2016年刊。瞬く間にスマホの標準アプリとなったグーグルマップの限界と可能性について解説。GPSと連動したインターフェイスはユーザに最適化された反面、使い勝手の良さがかえって視野や考え方を狭めてしまうのではないかと危惧します。
一方、モバイルの地図の強みを生かしてユーザの足を外に向けさせ、出会いやつながりを作り出す仕掛けを作れるのではないかとも提案。位置情報ゲームの嚆矢ともいえる「イングレス」を取り上げます。
2016年には「ポケモンGO」がリリースされ、グーグルマップに投稿した口コミを参考に行き場所を決める場面も増えました。意外な使い道に胸を躍らせて便利さを享受しながら適度に楽しむ余裕を持ち合わせ続けたいところです。
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グーグルマップの社会学 ググられる地図の正体 (光文社新書) 新書 – 2016/6/16
松岡 慧祐
(著)
- 本の長さ237ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2016/6/16
- 寸法11 x 1.3 x 17.3 cm
- ISBN-104334039286
- ISBN-13978-4334039288
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商品の説明
出版社からのコメント
◎「見たいものしか見ない」地図は、
社会を、わたしを、どう変えるのか?
◎グーグルマップによって、わたしたちの世界は本当に広がったのか?
社会は、よく見えるようになったのか?
新進気鋭の社会学者による、新しい地図論!
【内容紹介】
グーグルマップの普及によって地図との関わり方が変わったという感覚は、
それを日常的に使っている人なら誰もが共有しているはずである。しかし、
そうした感覚は、とるにたらないものとして日常に放置されている。
そこで、社会学の出番だ。グーグルマップのある日常を、社会学の広い視野
のなかに位置づけて分析することにより、グーグルマップが受容される現代
社会をとらえることが本書の目的である。(本文より)
【目次】
はじめに
第1章 地図の社会学
第2章 グーグルマップ前史
第3章 グーグルマップの現在
3‐1 デジタル化
3‐2 グーグルマップはどう進化したか
3‐3 個人化
第4章 グーグルマップが閉ざす/開く世界
4‐1 断片化
4‐2 シークエンス化
4‐3 多層化
第5章 グーグルマップの未来
あとがき
脚注一覧
【著者紹介】
松岡慧祐(まつおかけいすけ)
一九八二年生まれ。関西大学大学院社会学研究科博士課程後期課程修了。
博士(社会学)。現在、奈良県立大学地域創造学部専任講師。
専攻は文化社会学、都市表象論。
現代の都市や地域社会を表象するメディアとしての地図のあり方について
社会学的な見地から調査・研究している。
主な論文に「地域メディアとしての地図と社会的実践としての地図づくり
――地域社会における〈マップ〉の想像力」『フォーラム現代社会学』
(12号、関西社会学会)などがある。
本書が初の単著となる。
社会を、わたしを、どう変えるのか?
◎グーグルマップによって、わたしたちの世界は本当に広がったのか?
社会は、よく見えるようになったのか?
新進気鋭の社会学者による、新しい地図論!
【内容紹介】
グーグルマップの普及によって地図との関わり方が変わったという感覚は、
それを日常的に使っている人なら誰もが共有しているはずである。しかし、
そうした感覚は、とるにたらないものとして日常に放置されている。
そこで、社会学の出番だ。グーグルマップのある日常を、社会学の広い視野
のなかに位置づけて分析することにより、グーグルマップが受容される現代
社会をとらえることが本書の目的である。(本文より)
【目次】
はじめに
第1章 地図の社会学
第2章 グーグルマップ前史
第3章 グーグルマップの現在
3‐1 デジタル化
3‐2 グーグルマップはどう進化したか
3‐3 個人化
第4章 グーグルマップが閉ざす/開く世界
4‐1 断片化
4‐2 シークエンス化
4‐3 多層化
第5章 グーグルマップの未来
あとがき
脚注一覧
【著者紹介】
松岡慧祐(まつおかけいすけ)
一九八二年生まれ。関西大学大学院社会学研究科博士課程後期課程修了。
博士(社会学)。現在、奈良県立大学地域創造学部専任講師。
専攻は文化社会学、都市表象論。
現代の都市や地域社会を表象するメディアとしての地図のあり方について
社会学的な見地から調査・研究している。
主な論文に「地域メディアとしての地図と社会的実践としての地図づくり
――地域社会における〈マップ〉の想像力」『フォーラム現代社会学』
(12号、関西社会学会)などがある。
本書が初の単著となる。
登録情報
- 出版社 : 光文社 (2016/6/16)
- 発売日 : 2016/6/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 237ページ
- ISBN-10 : 4334039286
- ISBN-13 : 978-4334039288
- 寸法 : 11 x 1.3 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 324,489位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年4月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
非常に面白い。
終盤、紙幅を稼ぐためか息切れしながら続けてる部分をマイナスしても面白い。
まず、地図は客観的な描写ではなく、何を描写し、何を捨象するかの選択作業であるという、構成主義的な地図感が展開される。
それは時代や目的によって、地図を描く視点は変わる。
その一方で、地図は全体を俯瞰するという側面を持つ。
その両面を持つのが地図なのだ。
しかしながら、Googleマップはフィルターバブルと同じで、自分を中心に必要な情報のみをマッピングする。そこには全体を俯瞰する視線はないと指摘する。
最初の地図論だけでもハッとさせられるのに、テクノロジーの変化を位置付ける。
最後の失速感を置いてと面白い一冊。
終盤、紙幅を稼ぐためか息切れしながら続けてる部分をマイナスしても面白い。
まず、地図は客観的な描写ではなく、何を描写し、何を捨象するかの選択作業であるという、構成主義的な地図感が展開される。
それは時代や目的によって、地図を描く視点は変わる。
その一方で、地図は全体を俯瞰するという側面を持つ。
その両面を持つのが地図なのだ。
しかしながら、Googleマップはフィルターバブルと同じで、自分を中心に必要な情報のみをマッピングする。そこには全体を俯瞰する視線はないと指摘する。
最初の地図論だけでもハッとさせられるのに、テクノロジーの変化を位置付ける。
最後の失速感を置いてと面白い一冊。
2017年2月14日に日本でレビュー済み
コンパクトにまとまっていてわかりやすかったです。
ただ、タイトルに「正体」とあったので「反・グーグルマップ」的なことが書かれているのかな、と少し期待していたため、ちょっと拍子抜けでした。
ただ、タイトルに「正体」とあったので「反・グーグルマップ」的なことが書かれているのかな、と少し期待していたため、ちょっと拍子抜けでした。
2016年7月29日に日本でレビュー済み
グーグルマップが登場するまでの地図の歴史に、本全体の三分の一。ここが面白かったという人はいるだろうが、そこはそもそも本書に期待していなかった私としては、退屈だった。後の三分の二は、グーグルマップの機能などを社会学の用語で解説しただけという感じがしてここも退屈でした。社会学は大学の授業などで少し学んだ程度の私ですが、社会学的に考察して新たにこういう点が見えてきたということが私には読み取れなかった。
2016年6月30日に日本でレビュー済み
わかりやすく書かれた学術書という印象です。インターネットにおけるパーソナライゼーション(見たいものしか見ない)は、すでにネット論で指摘されてきたことで、それ自体に新鮮味はありませんが、「グーグルマップ」について書かれた本は、これまでマニュアル本以外にはなかったはずなので、新しい地図論として新鮮に読むことができました。後半に書かれているグーグルマップの可能性については、ややしっくりこないところもありましたが、個人的には、グーグルマップが登場する以前の地図の現代史が面白く、地図を社会学的に考えることの意味がよく理解できました。それだけでも一読の価値ありです。
2016年7月31日に日本でレビュー済み
社会学的に言うと、グーグルマップは「目的地に迷わずナビゲートしてくれる」
わけだから、ある意味で「自己中心的な地図」と言う。
つまり、「いまの、ここの、私」に焦点を合わせるばかりの地図は、
「どこかへ行こう」
「ここではないどこかは、どこか」
という人間の創造力を欠如させていくというのである。
私は頑固にカーナビを使わずに、紙の地図で行き先を考えてきただけに
言いたいことは痛いほどわかる。
いわゆる、本当の意味で地図が見られなくなるのだ。
だが著者はきちんと対応策(?)も用意している。
スクロールだけで自在に視点を動かせることは、
従来にはなかった発想を生むはずだ――と。
結局グーグルマップは、世界を全体として俯瞰する地図ではなく、
断片的な情報の集積として認識させるものだのだろう。
地図の見方も変わると言うことだ。
とはいえ、昔から地図の読めない人だった友人の女性は、
どうもグーグルマップも苦手らしい。
また、紙の地図に馴染んできた人は、なかなかグーグルマップに慣れない。
「北」を固定した表示もできるが、「目的地が上」が標準だから、最初は戸惑うのだ。
ただそれでも、うまく使いこなせば紙の地図よりは便利だと思う。
いろいろ社会学的な考察をしているが、要はグーグールマップは便利だということだ。
この本の結論も、案外そこにあるかもしれない。
わけだから、ある意味で「自己中心的な地図」と言う。
つまり、「いまの、ここの、私」に焦点を合わせるばかりの地図は、
「どこかへ行こう」
「ここではないどこかは、どこか」
という人間の創造力を欠如させていくというのである。
私は頑固にカーナビを使わずに、紙の地図で行き先を考えてきただけに
言いたいことは痛いほどわかる。
いわゆる、本当の意味で地図が見られなくなるのだ。
だが著者はきちんと対応策(?)も用意している。
スクロールだけで自在に視点を動かせることは、
従来にはなかった発想を生むはずだ――と。
結局グーグルマップは、世界を全体として俯瞰する地図ではなく、
断片的な情報の集積として認識させるものだのだろう。
地図の見方も変わると言うことだ。
とはいえ、昔から地図の読めない人だった友人の女性は、
どうもグーグルマップも苦手らしい。
また、紙の地図に馴染んできた人は、なかなかグーグルマップに慣れない。
「北」を固定した表示もできるが、「目的地が上」が標準だから、最初は戸惑うのだ。
ただそれでも、うまく使いこなせば紙の地図よりは便利だと思う。
いろいろ社会学的な考察をしているが、要はグーグールマップは便利だということだ。
この本の結論も、案外そこにあるかもしれない。
2018年4月3日に日本でレビュー済み
地図について私なりに考察してみると、ホモサピエンス誕生以来「ここにはこんなものが生えている」、「獲物の通り道はここだ」、「水場はどこだ」、「ここへ行けば安全だ」、「敵はここにいる」、「宝はここに隠してある」などという仲間と共有すべき情報を記号化して地べたに書いていたものが地図のはじまりだろう。そして近代社会になって国民国家がその権威で紙の地図がつくられるようにるまで10万年以上を我々はアナログの地図を使ってきた。アナログであるから、載せられる情報は限られ選択される。よって限られた情報からその地図に載せられていない情報を読み取ることが「地図を読む」ということだった。
ところが、いま人類の歴史上ではほんの瞬間に誕生したグーグルマップをはじめとするデジタルマップは、それまでの地図の歴史と概念を180度転換させた。著者が述べるごとく、階層(レイヤー)構造をしているデジタルマップは、情報は無限に近く盛り込むことができる。拡大縮小も自由自在だ。「地図を読む」とは、その過剰に供給された階層(情報)をどう選択(customize)するかということだ。繰り返すが「地図を読む」とは、アナログ地図:限られた情報から無限の情報を引き出す(想像する)。デジタルマップ:無限の与えられた情報から必要な情報を取り出す。というまったっく逆の操作を行うということだ。任意的自由度では、デジタルマップに軍配をあげざるを得ないだろう。
さて、地図の将来だが、近代以降の地図は紙媒体でおもに「国家」が自国の領土を明示するため、教育制度や軍隊、税制など同じく国家権力の元で制作・整備されてきたもの(官製地図)である。よってA国の地図はA国の国境が含まれる部分で完結してる。一方でデジタルマップはグーグルを始めとする民間があるいは個人がフリーアクセスのもとで制作・提供するもので、国境・国家などを超越している。"beyond the border"、「国境なんて古い概念・システムなんて関係ねえ」というのもデジタルマップ持つコンセプトである。今後はその公私の境はあいまいになって行くだろう。ある国ではすでに紙媒体の官製地図の制作をやめ、デジタル版のみを供給していると聞く。そのメリットは改定が容易で選択範囲も自由自在なことなど数多くある。利用者はクレジットカードなどによる代金と引き換えにデジタルデータをダウンロードすればよい。それだけなら、単にデジタル画像データに過ぎないが、それに階層を加えていくことは、利用者の思うままだ。日本の現状はまだ紙媒体との併用であるが、今年(2018年)の4月1日に廃止になったJR西日本の三江線は、デジタル版地図では廃止当日にはもう消去されていた。いずれはは日本の官製地図もデジタル版のみの供給となるだろう。紙媒体の地図はガイドブックや道路地図(ただし若者はすでにカーナビでさえなくスマホ地図アプリのナビ頼り切っている)などどして生き残るであろうが。
これからは地図をどう利用しよう?地図アプリの入ったスマホやタブレットで持ち歩けばよいわけだ。だが、アナログ派の私のやり方は、デジタルデータをダウンロードしたものをアナログ化(データ自体はデジタルであるが階層を構造を壊してひとつに纏めてしまう)してタブレットに送って使用するというのか妥協点である。
もう一点、アナログ地図は実体としてはっきりとしており、改定ごとに古いものはアーカイブ化されるが、常に書き換えられるデジタルマップはその履歴がアーカイブとしての性質を持つものだろうか?それとも古いデータは瞬時に流れ去って行って体(てい)を残さないものなのだろうか?
ところが、いま人類の歴史上ではほんの瞬間に誕生したグーグルマップをはじめとするデジタルマップは、それまでの地図の歴史と概念を180度転換させた。著者が述べるごとく、階層(レイヤー)構造をしているデジタルマップは、情報は無限に近く盛り込むことができる。拡大縮小も自由自在だ。「地図を読む」とは、その過剰に供給された階層(情報)をどう選択(customize)するかということだ。繰り返すが「地図を読む」とは、アナログ地図:限られた情報から無限の情報を引き出す(想像する)。デジタルマップ:無限の与えられた情報から必要な情報を取り出す。というまったっく逆の操作を行うということだ。任意的自由度では、デジタルマップに軍配をあげざるを得ないだろう。
さて、地図の将来だが、近代以降の地図は紙媒体でおもに「国家」が自国の領土を明示するため、教育制度や軍隊、税制など同じく国家権力の元で制作・整備されてきたもの(官製地図)である。よってA国の地図はA国の国境が含まれる部分で完結してる。一方でデジタルマップはグーグルを始めとする民間があるいは個人がフリーアクセスのもとで制作・提供するもので、国境・国家などを超越している。"beyond the border"、「国境なんて古い概念・システムなんて関係ねえ」というのもデジタルマップ持つコンセプトである。今後はその公私の境はあいまいになって行くだろう。ある国ではすでに紙媒体の官製地図の制作をやめ、デジタル版のみを供給していると聞く。そのメリットは改定が容易で選択範囲も自由自在なことなど数多くある。利用者はクレジットカードなどによる代金と引き換えにデジタルデータをダウンロードすればよい。それだけなら、単にデジタル画像データに過ぎないが、それに階層を加えていくことは、利用者の思うままだ。日本の現状はまだ紙媒体との併用であるが、今年(2018年)の4月1日に廃止になったJR西日本の三江線は、デジタル版地図では廃止当日にはもう消去されていた。いずれはは日本の官製地図もデジタル版のみの供給となるだろう。紙媒体の地図はガイドブックや道路地図(ただし若者はすでにカーナビでさえなくスマホ地図アプリのナビ頼り切っている)などどして生き残るであろうが。
これからは地図をどう利用しよう?地図アプリの入ったスマホやタブレットで持ち歩けばよいわけだ。だが、アナログ派の私のやり方は、デジタルデータをダウンロードしたものをアナログ化(データ自体はデジタルであるが階層を構造を壊してひとつに纏めてしまう)してタブレットに送って使用するというのか妥協点である。
もう一点、アナログ地図は実体としてはっきりとしており、改定ごとに古いものはアーカイブ化されるが、常に書き換えられるデジタルマップはその履歴がアーカイブとしての性質を持つものだろうか?それとも古いデータは瞬時に流れ去って行って体(てい)を残さないものなのだろうか?