読んでてよく分からないところがあったりもしたけど、案外すぐに読み終われた。
なんか、自分の片想いの記憶とアッシェンバッハがダブって気持ち悪くなった。
ストーキングしないけど、美しい人を見て胸が高鳴る気持ちは分かるなあって思ったりした。
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ヴェネツィアに死す (光文社古典新訳文庫 Aマ 1-1) 文庫 – 2007/3/20
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- 本の長さ166ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2007/3/20
- ISBN-104334751245
- ISBN-13978-4334751241
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登録情報
- 出版社 : 光文社 (2007/3/20)
- 発売日 : 2007/3/20
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 166ページ
- ISBN-10 : 4334751245
- ISBN-13 : 978-4334751241
- Amazon 売れ筋ランキング: - 370,819位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2022年7月13日に日本でレビュー済み
NHKbsプレミアム映画を連ドラ録画しており、「ベニスに死す」を観る前に、読んでみた。
「魔の山」は以前読んだことがあり、かなりの知識人でないと読みこなせない内容だったが、
本書は何度も読み返さないと意味がわからないというようなことはなく、ストーリーもシンプル。
大家である著名な作家が気晴らしにヴェネチアに訪れ、ポーランド人と思しき美少年を見つけ、
心惹かれ、美と精神、芸術について、ひたすら考察し、逃げ時を失いコレラで亡くなる物語。
「アッシェンバッハはこの少年が完璧に美しいことに気づいて愕然とした。打ち解けないその顔は
青白く優美で、蜂蜜色の髪の毛に囲まれ、鼻筋は真っ直ぐ下に通って、口は愛らしく、優しく
神々しいまでに生真面目な表情を浮かべ、最も高貴な時代のギリシャ彫刻を思わせた。」p50
「魔の山」は以前読んだことがあり、かなりの知識人でないと読みこなせない内容だったが、
本書は何度も読み返さないと意味がわからないというようなことはなく、ストーリーもシンプル。
大家である著名な作家が気晴らしにヴェネチアに訪れ、ポーランド人と思しき美少年を見つけ、
心惹かれ、美と精神、芸術について、ひたすら考察し、逃げ時を失いコレラで亡くなる物語。
「アッシェンバッハはこの少年が完璧に美しいことに気づいて愕然とした。打ち解けないその顔は
青白く優美で、蜂蜜色の髪の毛に囲まれ、鼻筋は真っ直ぐ下に通って、口は愛らしく、優しく
神々しいまでに生真面目な表情を浮かべ、最も高貴な時代のギリシャ彫刻を思わせた。」p50
2020年12月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
サンプルで他の翻訳とざっと比較してみたところ、これが一番わかりやすく、実際、読みやすくて良かった。
2014年5月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ベタな言い方ですが、物凄く面白い小説です。
ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画が大好きで、映画は何度も見ました。
それで、原作を読む気がしなかったのですが、やはり原作をよまなくては、と感じ言った次第です。
原作を読んだからといって、映画の印象が落ちるということはありません。
むしろその逆で、ヴィスコンティ監督の映画化の意味が理解でき、映画の内容がより鮮明になった気がします。
この小説は、芸術家の内面を映し出したものだと理解できます。
美少年に対するホモセクシュアルな面が強調される場合がありますが、多分彼は芸術家にとっての美を示しているのでしょう。
美を求めて奈落に落ちてゆく者たち。それが芸術家です。
ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画が大好きで、映画は何度も見ました。
それで、原作を読む気がしなかったのですが、やはり原作をよまなくては、と感じ言った次第です。
原作を読んだからといって、映画の印象が落ちるということはありません。
むしろその逆で、ヴィスコンティ監督の映画化の意味が理解でき、映画の内容がより鮮明になった気がします。
この小説は、芸術家の内面を映し出したものだと理解できます。
美少年に対するホモセクシュアルな面が強調される場合がありますが、多分彼は芸術家にとっての美を示しているのでしょう。
美を求めて奈落に落ちてゆく者たち。それが芸術家です。
2017年2月20日に日本でレビュー済み
思っていたよりもおもしろかった。
気づかれてもストーカー。
少年はどう思っていたんだろう。
気づかれてもストーカー。
少年はどう思っていたんだろう。
2022年11月24日に日本でレビュー済み
トーマス・マン(1875-1955)の中篇というより短篇というべきこの『ヴェネツィアに死す』(1912年)を評者はこれまでいくつかのバージョンで読んできました。最近この文庫を書店で見つけ、何度めかの再読をしたしだい。
まず小説の最初の数十ページほどは、ヴェネツィアに旅立つ前、ドイツ、ミュンヘンにあって主人公の芸術家(小説家アシェンバハ)のそれまでの知的活動や精神的内面が、重厚な文体で語られていきます。
が、そのあと芸術家は、ふと南への旅立ちを思い立ち、ヴェネツィアに保養に出発することを決意します。そこで、ポーランドから家族でやはり来ている美少年に出会うのですが、そこから今でいうストーカーのようなふるまいを彼は見せはじめます。
そこでもなお、荘重体の語り口がしばしばあらわれす。そればかりかギリシャ・ローマの神話的形象がちりばめられた、一日の朝や夕べの壮麗にして優美な描写もくりかえされ、それが美少年と、その美少年を想う芸術家の背景となって出現し、間接的にかれらを華麗にいろどります。あたかも荘厳なキリスト教絵画のイエスやマリアのまわりを舞うようにいろどるプッティ(小天使たち)のように。
しかし芸術家がヴェネツィア滞在にあって現実にしていることといえば、毎日のようにホテルや浜辺で美少年を目で追い、また家族とヴェネツィアの町を散歩する美少年のあとを執拗につけまわすという低劣にして醜悪この上ない行為。
芸術であれ生身の少年であれ、美への渇仰というべき精神の高尚にして崇高な営為にたいして、現実の行為の卑俗さ滑稽さ。
芸術家の精神の高尚は、世俗の生にあっては卑俗にしかならないということなのでしょうか。
あるいは至高の愛は究極の愚行にもなりかねないということなのでしょうか。
いや、人が恋するとき、愚行はつきものと下世話に言えばいいだけのことなのでしょうか。
しかしそうであるにしては小説の文体は荘重すぎはしないか。
芸術家と少年とが絶対的距離をはさんでけっして相交わることはないまま、いっぽうで美をあこがれる芸術家の精神とその現実行動もけっして融和することなく、むしろ精神も行動もますます異常にして見るに堪えない方向へと頽落し逸脱していきます。
そしてヴェネツィアの町を襲った怖ろしい災厄が運命の鉄槌だったのか、最後浜辺の椅子にすわる芸術家が、美顔術でグロテスクな化粧をほどこした自分の人工的な顔を、海にたたずむ自然の優美な造型である少年に向け、その均斉のとれた美しい肢体を見つめ(美の純粋な観照とも醜悪なのぞき見ともみえる姿!)思わず少年のあとを追うべく立ち上がろうとしたその瞬間、芸術家の生は断ち切られ、小説はあっけなく幕を閉じます。
これは厳粛な悲劇なのかグロテスクな笑劇なのか、いや厳粛にしてグロテスク、悲劇にして笑劇なのでしょう。いや、そういう図式を越え出た芸術家の最期の姿、そこにマンが芸術家の生のアイロニーを見ているのでしょう。
ルキノ・ヴィンコンティの映画[『ベニスに死す』(1971年)は、マンの小説のこうした機微をみごとに映像化していて、こちらも傑作です。
まず小説の最初の数十ページほどは、ヴェネツィアに旅立つ前、ドイツ、ミュンヘンにあって主人公の芸術家(小説家アシェンバハ)のそれまでの知的活動や精神的内面が、重厚な文体で語られていきます。
が、そのあと芸術家は、ふと南への旅立ちを思い立ち、ヴェネツィアに保養に出発することを決意します。そこで、ポーランドから家族でやはり来ている美少年に出会うのですが、そこから今でいうストーカーのようなふるまいを彼は見せはじめます。
そこでもなお、荘重体の語り口がしばしばあらわれす。そればかりかギリシャ・ローマの神話的形象がちりばめられた、一日の朝や夕べの壮麗にして優美な描写もくりかえされ、それが美少年と、その美少年を想う芸術家の背景となって出現し、間接的にかれらを華麗にいろどります。あたかも荘厳なキリスト教絵画のイエスやマリアのまわりを舞うようにいろどるプッティ(小天使たち)のように。
しかし芸術家がヴェネツィア滞在にあって現実にしていることといえば、毎日のようにホテルや浜辺で美少年を目で追い、また家族とヴェネツィアの町を散歩する美少年のあとを執拗につけまわすという低劣にして醜悪この上ない行為。
芸術であれ生身の少年であれ、美への渇仰というべき精神の高尚にして崇高な営為にたいして、現実の行為の卑俗さ滑稽さ。
芸術家の精神の高尚は、世俗の生にあっては卑俗にしかならないということなのでしょうか。
あるいは至高の愛は究極の愚行にもなりかねないということなのでしょうか。
いや、人が恋するとき、愚行はつきものと下世話に言えばいいだけのことなのでしょうか。
しかしそうであるにしては小説の文体は荘重すぎはしないか。
芸術家と少年とが絶対的距離をはさんでけっして相交わることはないまま、いっぽうで美をあこがれる芸術家の精神とその現実行動もけっして融和することなく、むしろ精神も行動もますます異常にして見るに堪えない方向へと頽落し逸脱していきます。
そしてヴェネツィアの町を襲った怖ろしい災厄が運命の鉄槌だったのか、最後浜辺の椅子にすわる芸術家が、美顔術でグロテスクな化粧をほどこした自分の人工的な顔を、海にたたずむ自然の優美な造型である少年に向け、その均斉のとれた美しい肢体を見つめ(美の純粋な観照とも醜悪なのぞき見ともみえる姿!)思わず少年のあとを追うべく立ち上がろうとしたその瞬間、芸術家の生は断ち切られ、小説はあっけなく幕を閉じます。
これは厳粛な悲劇なのかグロテスクな笑劇なのか、いや厳粛にしてグロテスク、悲劇にして笑劇なのでしょう。いや、そういう図式を越え出た芸術家の最期の姿、そこにマンが芸術家の生のアイロニーを見ているのでしょう。
ルキノ・ヴィンコンティの映画[『ベニスに死す』(1971年)は、マンの小説のこうした機微をみごとに映像化していて、こちらも傑作です。
2008年8月1日に日本でレビュー済み
50歳で貴族の称号「フォン」を得た高名な作家アッシェンバッハは突然の衝動に駆られて旅に出ます。そのときの幻想的な描写は「この話は幻影です」という宣言のようにも見えます。ただし、衝動の割には心を決めるまで4ページを費やしてから、彼は出発することにします。
ヴェネツィアでアッシェンバッハはポーランド人一家と出会います。その中の14歳くらいの美少年タッジオにアッシェンバッハは心奪われてしまいます。おやおや、ここまででもう50ページが使われています。このゆるやかなペースはまるで19世紀の小説のようですが、そういえば著者は19世紀生まれだったんですね。
しかし、なぜポーランド人なのでしょう。当時のドイツ人にとって、ポーランドはなにか特別な意味があったのでしょうか。
タッジオはどこから見ても完璧な美少年ですが、ただ、歯に難点があります。しかしアッシェンバッハはそれさえも魅力に感じます。あばたもえくぼ、です。一度はヴェネツィアから逃げだそうとしたアッシェンバッハですが、事故で果たせず、まるで開き直ったようにホテルに長逗留してタッジオの姿を追い続ける覚悟を固めてしまいます。しかしそこにコレラの噂が。アッシェンバッハはおそれません。彼がおそれるのはタッジオの一家が帰国してしまうことだけです。
幻想のように始まった物語は、アッシェンバッハの死によって静止画のように閉じます。
「初老の男の少年愛」というのは、当時はセンセーションだったでしょう。しかし私は(個人的な性的嗜好はともかく)「お稚児」とか「若衆」とか、男色が伝統文化に組み込まれている国の国民です。その程度のことばにたじろぐわけには生きません。そもそも性的なものどころか、アッシェンバッハとタッジオは言葉を交わすことさえなかったのです。
「ことばで美が表現できるか」という難問に挑戦した本であるように私には読めます。ことばは戯れたゆたい、ちょっと油断したら「美」そのものではなくてその周囲の人間を描写することに逃げようとします。そのたびに著者はことばの群れを改めて「美」そのものに向けようとします。あるいは「美をことばで表現しようと苦闘する人間を、ことばで表現しようとしたもの」とメタ的に言ってもよいかもしれません。ともかく、暫時ことばの魅力(あるいは魔力)の中を漂うには手ごろな本に思えました。
さて、次に読むべきは『ロリータ』かな?
ヴェネツィアでアッシェンバッハはポーランド人一家と出会います。その中の14歳くらいの美少年タッジオにアッシェンバッハは心奪われてしまいます。おやおや、ここまででもう50ページが使われています。このゆるやかなペースはまるで19世紀の小説のようですが、そういえば著者は19世紀生まれだったんですね。
しかし、なぜポーランド人なのでしょう。当時のドイツ人にとって、ポーランドはなにか特別な意味があったのでしょうか。
タッジオはどこから見ても完璧な美少年ですが、ただ、歯に難点があります。しかしアッシェンバッハはそれさえも魅力に感じます。あばたもえくぼ、です。一度はヴェネツィアから逃げだそうとしたアッシェンバッハですが、事故で果たせず、まるで開き直ったようにホテルに長逗留してタッジオの姿を追い続ける覚悟を固めてしまいます。しかしそこにコレラの噂が。アッシェンバッハはおそれません。彼がおそれるのはタッジオの一家が帰国してしまうことだけです。
幻想のように始まった物語は、アッシェンバッハの死によって静止画のように閉じます。
「初老の男の少年愛」というのは、当時はセンセーションだったでしょう。しかし私は(個人的な性的嗜好はともかく)「お稚児」とか「若衆」とか、男色が伝統文化に組み込まれている国の国民です。その程度のことばにたじろぐわけには生きません。そもそも性的なものどころか、アッシェンバッハとタッジオは言葉を交わすことさえなかったのです。
「ことばで美が表現できるか」という難問に挑戦した本であるように私には読めます。ことばは戯れたゆたい、ちょっと油断したら「美」そのものではなくてその周囲の人間を描写することに逃げようとします。そのたびに著者はことばの群れを改めて「美」そのものに向けようとします。あるいは「美をことばで表現しようと苦闘する人間を、ことばで表現しようとしたもの」とメタ的に言ってもよいかもしれません。ともかく、暫時ことばの魅力(あるいは魔力)の中を漂うには手ごろな本に思えました。
さて、次に読むべきは『ロリータ』かな?
2019年10月31日に日本でレビュー済み
"それは水かがみの上に身をかがめているナルチッスの微笑みだった。おのれ自身の美の反映に向かって両腕をのばしながら浮かべる、あの深い、うっとりとした、吸い寄せられるような微笑だった。"1913発表の本書は著者の実体験を元に純粋な精神的な愛を描き、1971年に映画もされた中編小説の傑作。
個人的には著者の本は教養小説『魔の山』そして【市民生活と芸術家としての狭間的葛藤】を描いた『トーニオ・クレーガー』に続き手にとったのですが。
本書は時期的にも後者に連なる作品として、主人公を若者から成功した初老の作家と置き換えて、旅先のヴェニスで出会った容姿端麗な少年に心奪われる様子を描いているのですが。『トーニオ・クレーガー』でも感じられた同性愛的要素がさらに色濃くなっているものの、さりとてウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』などと違って、直接的に接触したり拉致するわけではなく、ただひたすら【じっーと眺め続ける】姿に、物語の展開としてホッとするような物足りないような、でも【後をつけたり、部屋を覗きこんだり】とやはり今なら充分にストーカー的かも?と複雑な心境でした。(実際に著者にじろじろ眺められたとモデルとなったポーランド人美少年が後に告白しているのも何とも。。)
とはいえ、やはり著者38才と円熟した時期の作品として【描写の美しさや構成のバランス】はやはり流石だと感じさせられ、妻や子といった家族を伴ったヴェニス(ヴェネツィア)旅行で実在のポーランド美少年に夢中になっていた著者の姿を主人公に重ねて、本書は作家としての【計算的な背徳さ】だったのか?あるいは個人として小説として発表せざるを得ないほど【切実な秘めた想い】だったのか?などと色々と考えさせられました。
同性愛をテーマにした優れた中編小説を探す誰かへ。あるいはイタリア、ヴェネツィアに想いを馳せたい誰かにもオススメ。
個人的には著者の本は教養小説『魔の山』そして【市民生活と芸術家としての狭間的葛藤】を描いた『トーニオ・クレーガー』に続き手にとったのですが。
本書は時期的にも後者に連なる作品として、主人公を若者から成功した初老の作家と置き換えて、旅先のヴェニスで出会った容姿端麗な少年に心奪われる様子を描いているのですが。『トーニオ・クレーガー』でも感じられた同性愛的要素がさらに色濃くなっているものの、さりとてウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』などと違って、直接的に接触したり拉致するわけではなく、ただひたすら【じっーと眺め続ける】姿に、物語の展開としてホッとするような物足りないような、でも【後をつけたり、部屋を覗きこんだり】とやはり今なら充分にストーカー的かも?と複雑な心境でした。(実際に著者にじろじろ眺められたとモデルとなったポーランド人美少年が後に告白しているのも何とも。。)
とはいえ、やはり著者38才と円熟した時期の作品として【描写の美しさや構成のバランス】はやはり流石だと感じさせられ、妻や子といった家族を伴ったヴェニス(ヴェネツィア)旅行で実在のポーランド美少年に夢中になっていた著者の姿を主人公に重ねて、本書は作家としての【計算的な背徳さ】だったのか?あるいは個人として小説として発表せざるを得ないほど【切実な秘めた想い】だったのか?などと色々と考えさせられました。
同性愛をテーマにした優れた中編小説を探す誰かへ。あるいはイタリア、ヴェネツィアに想いを馳せたい誰かにもオススメ。