26)
日本の知識人へ圧倒的影響を与えた,中国共産党の見解(p.26)
▼
そして日本国内の状況:
当時の殆ど全ての言論メディアにおいて優位だったマルクス主義(p.34)
アメリカへの劣等感から来る,暗いナショナリズムを論理内に仕組んだ「講座派」(p.37)
目前の社会の諸問題を,現前の課題と認識せず,教義原点との落差をことごとく「タイム・ラグ」に還元する思考という欠陥を抱えた,日本マルクス主義(p.39)
ヴェーバー主義(p.42)
「個」の欠落を唱える川島法社会学(p.43)
保守派知識人の,沈黙という節度(p.53)
佐々淳行と「土曜会」(p.56-61)
「国民意識を再評価せよ」と説く松下理論(p.75-78)
シカゴ政治学(p.78-80)
戦後歴史学における「講座派」の一党独裁(p.80-83)
「『講座派』歴史学は,今一つの皇国史観」(p.81)
「最悪の事例」,羽仁五郎(p.82-83)
「梅棹忠夫の生態史観に,ハンガリー事件の影」(p.84-87)と言うのは考え過ぎかと.
共産党不信が元からあったため,当初,事件を積極評価した社会党左派(p.93-94)
その社会党の態度旋回と,ハンガリー民衆への侮辱(p.94-98)
ハンガリー事件の追究を止めない論者も僅かに存在したが,多勢に無勢(p.98)
「ソ連の侵略的体質は不変」と観た社会党右派(p.99)
右派内部の不一致点(p.100-102)
分裂ならず(p.102)
論争の席で「事件はアメリカの煽動」と言い出す左派(p.105)
論脈さえ不明瞭な,玉虫色の決着.ただし左派優勢(p.107-108)
中曽根康弘のハンガリー訪問(p.109-113)
ゴーリスト(p.114)
名望家政党の面影濃かった自民党内部にさえ,例外的に狭義のイデオロギー論争をもたらしたハンガリー事件(p.116)
救援会(p.118-128)と,その挫折(p.127-128)
「中国の靴」騒動(p.125)
「ハンガリー事件は反革命ではない」との声を圧殺して回る宮本顕治(p.130-131)
日本共産党の50年分裂(p.131-135)
「ブルジョワ民主主義革命論」のトリック(p.133)
にわか過激化(p.134-135)
「地位上昇原因」説(p.136-138)
「赤旗」のハンガリー事件無視への抗議殺到(p.140-141)
「介入やむなし」論(p.142-143)
「再検討などありえない」共産党体質(p.149)
宮本の論理(p.150-153)
その見解への党内反対派が,取材に費やした労力(p.154-155)
党内反対派の結論も「介入やむなし」(p.156-159)
反対派消滅(p.159-160)
▼
そして著者は,上述までのように,既成の左派政党のダメさ加減に失望させられた左派が向かった先が,ニュー・レフト路線であったと主張.
しかしその路線も,一方は革命論を超越しようとしたものの,広く受け入れられずに挫折,片や過激原理主義に引きこもって,後の極左テロのタネを撒くことに.
大池文雄とは?(p.169-172, 196-198)
水戸第5細胞盛衰記(p.180-187)
マルクス主義の批判的継承を主張する大池(p.187-196)
ハンガリー事件を「予言していた」黒田寛一(p.200-202)(……ちょっとウソくさい)
黒田の主体性論(p.209-212)
その原理主義的傾向(p.212)
▼
しかしそもそも,革命という言葉に,(著者も含めて)甘美な期待を持ち過ぎなのではないかと.
(歴史上,革命によって国内問題が解決した例は稀.大半は,国益を大きく損じただけの結果に終わっている.
フランス革命でさえ例外ではない.美化されることが多いけれど)
▼
そういう革命幻想が鼻につくかもしれないが,過去にインチキな連中がいた(そしてそのうちの少なくない数の奴らが,自分の過去の言説に無責任なまま,今ものうのうと活動している)ことを知っておくのは悪くはない.
【関心率61.67%:全ページ中,手元に残したいページがどれだけあるかの割合.当方の価値観基準】
社会党,共産党のドタバタぶりはもちろん,自民党内部の論争や,若き日の佐々淳行まで登場.
情報濃度の点から見れば高濃.
▼
序章:スターリン批判
個人崇拝批判に過ぎなかったフルシチョフ演説(p.6-8)
スターリン批判が東欧諸国に及ぼした影響(p.9-10)
ポズナニ事件(p.10-11)
▼
ハンガリー事件の概要説明:
逆効果となったラーコシ解任(p.11-13)
時間経過(p.13-18)
国際的な「ハンガリー論争」勃発(p.19-26)
日本の知識人へ圧倒的影響を与えた,中国共産党の見解(p.26)
▼
そして日本国内の状況:
当時の殆ど全ての言論メディアにおいて優位だったマルクス主義(p.34)
アメリカへの劣等感から来る,暗いナショナリズムを論理内に仕組んだ「講座派」(p.37)
目前の社会の諸問題を,現前の課題と認識せず,教義原点との落差をことごとく「タイム・ラグ」に還元する思考という欠陥を抱えた,日本マルクス主義(p.39)
ヴェーバー主義(p.42)
「個」の欠落を唱える川島法社会学(p.43)
保守派知識人の,沈黙という節度(p.53)
佐々淳行と「土曜会」(p.56-61)
「国民意識を再評価せよ」と説く松下理論(p.75-78)
シカゴ政治学(p.78-80)
戦後歴史学における「講座派」の一党独裁(p.80-83)
「『講座派』歴史学は,今一つの皇国史観」(p.81)
「最悪の事例」,羽仁五郎(p.82-83)
「梅棹忠夫の生態史観に,ハンガリー事件の影」(p.84-87)と言うのは考え過ぎかと.
共産党不信が元からあったため,当初,事件を積極評価した社会党左派(p.93-94)
その社会党の態度旋回と,ハンガリー民衆への侮辱(p.94-98)
ハンガリー事件の追究を止めない論者も僅かに存在したが,多勢に無勢(p.98)
「ソ連の侵略的体質は不変」と観た社会党右派(p.99)
右派内部の不一致点(p.100-102)
分裂ならず(p.102)
論争の席で「事件はアメリカの煽動」と言い出す左派(p.105)
論脈さえ不明瞭な,玉虫色の決着.ただし左派優勢(p.107-108)
中曽根康弘のハンガリー訪問(p.109-113)
ゴーリスト(p.114)
名望家政党の面影濃かった自民党内部にさえ,例外的に狭義のイデオロギー論争をもたらしたハンガリー事件(p.116)
救援会(p.118-128)と,その挫折(p.127-128)
「中国の靴」騒動(p.125)
「ハンガリー事件は反革命ではない」との声を圧殺して回る宮本顕治(p.130-131)
日本共産党の50年分裂(p.131-135)
「ブルジョワ民主主義革命論」のトリック(p.133)
にわか過激化(p.134-135)
「地位上昇原因」説(p.136-138)
「赤旗」のハンガリー事件無視への抗議殺到(p.140-141)
「介入やむなし」論(p.142-143)
「再検討などありえない」共産党体質(p.149)
宮本の論理(p.150-153)
その見解への党内反対派が,取材に費やした労力(p.154-155)
党内反対派の結論も「介入やむなし」(p.156-159)
反対派消滅(p.159-160)
▼
そして著者は,上述までのように,既成の左派政党のダメさ加減に失望させられた左派が向かった先が,ニュー・レフト路線であったと主張.
しかしその路線も,一方は革命論を超越しようとしたものの,広く受け入れられずに挫折,片や過激原理主義に引きこもって,後の極左テロのタネを撒くことに.
大池文雄とは?(p.169-172, 196-198)
水戸第5細胞盛衰記(p.180-187)
マルクス主義の批判的継承を主張する大池(p.187-196)
ハンガリー事件を「予言していた」黒田寛一(p.200-202)(……ちょっとウソくさい)
黒田の主体性論(p.209-212)
その原理主義的傾向(p.212)
▼
しかしそもそも,革命という言葉に,(著者も含めて)甘美な期待を持ち過ぎなのではないかと.
(歴史上,革命によって国内問題が解決した例は稀.大半は,国益を大きく損じただけの結果に終わっている.
フランス革命でさえ例外ではない.美化されることが多いけれど)
▼
そういう革命幻想が鼻につくかもしれないが,過去にインチキな連中がいた(そしてそのうちの少なくない数の奴らが,自分の過去の言説に無責任なまま,今ものうのうと活動している)ことを知っておくのは悪くはない.
【関心率61.67%:全ページ中,手元に残したいページがどれだけあるかの割合.当方の価値観基準】
2003年7月21日に日本でレビュー済み
幻の名著と言われて久しい本書が単行本として復刊された。名著の基準は、「復刊ドットコム」でご確認されたい。慶賀すべき事柄である。
本書が学術的に卓越しているのは、知識人の言説を鋭利にただ分析・批評したのではなく、戦後知識人たちの言説を史料として徹底的に再検証しながら、思想史として再現したことである。そこには日本を代表する思想家や政治家の虚妄に満ちた言説の死屍累々の無残な姿が冷静に描き出され、所謂「新左翼」運動への下地がどのように準備されたかが、明確に描き出されている。この経緯は立花隆の「革マル vs. 中核」でも曖昧な部分である。
90年代以降の日本の社会的崩壊は、著者によれば60年代に準備されたということになる。その伏流水の音を鮮やかに聞き取った功績は、日!本思想史上不滅であろう。著者を大家と呼ぶ評者もネット上には存在する。迸る学への情熱を控えめでストイックな文体で書き終えた著者の知的誠実には比類がない。
なお著者には「ハンガリー知識史の風景」(風媒社)という好エッセイ集もあることを申し添えておく。併読をお奨めする。
本書が学術的に卓越しているのは、知識人の言説を鋭利にただ分析・批評したのではなく、戦後知識人たちの言説を史料として徹底的に再検証しながら、思想史として再現したことである。そこには日本を代表する思想家や政治家の虚妄に満ちた言説の死屍累々の無残な姿が冷静に描き出され、所謂「新左翼」運動への下地がどのように準備されたかが、明確に描き出されている。この経緯は立花隆の「革マル vs. 中核」でも曖昧な部分である。
90年代以降の日本の社会的崩壊は、著者によれば60年代に準備されたということになる。その伏流水の音を鮮やかに聞き取った功績は、日!本思想史上不滅であろう。著者を大家と呼ぶ評者もネット上には存在する。迸る学への情熱を控えめでストイックな文体で書き終えた著者の知的誠実には比類がない。
なお著者には「ハンガリー知識史の風景」(風媒社)という好エッセイ集もあることを申し添えておく。併読をお奨めする。