リカードの比較優位を中心に論じられています。
ソ連に日本円を流通させて、アメリカを経済的に併合してしまおうというお話。
比較優位論に疑問を呈しています。
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国民のための経済原論 2 アメリカ併合編 (カッパ・ビジネス) 新書 – 1993/5/1
小室 直樹
(著)
- 本の長さ213ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日1993/5/1
- ISBN-104334012787
- ISBN-13978-4334012786
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
バブル崩壊後の今こそ、国民一人一人が経済学を身につける時である。第二巻は国際経済学編として、アメリカを没落させるといわれる「比較優位説」とヘクシャー・オリーン・サムエルソンの定理を論の柱とする。
登録情報
- 出版社 : 光文社 (1993/5/1)
- 発売日 : 1993/5/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 213ページ
- ISBN-10 : 4334012787
- ISBN-13 : 978-4334012786
- Amazon 売れ筋ランキング: - 675,940位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 207位世界の経済事情
- - 48,338位新書
- - 106,469位ノンフィクション (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年11月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
経済に関するエッセンスが分かりやすく書いてあり、読みやすい本だった
2013年12月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まだ読んでいません。しかし、アメリカと日本の経済問題なので、とても面白いと思います。
2017年4月24日に日本でレビュー済み
物の値段は需要と供給で決まるが、長期的には正常価格に収まる。
すなわち、生産機械の摩耗分+原材料+労働力。
生産要素の1つである機械は不変資本、これは剰余価値を生まない。
「労働力」という名の「商品」は可変資本、これだけが剰余価値を生む。
労働力が可変資本である、というのは、つまり、働かせ方によって価値が変わって来る特別な商品である、という意味である。
金貨2枚分の価値がある労働力という商品を金貨1枚で購入する。
すると資本家には金貨1枚分の余剰資本が残る。
消費者は、商品に飽き、新しい商品にすぐ目移りするため、
生産者は新しい機械を購入し、労働者の負担を減らし、労働を単純化し、新しい商品を作り続けなければ競争に敗れてしまう。
結果、必要とされる労働力は減り、資本家にとっては、利益は増えても、
可変資本である労働者が減ると、利益率が悪くなる。
しかし、何もしないでいると競争に敗れ去ることになるため、資本家はこの波から逃れられない。
そして、機械が増え、高度化していくと、労働者の価値が下がっていく。
資本家の収益が悪くなると、労働者は、その調整弁ともなり、失業者があふれる。
また、生産機械を資本家に納入する会社は、好景気の時は、受注が増えるため、売る機械を増やすだけでなく、売る機械を造る機械を作る機械をたくさん仕入れなければならない。
消費手段を生産する会社に比べて、生産手段を生産する会社の方が、
取引のバランスに関係なく不均等に拡大することを
「不均等的拡大」という。
ある日、生産者が作る商品が消費者に売れなくなったら。
消費手段を生産する会社から生産手段を生産する会社への受注は減り、
拡大した設備は稼働しなくなり、生産手段を生産する会社の業績も悪くなる。
競争に敗れた工場は倒産し、町には失業者があふれ、
さらに、不景気により、銀行の信用創造にも影響が出て来る。
銀行の「信用創造」とは、
例えば、A社が銀行を信用し、1000ドル預金し、
そのうちA社が実際に銀行から出し入れする金額は1割の100ドルだとすると、
残りの900ドルを銀行がB社に融資する。
B社はその900ドルでC社から商品を買い、C社はその900ドルを銀行に預金する。
さらに銀行は、その900ドルのうち1割を残して810ドルをD社に融資し・・・
と、
銀行は、最初の1000ドルを元に、その数倍の預金通貨を発行する。
このように、銀行の信用により通貨が作られていくことを信用創造という。
ところが、B社の経営が傾き、銀行への返済が滞るようになると、
銀行の信用創造の仕組みはゆらぎ、融資の貸し渋り、
また、最後には取り付け騒ぎまで起こり、
「恐慌」が起こる。(この恐慌により、需要供給のバランスが正される。)
1930年代、マーシャル、ピグーなどの古典派経済学は「失業の章」を持たなかった(高田保馬)。
この時、マルクスは産業予備軍という理論を持っており、これは失業論に他ならなかった。
マルクスが経済学の覇を取るのは日を数えるのみ・・・のはずだった。
だが、マルクスはその場にいなかった。
彼の「労働価値説」が「循環論法」である、と、ベーム・バヴェルクから批判されて潰されていたのである。
アダム・スミス、リカードによって唱えられた労働価値説を完成させたのはマルクス。
物の価値は労働で決まる。
労働で決まるとはどういうことか。
これをはっきり言ったのがマルクスで、「労働時間」で決まる、と。
農業や漁業のような単純労働の場合ならいいが、医師や弁護士、高級エンジニアの労働と単純労働との比較はどうするのか(「労働換算の問題」)。
それはその時の相場で、例えば、弁護士の労働は農夫の100倍に換算する。
その換算率はどのように決めるのか。
市場価格で決める。
市場価格→労働換算→労働→価値→正常価格→市場価格
これでは論法が循環してしまい、証明にならない。ベーム・バヴェルクの批判。
マルクスは経済学界から葬られてしまった。
ずっと後になり、森嶋通夫により、
労働価値説は「循環論法」を用いなくても証明され得る(あるいはいわゆる「循環論法」を用いたからとて、理論的には差し支えはない)ことが示された。
古典派は、「セーの法則」(供給が需要を作る→売れ残りはない→労働組合などによる自由競争の邪魔がなければ失業はない)を信じていた。
恐慌が起こった時代、マルクスにとっては千載一遇のチャンスであった。
しかし前述のとおり、そうはならなかった。
ケインズは、逆に、「需要が供給を作る」と唱えた。
実際に、政策的に需要を作ることで(公共工事を行う等)、資本主義で失業が克服されることを、ケインズ、ヒットラーは証明してみせた。
時代は前後するが、マルキスト、反マルキストとも、これを読んでなければ議論にも入れてもらえない、という本があった。
「帝国主義論」 レーニン著。
ナポレオン戦争が1815年に終わり、1914年の第1次世界大戦まで、ヨーロッパで100年間、
大戦争は起こってなかった。
この時代、ヨーロッパでは人類の進歩が信じられ、最良の世界に向かっていると信じられ、
最後の悪と暴力沙汰とが終局的に克服されるのはあと数十年と信じられていた。
そんな中、レーニン曰く。
植民地の再分割争奪戦にかかる大戦争は避けられない。
大航海時代を経て、その後、ポルトガル、スペイン、オランダが脱落し、
当時、植民地を多く抱える覇者であったのは英仏。
産業革命を経て、十分に資本が蓄積された先進国では、利潤率、利子率が低い。
逆に後進国では利潤率、利子率が高い。
しかし、英仏に抑えられている全世界の植民地に、ドイツなどの後進帝国主義国が割って入るためには、戦争が避けられない。
人類は100年も大戦争をしておらず、最良の世界を迎えるまで時間の問題と考えらえていた時代に、
レーニンはこのように予言し、世界はその通りとなった。
その予言の背景には、経済理論があった。
科学的社会主義を地で行くような話。
世界が、マルクス・レーニン主義にひれ伏した。
現在では、「帝国主義論」は否定され果てているが、当時はそのような状況であった。
ここで、「ヘクシャー・オリーン(+サムエルソン)の定理」の話を。
サムエルソンは「ヘクシャー・オリーンの定理」と呼ぶが、
ヘクシャー・オリーンが口にしたことを数学理論を用いて精緻なものとし、後に大発展させたのがサムエルソンなので、故 小室直樹氏は、
へクシャー・オリーン・サムエルソンの定理
と呼ぶ。
リカードが唱えた「比較優位説」。
分業、貿易が行われる理由を説明している。
それまで考えられていたのは「絶対優位説」。
A国とB国があり、A国がB国より米を作るのが得意で、B国がA国より車を作るのが得意なら、
それぞれ得意な分野に特化し、貿易をする方が、互いに豊かになれる。
これが絶対優位説。
では、A国の方が、B国よりも、米も車も作るのが得意な場合は貿易は行われないのか。
答え。
A国が米を作るのがB国より「ちょっと」得意で、車を作るのは「うんと」得意な場合、
A国、B国はそれぞれ車、米に特化して、貿易を行った方が互いに豊かになれる。
これが比較優位説。(数値例は省く。)
「ヘクシャー・オリーン・サムエルソンの定理」はさらに踏み込み、
何故、比較優位という事象が現れるのか、という理由を説明し、
さらに特記すべきことは、
自由貿易が行われた場合(関税、輸送料とかは捨像する)、
両国間において、商品の値段が同じになる(2国が1つの市場になり、1物1価の法則が働くから)ばかりでなく、
生産要素、すなわち、地代、人件費、利子率、も同じになることを示している。
してみれば、高利潤を求めてわざわざ植民地に投資する意味がない。
自由貿易さえ行われれば、利子率も同じになるのだから。
何故そうなるのかは、数学的精緻な理論になるため、小室直樹氏も触れていない。
(数学を使わずに経済学を説明しようとして書かれた本だから。)
実際、20世紀に入ると、英仏独の経済力はほぼ拮抗。
植民地は無用の長物と化していた。
マルクスの公式に依ると、社会主義は資本主義の後にくる。
だから、資本主義の資産は継承できる。
資本主義の資産とは何か。
高度に発達した技術と膨大に蓄積された資本である。
マルキストはそう思い込んでいた。
スターリンもそう思い込んでいた。
ロシア革命は最後進資本主義国であるロシアに起きた。マルクスの予定とは違って。
だから、スターリンは、高度に発達した技術を膨大に蓄積された資本とを継承できなかった。
5カ年計画につぐ5カ年計画。何千万人もの人を殺してもスターリンは邁進した。技術と資本(設備)とをもとめて。
が、スターリンは、技術や資本よりも大切なものを忘れていた。
資本主義の精神があって初めて資本主義は誕生する。存立し得る。
社会主義もまた。
資本主義の精神とは何か。
一つには、労働(経営活動を含めて)を救済するための条件とする精神である。
もう一つは産業経営を複式簿記を土台にして形式合理的に構成する精神である。
資本主義の精神を欠くがゆえにソヴィエト帝国は崩壊した。
形式合理的産業計画なくしてどうして計画経済が成立し得よう。
以上、著作を読んだ記憶に頼るメモ。
すなわち、生産機械の摩耗分+原材料+労働力。
生産要素の1つである機械は不変資本、これは剰余価値を生まない。
「労働力」という名の「商品」は可変資本、これだけが剰余価値を生む。
労働力が可変資本である、というのは、つまり、働かせ方によって価値が変わって来る特別な商品である、という意味である。
金貨2枚分の価値がある労働力という商品を金貨1枚で購入する。
すると資本家には金貨1枚分の余剰資本が残る。
消費者は、商品に飽き、新しい商品にすぐ目移りするため、
生産者は新しい機械を購入し、労働者の負担を減らし、労働を単純化し、新しい商品を作り続けなければ競争に敗れてしまう。
結果、必要とされる労働力は減り、資本家にとっては、利益は増えても、
可変資本である労働者が減ると、利益率が悪くなる。
しかし、何もしないでいると競争に敗れ去ることになるため、資本家はこの波から逃れられない。
そして、機械が増え、高度化していくと、労働者の価値が下がっていく。
資本家の収益が悪くなると、労働者は、その調整弁ともなり、失業者があふれる。
また、生産機械を資本家に納入する会社は、好景気の時は、受注が増えるため、売る機械を増やすだけでなく、売る機械を造る機械を作る機械をたくさん仕入れなければならない。
消費手段を生産する会社に比べて、生産手段を生産する会社の方が、
取引のバランスに関係なく不均等に拡大することを
「不均等的拡大」という。
ある日、生産者が作る商品が消費者に売れなくなったら。
消費手段を生産する会社から生産手段を生産する会社への受注は減り、
拡大した設備は稼働しなくなり、生産手段を生産する会社の業績も悪くなる。
競争に敗れた工場は倒産し、町には失業者があふれ、
さらに、不景気により、銀行の信用創造にも影響が出て来る。
銀行の「信用創造」とは、
例えば、A社が銀行を信用し、1000ドル預金し、
そのうちA社が実際に銀行から出し入れする金額は1割の100ドルだとすると、
残りの900ドルを銀行がB社に融資する。
B社はその900ドルでC社から商品を買い、C社はその900ドルを銀行に預金する。
さらに銀行は、その900ドルのうち1割を残して810ドルをD社に融資し・・・
と、
銀行は、最初の1000ドルを元に、その数倍の預金通貨を発行する。
このように、銀行の信用により通貨が作られていくことを信用創造という。
ところが、B社の経営が傾き、銀行への返済が滞るようになると、
銀行の信用創造の仕組みはゆらぎ、融資の貸し渋り、
また、最後には取り付け騒ぎまで起こり、
「恐慌」が起こる。(この恐慌により、需要供給のバランスが正される。)
1930年代、マーシャル、ピグーなどの古典派経済学は「失業の章」を持たなかった(高田保馬)。
この時、マルクスは産業予備軍という理論を持っており、これは失業論に他ならなかった。
マルクスが経済学の覇を取るのは日を数えるのみ・・・のはずだった。
だが、マルクスはその場にいなかった。
彼の「労働価値説」が「循環論法」である、と、ベーム・バヴェルクから批判されて潰されていたのである。
アダム・スミス、リカードによって唱えられた労働価値説を完成させたのはマルクス。
物の価値は労働で決まる。
労働で決まるとはどういうことか。
これをはっきり言ったのがマルクスで、「労働時間」で決まる、と。
農業や漁業のような単純労働の場合ならいいが、医師や弁護士、高級エンジニアの労働と単純労働との比較はどうするのか(「労働換算の問題」)。
それはその時の相場で、例えば、弁護士の労働は農夫の100倍に換算する。
その換算率はどのように決めるのか。
市場価格で決める。
市場価格→労働換算→労働→価値→正常価格→市場価格
これでは論法が循環してしまい、証明にならない。ベーム・バヴェルクの批判。
マルクスは経済学界から葬られてしまった。
ずっと後になり、森嶋通夫により、
労働価値説は「循環論法」を用いなくても証明され得る(あるいはいわゆる「循環論法」を用いたからとて、理論的には差し支えはない)ことが示された。
古典派は、「セーの法則」(供給が需要を作る→売れ残りはない→労働組合などによる自由競争の邪魔がなければ失業はない)を信じていた。
恐慌が起こった時代、マルクスにとっては千載一遇のチャンスであった。
しかし前述のとおり、そうはならなかった。
ケインズは、逆に、「需要が供給を作る」と唱えた。
実際に、政策的に需要を作ることで(公共工事を行う等)、資本主義で失業が克服されることを、ケインズ、ヒットラーは証明してみせた。
時代は前後するが、マルキスト、反マルキストとも、これを読んでなければ議論にも入れてもらえない、という本があった。
「帝国主義論」 レーニン著。
ナポレオン戦争が1815年に終わり、1914年の第1次世界大戦まで、ヨーロッパで100年間、
大戦争は起こってなかった。
この時代、ヨーロッパでは人類の進歩が信じられ、最良の世界に向かっていると信じられ、
最後の悪と暴力沙汰とが終局的に克服されるのはあと数十年と信じられていた。
そんな中、レーニン曰く。
植民地の再分割争奪戦にかかる大戦争は避けられない。
大航海時代を経て、その後、ポルトガル、スペイン、オランダが脱落し、
当時、植民地を多く抱える覇者であったのは英仏。
産業革命を経て、十分に資本が蓄積された先進国では、利潤率、利子率が低い。
逆に後進国では利潤率、利子率が高い。
しかし、英仏に抑えられている全世界の植民地に、ドイツなどの後進帝国主義国が割って入るためには、戦争が避けられない。
人類は100年も大戦争をしておらず、最良の世界を迎えるまで時間の問題と考えらえていた時代に、
レーニンはこのように予言し、世界はその通りとなった。
その予言の背景には、経済理論があった。
科学的社会主義を地で行くような話。
世界が、マルクス・レーニン主義にひれ伏した。
現在では、「帝国主義論」は否定され果てているが、当時はそのような状況であった。
ここで、「ヘクシャー・オリーン(+サムエルソン)の定理」の話を。
サムエルソンは「ヘクシャー・オリーンの定理」と呼ぶが、
ヘクシャー・オリーンが口にしたことを数学理論を用いて精緻なものとし、後に大発展させたのがサムエルソンなので、故 小室直樹氏は、
へクシャー・オリーン・サムエルソンの定理
と呼ぶ。
リカードが唱えた「比較優位説」。
分業、貿易が行われる理由を説明している。
それまで考えられていたのは「絶対優位説」。
A国とB国があり、A国がB国より米を作るのが得意で、B国がA国より車を作るのが得意なら、
それぞれ得意な分野に特化し、貿易をする方が、互いに豊かになれる。
これが絶対優位説。
では、A国の方が、B国よりも、米も車も作るのが得意な場合は貿易は行われないのか。
答え。
A国が米を作るのがB国より「ちょっと」得意で、車を作るのは「うんと」得意な場合、
A国、B国はそれぞれ車、米に特化して、貿易を行った方が互いに豊かになれる。
これが比較優位説。(数値例は省く。)
「ヘクシャー・オリーン・サムエルソンの定理」はさらに踏み込み、
何故、比較優位という事象が現れるのか、という理由を説明し、
さらに特記すべきことは、
自由貿易が行われた場合(関税、輸送料とかは捨像する)、
両国間において、商品の値段が同じになる(2国が1つの市場になり、1物1価の法則が働くから)ばかりでなく、
生産要素、すなわち、地代、人件費、利子率、も同じになることを示している。
してみれば、高利潤を求めてわざわざ植民地に投資する意味がない。
自由貿易さえ行われれば、利子率も同じになるのだから。
何故そうなるのかは、数学的精緻な理論になるため、小室直樹氏も触れていない。
(数学を使わずに経済学を説明しようとして書かれた本だから。)
実際、20世紀に入ると、英仏独の経済力はほぼ拮抗。
植民地は無用の長物と化していた。
マルクスの公式に依ると、社会主義は資本主義の後にくる。
だから、資本主義の資産は継承できる。
資本主義の資産とは何か。
高度に発達した技術と膨大に蓄積された資本である。
マルキストはそう思い込んでいた。
スターリンもそう思い込んでいた。
ロシア革命は最後進資本主義国であるロシアに起きた。マルクスの予定とは違って。
だから、スターリンは、高度に発達した技術を膨大に蓄積された資本とを継承できなかった。
5カ年計画につぐ5カ年計画。何千万人もの人を殺してもスターリンは邁進した。技術と資本(設備)とをもとめて。
が、スターリンは、技術や資本よりも大切なものを忘れていた。
資本主義の精神があって初めて資本主義は誕生する。存立し得る。
社会主義もまた。
資本主義の精神とは何か。
一つには、労働(経営活動を含めて)を救済するための条件とする精神である。
もう一つは産業経営を複式簿記を土台にして形式合理的に構成する精神である。
資本主義の精神を欠くがゆえにソヴィエト帝国は崩壊した。
形式合理的産業計画なくしてどうして計画経済が成立し得よう。
以上、著作を読んだ記憶に頼るメモ。
2013年1月21日に日本でレビュー済み
本書は「国民のための経済原論」である。国民一人ひとり
がエコノミストになる必要があることから書かれた本なの
である。本書の中で著者は国際経済学の原理を明らかにし
ている。そのココロは比較優位説にある。
比較優位説とはリカード大先生によって唱えられた経済
理論である。この理論によると比較優位にある産業に特化
した二国間で貿易を行えば行わなかった場合に比べて二国
とも豊かになるという。これが三カ国以上であっても結果
は同じであるという。
この理論を理解することが国際経済学を理解することに
つながるという。著者はこのことを口がすっぱくなる程
繰り替えし唱えている。そして、この比較優位説を飛躍的
に発展させたのが、へクシャー・オリーン・サムエルソン
の定理であり、これが比較優位説の奥の院であるという。
この定理、へクシャー・オリーンという人が口の中で
何かこうムニャムニャと言っていたのをサムエルソンが
数式化して、経済モデルとして提示したのだそうである。
これに加えて著者は国際収支の読み方を講義する。
国際収支とは貿易収支や経常収支のことである。著者は
この二つをかくも大事な要素として繰り返し唱えている。
これらの理論の講義を前提として何とアメリカ併合へと
話は進み、結論としている。その併合の仕方までのプロセス
が重要で簡単には説明できないが、併合といっても植民地
にするわけではなく、経済的に併合してしまうという意味
である。それにしてもかなり突飛な話ではあるが、小室節
の前ではこれらも現実の話となってしまうから凄い。
小室直樹の思想はどれもベーシックな思想と破天荒な発想
で彩られている。本書もご多分にもれず突飛な発想で書かれて
いるが、学問的には極めで基本に忠実なのである。そこが小室氏
の理論を現実的と思わせる秘訣なのだろう。本書は「国民の
ための経済原論」である。全ての国民に読んでほしい分かりやすく
優れた提言である。
がエコノミストになる必要があることから書かれた本なの
である。本書の中で著者は国際経済学の原理を明らかにし
ている。そのココロは比較優位説にある。
比較優位説とはリカード大先生によって唱えられた経済
理論である。この理論によると比較優位にある産業に特化
した二国間で貿易を行えば行わなかった場合に比べて二国
とも豊かになるという。これが三カ国以上であっても結果
は同じであるという。
この理論を理解することが国際経済学を理解することに
つながるという。著者はこのことを口がすっぱくなる程
繰り替えし唱えている。そして、この比較優位説を飛躍的
に発展させたのが、へクシャー・オリーン・サムエルソン
の定理であり、これが比較優位説の奥の院であるという。
この定理、へクシャー・オリーンという人が口の中で
何かこうムニャムニャと言っていたのをサムエルソンが
数式化して、経済モデルとして提示したのだそうである。
これに加えて著者は国際収支の読み方を講義する。
国際収支とは貿易収支や経常収支のことである。著者は
この二つをかくも大事な要素として繰り返し唱えている。
これらの理論の講義を前提として何とアメリカ併合へと
話は進み、結論としている。その併合の仕方までのプロセス
が重要で簡単には説明できないが、併合といっても植民地
にするわけではなく、経済的に併合してしまうという意味
である。それにしてもかなり突飛な話ではあるが、小室節
の前ではこれらも現実の話となってしまうから凄い。
小室直樹の思想はどれもベーシックな思想と破天荒な発想
で彩られている。本書もご多分にもれず突飛な発想で書かれて
いるが、学問的には極めで基本に忠実なのである。そこが小室氏
の理論を現実的と思わせる秘訣なのだろう。本書は「国民の
ための経済原論」である。全ての国民に読んでほしい分かりやすく
優れた提言である。
2013年3月11日に日本でレビュー済み
このII巻では国際経済を理解するために、まず「比較優位説」を説明する。比較優位説は国際分業の理論で、双方の国のいずれも、自国が比較優位である財だけを生産するように特化し、他財はすべて輸入する。これが双方の国にとってベストであると説く。そしてこの比較優位説を飛躍的に発展させたのがヘクシャー・オリーン・サムエルソンの定理で、自由貿易が行なわれれば、どの国の賃金率、地代、利子率も等しくなることを示した。さらに国際収支表の読み方を簡単に説明する。
イギリスはこの比較優位説をイギリス帝国主義のイデオロギーとして利用し、外国を自由貿易に踏み切らせ、経済的に破壊していった。アメリカは国内的には自由貿易を推進し、海外的には保護貿易を実施したので驚異の成長をとげた。それというのも、比較優位説はある特定の条件の下でしか成立しないからだ。大量生産の利点を享受する国が存在する場合、自由貿易はその国だけを利して、他国の利益を徹底的に害するのである。著者は「その国とは、まさに日本ではないか」と書いているが、本が出版された20年前ならそうだったかもしれないが、現在は逆にTPP参加を迫られて困っているのは日本のほうである。
I巻の最後でも脱線気味の著者だったが、この巻でも日本がロシアを手に入れて、最後はアメリカも経済的に併合するというオチで終わっているが、20年前は何と勇ましく、景気のよかったことか。理路整然と書かれた本ではなく、話題が各方面に飛ぶので理解しにくいところもあるが、自由競争が独占を生み、アメリカがなぜこれほどまでに独占禁止に血道を上げるのかはよくわかった。
イギリスはこの比較優位説をイギリス帝国主義のイデオロギーとして利用し、外国を自由貿易に踏み切らせ、経済的に破壊していった。アメリカは国内的には自由貿易を推進し、海外的には保護貿易を実施したので驚異の成長をとげた。それというのも、比較優位説はある特定の条件の下でしか成立しないからだ。大量生産の利点を享受する国が存在する場合、自由貿易はその国だけを利して、他国の利益を徹底的に害するのである。著者は「その国とは、まさに日本ではないか」と書いているが、本が出版された20年前ならそうだったかもしれないが、現在は逆にTPP参加を迫られて困っているのは日本のほうである。
I巻の最後でも脱線気味の著者だったが、この巻でも日本がロシアを手に入れて、最後はアメリカも経済的に併合するというオチで終わっているが、20年前は何と勇ましく、景気のよかったことか。理路整然と書かれた本ではなく、話題が各方面に飛ぶので理解しにくいところもあるが、自由競争が独占を生み、アメリカがなぜこれほどまでに独占禁止に血道を上げるのかはよくわかった。
2008年11月29日に日本でレビュー済み
べらんめえ調の中にも、豊富な知識と他にはない斬新な視点が魅力的。
だいぶ時間がたってしまいましたがその魅力は色褪せません。
日本人にとってあまり実感がわかない経済学の知識も合わせてゲット出来便利です。
だいぶ時間がたってしまいましたがその魅力は色褪せません。
日本人にとってあまり実感がわかない経済学の知識も合わせてゲット出来便利です。
2016年6月5日に日本でレビュー済み
一口にいって、米国・米国の歴史・経済の洞察。世界経済への優しいいざないなど、今もって、輝いている。
大学でのひねくれた教授の「理論経済学概論」とかゆう、レトリックに満ちた、本で嫌いになった中高年にも読んでいただくことをお勧めする。
あらゆる分野への興味や洞察が、逆に一般読者がどこで、つまずくのか本当によく考えて、重要なポイントは何かを教えてくれているのはうれしい。
惜しむらくは、改訂版がでないので、日本が絶頂期をすぎた、閉塞期の入口で書かれた書なので、その後の変化をどう読むのか教えてほしかった。
彼は、一貫として、在野の経済学者である。サムエルソンの時代のひとであるが、既に新自由主義の原理主義的な部分が米国のどの琴線にふれたのかもちゃんと書いてある。せめて、5年は長生きしてほしかった。リーマン・ショックなどをわかりやすく解説してくれていただろう。奇矯の人?いや違う、慈愛に満ちた公平な人である。
大学でのひねくれた教授の「理論経済学概論」とかゆう、レトリックに満ちた、本で嫌いになった中高年にも読んでいただくことをお勧めする。
あらゆる分野への興味や洞察が、逆に一般読者がどこで、つまずくのか本当によく考えて、重要なポイントは何かを教えてくれているのはうれしい。
惜しむらくは、改訂版がでないので、日本が絶頂期をすぎた、閉塞期の入口で書かれた書なので、その後の変化をどう読むのか教えてほしかった。
彼は、一貫として、在野の経済学者である。サムエルソンの時代のひとであるが、既に新自由主義の原理主義的な部分が米国のどの琴線にふれたのかもちゃんと書いてある。せめて、5年は長生きしてほしかった。リーマン・ショックなどをわかりやすく解説してくれていただろう。奇矯の人?いや違う、慈愛に満ちた公平な人である。