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駅伝がマラソンをダメにした (光文社新書) 新書 – 2005/12/13
生島 淳
(編集)
駅伝がマラソンをダメにしている。
これは陸上界では長く考えられてきた問題である。しかしあまり一般の人に触れられることはない。それはなぜか? 答えは簡単である。新聞、テレビといった報道機関が駅伝、マラソンを主催しているからだ。(略)
それでも私は駅伝を否定する気は毛頭ない。駅伝は極めて魅力的な競技だ。なかでも箱根に関しては、この機会に自分なりにその魅力を徹底的に考えてみるつもりだ。加えて、テレビが駅伝をいかに変化させたかを、各大学の特色を通して考えてみたいと思う。(「はじめに」より)
これは陸上界では長く考えられてきた問題である。しかしあまり一般の人に触れられることはない。それはなぜか? 答えは簡単である。新聞、テレビといった報道機関が駅伝、マラソンを主催しているからだ。(略)
それでも私は駅伝を否定する気は毛頭ない。駅伝は極めて魅力的な競技だ。なかでも箱根に関しては、この機会に自分なりにその魅力を徹底的に考えてみるつもりだ。加えて、テレビが駅伝をいかに変化させたかを、各大学の特色を通して考えてみたいと思う。(「はじめに」より)
- 本の長さ199ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2005/12/13
- ISBN-104334033350
- ISBN-13978-4334033354
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商品の説明
著者について
生島淳(いくしま・じゅん)
1967年宮城県生まれ。早稲田大学社会科学部卒業後、博報堂を経て執筆活動に。主な著書に『慶応ラグビー「百年の歓喜」』(文藝春秋)、『すず』(共著、新潮社)、『スポーツルールはなぜ不公平か』(新潮選書)、『世紀の誤審』(光文社新書)、『愛は天才じゃない…母が語る福原家の子育てって?』(三起商行)など。『適者生存』(長谷川滋利著、幻冬舎文庫)、『メジャーの流儀』(石井一久著、文藝春秋)などの構成も手がける。
1967年宮城県生まれ。早稲田大学社会科学部卒業後、博報堂を経て執筆活動に。主な著書に『慶応ラグビー「百年の歓喜」』(文藝春秋)、『すず』(共著、新潮社)、『スポーツルールはなぜ不公平か』(新潮選書)、『世紀の誤審』(光文社新書)、『愛は天才じゃない…母が語る福原家の子育てって?』(三起商行)など。『適者生存』(長谷川滋利著、幻冬舎文庫)、『メジャーの流儀』(石井一久著、文藝春秋)などの構成も手がける。
登録情報
- 出版社 : 光文社 (2005/12/13)
- 発売日 : 2005/12/13
- 言語 : 日本語
- 新書 : 199ページ
- ISBN-10 : 4334033350
- ISBN-13 : 978-4334033354
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,126,526位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2006年1月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「駅伝がマラソンをダメにした」という刺激的なタイトルほどには刺激的な内容ではない。筆者は、日本テレビが完全中継を始めた1987年を境に箱根駅伝が変わったという。その直前の牧歌的な時代にハコネを目指していた者としては、新興大学の勃興を目の当たりにして、筆者の解説は的を射たものだと思う。名前を売りたい大学と、視聴率を稼ぎたいテレビ局の思いが見事に一致した結果だ。しかし、筆者自身も指摘しているように、箱根駅伝OBが多くの大学の指導者となり、さらに実業団のコーチ、高校や中学の監督として活躍していることも事実で、日本の長距離の裾野を確実に広げている。昔の同世代(手の届かないあこがれの選手だった者も含め)が、有名チームの監督として活躍している姿を見ることも楽しみの一つである。一方、主催者の都合で冬場の毎週のように開催される女子マラソン、女子駅伝の数はあまりに多く、さらに各地の様々なイベントに引っ張り出される有名女子選手は実に酷使されている。「駅伝」を「マスコミの商業主義」と読み、「マラソン」を「数々の有望選手」と置き換えれば、適切なタイトルかも知れない。
2006年12月4日に日本でレビュー済み
この本を読むとなぜ日本のマラソンでは、女子では、五輪や世界選手権では、毎回メダルをとり、男子では、ケニア以外のアフリカ諸国を抜き世界2位の層の厚さを誇るかがよくわかる。
以下全て括弧内以外、著者が指摘している通り、1、駅伝が人気があるものだから、中距離の選手まで長距離に転向して活躍することになる。2、駅伝を目指して、若い頃から長距離の効果的な指導がなされるため、高校生の記録も上昇。3、トラックと20kmロードはかなり違うように、(大学生レベルでは他国がトラックをやっているうちから、マラソンにより近いロードの20kというかなりの長距離で訓練。)4、駅伝に人気があるから、長距離に人も金もノウハウも優れた指導者も、モチベーションもありふれることになる。5、他国では男女問わずトラックの記録が日本選手よりはるかに優れた圧倒的多数の選手でもそのスピードを長距離に移行できない。(これは、日本の長距離の訓練が極めてすぐれている証左である。)6、(世界で唯一の)アメリカ式一発選考を追従せず、(世界標準の)「実力」重視の複数選考レースを貫いたこと。7、駅伝が滅茶苦茶に人気がある(ため、他国だったなら長距離専門で飯を食っていけない圧倒的多数の選手が企業選手として日本の無茶苦茶な層の厚さを支えられること。)8、女子では未だ世界的に移行期であり(とくにケニアでは女性が成人してまで、肌を露出する陸上を普通やらない)、(世界最高より4分遅い)日本女子でも(日本の駅伝が支える長距離文化のため)世界の最高峰レベルで戦っていけること。9、他国はトラックの五千でスピード訓練している(一方、日本ではロードでチームでモチベーション高めあって、スピード訓練)。10、大学では一部関東の大学に選手が集中(するから優れた選手、指導者に囲まれて、英才訓練)。
以下全て括弧内以外、著者が指摘している通り、1、駅伝が人気があるものだから、中距離の選手まで長距離に転向して活躍することになる。2、駅伝を目指して、若い頃から長距離の効果的な指導がなされるため、高校生の記録も上昇。3、トラックと20kmロードはかなり違うように、(大学生レベルでは他国がトラックをやっているうちから、マラソンにより近いロードの20kというかなりの長距離で訓練。)4、駅伝に人気があるから、長距離に人も金もノウハウも優れた指導者も、モチベーションもありふれることになる。5、他国では男女問わずトラックの記録が日本選手よりはるかに優れた圧倒的多数の選手でもそのスピードを長距離に移行できない。(これは、日本の長距離の訓練が極めてすぐれている証左である。)6、(世界で唯一の)アメリカ式一発選考を追従せず、(世界標準の)「実力」重視の複数選考レースを貫いたこと。7、駅伝が滅茶苦茶に人気がある(ため、他国だったなら長距離専門で飯を食っていけない圧倒的多数の選手が企業選手として日本の無茶苦茶な層の厚さを支えられること。)8、女子では未だ世界的に移行期であり(とくにケニアでは女性が成人してまで、肌を露出する陸上を普通やらない)、(世界最高より4分遅い)日本女子でも(日本の駅伝が支える長距離文化のため)世界の最高峰レベルで戦っていけること。9、他国はトラックの五千でスピード訓練している(一方、日本ではロードでチームでモチベーション高めあって、スピード訓練)。10、大学では一部関東の大学に選手が集中(するから優れた選手、指導者に囲まれて、英才訓練)。
2010年9月19日に日本でレビュー済み
箱根駅伝はそんなに見ないのだが、高校時代は陸上部に籍を置いていたこととタイトルに惹かれ読んでみた。
読んでみて、この本は「駅伝が」というよりは、「マスコミが」ダメにした、という感じだと思う。
全文を通して一番強い印象を受けるのは、「日テレ時代」という言葉。
日本テレビが完全中継をするようになったから、学校側も宣伝と志願者の増加のために駅伝に力を入れる。
そして勝つために、有力選手の勧誘をし、20'qを走るためのトレーニングをする。
箱根が終わると選手は「燃え尽き症候群」になり結果男子マラソンが弱くなる。
本書を読み終えたあと一番感じたのは、著者が言いたいことは、何も陸上界だけに限ったことではないということだ。
高校野球やバレーなど少し考えるだけでも、本書に書かれていたことと同じことが当てはまるものがいくつもある。
著者が言いたいことは、「それではいかん。それではいつまでも日本はスポーツの世界で頂点に立つことはできない」と提言しているのだ。
企業や大学側もビジネスだから、自分たちが利益を受けるように働くことは当然のことだ。だから「国のことだけを考えろ」とは言わない。
しかし、少しは「国益」を考えてほしい。
これではいつまでたっても日本は2流国のままだ。
読んでみて、この本は「駅伝が」というよりは、「マスコミが」ダメにした、という感じだと思う。
全文を通して一番強い印象を受けるのは、「日テレ時代」という言葉。
日本テレビが完全中継をするようになったから、学校側も宣伝と志願者の増加のために駅伝に力を入れる。
そして勝つために、有力選手の勧誘をし、20'qを走るためのトレーニングをする。
箱根が終わると選手は「燃え尽き症候群」になり結果男子マラソンが弱くなる。
本書を読み終えたあと一番感じたのは、著者が言いたいことは、何も陸上界だけに限ったことではないということだ。
高校野球やバレーなど少し考えるだけでも、本書に書かれていたことと同じことが当てはまるものがいくつもある。
著者が言いたいことは、「それではいかん。それではいつまでも日本はスポーツの世界で頂点に立つことはできない」と提言しているのだ。
企業や大学側もビジネスだから、自分たちが利益を受けるように働くことは当然のことだ。だから「国のことだけを考えろ」とは言わない。
しかし、少しは「国益」を考えてほしい。
これではいつまでたっても日本は2流国のままだ。
2012年3月9日に日本でレビュー済み
雑誌『ナンバー』で、おっと思う切り口の記事のライターの名前を見ると、生島淳、ということがわりに多い。
本書でも生島氏らしさは健在。ただ不満は残る内容。
本書の初版は2005年冬。
その時点での箱根駅伝を「箱根駅伝バブル」真っ盛りという切り口で見せてくれます。
1987年。日本テレビによるテレビ中継の開始。
この前後で箱根駅伝の意味が変わります。すなわちバブルの始まり。
それ以前は学生ランナーの息抜き的な大会という位置づけにすぎなかったのが、頂点的な大会へと変貌をとげる。
そのことはさらに、陸上界の構造的変化(日本マラソンの弱体化はその影響のひとつ)と、大学の経営戦略の変化をももたらすこととなる。
この一連の流れの考察がスリリングでおもしろい。
具体的現象として、マラソンの弱体化だけでなく、高校陸上の中距離空洞化、大学ラグビーの衰退、出場校のゼッケン表記の変化などなど、なるほどな指摘。
箱根の開催日時の意図せぬ絶妙さ(入学志願者数に直結する)や、日テレのテレビ中継開始の裏には中継技術の開発があったという指摘も生島氏らしい目のつけどころ。
でもこうした話は分量としては全体の半分ほど。
残りは出場校の分析や女子長距離の話。
それはそれで興味深いトピックスですが、新書の薄さなら、やはり「箱根駅伝バブル」に焦点を絞ってほしかった。残念。
関係ないけど。
三浦しをんの『風が強く吹いている』(箱根駅伝を描いた青春小説。未読の方はおすすめ)。おもしろいんだけど、どこかもの足りなかった。本書のような視点があれば、ぐっと膨らみが増したんじゃないかな、とふと思った。
本書でも生島氏らしさは健在。ただ不満は残る内容。
本書の初版は2005年冬。
その時点での箱根駅伝を「箱根駅伝バブル」真っ盛りという切り口で見せてくれます。
1987年。日本テレビによるテレビ中継の開始。
この前後で箱根駅伝の意味が変わります。すなわちバブルの始まり。
それ以前は学生ランナーの息抜き的な大会という位置づけにすぎなかったのが、頂点的な大会へと変貌をとげる。
そのことはさらに、陸上界の構造的変化(日本マラソンの弱体化はその影響のひとつ)と、大学の経営戦略の変化をももたらすこととなる。
この一連の流れの考察がスリリングでおもしろい。
具体的現象として、マラソンの弱体化だけでなく、高校陸上の中距離空洞化、大学ラグビーの衰退、出場校のゼッケン表記の変化などなど、なるほどな指摘。
箱根の開催日時の意図せぬ絶妙さ(入学志願者数に直結する)や、日テレのテレビ中継開始の裏には中継技術の開発があったという指摘も生島氏らしい目のつけどころ。
でもこうした話は分量としては全体の半分ほど。
残りは出場校の分析や女子長距離の話。
それはそれで興味深いトピックスですが、新書の薄さなら、やはり「箱根駅伝バブル」に焦点を絞ってほしかった。残念。
関係ないけど。
三浦しをんの『風が強く吹いている』(箱根駅伝を描いた青春小説。未読の方はおすすめ)。おもしろいんだけど、どこかもの足りなかった。本書のような視点があれば、ぐっと膨らみが増したんじゃないかな、とふと思った。
2011年10月29日に日本でレビュー済み
駅伝はおもしろい。選抜された学生等が走るだけでなく、どのような年齢層でも気軽にできるスポーツだからだ。個人競技ではないというところから順位だけにこだわらずに充実感もある。
単純に陸上競技としてとらえると選手等運営団体にしてみたらいろんな事情があるということが本書に綴られている。
だが一歩引いて考えてみるとテレビ(マスコミ)の影響力がかなり強いのではとおもわれる(筆者は90%はそうだとおもう)。
原発にしても電通などの広告代理店が通信社と手を組んで全国地方新聞社連合会を隠れ蓑にして推したという事実もある。
マスコミとは侮れない存在なのだ。
また日テレには大家族を崩壊させてお茶の間を楽しませるという手法で視聴率を上げてきた「前科」がある。視聴率確保の為なら家族が崩壊しようが競技者の選手生命がどうなろうが関係ないのだ。
本書はスポーツに焦点を深く当てることで本当の姿を見逃しているような感がある。だがそれにより箱根駅伝がよりおもしろく観られるという副次的効果もある。
その意味では楽しめるが真犯人の追求にボケてしまうところが残念でならない。よって星ひとつ減とした。
単純に陸上競技としてとらえると選手等運営団体にしてみたらいろんな事情があるということが本書に綴られている。
だが一歩引いて考えてみるとテレビ(マスコミ)の影響力がかなり強いのではとおもわれる(筆者は90%はそうだとおもう)。
原発にしても電通などの広告代理店が通信社と手を組んで全国地方新聞社連合会を隠れ蓑にして推したという事実もある。
マスコミとは侮れない存在なのだ。
また日テレには大家族を崩壊させてお茶の間を楽しませるという手法で視聴率を上げてきた「前科」がある。視聴率確保の為なら家族が崩壊しようが競技者の選手生命がどうなろうが関係ないのだ。
本書はスポーツに焦点を深く当てることで本当の姿を見逃しているような感がある。だがそれにより箱根駅伝がよりおもしろく観られるという副次的効果もある。
その意味では楽しめるが真犯人の追求にボケてしまうところが残念でならない。よって星ひとつ減とした。
2012年9月7日に日本でレビュー済み
「駅伝がマラソンをダメにした」という具体的理由の説明や論拠がほとんどなく、その意味で詐欺的で悪質な書名だと思います。
著者は、むかしからのオタク的な箱根駅伝のファンだそうです。そのせいか、200ページ弱の本書のほとんどを、箱根駅伝に出場する有力大学の指導者やその指導法の紹介が占めており、しかもその指導を称賛する内容です。むしろ、「日本の男子陸上界は箱根駅伝に引っ張られている」という印象のほうを強く受けます。
肝心の「駅伝がマラソンをダメにした」という理由は、159ページにやっと出てくるのですが、それは「箱根駅伝が人気がありすぎて、選手がそこで燃え尽きてしまうようだ」という、きわめて薄っぺらいもので、脱力してしまいます。
箱根駅伝の悪しき指導方法で有力選手がつぶされた実例の紹介や、箱根駅伝の存在によって社会人選手が力を伸ばせないという具体的理由の説明がないので、説得力がまるでありません。「メジャーな大会だからそこで選手が燃え尽きてしまう」と安易に言うのなら、なぜイチローも松井も松坂もダルビッシュも、甲子園という日本最大のメジャーな学生大会で燃え尽きずに、世界で活躍できるのでしょう?
そもそも、もし仮にそこで「燃え尽きる」選手がいるのだとしても、それは選手個人の問題であって、駅伝(あるいは箱根駅伝)というシステムの問題ではないと思います。「駅伝」がマラソンをダメにしたというのは、明らかに言い過ぎです。それに、実際に長距離の男子選手の皆さんは、五輪など「その先」を見据え、社会人で必死に取り組んでいるではないですか。簡単に「燃え尽きる」などと決めつけるのは、選手に対する敬意を感じられませんし、バカにしているようにさえ思えます。
また、「箱根駅伝のせいで日本では男子マラソンは弱いが、女子マラソンは強い」と主張していますが、それも根拠薄弱です。箱根駅伝がメジャーになって以降、男子も世界陸上や五輪でメダルや入賞を繰り返しており、高橋尚子のようなスーパースターは確かにいませんが、全体的に見れば女子とくらべても劣っているとは思えません。逆に、アフリカなど非先進国で女子種目が注目されてきたここ数年は、日本勢はむしろ女子のほうが世界で惨敗しており(たとえばロンドン五輪)、著者の言う理屈は完全に崩壊しています。
…というわけで、タイトルが詐欺で、根拠薄弱な論説がわずかにあるだけ、内容のほとんどは大学駅伝部のオタク的な紹介記事(しかも最新情報ではなく執筆当時のもの)ばかり、という有様なので、申し訳ありませんが評価に値しない本だと思います。
著者は、むかしからのオタク的な箱根駅伝のファンだそうです。そのせいか、200ページ弱の本書のほとんどを、箱根駅伝に出場する有力大学の指導者やその指導法の紹介が占めており、しかもその指導を称賛する内容です。むしろ、「日本の男子陸上界は箱根駅伝に引っ張られている」という印象のほうを強く受けます。
肝心の「駅伝がマラソンをダメにした」という理由は、159ページにやっと出てくるのですが、それは「箱根駅伝が人気がありすぎて、選手がそこで燃え尽きてしまうようだ」という、きわめて薄っぺらいもので、脱力してしまいます。
箱根駅伝の悪しき指導方法で有力選手がつぶされた実例の紹介や、箱根駅伝の存在によって社会人選手が力を伸ばせないという具体的理由の説明がないので、説得力がまるでありません。「メジャーな大会だからそこで選手が燃え尽きてしまう」と安易に言うのなら、なぜイチローも松井も松坂もダルビッシュも、甲子園という日本最大のメジャーな学生大会で燃え尽きずに、世界で活躍できるのでしょう?
そもそも、もし仮にそこで「燃え尽きる」選手がいるのだとしても、それは選手個人の問題であって、駅伝(あるいは箱根駅伝)というシステムの問題ではないと思います。「駅伝」がマラソンをダメにしたというのは、明らかに言い過ぎです。それに、実際に長距離の男子選手の皆さんは、五輪など「その先」を見据え、社会人で必死に取り組んでいるではないですか。簡単に「燃え尽きる」などと決めつけるのは、選手に対する敬意を感じられませんし、バカにしているようにさえ思えます。
また、「箱根駅伝のせいで日本では男子マラソンは弱いが、女子マラソンは強い」と主張していますが、それも根拠薄弱です。箱根駅伝がメジャーになって以降、男子も世界陸上や五輪でメダルや入賞を繰り返しており、高橋尚子のようなスーパースターは確かにいませんが、全体的に見れば女子とくらべても劣っているとは思えません。逆に、アフリカなど非先進国で女子種目が注目されてきたここ数年は、日本勢はむしろ女子のほうが世界で惨敗しており(たとえばロンドン五輪)、著者の言う理屈は完全に崩壊しています。
…というわけで、タイトルが詐欺で、根拠薄弱な論説がわずかにあるだけ、内容のほとんどは大学駅伝部のオタク的な紹介記事(しかも最新情報ではなく執筆当時のもの)ばかり、という有様なので、申し訳ありませんが評価に値しない本だと思います。
2006年2月22日に日本でレビュー済み
箱根駅伝の視聴率は25%を超えているそうである。私も25%の一人である。しかし、箱根駅伝について知っている情報はテレビから得るものばかりであるので、ごく普通の駅伝ファンの一人であると思う。
そういう人にとって本書は箱根駅伝をより楽しく観戦するための入門書あるいは観戦ガイドといえるかもしれない。
本書では、1章で箱根駅伝の大まかな歴史を、2章で1987年に始まる日本テレビの完全生中継によっておこった変化を、3、4章で新興校・伝統校の分析・紹介を、そして5,6章で「駅伝がマラソンをダメにした」というまとめを行っているが、その内容は表面的であり多角的な分析もあまりなく正直物足りなさを感じた。特に題名でもある「駅伝が…」の論が述べられている5章は、80ページも割いている3、4章に埋没してしまっている感は否めない。
とはいえ、本書の帯には『「観戦者」のための駅伝・マラソン批評』と書いてある。批評本としての出来はさておき、ごく普通の駅伝観戦者である私にとって、箱根駅伝の大まかな歴史や各大学の特色を知ることができた楽しめた作品である。
そういう人にとって本書は箱根駅伝をより楽しく観戦するための入門書あるいは観戦ガイドといえるかもしれない。
本書では、1章で箱根駅伝の大まかな歴史を、2章で1987年に始まる日本テレビの完全生中継によっておこった変化を、3、4章で新興校・伝統校の分析・紹介を、そして5,6章で「駅伝がマラソンをダメにした」というまとめを行っているが、その内容は表面的であり多角的な分析もあまりなく正直物足りなさを感じた。特に題名でもある「駅伝が…」の論が述べられている5章は、80ページも割いている3、4章に埋没してしまっている感は否めない。
とはいえ、本書の帯には『「観戦者」のための駅伝・マラソン批評』と書いてある。批評本としての出来はさておき、ごく普通の駅伝観戦者である私にとって、箱根駅伝の大まかな歴史や各大学の特色を知ることができた楽しめた作品である。
2008年9月1日に日本でレビュー済み
箱根駅伝、マラソンファンの私としては、良くも悪くも大変楽しく読めました。
駅伝やマラソンに予備知識のない方は、おそらく読んでいても面白くないのでは
ないかと感じました。
タイトルにあるように、「駅伝がマラソンをダメにした」理由を、著者なりの取材と
仮説で説いています。
内容はほとんどが箱根駅伝に関するもので、タイトルのテーマよりも、いかに箱根駅伝
が魅力的なものかが伝わってくるような内容でした。
著者の主張は、一部は納得できないところはあるものの、楽しく読ませていただきました。
駅伝やマラソンに予備知識のない方は、おそらく読んでいても面白くないのでは
ないかと感じました。
タイトルにあるように、「駅伝がマラソンをダメにした」理由を、著者なりの取材と
仮説で説いています。
内容はほとんどが箱根駅伝に関するもので、タイトルのテーマよりも、いかに箱根駅伝
が魅力的なものかが伝わってくるような内容でした。
著者の主張は、一部は納得できないところはあるものの、楽しく読ませていただきました。