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葉隠入門: 武士道は生きている (名著愛蔵) 単行本 – 1995/10/1
三島 由紀夫
(著)
- 本の長さ287ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日1995/10/1
- ISBN-104334042023
- ISBN-13978-4334042028
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
「武士道とは、死ぬ事と見付けたり」で名高い「葉隠」は、自由と情熱を説いた書である。私にとってただ一冊の本、と心酔し、実践することに情熱を注いだ著者が、現代に生きる「葉隠」を説く。再刊。
登録情報
- 出版社 : 光文社 (1995/10/1)
- 発売日 : 1995/10/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 287ページ
- ISBN-10 : 4334042023
- ISBN-13 : 978-4334042028
- Amazon 売れ筋ランキング: - 477,406位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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(1925-1970)東京生れ。本名、平岡公威。
1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。
主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。
カスタマーレビュー
星5つ中4.4つ
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年2月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昔から座右の書として読んでますが、かなり傷んできたので今回購入しました
2011年1月17日に日本でレビュー済み
『成り上がり者と馬鹿にしないこと』より
中野数馬の話であるが、
「茶道で古い道具を用いることはむさ苦しい、
新しい器のほうがきれいでいい。」などという人が
いるということだ。また一方では、
「古い道具はもっともらしいから使うのだ。」
などと考える人もあるが、どれも違っている。
古い道具は下賎の者が取り扱っていた品ではあるが、
古いなりに品格が備わっているものだから、
高貴な人の手にも渡るようになったのである。
みなその品の徳を尊(たっと)んでのことである。
奉公人にしてもおなじで、
下賎から身を起こし高い身分にまでなった人は、
その人にそれなりの徳が
備わっていたからなのである。
それなのに、氏素性のはっきりしない奴と
いっしょの仕事はいやだとか、
いままで足軽であった者を
自分の上司にするわけにはいかない、
などと思うのは、
もってのほかの考えちがいである。
本来、はじめからその地位にあったひとよりは、
下々からのぼった人は、それだけの徳があるのだから、
なおいっそう尊敬しなければならない。
★作者が有名だから、使っていた人が有名だから…
等の理由で生き残っている骨董品よりも、
作者も持ち主も無名だが、
生き残っている骨董品の方が
芸術作品として“本物”という事です。
★家柄が良いから、学歴が高いから…
等の理由で要職に就いている人よりも、
何のコネもブランドも無いが、
要職に就けている人の方が
人材として“本物”という事でしょう!
★人を観る時、御間違えの無い様に!!
中野数馬の話であるが、
「茶道で古い道具を用いることはむさ苦しい、
新しい器のほうがきれいでいい。」などという人が
いるということだ。また一方では、
「古い道具はもっともらしいから使うのだ。」
などと考える人もあるが、どれも違っている。
古い道具は下賎の者が取り扱っていた品ではあるが、
古いなりに品格が備わっているものだから、
高貴な人の手にも渡るようになったのである。
みなその品の徳を尊(たっと)んでのことである。
奉公人にしてもおなじで、
下賎から身を起こし高い身分にまでなった人は、
その人にそれなりの徳が
備わっていたからなのである。
それなのに、氏素性のはっきりしない奴と
いっしょの仕事はいやだとか、
いままで足軽であった者を
自分の上司にするわけにはいかない、
などと思うのは、
もってのほかの考えちがいである。
本来、はじめからその地位にあったひとよりは、
下々からのぼった人は、それだけの徳があるのだから、
なおいっそう尊敬しなければならない。
★作者が有名だから、使っていた人が有名だから…
等の理由で生き残っている骨董品よりも、
作者も持ち主も無名だが、
生き残っている骨董品の方が
芸術作品として“本物”という事です。
★家柄が良いから、学歴が高いから…
等の理由で要職に就いている人よりも、
何のコネもブランドも無いが、
要職に就けている人の方が
人材として“本物”という事でしょう!
★人を観る時、御間違えの無い様に!!