¥858¥858 税込
ポイント: 9pt
(1%)
配送料 ¥480 6月24日-28日にお届け
発送元: 現在発送にお時間を頂戴しております。創業15年の信頼と実績。采文堂書店 販売者: 現在発送にお時間を頂戴しております。創業15年の信頼と実績。采文堂書店
¥210¥210 税込
配送料 ¥340 6月13日-15日にお届け
発送元: 本蔵屋 ― 古本/古書/中古CD・DVD等取扱 販売者: 本蔵屋 ― 古本/古書/中古CD・DVD等取扱
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
織田信長 最後の茶会 (光文社新書 412) 新書 – 2009/7/16
購入オプションとあわせ買い
◎「本能寺の変」後、寺から消えたものは?
「変」と同じ年、1582年に起きた、世界史上の大事件とは?
東アジアの視点で描く、新たな信長像!
◎本書は、本能寺の変について「東アジア」という視点から考察を加えていく。私の本業は東アジアの思想文化についての研究である。したがって、室町時代の政治史に関しては門外漢であり、単なる「愛好家」にすぎない。だが、信長の「変」前日の行動をめぐる従来の研究・叙述のほとんどが、視野を日本国内に限定していることに対して長いこと違和感を懐き続けてきた。十六世紀後半の世界情勢のなかに「天正十年六月一日」を置いて眺めてみると、同時に存在していたさまざまな動きが見えてくる。
【目次】
プロローグ----本能寺の変とその前日
第一章 信長はどう描かれてきたか----天皇との関わり
第二章 本能寺の変の黒幕候補たち
第三章 永楽銭、石見銀山、倭寇----東アジアの経済交流
第四章 安土城、名物茶道具----信長と唐物
第五章 東アジアの暦と太陽暦、太陰暦
第六章 明歴と日本
第七章 宗教と信長王権
エピローグ----そして太陽暦が採択された
【著者紹介】
小島毅(こじまつよし)
一九六二年生まれ、関東地方にて育つ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在、東京大学人文社会系研究科准教授。専攻は、儒教史、東アジアの王権理論。文部科学省科学研究費補助金特定領域研究「東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成」(二〇〇五~二〇〇九年度)の領域代表。著書に『東アジアの儒教と礼』(世界史リブレット、山川出版社)、『義経の東アジア』『海からみた歴史と伝統』(以上、勉誠出版)、『中国の歴史07 中国思想と宗教の奔流』『近代日本の陽明学』(以上、講談社)、『靖国史観』(ちくま新書)、『足利義満 消された日本国王』(光文社新書)、『父が子に語る日本史』(トランスビュー)などがある。
- 本の長さ264ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2009/7/16
- ISBN-104334035140
- ISBN-13978-4334035143
よく一緒に購入されている商品
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
登録情報
- 出版社 : 光文社 (2009/7/16)
- 発売日 : 2009/7/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 264ページ
- ISBN-10 : 4334035140
- ISBN-13 : 978-4334035143
- Amazon 売れ筋ランキング: - 722,150位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
現在は東京大学准教授である著者が、
「愛好家」の立場から、本能寺の変について論じる著作です。
司馬遼太郎、頼山陽、徳富蘇峰らによる
織田信長や本能寺の変をめぐる言説を概観した上で、
それらが看過してきた「国際情勢の中の日本」について
信長が旗印とした永楽通宝や
本能寺の変前日に開かれた茶会で用いられた名物や掛け軸
そして、信長が改正を提案した暦などを手がかりに論じます。
家康の伊賀越え、滝川一益と珠光小茄子
―など、おなじみのエピソードに加え
信長のブレーン・沢彦宗恩
義昭の追放によっても足利幕府は滅亡していなかった
など、興味深い記述は各所にありますが
やはり一番興味深いのは
宗義調の書状に現れる『壬月二月廿九日』をめぐる推論。
国内における複数の暦の乱立・混乱と
それを冷ややかに見つめるまなざし。
この見解を前提とすれば、
こうした温度差が、慶長の国書偽造にもつながった
―ようにも思えるのですが・・・・
これまで近視眼的に語られてきた「本能寺」について
国際的な視座を提供するとともに、
実証的な学術書には現れない伸びやかな推論が
読者の想像力を刺激する本書。
ドラマや小説、ゲームをきっかけに歴史に興味を持ち始めた方も
本能寺はだいたい読みつくしたというコアな方にも
強くおススメしたい著作です☆
本書は何ひとつ信長をめぐる謎を解決しないし新事実の発見もない。そもそも信長についての本とも言いがたい。
ならば駄本かというとそうではなく、大河ドラマや司馬遼太郎の信長観・戦国時代観を持つほとんどの日本人の史観を解体すべく書かれているので、刺激的な箇所は多いはずだ。
ひとつは信長をめぐる既存のイメージと最新の研究成果とのギャップを整理する点。
各研究者の研究成果を紹介しつつ、信長を南蛮趣味で一向宗を弾圧した無宗教、直情型の武将として捉えるのはもはや妥当ではないと示す。
また天皇、公家、寺院、商人といった戦国武将の抗争の影に隠れた権力のパワーバランスを明らかにする点。
彼らの存在とネットワークが時代を動かしている。戦国武将の闘争だけが安土桃山時代ではなく、もっと複雑な勢力図を見なければ信長の行動を読み解くこともできないという視点。
さらに、著者の専門でもある東アジアという視点。明を中心とする東アジアの力学の中で日本を見つめる必要がある。
当時、南蛮とは明経由のもので、南蛮趣味は南蛮文化に影響を受けた明文化の受容と考えるべきではないか。当時誰もが京に上洛して日本統一を成し遂げたいと思っていたわけではない、西日本の大名や商人は京よりも明をみていたのではないか、等々。
彼らの生きる世界観(彼らが依拠する暦がその世界認識を支え、暦をめぐる武家・公家・商人の確執は本書の主題のひとつ)を、東アジアを含めた大きな広がりの中で明らかにしようという試みは、著者の他の著作とも同様、賛否両論あるだろうが楽しめた。
また、あきらからミスが見られる。最初のプロローグ(本能寺の変とその前日)のp7の記載に山科言継が間違っている。すでに天正10年には言継はこの世にはいない。正しくは息子の言経である。もちろん「言継日記」ではなく「言経日記」である。
出版する前にこれほどの間違いに誰も気づかなかったことに驚かされます。
だがそもそも、その問題のときに信長が公家たちに言ったのが「(十二月)閏可有之」であったことは明白(「天正十年夏記」)であり、著者の提起する「明暦」(翌年に閏二月を設定)では無かったことも明白である。著者自身、そのときの信長の発言をプロローグにおいて紹介している。
そのうえで敢て著者は「明暦」の可能性を主張しているのだが、それは最早、史料の文面の行間を読み解く行為を逸脱した妄想に等しい。
また著者は、正親町天皇と信長の関係、すなわち信長の対朝廷政策を考えるうえで重要な譲位問題について、先行研究における「生前譲位」を必須のものとする考えに対し、「在位崩御」もまた慣習化しており正親町天皇は後者を願望していたのではないかとする。
興味ある指摘だが、息子である誠仁親王への譲位が実現しなかったったのは、ひとえに信長や秀吉といった権力者の都合に翻弄された結果である(親王の死については、秀吉への憤死が噂された)。
そもそも、天正元年に信長が最初に譲位を進奏した折、朝廷はそれ受け入れる返事をしており、年の瀬を理由に断ったのは当の信長である(「孝親公記」)。その点で著者は明らかに史料を読み誤っている。
著者は「愛好家」であることを標榜し憚らないが、曲がりなりにもその道に席を置く身である。いま少し真摯かつ実証的な考察のうえで著述に当たっていただきたい。
そのため、本書のタイトルを見て、茶会で本能寺の変に繋がる何かが起きたのかと期待が高まり、購入しました。
東アジアの思想文化を研究する筆者は、序章で「『東アジアにおける王権の在り方』という点から
信長最後の茶会の出来事を再考してみるのが、本書の趣旨」と述べているので、期待はさらに膨らみました。
しかし、茶会については、信長が権威を誇示するために、所有する茶器を見せびらかした程度の記載で、
触れていないに等しい内容です。
ちなみに、小島氏の著作「足利義満 消された日本国王」に投稿したレビューを見ると、
かつての腹立たしさが再び甦り、小島氏の著作と、光文社新書を二度と読みたくないと思いました。
看板に偽りありの内容にがっかり。
信長に関わりがあるのか、ないのか分からないままに、
同時代的というだけで細かく論じたあげく、結局は信長どころか、
タイトルである「本能寺の変 最後の茶会」にまったく繋がらない駄文の連続。
周辺を考察することで主題を浮き上がらせるという狙いがあるのなら、明らかに失敗です。
これまでの研究者の成果を批判するのはいいが、それに対する明瞭な新事実もなし。
唯一読めたのは、暦の話だけ。だったら買わなかった。ブログで充分の内容。
コンテンツを見てもひどい。この編集担当は、駆け出しのアルバイトか?
東アジアまで視点を広げた発想って、そんなに新しいの?
だったら日本史研究家って、相当視野が狭い。
日本史オタクには楽しめるかもしれないけど、一般人には苦行的な1冊。
信長、本能寺の変、茶会…このキーワードにグッときた人は絶対買ってはいけません。
暦に興味がある人は読んでみたらおもしろいかも。
がっかりした読後に見たあとがきの
「一般読者向けの本を書き続けている」という一説がこの本の一番の衝撃だった。
東アジアの経済交流(永楽銭、銀、倭寇)、信長の唐物趣味、
太陽暦と太陰暦・明暦、信長と宗教」
…のように章立てされているが、「信長最後の茶会」に関する記述は
プロローグと文中のほんの一部である。
同著者の「足利義満」もそうであったが、題名と内容が著しく乖離している。
もはや確信犯とも言える逸脱ぶりである。
「さおだけ屋〜」みたいに題で読者の興味をそそって誘い込むのも手法のひとつとは思うが、
副題まで「本能寺の変前日に何が起きたか」となっていれば
多くの人の興味関心はその点にそそられ集まる。
それでいて内容は「茶会」を端緒に書きたいことを好き勝手に書いているだけなら
期待を裏切っていることに他ならないし、怒られても仕方がないと思う。
この著者の本を買う時は目次もしっかり見て、内容を確認すべきである。
それがこの本から得られる最大の教訓である。
正親町天皇との緊張した関係、武田滅亡後の徳川不要論は面白い記述だった。
また暦については難解な記述も多かったが、朝廷が存在意義を賭けて当時の権力者相手に
譲れない点であったことは知られており、
そのテーマだけでも分かりやすく掘り下げて書けるだけの内容であると思われる。
その場合は題名は「暦を守った戦国時代の朝廷」とでもして分かりやすくして欲しい。
それが自己満足であってはならない、新書としての意義ではないだろうか。