精神障害者に対する社会の扱いに関し、歴史、現状を特に医療観察法や裁判員裁判も引き合いに出しながら概説した良書。精神障害者をめぐる司法の見方についてわかりやすく説明がされており、勉強になった。精神障害者が侵した罪に対して「情状酌量」が認められていた時代には、同時に精神障害者の人権が制限されていた。文明社会の機能を保つため、被害者側にも配慮がされ、ある意味でバランスがとれていたのかもしれない。
現在、「人権」の名のもとに精神障害者は守られ、権利は保障される。被害者は取り残されている。他方、中には責任能力云々を問われることもなく裁かれて「有罪」とされて刑務所に収監され、十分な医療も受けられない精神障害者も多いという。できることとできないこと、許されることと許されないこと、これらを理性的に区別して、できないことには配慮を、許されないことに対しては許される形態として(教育等)社会に受け入れることが望ましいのだろう。しかし、「許されないこと」をいかに規定するか。その議論が突き詰めてなされ、議論されつづけなければ、容易に教育(や矯正)そのものが暴力となりうる危険性も秘める。
そうしたことを改めて考えさせられた。
古代より精神障害者の罪が「情状酌量」の対象であったことは新しい発見で、多くの気づきを得られた。類縁書を読んでみたい。
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精神障害者をどう裁くか (光文社新書 398) 新書 – 2009/4/17
岩波 明
(著)
「野放し」と「厳罰化」のあいだ−−
なぜ「心神喪失」犯罪者たちは、すぐに社会に戻れるのか。
なぜ刑務所は、精神障害者であふれるようになったのか。
日本における司法・医療・福祉システムの問題点を暴く。
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2009/4/17
- ISBN-104334035019
- ISBN-13978-4334035013
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商品の説明
著者について
岩波明(いわなみあきら)
1959年神奈川県生まれ。東京大学医学部卒業。精神科医、医学博士。東京都立松沢病院をはじめ多くの医療機関で精神科臨床にたずさわる。東京大学医学部助教授を経て、独ヴュルツブルク大学精神科に留学。現在は昭和大学医学部精神医学教室准教授。うつ病の薬物療法、統合失調症の認知機能障害、精神疾患と犯罪などを主な研究分野とする。著書に『狂気という隣人』『狂気の偽装』『心に狂いが生じるとき』(以上、新潮社)、『自我崩壊』(講談社)、『うつ病』(ちくま新書)、共著に『思想の身体 狂の巻』(春秋社)、共訳書に『精神分析に別れを告げよう』(批評社)、『内因性精神病の分類』(医学書院)などがある。
1959年神奈川県生まれ。東京大学医学部卒業。精神科医、医学博士。東京都立松沢病院をはじめ多くの医療機関で精神科臨床にたずさわる。東京大学医学部助教授を経て、独ヴュルツブルク大学精神科に留学。現在は昭和大学医学部精神医学教室准教授。うつ病の薬物療法、統合失調症の認知機能障害、精神疾患と犯罪などを主な研究分野とする。著書に『狂気という隣人』『狂気の偽装』『心に狂いが生じるとき』(以上、新潮社)、『自我崩壊』(講談社)、『うつ病』(ちくま新書)、共著に『思想の身体 狂の巻』(春秋社)、共訳書に『精神分析に別れを告げよう』(批評社)、『内因性精神病の分類』(医学書院)などがある。
登録情報
- 出版社 : 光文社 (2009/4/17)
- 発売日 : 2009/4/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 224ページ
- ISBN-10 : 4334035019
- ISBN-13 : 978-4334035013
- Amazon 売れ筋ランキング: - 401,924位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年5月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2020年7月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者は精神科医です。そして、医師としての観点から精神障害者の刑事裁判について論じています。39条肯定派です。読んでいると、なるほど、いいこと書いているなという点はありますが、法学的な面では?なところもあります。例えば、「原因において自由な行為」の説明は全く間違っています。2009年の本ですから、裁判員制度の見通しも触れていますが、責任能力の判断は荷が重いだろうで終わっています。心神喪失者等医療観察法についてはこの時点で入院の長期化の問題がぼちぼち出てきていたように思うのですが、その点については触れていません。そのような点が非常に残念なので★4つです。
2010年1月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
犯罪を犯した精神犯罪者をどう裁くか。
精神を病んだ人間が凶悪犯罪を犯すと必ず話題になるテーマである。
なぜ残忍な犯行に及んでも「心神喪失」であれば裁判にかけられずに済むのか。
本書では社会が精神障害者をどのように扱ってきたかを主題としている。
犯罪と精神障害の関係は社会との関係を表す最も良い題材である。
統計的に見れば精神障害者は犯罪を犯す率は低い。ただ殺人・放火といった重犯罪では精神障害者の比率が有意に高いというのは非常に示唆に富んでいる。殺人といった最も恐るべき犯罪はある意味、通常の精神状態では犯しえないものなのかもしれない。
西洋や日本において歴史的にどのように精神障害者を扱ってきたかを述べた章も興味深い。精神障害者には処罰でなく治療を優先する姿勢が共通していることは現代社会における扱いを考える上でも参考になろう。歴史的な背景を踏まえると責任を問わないという姿勢は理性ではなく、本性に基づくもののように思える。
また日本の司法と精神医学の関係の希薄さと貧困な現状についても厳しい目を向ける。
司法の人間は精神医学を理解しようとしない。必要な時に便利に使っているのが今の司法からみた精神医学の扱いである。
「心神喪失」となれば司法の手から離れる。検挙率のために最初から争わないといった司法の姿勢には疑問を呈せざるを得ない。人間を人間としてみようとしない貧弱な完成が招いた結果ではないか。
本書で紹介される西洋諸国の例を見ると、日本の現状はお寒い限りである。何でも西洋の方が進んでいるとは思わないが、精神障害者の社会での位置という点では日本はまだまだ遅れているというのが実感である。
精神を病んだ人間が凶悪犯罪を犯すと必ず話題になるテーマである。
なぜ残忍な犯行に及んでも「心神喪失」であれば裁判にかけられずに済むのか。
本書では社会が精神障害者をどのように扱ってきたかを主題としている。
犯罪と精神障害の関係は社会との関係を表す最も良い題材である。
統計的に見れば精神障害者は犯罪を犯す率は低い。ただ殺人・放火といった重犯罪では精神障害者の比率が有意に高いというのは非常に示唆に富んでいる。殺人といった最も恐るべき犯罪はある意味、通常の精神状態では犯しえないものなのかもしれない。
西洋や日本において歴史的にどのように精神障害者を扱ってきたかを述べた章も興味深い。精神障害者には処罰でなく治療を優先する姿勢が共通していることは現代社会における扱いを考える上でも参考になろう。歴史的な背景を踏まえると責任を問わないという姿勢は理性ではなく、本性に基づくもののように思える。
また日本の司法と精神医学の関係の希薄さと貧困な現状についても厳しい目を向ける。
司法の人間は精神医学を理解しようとしない。必要な時に便利に使っているのが今の司法からみた精神医学の扱いである。
「心神喪失」となれば司法の手から離れる。検挙率のために最初から争わないといった司法の姿勢には疑問を呈せざるを得ない。人間を人間としてみようとしない貧弱な完成が招いた結果ではないか。
本書で紹介される西洋諸国の例を見ると、日本の現状はお寒い限りである。何でも西洋の方が進んでいるとは思わないが、精神障害者の社会での位置という点では日本はまだまだ遅れているというのが実感である。
2009年4月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「なぜ君は絶望と闘えたのか」は山口県光市母子殺人事件から
始まった被害者本村洋さんの裁判闘争の本です。
一方この本は、逆の加害者?サイドからみた事件の裏側を
描いています。しかもその犯罪者が精神障害者であった場合に・・。
本の帯にはこう書かれている。
なぜ「心神喪失」犯罪者たちは、すぐに社会に戻れるのか。
なぜ刑務所は、精神障害者であふれるようになったのか。
殺人、放火の加害者において精神障害者の比率は極めて高いのだそうだ。
本の中では現状とそもそも精神障害とはいかなるものかから始まり
彼らの世界史上の歴史、その扱われ方を紹介しています。
そしてこの問題が大きくクローズアップされるきっかけとなった
池田小事件と法そものものあり方の問題。最後にこれから始まる
裁判員制度と精神鑑定の難しさに言及されています。
筆者は精神科医。事件の現場にいる人間である。そこで一概に
一刀両断的にこの犯罪者たちを単純に死刑の壇上へあげることの
問題を非常に精緻に説いてくれる。
わたしがこの本で一番関心を持ったのは、結局犯罪というものが、あるいは
この精神障害者の存在というものが日本における経済効率の歯車の中に
巧妙に忍び込まれているという「事実」。
そこに人間性、人間の尊厳というものが「ないがしろ」にされていることに
非常な憤りを覚えずにはいられない。つまりこんなところまで金がからんでいる
ということ。なんという資本主義の歪みを感じないわけにはいかない。
精神障害者は経済性の中では「人」ではないのか?金を産まないものは
この世から抹殺していいというのを極めて合法的に警察、裁判所、検察そして
精神鑑定をする精神科医までが三位一体化して彼らをベルトコンベアーで
死の入口まで運ぼうとしている。
それをさらにマスコミが被害者を上手に「利用」して国民的感情の合意を
形成させようとして、これまた飯のタネにされてしまった。
なんという悪循環、負の連鎖であろうか。現代社会の闇の部分のえげつなさを
感じてしまう本だ。この本を読まずして裁判員制度を語ってはならない。
始まった被害者本村洋さんの裁判闘争の本です。
一方この本は、逆の加害者?サイドからみた事件の裏側を
描いています。しかもその犯罪者が精神障害者であった場合に・・。
本の帯にはこう書かれている。
なぜ「心神喪失」犯罪者たちは、すぐに社会に戻れるのか。
なぜ刑務所は、精神障害者であふれるようになったのか。
殺人、放火の加害者において精神障害者の比率は極めて高いのだそうだ。
本の中では現状とそもそも精神障害とはいかなるものかから始まり
彼らの世界史上の歴史、その扱われ方を紹介しています。
そしてこの問題が大きくクローズアップされるきっかけとなった
池田小事件と法そものものあり方の問題。最後にこれから始まる
裁判員制度と精神鑑定の難しさに言及されています。
筆者は精神科医。事件の現場にいる人間である。そこで一概に
一刀両断的にこの犯罪者たちを単純に死刑の壇上へあげることの
問題を非常に精緻に説いてくれる。
わたしがこの本で一番関心を持ったのは、結局犯罪というものが、あるいは
この精神障害者の存在というものが日本における経済効率の歯車の中に
巧妙に忍び込まれているという「事実」。
そこに人間性、人間の尊厳というものが「ないがしろ」にされていることに
非常な憤りを覚えずにはいられない。つまりこんなところまで金がからんでいる
ということ。なんという資本主義の歪みを感じないわけにはいかない。
精神障害者は経済性の中では「人」ではないのか?金を産まないものは
この世から抹殺していいというのを極めて合法的に警察、裁判所、検察そして
精神鑑定をする精神科医までが三位一体化して彼らをベルトコンベアーで
死の入口まで運ぼうとしている。
それをさらにマスコミが被害者を上手に「利用」して国民的感情の合意を
形成させようとして、これまた飯のタネにされてしまった。
なんという悪循環、負の連鎖であろうか。現代社会の闇の部分のえげつなさを
感じてしまう本だ。この本を読まずして裁判員制度を語ってはならない。
2017年10月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
専門家 医師による著作 これまでとは別の視点から解説されていました。
ここまで言ってよいの? 新鮮な感覚でした。
体裁 もちろん 新品です。
ここまで言ってよいの? 新鮮な感覚でした。
体裁 もちろん 新品です。
2012年5月26日に日本でレビュー済み
触法精神障害者の処遇についての入門的・概説的な本。具体的には以下の点について述べられている。
1. 精神障害とは何か。精神障害者による「犯罪」はどのくらいの頻度で起きているのか。
2. 刑法39条によって,触法精神障害者が不可罰とされたり,刑を減じられたりするのは,どのように正当化されるのか。
3. 無罪,執行猶予あるいは不起訴とされた触法精神障害者の処遇はどうなっているのか。それは妥当か。
4. 精神鑑定は信用できるか。
5. 裁判所は,触法精神障害者を適切に扱ってきたか。
本書が扱う問題は,自然科学である精神医学と規範学である法律学,福祉論と刑罰論が交錯して分かりにくい。著者は精神科医だが,法律学の観点からは首を傾げてしまうような記述もある。
その例が上記2.,刑法39条(の特に第1項)の正当性に関する主張である。これはふつう近代刑法の基本原則である「責任主義」から,いわば演繹的に説明される。刑法の教科書や入門書ではそのように書かれているし,実は本書にも "引用" として触れられているのだが(p.20),本書はこの説明を採らない。そうではなくて,"犯罪" をおかした精神障害者は "許されて" きたという歴史的事実に根拠を求める。
だが,こう考えるかぎり,触法精神障害者の免責については "犯行" の重大性を考慮せざるをえないだろう。人を100人殺しておいて「情状酌量」(p.174参照)で無罪とは言えないはずである。
しかし,現行法は結果の軽重を問題としていない。だから,たとえ100人殺しても,その者が心神喪失であれば無罪となる(刑法39条1項)。これは歴史的視点からは説明できない。まさに規範学(責任主義)による説明が求められているのである。
本書全体を見ても,多くの論点に触れられている一方で,個々の記述は薄く,帯に短し襷に長しの感がある。にもかかわらず,本書の評価を★4とするのは,触法精神障害者の処遇について一般向けにかかれた良書が,あまり見当たらないからである。本書は比較的オーソドックスな立場から書かれているので,司法精神医学や精神鑑定の現状について知りたいという人にはおすすめである。ただし,理解を深めようとすれば,他の専門家の著書にも当たる必要がある。
なお,本書37〜38ページでは,イギリスにおける殺人事件の発生率と,日本におけるそれとがほぼ同程度と述べられているが,これは間違いであろう。『犯罪白書』を見ても,イギリスでの発生率は,日本の2〜3倍である。本書はおそらく,イギリスで起きた殺人事件(既遂のみ)の数と,日本での殺人事件(未遂・予備も含む)を比較してしまっているからと思われる。本書の第1章では,『犯罪白書』からの引用がなされているが,ここでの「罪名」も,未遂等を含む数字であることに注意。本書にはその旨の説明がない。ちなみに『犯罪白書』は,法務省のサイトから閲覧できる。
1. 精神障害とは何か。精神障害者による「犯罪」はどのくらいの頻度で起きているのか。
2. 刑法39条によって,触法精神障害者が不可罰とされたり,刑を減じられたりするのは,どのように正当化されるのか。
3. 無罪,執行猶予あるいは不起訴とされた触法精神障害者の処遇はどうなっているのか。それは妥当か。
4. 精神鑑定は信用できるか。
5. 裁判所は,触法精神障害者を適切に扱ってきたか。
本書が扱う問題は,自然科学である精神医学と規範学である法律学,福祉論と刑罰論が交錯して分かりにくい。著者は精神科医だが,法律学の観点からは首を傾げてしまうような記述もある。
その例が上記2.,刑法39条(の特に第1項)の正当性に関する主張である。これはふつう近代刑法の基本原則である「責任主義」から,いわば演繹的に説明される。刑法の教科書や入門書ではそのように書かれているし,実は本書にも "引用" として触れられているのだが(p.20),本書はこの説明を採らない。そうではなくて,"犯罪" をおかした精神障害者は "許されて" きたという歴史的事実に根拠を求める。
だが,こう考えるかぎり,触法精神障害者の免責については "犯行" の重大性を考慮せざるをえないだろう。人を100人殺しておいて「情状酌量」(p.174参照)で無罪とは言えないはずである。
しかし,現行法は結果の軽重を問題としていない。だから,たとえ100人殺しても,その者が心神喪失であれば無罪となる(刑法39条1項)。これは歴史的視点からは説明できない。まさに規範学(責任主義)による説明が求められているのである。
本書全体を見ても,多くの論点に触れられている一方で,個々の記述は薄く,帯に短し襷に長しの感がある。にもかかわらず,本書の評価を★4とするのは,触法精神障害者の処遇について一般向けにかかれた良書が,あまり見当たらないからである。本書は比較的オーソドックスな立場から書かれているので,司法精神医学や精神鑑定の現状について知りたいという人にはおすすめである。ただし,理解を深めようとすれば,他の専門家の著書にも当たる必要がある。
なお,本書37〜38ページでは,イギリスにおける殺人事件の発生率と,日本におけるそれとがほぼ同程度と述べられているが,これは間違いであろう。『犯罪白書』を見ても,イギリスでの発生率は,日本の2〜3倍である。本書はおそらく,イギリスで起きた殺人事件(既遂のみ)の数と,日本での殺人事件(未遂・予備も含む)を比較してしまっているからと思われる。本書の第1章では,『犯罪白書』からの引用がなされているが,ここでの「罪名」も,未遂等を含む数字であることに注意。本書にはその旨の説明がない。ちなみに『犯罪白書』は,法務省のサイトから閲覧できる。
2009年6月17日に日本でレビュー済み
本書は、精神科医であり、
現在は昭和大学助教授ある著者が
今日の、いわゆる「触法精神障害者」をめぐる問題について概観する著作です。
精神障害の定義を簡潔に紹介したうえで、
現在の刑法において精神障害者はどう扱われるか
そして、この問題が歴史的にどう扱われてきたか―を論じ
さらに、39条に対する批判とそれへの再批判
現行制度の問題点などを検討します。
このように、本書が扱う対象は広範で複雑な事がらですが
解説が平易なことに加え
統計や調査の結果が具体的に示され
様々な立場からの批判もきちんと記しているので
特定の立場に偏っているという印象を受けず、
とても読みやすく感じました。
過去の日本やヨーロッパで精神障害者がどのように扱われていたか―
―という法制史的な議論や
現代の個別の事件や鑑定内容に関する言及も多く、
それ自体はとても興味深く読みましたが、それと同時に
自分も当事者となりうる問題―として考える必要性を痛感します。
医療観察法の施行により、幾分、漸進したとはいえ
同法の適用を受けない精神障害者や
39条の適用があるべきなのに、適用されない精神障害者
さらに、不十分な行政的枠組みなど
多くの課題が残るこの論点について
必要最小限の知識を提供してくれる本書。
社会福祉や司法問題に関心のある方に限らず
一人でも多くの方に読んでいただきたい著作です。
現在は昭和大学助教授ある著者が
今日の、いわゆる「触法精神障害者」をめぐる問題について概観する著作です。
精神障害の定義を簡潔に紹介したうえで、
現在の刑法において精神障害者はどう扱われるか
そして、この問題が歴史的にどう扱われてきたか―を論じ
さらに、39条に対する批判とそれへの再批判
現行制度の問題点などを検討します。
このように、本書が扱う対象は広範で複雑な事がらですが
解説が平易なことに加え
統計や調査の結果が具体的に示され
様々な立場からの批判もきちんと記しているので
特定の立場に偏っているという印象を受けず、
とても読みやすく感じました。
過去の日本やヨーロッパで精神障害者がどのように扱われていたか―
―という法制史的な議論や
現代の個別の事件や鑑定内容に関する言及も多く、
それ自体はとても興味深く読みましたが、それと同時に
自分も当事者となりうる問題―として考える必要性を痛感します。
医療観察法の施行により、幾分、漸進したとはいえ
同法の適用を受けない精神障害者や
39条の適用があるべきなのに、適用されない精神障害者
さらに、不十分な行政的枠組みなど
多くの課題が残るこの論点について
必要最小限の知識を提供してくれる本書。
社会福祉や司法問題に関心のある方に限らず
一人でも多くの方に読んでいただきたい著作です。