ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は未完とされており、13年後の物語が想定されていたことは明らかである。
ドストエフスキー自身の死により、13年後の物語は遂に描かれることはなかった。
ドストエフスキーが構想していたであろう更なる壮大な物語とはどのようなものだったのか、読者にとっては永遠に魅力的なテーマであり続けることだろう。
小説である故、本来空想は読者の自由であり、100人いれば100通りの物語があってよいだろう。
しかし亀山先生は、残されたテキストや創作ノート、証言、当時の政治情勢や宗教情勢、そして何よりドストエフスキー自身の経験と思想を丹念にたどり、「空想」という営みに考え得る限りの根拠を示してみせることで、自らの続編の空想に出来得る限りの説得力を持って望んでいる。
現存の物語で大きく取り上げられた「父殺し」というテーマ。
これを基底に、更に拡大することで練り上げられたであろうとされる「皇帝暗殺」。
そう、あの善良なアレクセイが皇帝暗殺に加担するというのがおよそ想像される最も危険なストーリーだ。
このストーリーが、当時のロシアにおいて如何に危険なテーマであったか、これは是非亀山先生の著作を読んで確認いただきたいところだ。
しかし亀山先生は、このストーリーの大筋は肯定しつつもアレクセイがその首謀者になるという刺激的な展開には否を唱えている。
思想の体現者、実践家は、『カラマーゾフの兄弟』で再三登場した少年達になるはずだというのが先生の意見だとのこと。
そしてその根拠には、壮大なる思想的・宗教的な裏付けがあるのだという。
ドストエフスキーを精緻に読み解くとはこういうことか、と、目頭が熱くなる程の興奮を覚えた著作であった。
小説は時代を反映する側面があるのものだ。
即ち、ドストエフスキー没後、時のアレクサンドル2世はテロルにより爆死。
皇帝暗殺は史実として本当の事件となった。
これをドストエフスキーが目の当たりにしていたなら、彼はどう考え、どういう作品を練り上げたのだろうか。
空想の種は尽きない。
亀山先生の「空想」には読者を納得させるだけの「科学的」なアプローチがある。
一般読者ではおよそ実現できない「リアリティ」を体感できるのが本著の魅力だ。
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「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する (光文社新書 319) 新書 – 2007/9/1
亀山 郁夫
(著)
翻訳作業をとおし、「第二の小説」をつねに考えながら「第一の小説」に向かいあうことができたのは、わたしにとってじつに意味深<読書体験>だった。今回の新書のプランは、「第二の小説」を空想することが、読者のみなさんにもより豊かな「第一の小説」の読みを誘い出してくれるのではないかとの信念から生まれたものである。
首都サンクト・ペテルブルグに広がる噂話、「アリョーシャが皇帝暗殺の考えにとりつかれる」はどこまで真実味を帯びていたのか。たんなるデマに過ぎなかったのか。そもそも、なぜ「皇帝暗殺」なのか。本書は、そうしたもろもろの謎、もろもろのミステリーへの答えを見出す試みでもある。(本文より一部抜粋)
首都サンクト・ペテルブルグに広がる噂話、「アリョーシャが皇帝暗殺の考えにとりつかれる」はどこまで真実味を帯びていたのか。たんなるデマに過ぎなかったのか。そもそも、なぜ「皇帝暗殺」なのか。本書は、そうしたもろもろの謎、もろもろのミステリーへの答えを見出す試みでもある。(本文より一部抜粋)
- 本の長さ277ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2007/9/1
- ISBN-104334034209
- ISBN-13978-4334034207
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商品の説明
著者について
亀山郁夫(かめやまいくお)
一九四九年生まれ。現在、東京外国語大学学長。ドストエフスキー関連の研究のほか、ソ連・スターリン体制下の政治と芸術の関係をめぐる多くの著作がある。著書に『磔のロシア』(岩波書店)、『熱狂とユーフォリア』(平凡社)、『ドストエフスキー 父殺しの文学上・下』(NHKブックス)、『「悪霊」神になりたかった男』(みすず書房)、『大審問官スターリン』(小学館)など多数。最近の訳書に、『カラマーゾフの兄弟1‾5』(光文社古典新訳文庫)がある。
一九四九年生まれ。現在、東京外国語大学学長。ドストエフスキー関連の研究のほか、ソ連・スターリン体制下の政治と芸術の関係をめぐる多くの著作がある。著書に『磔のロシア』(岩波書店)、『熱狂とユーフォリア』(平凡社)、『ドストエフスキー 父殺しの文学上・下』(NHKブックス)、『「悪霊」神になりたかった男』(みすず書房)、『大審問官スターリン』(小学館)など多数。最近の訳書に、『カラマーゾフの兄弟1‾5』(光文社古典新訳文庫)がある。
登録情報
- 出版社 : 光文社 (2007/9/1)
- 発売日 : 2007/9/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 277ページ
- ISBN-10 : 4334034209
- ISBN-13 : 978-4334034207
- Amazon 売れ筋ランキング: - 266,813位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 233位ロシア・ソビエト文学 (本)
- - 658位ロシア・東欧文学研究
- - 1,094位光文社新書
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著者について
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上位レビュー、対象国: 日本
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2022年11月6日に日本でレビュー済み
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2018年8月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ロシアの作家エドワード・ラジンスキーの評伝「アレクサンドル2世」に、ドストエフスキーの住まひの隣に、皇帝暗殺をもくろむテロリストの一員が間借りしてをり、その部屋が捜索されメンバーが逮捕された日に、ドストエフスキーは出血し、そのまま世を去つてしまつたとあります。つまり、ドストエフスキーはテロリストと接触しカラマーゾフ第二部の構想を練つてゐたが、逮捕によつて自分に累が及ぶかも知れないとうろたへ、血管が切れ、帰らぬ人となつた可能性がある、と匂はせてゐるのです。これについて私は何らかの言及を期待したのですが、何もありませんでした。信頼に値しない情報なのでせうか?
私は第一部の「少年たち」の章が大好きです。ドミトリー逮捕の直後の、何と見事な転調であることか。それが単なる気分の転換にとどまらず、ラスコーリニコフやイワンのミニチュアであるコーリャを紹介し、第二部の重要な伏線にもなつてゐるところは、晩年のドストエフスキーの筆の円熟です。コーリャが将来、皇帝暗殺の陰謀を主導するといふ著者の推測には、全面的に賛成です。
ただし、私は一点、著者と意見を異にします。
私は、コーリャでなく、やはりアリョーシャが処刑台に上るのだと思ひます。しかし陰謀を企んだためではなく、コーリャたちの「身代はり」として自ら死に赴く(聖書に合はせたければ密告だつていい)のです。人の子の罪を引き受ける、すなはちドストエフスキーは、十字架上のキリストとして、アリョーシャを描くつもりだつたと想像します。
第1部第6編の「ロシアの僧」がそれを示唆します。これはゾシマ長老の最期の会話をアリョーシャが再構成したといふ体裁で、その核心をなすのが、「あらゆる人間の罪を、己に引き受けること」「あらゆる人間の罪は、実はお前の罪であると悟ること」「何人も他人の罪を裁けない。その罪を犯したのが実は自分であると悟るまでは」「他人の罪を引き受け、彼の代はりにその苦悩に耐へ、彼を自由にせよ」といふゾシマ長老の思想です。アリョーシャはこの教へを実践するのではないでせうか。
アリョーシャがさういふ死を遂げるならば、「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし」の引用もふさはしい。「彼はけつして偉大な人間ではない」といふ序文との整合が問題なら、処刑後に実は替へ玉だつたと判明する、とすればよく、それなら歴史的には不運であはれな、名無しの権兵衛にすぎなくなり、しかし一方では、崇高な動機を知るコーリャたちを感化し、「多くの果」を結ぶことでせう。
アリョーシャは主人公である以上、それに値するプロットが用意されてゐたはずです。しかし著者の「空想」のアリョーシャは、コーリャの大陰謀の傍観者たるを免れず、この程度の扱ひで、「どうして読者がアリョーシャの一生に付き合はなければならないのか」といふ序文の疑問に答へられるでせうか?
皇帝暗殺=父殺しとは、いかにも学者らしい発想で、私はドストエフスキーがそんな象徴主義風の主題にとらはれる作家だとは考へません。フョードル殺しにおけるイワンの懊悩に、自分の体験が反映してゐるかもしれないといふ点は、さもありなんとは思ひますが。
第二部が書かれなかつたのは、何としても痛恨事です。アリョーシャは第一部では単なる狂言回しであり、その人物像はほんのスケッチにとどまつてゐます。小林秀雄がいくら「完璧な小説」といつたところで、第一部はもちろん哲学的にも審美的にも見事な出来栄えであることは間違ひありませんが、アリョーシャに関するドストエフスキーの大きな構想は、陽の目を見なかつたといはざるをえない。第二部が実現してゐれば、それはドストエフスキーのキリスト教思想の集大成となり、そればかりか、ロシア革命についても、何らかの預言的洞察を巡らせる書となつたかもしれません。
私は第一部の「少年たち」の章が大好きです。ドミトリー逮捕の直後の、何と見事な転調であることか。それが単なる気分の転換にとどまらず、ラスコーリニコフやイワンのミニチュアであるコーリャを紹介し、第二部の重要な伏線にもなつてゐるところは、晩年のドストエフスキーの筆の円熟です。コーリャが将来、皇帝暗殺の陰謀を主導するといふ著者の推測には、全面的に賛成です。
ただし、私は一点、著者と意見を異にします。
私は、コーリャでなく、やはりアリョーシャが処刑台に上るのだと思ひます。しかし陰謀を企んだためではなく、コーリャたちの「身代はり」として自ら死に赴く(聖書に合はせたければ密告だつていい)のです。人の子の罪を引き受ける、すなはちドストエフスキーは、十字架上のキリストとして、アリョーシャを描くつもりだつたと想像します。
第1部第6編の「ロシアの僧」がそれを示唆します。これはゾシマ長老の最期の会話をアリョーシャが再構成したといふ体裁で、その核心をなすのが、「あらゆる人間の罪を、己に引き受けること」「あらゆる人間の罪は、実はお前の罪であると悟ること」「何人も他人の罪を裁けない。その罪を犯したのが実は自分であると悟るまでは」「他人の罪を引き受け、彼の代はりにその苦悩に耐へ、彼を自由にせよ」といふゾシマ長老の思想です。アリョーシャはこの教へを実践するのではないでせうか。
アリョーシャがさういふ死を遂げるならば、「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし」の引用もふさはしい。「彼はけつして偉大な人間ではない」といふ序文との整合が問題なら、処刑後に実は替へ玉だつたと判明する、とすればよく、それなら歴史的には不運であはれな、名無しの権兵衛にすぎなくなり、しかし一方では、崇高な動機を知るコーリャたちを感化し、「多くの果」を結ぶことでせう。
アリョーシャは主人公である以上、それに値するプロットが用意されてゐたはずです。しかし著者の「空想」のアリョーシャは、コーリャの大陰謀の傍観者たるを免れず、この程度の扱ひで、「どうして読者がアリョーシャの一生に付き合はなければならないのか」といふ序文の疑問に答へられるでせうか?
皇帝暗殺=父殺しとは、いかにも学者らしい発想で、私はドストエフスキーがそんな象徴主義風の主題にとらはれる作家だとは考へません。フョードル殺しにおけるイワンの懊悩に、自分の体験が反映してゐるかもしれないといふ点は、さもありなんとは思ひますが。
第二部が書かれなかつたのは、何としても痛恨事です。アリョーシャは第一部では単なる狂言回しであり、その人物像はほんのスケッチにとどまつてゐます。小林秀雄がいくら「完璧な小説」といつたところで、第一部はもちろん哲学的にも審美的にも見事な出来栄えであることは間違ひありませんが、アリョーシャに関するドストエフスキーの大きな構想は、陽の目を見なかつたといはざるをえない。第二部が実現してゐれば、それはドストエフスキーのキリスト教思想の集大成となり、そればかりか、ロシア革命についても、何らかの預言的洞察を巡らせる書となつたかもしれません。
2017年11月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「カラマーゾフの兄弟」を読了した全て読者にお薦めします。「カラマーゾフの兄弟」が2倍も3倍も楽しめます。
2016年12月9日に日本でレビュー済み
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さすが光文社の新書。面白かったです。いろいろ意見はありましょうが、いいんです。楽しければ。
2013年2月26日に日本でレビュー済み
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カラマーゾフがあまりに面白かったので続けてこちらを読みました。
こういった本自体ただの自己満足の虚構に過ぎない、作者ご自身も書かれていますけれども、
素人にはとてもできません、こんな推理は・・・。やはり専門家の深い研究の裏打ちがなければないこと、
ただただ、面白く読ませていただきました。
本当に、完結した形で読みたかった。でも神様がそれを許さなかったのでしょうかね?
ドストエフスキーはもう神の領域に足を踏み入れかかっていたのではないかと思います。
こういった本自体ただの自己満足の虚構に過ぎない、作者ご自身も書かれていますけれども、
素人にはとてもできません、こんな推理は・・・。やはり専門家の深い研究の裏打ちがなければないこと、
ただただ、面白く読ませていただきました。
本当に、完結した形で読みたかった。でも神様がそれを許さなかったのでしょうかね?
ドストエフスキーはもう神の領域に足を踏み入れかかっていたのではないかと思います。
2009年5月20日に日本でレビュー済み
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書かれなかった幻のカラマーゾフの兄弟の続編を空想するというはっきり言えばインテリトンデモ本。
正解のない話題であり、空想というより妄想に近い部分も多い。
ただし、この本を読むことによって、「カラマーゾフの兄弟」への興味、理解がより膨らんだ。
カラマーゾフの兄弟が続編を意識して書かれ、多くの伏線が全編にわたって
張り巡らされているということ。
現代のような言論の自由の概念がない時代背景が小説のプロットに大きな影響を
与えたであろうということ。
このようなただ読んだだけでは理解できないことが亀山氏の訳版では丁寧に
解説されていた。
おそらく解説部分を執筆しているうちに解説を逸脱して想像力が拡がり、その勢いで書いたのが本書ではないだろうか?
それぐらいカラマーゾフの兄弟は謎に満ちた深い世界であるといえる。
カラマーゾフの兄弟・亀山訳を読んだ後、その勢い読むのがおススメ。
あくまで気が向けばという程度でいいと思うが・・・・
正解のない話題であり、空想というより妄想に近い部分も多い。
ただし、この本を読むことによって、「カラマーゾフの兄弟」への興味、理解がより膨らんだ。
カラマーゾフの兄弟が続編を意識して書かれ、多くの伏線が全編にわたって
張り巡らされているということ。
現代のような言論の自由の概念がない時代背景が小説のプロットに大きな影響を
与えたであろうということ。
このようなただ読んだだけでは理解できないことが亀山氏の訳版では丁寧に
解説されていた。
おそらく解説部分を執筆しているうちに解説を逸脱して想像力が拡がり、その勢いで書いたのが本書ではないだろうか?
それぐらいカラマーゾフの兄弟は謎に満ちた深い世界であるといえる。
カラマーゾフの兄弟・亀山訳を読んだ後、その勢い読むのがおススメ。
あくまで気が向けばという程度でいいと思うが・・・・
2012年6月7日に日本でレビュー済み
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つまりエヴァンゲリオンみたいなことを言いたいのかしら?
キリスト教を題材にしたものは、やはりキリストと十二使徒、裏切りのユダ、マリア、マグダラのマリアなどとの関連をつい妄想してしまい、新たに聖典を書きたくなる、そう言いたいのだろうか?
ドストエフスキーは熱心な信者だったとよく解説されていますものね。
男の子はやはり、自らとキリストを重ねたくなるのかしら。
キリストの受難が、自らの受難と重なるのかなぁ。
まあ、カリスマは得てしてファンに暗殺されやすいですものね。
あるいは仲間に売られたり…
集団心理というやつなんですかね?
ファンって好き過ぎて、100パーセント同じ感覚になりたがるし、少しのずれも許せなくなりますからね。
恋しちゃうわけだから。
でも、別の人間だから、まったく同一なんてあり得ないのに。
差異を認めて、始めて愛に至るんですから。
あ、本の感想と若干ズレてますかね(;^_^A
まあ、続きはいくらでも好きに空想すればいいと思います。
それは読者に委ねられた自由なんですから。
キリスト教を題材にしたものは、やはりキリストと十二使徒、裏切りのユダ、マリア、マグダラのマリアなどとの関連をつい妄想してしまい、新たに聖典を書きたくなる、そう言いたいのだろうか?
ドストエフスキーは熱心な信者だったとよく解説されていますものね。
男の子はやはり、自らとキリストを重ねたくなるのかしら。
キリストの受難が、自らの受難と重なるのかなぁ。
まあ、カリスマは得てしてファンに暗殺されやすいですものね。
あるいは仲間に売られたり…
集団心理というやつなんですかね?
ファンって好き過ぎて、100パーセント同じ感覚になりたがるし、少しのずれも許せなくなりますからね。
恋しちゃうわけだから。
でも、別の人間だから、まったく同一なんてあり得ないのに。
差異を認めて、始めて愛に至るんですから。
あ、本の感想と若干ズレてますかね(;^_^A
まあ、続きはいくらでも好きに空想すればいいと思います。
それは読者に委ねられた自由なんですから。
2007年10月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
世界で最も有名な未完成作品であり最近ブームの「カラマーゾフの兄弟」。著者はその翻訳者(光文社文庫版)であり、著作に名著「ドストエフスキー父殺しの文学」もある。「父殺し」でも続編予想はされていたが、アリョーシャを皇帝殺しにするにはかなり無理があり、私は氏の説にはいくつも反論があった。それから数年を経て書かれた本書は、私の反論に対し(リーザの扱い以外は)全て答えたものであり、前作の予想より遥かに完成度は高い。「父殺し」と重複する点は少なく前著を読んだ方でも満足するであろう。内容も丁寧でかつ「悪霊」や「白痴」等しっかりとした根拠に基づいた良心的で冒険のない妥当な内容であり「カラマーゾフの兄弟」を読んだ方には専門的度合いの高いドストエフスキーの解説書にしては「まずまず」楽しめると思う。
ただし、「白痴」「悪霊」(共に「カラマーゾフ」より遥かに難易度は高い)を読んでいることを前提として記載していたりさらにグノーシスや鞭身派について一切解説していない等(まあ、ドス読者には鞭身派は常識だが)、新書としては異常な難易度であり、カラマーゾフブームで読んだだけの人には非常に敷居の高い内容になっている。
ただし、「白痴」「悪霊」(共に「カラマーゾフ」より遥かに難易度は高い)を読んでいることを前提として記載していたりさらにグノーシスや鞭身派について一切解説していない等(まあ、ドス読者には鞭身派は常識だが)、新書としては異常な難易度であり、カラマーゾフブームで読んだだけの人には非常に敷居の高い内容になっている。