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俺、勝新太郎 (廣済堂文庫) (廣済堂文庫 カ 10-1) 文庫 – 2008/8/25

4.1 5つ星のうち4.1 24個の評価

昭和の名優・勝新太郎の人生録。強烈な人生を駆けぬけた「かつしん」が、ハワイでの逮捕以後、自らの幼少期や役者時代を振り返り、書き下ろした1冊。解説はプロ書評家の吉田豪。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 廣済堂出版 (2008/8/25)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2008/8/25
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 359ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 433165432X
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4331654323
  • カスタマーレビュー:
    4.1 5つ星のうち4.1 24個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中4.1つ
5つのうち4.1つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2024年1月23日に日本でレビュー済み
プロローグからもう勝新ワールドにぐっと引き込まれていく
勝新太郎という男はどんな人だったのかを読者が改めて考えるのがこの本
読み終わったあとも、やっぱ勝新だよなぁ…って気にさせてくれる
勝新はね兄の若山先生共々人間国宝、歴史的偉人に仕立て上げないといけませんよ!
2020年5月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ハチャメチャなイメージでしたが。
人の好さや器のおおきさがわかりました。
役者バカという言葉がピッタリです。面白い内容でした。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年6月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
勝さんが語ったものを誰かが上手くまとめた本かなぁ、と思って読み始めたら、所々「人」という字が「入」になっていたりして、確実に誰かの手書き文字をテキストに入力し直したような誤字が多く見受けられた。これはきっと勝さんが自ら文章を手書きで書いた、勝さんの中から出てきた文章なんだ、と思ったら、急に一行一行が愛おしく思えてきて、大切に最後まで読みました。

私小説風に書かれているので、子供時代のことや若い頃の恋愛など、生々しく勝さんの人生を追体験できます。

俳優、監督、歌い手、唄い手、三味線のお師匠、色々な表現手法の中の一つとして、小説家勝新太郎の才能を体感できる作品です。

この本を読むと、勝さんに出会えます。
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年10月18日に日本でレビュー済み
もう、引用するほかない。
 
 
----------------------
 
 俺と同年代ぐらいの俳優で、歌舞伎の話をできる俳優は少ないと思う。特に名優といわれた役者衆の間、せりふ回し、その人その人の芝居の工夫についての話をできる俳優は少ないと思う。
 
(中略)
 
 六代目菊五郎。この名優は声が悪い。「ぜいぜいぜいぜい」と、口跡(こうせき)の通りが悪い。役者で声が悪かったら致命的だ。その致命的な悪声から出てくる、せりふ回しのここちよさ、間(ま)のよさ。「ぺらぺらぺら」っとせりふを言ってるうちに、ふっと間ができて、「あ、せりふを忘れたのかな」って心配すると、「ぺーらぺらぺらぺら」とせりふを言う小憎さ。魔物というか、麻薬というか。あんなに気持ちよくさせてくれる『ま』は、麻薬の『ま』だな。
 
(中略)
 
 御簾の中で見ていても、合方にのった六代目のせりふ回しのここちよさ。ほれぼれしながらこっちまで、いつの間にか首が「の」の字を書いている。天下一品。
最近では、中村勘九郎丈の『新三』を見た。これも血筋は争えない。お父さんの勘三郎さんもよかったが、六代目の次は勘九郎丈だな。お金を払って見たいと思う役者になった。やっぱりいい道楽をした人たちの中に育ったから、芝居の遊びがあかぬけてきた。
とにかくお客に、芝居を見る遊びの楽しさを教えて、自分は客より楽しむという趣味人。道楽芸の神様。俺が座頭市にしろ何にしろ、俳優になれたのは、六代目の芸を見て育ったからだ。

(勝新太郎 著、『俺、勝新太郎』より引用)

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巻末についている解説者は、この伝説的俳優を溺愛しつつ、本書に例の「パンツ事件」や黒澤明との確執などのエピソードが書かれていないなどといった間抜けたことを言っているが、本書の肝は上記にあるような、芸事の真髄を、その当事者が自らの口で語ったことだと思う。
 
勝新太郎は昭和六年、東京深川の長唄三味線の芸人、杵屋勝東治の次男坊として生まれる。兄貴も揃って名優、若山富三郎。
この東京深川といえば、江戸の頃から続く東京花柳界のど真ん中であり、その中の本筋も本筋の家の倅(せがれ)としてこの世に生を受ける。
長ずるにしたがい、その類い稀な美貌と父親譲りの三味線、そしてなにより芸事の才能を生かして、昭和初期、江戸の最後の芳香の残る東京の芸の世界で頭角をあらわし、やがて京都太秦の映画の世界へ引っ張られていった。
本書に曰く、『歌舞伎界から市川雷蔵、新派から花柳武始、長唄界から杵屋勝丸(=勝新)』の3大スターとして銀幕へ舞台を移し、中村玉緒を嫁に娶(めと)り、流れ流れて座頭市という当たり役に、主演・監督を務めた。
 
勝新のことは、いい。
まぁ、それはいい。
 
本書の素晴らしさは、そういう人生を生きた男が、自らの手で、芸とは何であるか、ものをつくるとは一体どういうことであるかを語りつくしたことにある。
勝新自身は、その生来の傾向がそもそも破天荒であり、それはすべて芸の道に通じる生き方だったと本書を読めば判る。判るから、スキャンダルの内幕を語ることはさほど意味がないのだ。それはあくまで結果だ。世間が騒いだだけのことであり、勝新自身にはさほど大したことではなかったのかもしれない。
 
勝は、長唄の世界からやってきたこの男は、芸を音楽的にとらえている。
せりふを音符として、せりふとせりふのあいだの間を休符として。その休符の中に込めた真髄を、芸の中心に据えた。脚本家が書いたせりふなどちっとも構わずに、その場の流れでどんどん芝居を変え、キャメラの前で、ワンカットごと、その登場人物の人生を生きた。せりふがない瞬間も、その目つきで、身振りで、間で、芝居を組み立てた。すべては生まれついての長唄のちんとんしゃんの拍のままに。流麗に。粋に。
 
そう、その洒脱さ。筋のよさ。
それは江戸の芸がもっていた、格好良さの真骨頂だ。歌舞伎を頂点とした芸事の、美しさスタイルのよさ。先の引用文の印象的な言葉を繰り返すなら、「あかぬけてきた」という奴だろう。
本書を読んで一番強く感じたのは、あぁ、ついこの間まで、こうした江戸情緒を身体の芯に染みこませた日本人が生きていたのだな、という感慨だった。芸とは、粋であり、“生き”そのものである、と。
 
だから、遊ぶ時も洒落がきいてなきゃいけない。女に惚れても、酒を飲んでも、いつ何時も粋な心を忘れずに、サラリとスルリとしていなきゃいけない、と。
芸を生業(なりわい)に生きるということは、そういうことなのだと、本書を読めば判る。生きるために演ずるのか、演ずるために生きるのかすら、もはや定かではなくなっている。でも、そういう境地で生み出される芸は、日常を超える。客の、我々の、陳腐でつまらない日常を忘れさせ、ひと時、芸の、芝居の中に没入させてくれる。勝が言うところの、『芝居を見る遊びの楽しさ』がそこにあると思う。
 
芸とは、日常を越えたものである。芸とは、日常を忘れるために存在するものである。
だから芸事の良し悪しを計るとき、日常の尺度でモノをいってはいけないのかも知れない。それは、無粋というものなのだろう。
だから勝新の奇行とも思える行いを責めるのはお角違いだ。日常人のモラルで、芸人の生活にあれこれ口を挟むというのは、実はとても興ざめなことなのだろう。粋のかけられもない行いなのかもしれない。有名人のスキャンダルを追いかけてアラを探しては大騒ぎする。そこには名優、俳優の芸事の神髄をひとつも咀嚼せずただただ下種で陳腐な興味だけをクローズアップし続ける。そこには芸人の『芝居を見る楽しさ』などひとつもありはしない。
本書を読んでいるとそんなことばかり考えてしまう。
 
民主主義がいきわたり、法の下の平等が約束され、テレビという一部の芸能人達だけの箱だって、インターネットによって解体され、全ての人にメディアとチャネルが開かれた時代。
メディアに大きく取り上げられる人たちには、その影響力からモラル遵守が不文律として強制され、そこからすこしでも外れた行いをすれば、週刊誌とワイドショーと2ちゃんねるから猛烈な攻撃を受ける時代。
 
ねぇ、勝さん。
ぼくらの日本は、江戸の芸を取り戻せるんですかね?
粋で洒脱に生きた男たち女たちの芸事はもう二度と取り戻せないんですかね?
 
冒頭の引用文をいま一度読み返して欲しい。
芝居だけじゃない。演出だけじゃない。文章を書かしたってその男は、すらりすらりと気の効いたことを、特にむつかしい言葉も使わずに言ってのける。その軽妙洒脱さ、“あかぬけ”具合。
これは小手先の芸当なんかじゃなくて、本物の腰の座った、腹から出た芸なのだと、恐れ入るほかないじゃないか。
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年3月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
響くなぁ。
邦楽の出とは知っていたけど、私の知ってる勝新さんは映画俳優。本書でも映像・演技のことを語っているけど、その語り口は音楽的。いろんなことについて、息、間、拍子を重要視しているようなことを書いていて、三つ子の魂百まで、この人の基礎って長唄なんだ、と思う。

この本を読んでいると、自己中心的という言葉が悪い意味には思えなくなってくる。道を究めるにはやはり、自分、なんですね。それは、好き勝手にやりゃあいいってものではなく。ビビッとくるものがあれば、それを納得いくまで追い求める。追い求めていく時に、まぁ、あれやこれや起きるんだけど、それは一切自己責任。
わがままっぽい人だけど、気遣いや義理人情なども人一倍なんだろうなというのは本書を読んで感じる。パワハラ・セクハラなこともいっぱい書いてあるけど、すごいゴシップをさらっと流したり、墓場に持っていった話も多いんだろうな。勝新さんが生き返らないように、「男」というのも復活しないんでしょう。もう実現できない憧れ。

響くなぁ。このレビューで一所懸命その響く感じを伝えようとしてるのだけど、ぴったり嵌る言葉が浮かんで来ず、だらだら書いてしまった。

余談ですが、本書はとても誤植が多い。でも読んでる途中で、誤植ではなく誤字? ん?語り下ろしではなくホントに勝新さんが書いて、誤字は原文ママ? などと思ってしまい、そうだとすると、こんな臨場感のある編集ってすごいですよね。読むな、感じろ!って感じ。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年11月4日に日本でレビュー済み
勝新が、両親、兄たちとの幼少の思い出をはじめ、芸事や女、童貞喪失、妻・玉緒への思い、大麻事件などについて語ります。

また、裕次郎や市川雷蔵についても言及があり、勝新の思想がそこかしこから読み取れます。

勝新に関心があるのなら、避けては通れない一冊です。
17人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年4月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
勝新太郎を語るのは難しい。勝新太郎を書いて、まとまるなんておかしいよ。本人も書いてるんだけど。
この本、読むと確かにまとまった本じゃないんだよね。だけど、まとまった自伝書くなんてのは簡単なんだよ。
自分がまとまった人間、まともな人間ですって芝居すればいいんだから。
だけどまともな人間について自分でまとめて、まとまった本にするってのは、それはまともな本じゃないよな?
役者だとか映画人だとか芸術家だとかサイケだとかさ、まとめられない俺でなくちゃいけないわけだから。
それで、自分で自分をまとめちゃうようなさ、まとまった本、俺の妹がかわいくないとか、ちょっと読んでみるとね、〜なんだか知らないけど、やな本だね。

文庫化うれしいです。『遊びばなし〜うたとはなしと三味線と』も続編と合わせて再販したみたいだし、
この勢いで超復刻希望→『勝新図鑑―絵になる男・勝新太郎のすべて』&『泥水のみのみ浮き沈み―勝新太郎対談集』
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2008年9月17日に日本でレビュー済み
時系列が分かりにくかったり、いささか説明不足な感はある。
しかし、勝新太郎である。

私を含め、その時代を知らない人は
wikipediaでサラッと彼の項目を見てから読むと面白いかもしれません。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート