現代詩人のエッセイ。そうか、詩人というのは、身の回りのことや自分のことをこんなふうに感じているんだ。こんなことを詩に書くんだと解説されているような感じ。共感することもあるし、この人の特殊な感じ方と思ったり、やけに不穏だ、触れてはいけないことを、いや見ないようにしていることを暴いている、のぞき見しているような恥ずかしさみたいなものを感じたりする。
「庭のなかに立つ人は庭の一部だが、庭の外に立つとき、庭は不意に人の心のなかに移動する」
「音楽会が終わった。ポスターのなかで、今日の日付がきゅうに古くなる」
こういうのは、共感できるほう。むむ、と感じるほうが多いよ。
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屋上への誘惑 (光文社文庫) 文庫 – 2008/1/10
小池 昌代
(著)
第17回(2001年) 講談社エッセイ賞受賞
- 本の長さ218ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2008/1/10
- ISBN-104334743684
- ISBN-13978-4334743680
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登録情報
- 出版社 : 光文社 (2008/1/10)
- 発売日 : 2008/1/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 218ページ
- ISBN-10 : 4334743684
- ISBN-13 : 978-4334743680
- Amazon 売れ筋ランキング: - 810,813位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 4,910位光文社文庫
- - 23,437位エッセー・随筆 (本)
- - 75,549位ビジネス・経済 (本)
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2018年5月21日に日本でレビュー済み
面白かったです。
いろんなエッセイを集めた本のようなので、雑多で一貫性は感じられませんが、
非常に読みやすく、さくっと一気に読めました。
しかしながら、ただ軽いという感じではなく、非常に緻密で、哲学的なものを感じました。
いろんなエッセイを集めた本のようなので、雑多で一貫性は感じられませんが、
非常に読みやすく、さくっと一気に読めました。
しかしながら、ただ軽いという感じではなく、非常に緻密で、哲学的なものを感じました。
2009年1月9日に日本でレビュー済み
小池昌代さんのエッセイ集である。
90年代〜2001年まで時期的に、かなりばらつきがあり、テーマも統一されていない。どれも3ページから6ページほどの短いエッセイ。コラムという姿のものもあれば、書評みたいな恰好をしているものもある。詩が紹介されるものもある。
とにかく雑多である。それがとてもいい。
小池さんの詩が、深いところから来る言葉だとすれば、彼女のエッセイは、迂闊な自分をゆるしてくれそうな言葉が並んでいる。つまりは読みやすい。
彼女の詩は、理解されることを警戒している。これらのエッセイにはそれがない(と信じたい)。だから、安心して寝るまえに読める。
彼女の詩は、寝る前に読んだらたいへんなことになる(かもしれない)。寂しくなるから。本当はこれらのエッセイにもたくさんのサミシサが転がっている。でもそれはホオズキくらいの大きさなので、いくつでも食べられる。
よくわからないレヴューになってきたが、このエッセイは、やっぱり、小池昌代の作らしく、胸をきゅっと刺激した。
90年代〜2001年まで時期的に、かなりばらつきがあり、テーマも統一されていない。どれも3ページから6ページほどの短いエッセイ。コラムという姿のものもあれば、書評みたいな恰好をしているものもある。詩が紹介されるものもある。
とにかく雑多である。それがとてもいい。
小池さんの詩が、深いところから来る言葉だとすれば、彼女のエッセイは、迂闊な自分をゆるしてくれそうな言葉が並んでいる。つまりは読みやすい。
彼女の詩は、理解されることを警戒している。これらのエッセイにはそれがない(と信じたい)。だから、安心して寝るまえに読める。
彼女の詩は、寝る前に読んだらたいへんなことになる(かもしれない)。寂しくなるから。本当はこれらのエッセイにもたくさんのサミシサが転がっている。でもそれはホオズキくらいの大きさなので、いくつでも食べられる。
よくわからないレヴューになってきたが、このエッセイは、やっぱり、小池昌代の作らしく、胸をきゅっと刺激した。