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西洋音楽論 クラシックに狂気を聴け (光文社新書) 新書 – 2011/12/16
【生物学者・福岡伸一氏】
「西洋音楽の本質はアフタービート。
こんなシンプルな事実を
今まで誰も教えてくれなかったのは何故?
音楽にとどまらない斬新で挑発的な文化論!!」
◎ 概 要
日本におけるクラシック音楽の占める位置は何処にあるのか。
クラシック音楽の本質とは何か。
作曲家・指揮者としてヨーロッパで活躍してきた著者が考える、西洋音楽の本質。
◎ 内容紹介
ヨーロッパという、私達とは一万キロ以上も離れた土地に生まれ、日本に移入され、
僅か百年程の間に独特の発展を遂げたのが、現在の日本のクラシック音楽である。
それは既に私達の文化に深く広く根を張ったかの様に見えるけれども、
その先に咲いた花の形質は、現地(ヨーロッパ)に咲いている物と、何処か違っている様に思う。
今、その事の是非を問うよりも前に、何故花の色形が変わってしまったのか、違うとしたら何処がどう違うのか、
そしてその違いが齎す結果とは何なのか。
そうした事を一つ一つ解明してゆこうというのが、本書の試みである。
(「はじめに」より)
作曲家・指揮者としてヨーロッパで活躍してきた著者が、
その体験を軸にゼロベースで考える、西洋音楽の本質。
◎ 目次
はじめに
第一章 本当はアフタービートだったクラシック音楽
第二章 革命と音楽
第三章 撓む音楽
第四章 音楽の右左
第五章 クラシック音楽の行方
第六章 音楽と政治
おわりに
◎ 著者プロフィール
森本恭正(もりもとゆきまさ)
1953年東京都生まれ。作曲家・指揮者。有明教育芸術短期大学教授。
東京藝術大学中退。桐朋学園音楽大学、南カリフォルニア大学大学院、ウィーン国立音楽大学で学ぶ。
1987年より、「ENSEMBLE9」主宰。「YUKI MORIMOTO」として主にウィーンで作曲・指揮活動を展開。
現在、ソロ作品から管弦楽曲まで百六十余作品を数え、その自筆譜の多くはオーストリア国立図書館に収蔵。
また、ほぼ全作品がウィーンフィルハーモニーのメンバーを筆頭に、著名ソリストの手によりヨーロッパ各地で初演されている。
DIE EXTRAPLATTE社より6枚のCDを発表。
2007年及び2008年、ポーランド・ルトスワフスキ国際作曲コンクールの審査員を務める。
- 本の長さ206ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2011/12/16
- 寸法10.9 x 1.1 x 17.2 cm
- ISBN-104334036597
- ISBN-13978-4334036591
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登録情報
- 出版社 : 光文社 (2011/12/16)
- 発売日 : 2011/12/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 206ページ
- ISBN-10 : 4334036597
- ISBN-13 : 978-4334036591
- 寸法 : 10.9 x 1.1 x 17.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 563,757位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,853位光文社新書
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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またたった200年弱前のヨーロッパで女性演奏家として本格的に活躍していたのは、Clara Schumannだけだったという。それどころか第2次大戦前に女性がいたオーケストラは、ほとんどなかったという。ところが現在では、女性なくしてやっていけるオーケストラはないだろう。男性ばかりで有名だったウィーン・フィルでさえ、今は10人以上の女性が籍を置いている。コンサート・マスターのひとりも女性である。
奇を衒っているのではなくて、いろいろと問題提起してくれているのではないだろうか。そう考えると、こうして時間を割いてみるのも無駄ではなさそうだ。
オファーがオーディションオファーという、人間をバカにしきった世界のグループの態度が知れます。でもピンクフロイドで、仮にビートルズが同じことをしたら怒る方がおかしい話で、著者は名誉にしている感じでした。
選ばれる側は色々ありますね。
なんか内容は、野心的なBSドキュメンタリー風で、著者があちこちに飛んで、またそのミュージシャンとかの語りとか入っております。
しかし著者自身の音楽理解が表層的で、分かってないことをアカデミックな格好つけで語りたいだけの本な気がしました。
しかし、著者は世界的な人だし、こうした理解の浅さと、音楽の腕は無関係ですから。吉田秀和先生大好きだけど、本人はそんなに弾けない筈です。
できる人が適当に描いたら、本としては三流のものになったようです。
今のようにネットによるグローバルな時代に日本と海外と言うフォーカスの当て方は少々鼻白むきらいもありますが、海外で専門的に活動する者にとってはどうしても扱わざるを得ないトピックですね。そして「確かにそこは考えてしまうな」と言うポイントに導いてくれる本だと思います。
これからの「クラシック」音楽がどうなって行くのか期待を持って見つめてみたくなる一冊でした。
ここで言う「狂気」とは、人間の手に負えない自然の理不尽さ、今までの規範・世間の常識で測れないもの、理性や想像を超える抑えきれない情動などのことである。いまクラシック音楽がつまらないとしたら、この狂気によるエキサイトメントが消えているせいだという。何か一段高いところに取り澄ました上流階級の音楽というクラシックの一般的なイメージとは違い、ロックと何ら変わらない情念の欲求がクラシック音楽にもあったという指摘はその通りであろう。
著者は日本、アメリカ、ヨーロッパの音楽大学で学び、ウィーンで仕事をしている作曲家・指揮者らしい。ピンク・フロイドと接触を持ったり、日本では得難い貴重な体験をしているようである。クラシック音楽に変な特権意識を持たず、日本人がクラシック音楽をする上で感じるある種の違和感を素直に受け止め、長年の素朴な疑問に対する解答を見つけた喜びが平易な言葉で語られている。こういう内容は日本のクラシック界にどっぷり浸かっていれば語り得ないのかもしれない。
日本人音楽家なら日本人が西洋音楽をやる意味を考えずにはいられないはず。本書ではいわゆる洋楽の表拍・裏拍の問題、右脳左脳の違い、調性音楽と倍音、西洋の革命の歴史と音楽の関係や、西洋文化のある種の行き詰まりなども取り上げ、日本人にとって西洋音楽とは何であるか、どう聴けばいいのかについての一つの解答が示されていると思う。さらっと触れられているが、ベートーヴェンの第九と阿波踊りの類似についてはまさに我が意を得たり。その意味するところも深い。
所々論理に飛躍も見られるが、個人的にも今後探求したい音楽上のテーマがここに出ている気がして、とても励まされる内容であった。ピンク・フロイドの『狂気』でも聴きながら読むのがオススメです(笑)。
著者の森本さんは、欧州音楽が5線記譜法の下に統合したことで一般化し、、最初は、上流階級のものであった音楽が、一般市民に、女性に、そして、東洋を始めとする異民族のもとに進出していったと考えています。
そして、マイルスに関するーこの人は一体ジャズ・ミュージシャンなのか、クラシック音楽をとことん極めた現代音楽奏者なのかーという言及ですが、よく理解できます。前衛ジャズ、スタン・ケントン等の音楽を聴くとそれが良く理解できると思います。
そして、欧州の伝統芸能であるオペラですが、彼等は東洋人のプリマドンナが歌うアリアをどの様に感じているか、東洋人の演奏するピアノ、ヴァイオリンをどの様に感じているかですが、やはり違和感を感じているようです。それは、私達が、外国人力士の相撲の取り組みを見ている感じとよく似ているのかもしれません。また、君が代の演奏では、行進出来ない等、鋭い指摘が沢山あります。ただ、ベートヴェンに関する記述ですが、これは森本さんの深読みしすぎかなという感がしないではありません。
少し独断過ぎるかなという感はしますが、興味深い指摘が沢山あり、非常に面白いです。音楽に暗い人も文明論として読めますし、ご一読をお薦めします。
元が友人に送りつけていた「ウイーン通信」という名のメールマガジンだそうで、こうした形を反映し、体系的な記載ではなく、それぞれの章は短めですが、出てくる観点は全て刺激的で示唆に富んでいます。
ただ、ていねいに論証するなら分量が10倍必要だろうというような話が特に前後の関係もなくどんどん出てきますので、親切な本ではありません。あまり音楽全般に詳しくない人が、啓蒙的なことを求めて手に取ると、結局何もわからずに終わると思います。
音楽にある程度以上詳しく、何やら疑問を抱えているような場合は、無数の示唆を得られると思います。音大生やアマオケの人、コアな吹奏楽の人などに適した本だと思います。