僕は大学2年生ですが、特に勉強にもサークル活動にも熱中することなく無気力に過ごしていました。しかし授業の課題図書でこの本を読み、憑き物が取れたような気持ちです。大学での学ぶことへの姿勢をはじめ、親や世間の目を気にして生きることの虚しさや生きることの意味など、自分が今まで漠然と抱いていた悩みに改めて真剣に向き合うための指針を示してくれました。
恐らく現状熱意に満ち溢れている大学生は読む必要はないと思いますが、大学に来た意味を見失いかけている人や、受験勉強から解放されて抜け殻になった自覚のある大学1年生にはぜひ薦めたい一冊です。きっと大学や人生に対するモチベーションが変わってくるはずです。
長文失礼しました。
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大学で何を学ぶか: 自分を発見するキャンパス・ライフ (光文社文庫 か 7-1) 文庫 – 1985/4/1
加藤 諦三
(著)
- 本の長さ216ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日1985/4/1
- ISBN-104334701329
- ISBN-13978-4334701321
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登録情報
- 出版社 : 光文社 (1985/4/1)
- 発売日 : 1985/4/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 216ページ
- ISBN-10 : 4334701329
- ISBN-13 : 978-4334701321
- Amazon 売れ筋ランキング: - 672,786位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,556位高等教育 (本)
- - 4,143位光文社文庫
- - 50,358位教育・学参・受験 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1938年、東京に生まれる。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学准研究員をつとめる。現在、早稲田大学名誉教授、ハーヴァード大学ライシャワー研究所准研究員(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『不安のしずめ方 40のヒント』(ISBN-10:4569791247)が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年6月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
学生時代に読んで、非常に印象に残っていたので、もう一度読みたいと思って探した。考え方にすべて賛同するのではないが…。
2004年8月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分が学生の頃に読んだ本で印象に残っていたので、
なにがやりたくてうちの会社を選んだのか理解できない
出来の悪い部下に読ませようと思って、また買って
みました。
なにがやりたくてうちの会社を選んだのか理解できない
出来の悪い部下に読ませようと思って、また買って
みました。
2009年2月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今から20年以上前に大学を落ちたときに、私はこの本を読みました。
この本は決して大学をすばらしいと絶賛している本ではないと思います。
大事なのは(大学の名前ではなくて)いかに積極的に自分が欲して学ぶかということが大事なんだということを言っている本だと思います。
私の感想としては、筆者が言いたいのは、(大学礼賛ではなくて)大学に行かなくても、その人が本気で学ぶ気持ちがあれば、どこででも「学ぶ」ことはできるんだよと言っているんだと感じました。
だからどちらかと言うと、大学にストレートで行けた人よりも、大学に行かなかった人や、大学を落ちた人の心にもよく響きます。
当時、自分の親友や仲がよかった後輩が「大学に受かった」などと聞いたときに、この本を買って配りまくりました。初めて人に贈った本です。
著者の本はその後も何冊か読んだことがあります。が、著者自身がこの本の中で「若いときにしか書けない文章がある。同じ人でも、年をとってから若いときのことを思い出して文章を書こうとしても書けない。」と言っていますが、その後に出版された本よりも、この本の方が文章に勢いがあると思います。(いいか悪いかは別として)
職場の新人に、「学ぶこと」を学ばせたいと思って久しぶりに購入しました。
この本は決して大学をすばらしいと絶賛している本ではないと思います。
大事なのは(大学の名前ではなくて)いかに積極的に自分が欲して学ぶかということが大事なんだということを言っている本だと思います。
私の感想としては、筆者が言いたいのは、(大学礼賛ではなくて)大学に行かなくても、その人が本気で学ぶ気持ちがあれば、どこででも「学ぶ」ことはできるんだよと言っているんだと感じました。
だからどちらかと言うと、大学にストレートで行けた人よりも、大学に行かなかった人や、大学を落ちた人の心にもよく響きます。
当時、自分の親友や仲がよかった後輩が「大学に受かった」などと聞いたときに、この本を買って配りまくりました。初めて人に贈った本です。
著者の本はその後も何冊か読んだことがあります。が、著者自身がこの本の中で「若いときにしか書けない文章がある。同じ人でも、年をとってから若いときのことを思い出して文章を書こうとしても書けない。」と言っていますが、その後に出版された本よりも、この本の方が文章に勢いがあると思います。(いいか悪いかは別として)
職場の新人に、「学ぶこと」を学ばせたいと思って久しぶりに購入しました。
2003年9月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本を書店で見つけたのは、浪人時代、ちょうど希望の大学に決まった頃だった。大学生活への期待とはじめて田舎を出てひとり暮らしを始める不安との交錯のなか、大学でどのように過ごそうかと迷っていた自分への1つのヒントであり指針となってくれた。
希望して入った大学では、期待に反して様々な失望のほうが大きかったが、この本に出会ったことで、自ら学ぶことの大切さをこの1冊の本は強烈にアピールしてくれた。その頃の思い出となって蘇ってくる懐かしい1冊。
希望して入った大学では、期待に反して様々な失望のほうが大きかったが、この本に出会ったことで、自ら学ぶことの大切さをこの1冊の本は強烈にアピールしてくれた。その頃の思い出となって蘇ってくる懐かしい1冊。
2005年8月17日に日本でレビュー済み
大学の素晴らしさについて力説するのは当たり前。
それはそれで大変結構。
しっかし、大学は中学までの義務教育課程と同様、
世過ぎの一つと捕らえる考え方もありではないかと他のレビュアーを
読んで思いました。
これは著者の考え方と対立しない。ギタリストはギターが一番
音楽が一番それが人生で最も素晴らしいと思うのは当たり前。
だから、世過ぎや生きていくためや家族を養うための資格を取りに
学校へ行ったり会社勤めをするのはあり。それらは二の次でギターの
ことが第一に夢中で考える。それは良い。
大学教授も大学で行う研究教育がもっとも素晴らしいと思うのも
結構な話。家へ帰ってもどこへ行ってもそれが一番。他は2番手以下。
それはそれでいい。
ただ、厄介なのは大学教授や先生と言う職業は自分のやっていることを
最高の物だと勘違い(厳密にはそうではない。自分で思うのは結構だから)し、回りにそれを服従させることが多いため、俺の考え=周りの
みんなも認めるのが当たり前、と勘違いしやすいのだ。
認めないのが当たり前、そうじゃなきゃ何かしらのゆがみが生じている。
職場の上司もそうかもしれない。だが、そうやって連帯感あふれる
サティよろしく若者を修行させなければやっていけない会社もあるのが、今の世の中の世知辛いところだ。
ちなみに↑の内容は著者自身が人生相談においても書物においても
述べていることなので著者への批判にならない。もっと過激に「先生と言う職業は~~」とぼろ糞に書いているときがある。
このレビュアーを書きながら思ったことは、
著者の本心を読み込むには読者の精神力も必要と言うことである。
それはそれで大変結構。
しっかし、大学は中学までの義務教育課程と同様、
世過ぎの一つと捕らえる考え方もありではないかと他のレビュアーを
読んで思いました。
これは著者の考え方と対立しない。ギタリストはギターが一番
音楽が一番それが人生で最も素晴らしいと思うのは当たり前。
だから、世過ぎや生きていくためや家族を養うための資格を取りに
学校へ行ったり会社勤めをするのはあり。それらは二の次でギターの
ことが第一に夢中で考える。それは良い。
大学教授も大学で行う研究教育がもっとも素晴らしいと思うのも
結構な話。家へ帰ってもどこへ行ってもそれが一番。他は2番手以下。
それはそれでいい。
ただ、厄介なのは大学教授や先生と言う職業は自分のやっていることを
最高の物だと勘違い(厳密にはそうではない。自分で思うのは結構だから)し、回りにそれを服従させることが多いため、俺の考え=周りの
みんなも認めるのが当たり前、と勘違いしやすいのだ。
認めないのが当たり前、そうじゃなきゃ何かしらのゆがみが生じている。
職場の上司もそうかもしれない。だが、そうやって連帯感あふれる
サティよろしく若者を修行させなければやっていけない会社もあるのが、今の世の中の世知辛いところだ。
ちなみに↑の内容は著者自身が人生相談においても書物においても
述べていることなので著者への批判にならない。もっと過激に「先生と言う職業は~~」とぼろ糞に書いているときがある。
このレビュアーを書きながら思ったことは、
著者の本心を読み込むには読者の精神力も必要と言うことである。
2005年2月5日に日本でレビュー済み
私は大学の三年になってこの本を読んだ。おかげでその後のキャンパスライフは充実に過ごす事ができた。
この本の一節に“あの高校を卒業したから、最低でもあの大学ぐらいに入らないと恥ずかしい。あの大学を卒業したから、最低あの会社ぐらいに入らないと恥ずかしい。というように生きていると、会社に入っても、この歳になったら課長ぐらいにならないと恥ずかしい、というような強迫観念が常に付きまとうことになる。これでは、いつになっても本当の意味で心が休まることがない。”というような文がある。私はこの文を読んでから生きていくことが楽になりました。
この本の一節に“あの高校を卒業したから、最低でもあの大学ぐらいに入らないと恥ずかしい。あの大学を卒業したから、最低あの会社ぐらいに入らないと恥ずかしい。というように生きていると、会社に入っても、この歳になったら課長ぐらいにならないと恥ずかしい、というような強迫観念が常に付きまとうことになる。これでは、いつになっても本当の意味で心が休まることがない。”というような文がある。私はこの文を読んでから生きていくことが楽になりました。
2003年12月19日に日本でレビュー済み
この本は、正直言うと、出版された1979年当時よりも必要性が高くなっていると思う。
何故かというと、それは1979年よりも大学の進学率が向上したことや、大学のカリキュラムの現代化や広域化によって、個人個人が将来何をするために大学で学ぶのかが当時よりも問われるようになったからである。
又、加藤さんはこの本の最初で「大学というものは、自分の足で歩いていかなければならない所である」と述べている。つまりこの記述は、自分は何に向いているのか、また夢に向かってどの様にして学生生活を送れば良いのかが書かれているのである。
それに現在は、大学大衆化時代を迎え、大学は特別のものだとは言えなくなっている。その上で、これからどの様にして大学生活を送るか、更にはどの様にしてこれから生きていくかがこの本によって問われているのだと思う。
何故かというと、それは1979年よりも大学の進学率が向上したことや、大学のカリキュラムの現代化や広域化によって、個人個人が将来何をするために大学で学ぶのかが当時よりも問われるようになったからである。
又、加藤さんはこの本の最初で「大学というものは、自分の足で歩いていかなければならない所である」と述べている。つまりこの記述は、自分は何に向いているのか、また夢に向かってどの様にして学生生活を送れば良いのかが書かれているのである。
それに現在は、大学大衆化時代を迎え、大学は特別のものだとは言えなくなっている。その上で、これからどの様にして大学生活を送るか、更にはどの様にしてこれから生きていくかがこの本によって問われているのだと思う。