この本では、仏教の開祖であるブッダの考えや教えを、オリジナルに近い形で再現することに細心の注意が払われています。
日本でよく知られている仏教は、日本という土地に根付くよう様々な形である程度の改変が行われています。それは、それぞれの宗派の汗と涙の結晶でもあり、それはそれとして尊重すべきものであると思います。ただ、日本で大切にされている仏教の教えの源流がどのようなものであったのかを知ることも、仏の教えを実践していくものには非常に重要な要素かと思います。
本書では、オリジナルなブッダの教えを主軸としながら、現代心理学、精神分析、量子力学、トランスパーソナル心理学・・などの現代的な知見との整合性も偏見なくバランス良く取り入れています。その作者の真摯で誠実な姿勢にこそ、ブッダに通じる智慧を感じました。
ブッダの教えが観念的な知識にならないように、誰にとっても深く意味のある記載と工夫が随所に施されているのを感じました。
「ひとりの人間が生きていくということ。成長していくことはどういうことなのか」という基本的なことを改めて学ばせていただきました。
作者の愛や思いやりも、文章や行間から随所に感じられます。
冒頭の文章からも、作者のそのような思いが感じられます。
-------------------------
生きることは、喜怒哀楽のすべてを体験すること
何かを変えようとしなくても
ただありのままに気付いて
自覚しながら生きる自分を見守っていると
生命の智慧が働きだし、必要な変化が生まれます。
生きることは、数限りない生と死に支えられてこそあるもの
痛みや不安を見守る智慧が
静かな平安と共に思いやりの心を生み出します。
息は、自然の心
息は、自然の心
-------------------------
ブッダや呼吸法に興味がある人にはもちろん、人間が生きるということ、「エゴ」というもの、・・・そういうものに興味がある人にも強くお薦めします。
本当に素晴らしい本だと思います。本がアンダーラインばかりになってしまいました・・・・。
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呼吸による気づきの教え: パーリ原典「アーナーパーナサティ・スッタ」詳解 単行本 – 2005/9/26
井上 ウィマラ
(著)
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テーラワーダ(上座)仏教に伝わるパーリ経典の中部第118番に収められている「アーナーパーナサティ・スッタ(漢訳名:大安般守意経)」を、パーリ原典から訳出し詳解。
- 本の長さ236ページ
- 言語日本語
- 出版社佼成出版社
- 発売日2005/9/26
- ISBN-104333021693
- ISBN-13978-4333021697
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著者について
1959年、山梨県生まれ。京都大学文学部中退。ビルマでウィパッサナー瞑想と経典研究の修行を積み、カナダ、イギリス、アメリカで瞑想指導。還俗して帰国してからは教育、福祉、医療などの現場に瞑想の本質を手渡してゆく道を開拓している。著書に『心を開く瞑想レッスン』(大法輪閣)、『呼吸を感じるエクササイズ』(岩波アクティブ新書)、訳書に『呼吸による癒し』、『やさしいウィパッサナー瞑想入門』(春秋社)、『瞑想脳を拓く 脳生理学があかすブッダのサイエンス』(佼成出版社)など。
登録情報
- 出版社 : 佼成出版社 (2005/9/26)
- 発売日 : 2005/9/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 236ページ
- ISBN-10 : 4333021693
- ISBN-13 : 978-4333021697
- Amazon 売れ筋ランキング: - 95,354位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 435位仏教入門
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年9月25日に日本でレビュー済み
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井上ウィマラさんの文章は、ナヨナヨ、バブバブしていて気持ち悪い。私は合わない。
2014年8月23日に日本でレビュー済み
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とても感動しました!
何度も読み返してしまいました。
いつも持ち歩きたい本です。
難点は持ち歩くには分厚すぎるかな?!
何度も読み返してしまいました。
いつも持ち歩きたい本です。
難点は持ち歩くには分厚すぎるかな?!
2014年5月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
原典詳解となっているものの、パーリ語原典あるいは注釈書に即した説明というよりも、「心理学や量子力学」についての著者の見解による説明が中心になっており、世間的な文脈における理解が中心となっている。そうであれば、心理学や量子力学の専門書のほうがすぐれており、中途半端な印象である。瞑想の実践や、出世間とは何かという伝統的教義の理解をもとめるのならば、パーリ語原典や注釈書に忠実な「パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ―『大念処経』を読む [単行本] 片山 一良 (著) 」が格段にすぐれている。
2022年11月13日に日本でレビュー済み
世間が西洋の潮流に乗っかって、「マインドフルネス」だの「気づきだ、気づきこそ」「ヴィパッサナーだけで良いのです」などと猫も杓子も言い出した(NHKも乗っかって報道しちゃった)そのキッカケを作るのに一役買ったうちの一人である、井上松永って人の本です。名前にコンプレックスあってウィマラとかいう出家名を還俗したにもかからず使い続けているという、出家・在家のけじめが付けられなかった人。
名前を変えることによってその立場を明確にする、区切りをつける。上座部の伝統としては言うまでもなく、(仏教関係なく)日本古来の伝統としてもそれはかなり大事なことであるのですけれども。「上座部を日本で広めるために出家名を還俗後も名乗ることにした。そしてその了解も師から得たのだ」とか本人は言ってましたが、それ自分の小さい頃からの名前コンプレックスを覆うためのオタメゴカシでしょうに。井上氏本人は日本仏教のことかなり見下していましたが、やっていることはまさにその悪い意味での日本仏教的な誤魔化し。
本書でsatiに「気づき」って訳をつけるのはやはりどう考えてもおかしいし不適当であるのに、自分が「気づき」の言いだしっぺの一人なもんだからずーっと「気づきだとも訳せるのだ!」といまだ強弁しています。引っ込みがつかないのでしょう。が、それはまさに我田引水というものです。少なくとも仏典でsatiに「気づき」などという意味があることは証明できていません。そしてそれは無いのだから証明しようがない。
F欄大学の「スピリチュアルケア学科」などというトンデモ学科の講師を今もしているようですが、彼はそれが出来ないもんだから、数年前のパーリ学会で西洋の心理学だの精神医学だのの言葉や理解を引っ張り出し、こねくり回した発表していました。が、まぁ見当違いですよ。聞いててなんだそりゃ、お門違いだろ、と呆れてしまいました。
彼の他の本読んでて感じるのは西洋コンプレックス、あとニューエイジというか電波系ってこと。それこそ本書ではそれがあまり開陳されていませんが、彼の他の本の中ではかなりイっちゃってる話を所々で書き散らしています。そういうことは語らない、っていう仏教の伝統と知恵は、還俗したのに僧名は捨てず、しかし肝心な智慧や伝統はどこかに放り捨ててしまったようです。
彼は上座部でその昔に出家していた経験を誇らしくあちこちで語りますが、日本のボーサンに対してはしょうがないとして、上座部であってもその出家者に対する敬意は払わなくなっています。そしてそれは日本人が上座部で短期間得度していた者に非常によく見られる態度です。
肝心の本書の内容について、そもそも「アーナーパーナ・サティ」とはその最初こそ「呼吸を軸にして心を鎮める」って手法ですけれども、それ超えたら呼吸を対象とせず、呼吸は関係なくなるので、題目の「呼吸による気づきの教え」って妥当ではない。もちろん先に述べたように「気づき」って言葉を使う時点でダメ。あと本人はこれで註解つけているつもりなのでしょうけれども、生半可な物理学や心理学を引っ張りだしてきて語ろうとするあたり、二十世紀の80年から90年代にかけて流行ってしまった疑似科学による仏教解説本と同じ臭いが漂っています。いや、まさにそのものだと言えます。
当時はユングだのフロイトだのが正当な科学として扱われて仏教との近似性が強調され、あるいは量子力学を牽強付会して仏教が語られていたと思います。この手のは碌なもんじゃありません。
しかし本書はまさにその手合。昭和の亡霊です。これ仏教の、しかももっとも核心的な手法を開陳している経典についての本なのであれば、まずその正統説・伝統説によって確実に解説するのが先でしょう。その上で、余談として現代的理解を参考に述べ、古今を超えたその妥当性・普遍性を示していく、というなら実に結構。でもこの本はそれと真逆。しかも著者が別に学位も持たず、専門でもない科学分野の話をタラタラ述べているだけ。しかもその文体が妙にナヨナヨとした印象でスッキリしないレトリック。
ということで、これは仏教の本でも心理学や物理学の本でもない、なんだか能くわからん中途半端なものとなっています。
今どき、こんなスピリチュアル系といえる本なぞ買わなくとも、ネットでしっかりした解説されたサイトは複数あります。むしろこの本は無知な人に誤解を撒き散らすので避けたほうが無難です。初学者や純粋な人はこれに騙されちゃう有害図書の類です。
名前を変えることによってその立場を明確にする、区切りをつける。上座部の伝統としては言うまでもなく、(仏教関係なく)日本古来の伝統としてもそれはかなり大事なことであるのですけれども。「上座部を日本で広めるために出家名を還俗後も名乗ることにした。そしてその了解も師から得たのだ」とか本人は言ってましたが、それ自分の小さい頃からの名前コンプレックスを覆うためのオタメゴカシでしょうに。井上氏本人は日本仏教のことかなり見下していましたが、やっていることはまさにその悪い意味での日本仏教的な誤魔化し。
本書でsatiに「気づき」って訳をつけるのはやはりどう考えてもおかしいし不適当であるのに、自分が「気づき」の言いだしっぺの一人なもんだからずーっと「気づきだとも訳せるのだ!」といまだ強弁しています。引っ込みがつかないのでしょう。が、それはまさに我田引水というものです。少なくとも仏典でsatiに「気づき」などという意味があることは証明できていません。そしてそれは無いのだから証明しようがない。
F欄大学の「スピリチュアルケア学科」などというトンデモ学科の講師を今もしているようですが、彼はそれが出来ないもんだから、数年前のパーリ学会で西洋の心理学だの精神医学だのの言葉や理解を引っ張り出し、こねくり回した発表していました。が、まぁ見当違いですよ。聞いててなんだそりゃ、お門違いだろ、と呆れてしまいました。
彼の他の本読んでて感じるのは西洋コンプレックス、あとニューエイジというか電波系ってこと。それこそ本書ではそれがあまり開陳されていませんが、彼の他の本の中ではかなりイっちゃってる話を所々で書き散らしています。そういうことは語らない、っていう仏教の伝統と知恵は、還俗したのに僧名は捨てず、しかし肝心な智慧や伝統はどこかに放り捨ててしまったようです。
彼は上座部でその昔に出家していた経験を誇らしくあちこちで語りますが、日本のボーサンに対してはしょうがないとして、上座部であってもその出家者に対する敬意は払わなくなっています。そしてそれは日本人が上座部で短期間得度していた者に非常によく見られる態度です。
肝心の本書の内容について、そもそも「アーナーパーナ・サティ」とはその最初こそ「呼吸を軸にして心を鎮める」って手法ですけれども、それ超えたら呼吸を対象とせず、呼吸は関係なくなるので、題目の「呼吸による気づきの教え」って妥当ではない。もちろん先に述べたように「気づき」って言葉を使う時点でダメ。あと本人はこれで註解つけているつもりなのでしょうけれども、生半可な物理学や心理学を引っ張りだしてきて語ろうとするあたり、二十世紀の80年から90年代にかけて流行ってしまった疑似科学による仏教解説本と同じ臭いが漂っています。いや、まさにそのものだと言えます。
当時はユングだのフロイトだのが正当な科学として扱われて仏教との近似性が強調され、あるいは量子力学を牽強付会して仏教が語られていたと思います。この手のは碌なもんじゃありません。
しかし本書はまさにその手合。昭和の亡霊です。これ仏教の、しかももっとも核心的な手法を開陳している経典についての本なのであれば、まずその正統説・伝統説によって確実に解説するのが先でしょう。その上で、余談として現代的理解を参考に述べ、古今を超えたその妥当性・普遍性を示していく、というなら実に結構。でもこの本はそれと真逆。しかも著者が別に学位も持たず、専門でもない科学分野の話をタラタラ述べているだけ。しかもその文体が妙にナヨナヨとした印象でスッキリしないレトリック。
ということで、これは仏教の本でも心理学や物理学の本でもない、なんだか能くわからん中途半端なものとなっています。
今どき、こんなスピリチュアル系といえる本なぞ買わなくとも、ネットでしっかりした解説されたサイトは複数あります。むしろこの本は無知な人に誤解を撒き散らすので避けたほうが無難です。初学者や純粋な人はこれに騙されちゃう有害図書の類です。