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合コンの社会学 (光文社新書 331) 新書 – 2007/12/13
- 本の長さ192ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2007/12/13
- ISBN-104334034322
- ISBN-13978-4334034320
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商品の説明
抜粋
著者について
1976年滋賀県生まれ。東京大学大学院・ハワイ大学大学院を経て現在、明治学院大学非常勤講師。専門はジェンダー論、相互行為論、アイデンティティ論。主な論文に"Subverting from Within: Images and Identities of Japanese Women."U.S.-Japan Women's Journal No.29.
阿部真大(あべまさひろ)
1976年岐阜県生まれ。東京大学大学院を経て現在、学習院大学非常勤講師。専門は家族社会学、労働社会学、社会調査論。主な著書に『搾取される若者たち----バイク便ライダーは見た!』(集英社新書)、『働きすぎる若者たち----「自分探し」の果てに』(NHK生活人新書)がある。
登録情報
- 出版社 : 光文社 (2007/12/13)
- 発売日 : 2007/12/13
- 言語 : 日本語
- 新書 : 192ページ
- ISBN-10 : 4334034322
- ISBN-13 : 978-4334034320
- Amazon 売れ筋ランキング: - 717,353位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
1976年岐阜県岐阜市生まれ。東京大学卒。社会学者。甲南大学教授。西オーストラリア大学客員研究員(2014年)、同志社大学客員研究員(2021年‐2022年)。専門は労働社会学、家族社会学、社会調査論。気分は高揚しつつも徐々に身体が壊れていくバイク便ライダーたちの姿を描いた『搾取される若者たち ―バイク便ライダーは見た!』(集英社)でデビュー。資本主義と家父長制と職業の関係性について考え続けている。主な著書に、『居場所の社会学 ―生きづらさを超えて』(日本経済新聞出版社)、『地方にこもる若者たち ―都会と田舎の間に出現した新しい社会』(朝日新聞出版社)、『会社のなかの「仕事」 社会のなかの「仕事」―資本主義経済下の職業の考え方』(光文社)、『合コンの社会学』(北村文との共著、光文社)、翻訳書に『キャリアラダーとは何か ―アメリカにおける地域と企業の戦略転換』(J・フィッツジェラルド著、筒井美紀、居郷至伸と共訳、勁草書房)などがある。メディア出演として、『クローズアップ現代』、『クローズアップ現代+』、『新世代が解く! ニッポンのジレンマ』、『ニュース シブ5時』(NHK)、『世界一受けたい授業』、『仲村トオルが地井武男にワッパを掛けられた時代…とマツコ』(日本テレビ)など。2020年より読売新聞「論壇キーワード」を担当。Twitter→@abemasahiro1976
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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表紙見返しに記された、この言葉に全面的に賛意を表したい。
現在、全国各地で公的団体による「出会いサポート事業」「出会い応援事業」が熱心に行われていることが、なによりの証拠である。06年に兵庫県で始められて大好評を得て以来、あっという間に「少子化対策の切り札」として全国に拡大した。行政が「合コン」のセッティングに乗り出したのである。(実施主体は財団法人であったりするが、資金は県庁が出している。)合コンの「制度」性を、これほどあからさまに示すものはない。
子どもの養育や老親の介護が、保育所や介護保険によって社会化されたように、男女の出会いも社会化されていくのかもしれない。
それが好ましいかどうかという議論は置くとして、公的「出会いサポート事業」はおおむね好評のようである。本書が指摘するように、合コンのセッティングは主として学校や会社のコネクションに依拠する。それはつまり、それなりの企業や学校の集積の乏しい地域においては合コンをセットすること自体が至難の業となるということだ。合コンという「制度」は、至って地域格差の大きいものなのである。おそらく公的「出会いサポート事業」の好評の理由は、その地域格差を埋めた(都市的な娯楽を供給した)ところにあるのだ。
本書を読んで「身も蓋もないことを…」と思われる(怒る)方も多いと思う。「合コンは制度である」という喝破は、戦後日本最強のイデオロギー「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」からの脱洗脳であるからだ。だが不愉快なことであっても事実であれば語られるべきだ。あえて本書を世に問うた筆者たちに拍手したい。
また合コンでは「気が利く男性」「かわいらしい女性」といったイメージが重視され、その人自身の普段の振る舞いには関係なく、期待されるジェンダー役割を演じなければならない。その結果、合コンでの振舞いが虚構的なものになり、いざ男女が付き合う段階になると合コン時のイメージと素のパーソナリティとのギャップに苦しむ可能性が高くなってしまうのである。
さて、同書で繰り返し強調されるのが、「現代の恋愛と結婚には『運命の出会い』というキーワードが必要不可欠である」というテーゼだ。
「現代の私たちは、この合コンという奇妙な装置のおかげで、きわめて直接的なお見合いとも、無味乾燥な職場結婚とも違う、ドラマティックな出逢いを手に入れた。と同時に、あいまいな着地点を目指して戦い続けなければならなくなった。偶然や突然にこだわるあまり、今では理想それ自体がぼやけてしまっている」(136頁)
経済・社会的地位に関係なく、個人の欲望や情動だけで成立する関係が「ロマンティック・ラブ(情熱恋愛)」である。このロマンティック・ラブ幻想が強固に信じられているからこそ、親や上司などを介し「結婚を前提」にした「現実的」な付き合いは回避される。自分が愛情を感じている場合でも、運命だと思えないかぎり決断できない。と同時に、ある種の計算高さが忌避されることはもはや前提となっている。こうして、ロマンティック・ラブ幻想は、結婚自体を遠ざけるように作用するのである。
世代論的な視角からみた現代の恋愛・結婚に対する視点も面白い。補論「合コン時代の仕事と恋愛――自由と安定のはざまで」から引いてみよう。
「いつ夫がリストラされるかわからない。そうした不安は、リストラされても好きでいられる人と結婚することでしか解消されない。それは男の側も同じである。自分がリストラされたからといって自分のもとを去っていくような女性とは結婚できない。不安定な世の中を生き抜いていくためには、二人の関係は代替不可能なものでなくてはならない。(略)彼らの過剰な物語への志向は、グローバライゼーションの波のなか、ますます流動的(liquid)になる社会で、少しでも堅固(solid)なものを求めようとする心性の現われでもある」(182−183頁)
若者世代の恋愛における「運命の物語」の希求は、「経済・社会的な流動性の増大」を反映したものと捉えることも重要な意味をもつ、ということなのだろう。著者の一人である阿部真大は、『 搾取される若者たち ―バイク便ライダーは見た! (集英社新書) 』において、ひどい労働状況に置かれながらも「好きな仕事」(バイク便ライダー)にのめり込む若者たちの状況を、「未来の不透明感という社会的要因から帰結された彼らの生きる知恵である」と分析した。若者世代の恋愛・結婚観も同じロジックで導き出されたものなのだろう。「仕事」においても「恋愛」においても、若者たちが直面する困難はともに、現代における「流動性の増大」という観点から捉えることができるのかもしれない。
※なお、『合コンの社会学』においては、安野モヨコの漫画作品『 ハッピー・マニア 1 (祥伝社コミック文庫) 』(1995年〜)が「純愛の物語」の希求の例として挙げられている。主人公の重田加代子は「運命の出逢い」を求めて様ざまな男を渡り歩くのだが、その「運命の出逢い」の際の高揚感と、バイク便ライダーの高揚感は、ともに不透明な社会における不安感のなかで、若者たちが何とかして生きていこうとするなかで生み出された生存戦略である、とされている。
読んでもあまり意味はないような感じがした。
たぶん、合コンがちまたで堂々と語られるようになったのはここ10数年のことと思われる。
それ以前は、合ハイ(合同ハイキング)やダンパ(ダンスパーティ)が
学生を中心とした若者の出会いの場として自然発生的に存在していた。バブル前の1980年代のことである。
当時、合コンは結婚相手を探す場ではなかった。
結婚相手はきちんと紹介者を介して探せばいい。
他大学や他の会社の人とそれとなく出会える場があれば…、といった感覚の気軽な飲み会として存在していて、
当然、本書で語られるようなシステマティックな様相を呈していなかった。
つまり、本書が「社会学」と銘打つのはおこがましいのではないか?と声高に言いたい。
自分の身近な友人と思しき人々だけのインタビューを集め、大した分析もなされず、
この内容が「団塊ジュニアの合コンの一面」に過ぎないという自覚に欠けている。
読みすすめながら、この幼稚な内容に苛立ちを覚えたことは否めかった。
まぁ、それでも着眼点の面白さに星2つをつけよう。
合コンの社会学について正しく語る本に出会いたいものだ、と読後の消化不良を覚えながら改めて、強く思った。
6章、7章が社会学っぽいところである。1−5章の話しを理論化しようとするのであるが、これは正直言って、先のインタビューなしでも説明できるものである。本書は新書であるから、さほど高度な説明は必要はないにせよ、たぶん筆者の師匠筋に当たる人の理論をほんのちょっと持ち込むにとどまっている。
社会学に縁のない人にはいいかもしれないが、少しで及んだ経験のある人にはかなり物足りない。ノウハウものとしても、どうなのかな。
合コンを題材にした社会学的パロディというところか。
執筆動機や社会学に関する著者の思いがよくわかります。
内容は合コンの社会学的解釈です。
それ自体、目から鱗が落ちるような指摘はなく、
「手堅いなあ」という印象があります。
ただ新書という一般人が読者の書籍なのですから、
内容的にもう少しはじけてもよかったと思います。
合コンという題材を選んだ時点で、
はじけている訳ですから。
その点では竜頭蛇尾かもしれません。
以前、著者の論文(バイク論)を読んだことがありますが、
前作の方が面白かったです。
今後に期待します。
「『合コンは制度である』という著者の主張に目からうろこが落ちた」
などと絶賛しているが、果たしてそうか?
数回合コンに参加した経験があれば、本書で書かれている内容は、
至極当然のことと受け止められるはず。
「合コン」という軽薄な語と、それとかけ離れている「制度」という堅めのキーワードを、
巧みに結び付けて何となくアカデミックに展開している(その点は上手)だけで、
「目からうろこ」などの驚きは、はっきり言ってないし、正直その意見には笑ってしまった。
本書に書かれている面白さは、
「そうそう、合コンってそういうもんだよね」、「私もこうだった」という、
「あるある」的なものを、社会学というちょっと学問的な切り口で切って見せたという点が、白眉なのである。
決して「制度」云々ではない。「制度」云々を称えるのは、
まんまと商品戦略のキャッチコピーにはまっているだけでしょう。
新書としては軽めの部類に入るので、読みやすく、
知的好奇心をくすぐってくれる1冊ではあると思う。