政治のことや国民の政治思想をここまで
わかりやすくことばにできる才能はすば
らしいです。
だからこそ、こうやって現代語訳の本が
何度も出版されるのでしょう。
兆民の思想をしるとともに、この「方法」
からも学ぶべきだと思います。
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三酔人経綸問答 (光文社古典新訳文庫 Bナ 1-1) 文庫 – 2014/3/12
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- 本の長さ312ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2014/3/12
- 寸法10.7 x 1.3 x 15.3 cm
- ISBN-104334752861
- ISBN-13978-4334752866
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登録情報
- 出版社 : 光文社 (2014/3/12)
- 発売日 : 2014/3/12
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 312ページ
- ISBN-10 : 4334752861
- ISBN-13 : 978-4334752866
- 寸法 : 10.7 x 1.3 x 15.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 299,691位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 598位光文社古典新訳文庫
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年1月5日に日本でレビュー済み
2017年11月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
少人数の勉強会で使用しました。原文(明治20年)と現代語訳の対比ができ、理解しやすかったです。問答体がオープンな形で終わっており、読書を前提に勉強する者にとっては、大変有用だと感じました。
2016年11月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ジャン・ジャック・ルソーの『社会契約論』を訳した明治の自由民権思想家で「東洋のルソー」と呼ばれる中江兆民(1847~1901)の代表作。本書には現代語訳と原文が収録されていますが、新訳は時代にあった言葉なので読みやすい一方、漢文の素養を存分に発揮して書かれた原文にも捨てがたい迫力があるのを痛感するので、この併録仕様は正解・・と思います。兆民の世代は、諭吉や漱石など古い時代の言葉である漢文と新しい時代の言葉であるフランス語なり英語なりを両方操ることができる知識人がおり、その教養の厚みや見識の深さ、視野の大きさにはすっかり英語中心になり漢文を顧みなくなった世代にとって、考えさせられるものが多々あります。後半部の解説では兆民の生涯や思想、当時の状況などが読みやすくまとめられており、たいへん読解の助けになります。
本作は、南海先生、紳士君、豪傑君という三人の酔漢+「眉批」(天の声のような記録批評)がそれぞれ自己の信じる主義に基づいて当時の国際情勢と日本のとるべき針路について座談会形式で意見を述べ合うという趣向の作品です。南海先生は地道な現実主義、紳士君は徹底的な非武装・無抵抗主義、豪傑君は徹底的な軍備拡張・帝国主義者という設定になっています。明治の本なので当然論じられている状況自体や思想の一部は古いのですが、兆民の重層的・多角的・相対的な思考を反映し、読者にひとつの主張を絶対化せず自分の頭で「考えさせる」よう工夫された構成は、さすが時を超えて残る古典の力を感じさせてくれます。東洋と西洋、儒学と科学、田舎と都会ー兆民は土佐の出身で東京で活躍・死去した人なので、どちらの側の気持ちや態度も理解しており、田舎者と都会人の相違について論じた個所ではその人間理解の深さと洞察の鋭さを感じさせられますーといった二つ以上の異なる価値や文化のなかを手探りで思索し行動して生きたこの論理的な知性の硬骨漢ならではの世界観に触れることで、本書の読者は少なくとも人間の複雑さに対する理解と寛容の精神が養われるように思います。
兆民は弱い者いじめと居丈高な権威が大嫌いな人だったそうで、そういうタイプの例に漏れず多難な生涯ですが、個人的にそういう人大好きなのでもうそれ聞いただけでわたしの「心の兄貴リスト」にその名前を連ねることになり一緒に酒飲みながら兆民先生の天下国家論聞きたかったみたいな気持ちになりました。理想主義者らしく政治家になるも政界の醜悪さに怒り心頭して三か月で辞職(李白とか陶淵明とか中国の詩人みたいなアクションですね)、実業家としては失敗続きであったそうですが、翻訳者・思想家・教育者・仏学者としての業績は不滅であり、海外を実見しその思想を肉化した戦う知識人として、複眼的・重層的な思考と分厚い見識と熱い正義感を兼ね備えた硬骨の兆民は、著作において日本人の「意味をよく理解しない勇気いんりんとした行動」の弊を説き「考えることの欠如」を痛烈に批判しました。そしてその一方で、「理義」を血肉にした兆民は西洋から学んだその哲学と論理をもって、西洋列強が口ではキリスト教的博愛を唱えながら植民地のインド人や中国人を牛馬以下に扱っていることをも批判しました。
兆民逝きて一世紀以上の歳月が経ちました。日本にも西田幾多郎などの哲学者は現れましたが、現代人が、兆民に負けないようなしっかりとした自己と健全な批判精神を持ち、責任を自覚し自分の頭で「考えて」自分なりの哲学を胸に生きているかというと・・。自民党は硬骨漢とリベラルさを失い、信念なく容易に強者になびく政治屋の群れになり、沖縄県民への「土人」発言は差別に当たらないなどと暴論をぶつ大臣までいるという状況です。原発再稼働に対する警戒心や世論の関心も薄れてきていますし、マスメディアは音もなく事故前の報道姿勢へと戻っていってはいないでしょうか。
兆民が展開した熱き日本人批判は、今なおその有効性を失っていません。
本作は、南海先生、紳士君、豪傑君という三人の酔漢+「眉批」(天の声のような記録批評)がそれぞれ自己の信じる主義に基づいて当時の国際情勢と日本のとるべき針路について座談会形式で意見を述べ合うという趣向の作品です。南海先生は地道な現実主義、紳士君は徹底的な非武装・無抵抗主義、豪傑君は徹底的な軍備拡張・帝国主義者という設定になっています。明治の本なので当然論じられている状況自体や思想の一部は古いのですが、兆民の重層的・多角的・相対的な思考を反映し、読者にひとつの主張を絶対化せず自分の頭で「考えさせる」よう工夫された構成は、さすが時を超えて残る古典の力を感じさせてくれます。東洋と西洋、儒学と科学、田舎と都会ー兆民は土佐の出身で東京で活躍・死去した人なので、どちらの側の気持ちや態度も理解しており、田舎者と都会人の相違について論じた個所ではその人間理解の深さと洞察の鋭さを感じさせられますーといった二つ以上の異なる価値や文化のなかを手探りで思索し行動して生きたこの論理的な知性の硬骨漢ならではの世界観に触れることで、本書の読者は少なくとも人間の複雑さに対する理解と寛容の精神が養われるように思います。
兆民は弱い者いじめと居丈高な権威が大嫌いな人だったそうで、そういうタイプの例に漏れず多難な生涯ですが、個人的にそういう人大好きなのでもうそれ聞いただけでわたしの「心の兄貴リスト」にその名前を連ねることになり一緒に酒飲みながら兆民先生の天下国家論聞きたかったみたいな気持ちになりました。理想主義者らしく政治家になるも政界の醜悪さに怒り心頭して三か月で辞職(李白とか陶淵明とか中国の詩人みたいなアクションですね)、実業家としては失敗続きであったそうですが、翻訳者・思想家・教育者・仏学者としての業績は不滅であり、海外を実見しその思想を肉化した戦う知識人として、複眼的・重層的な思考と分厚い見識と熱い正義感を兼ね備えた硬骨の兆民は、著作において日本人の「意味をよく理解しない勇気いんりんとした行動」の弊を説き「考えることの欠如」を痛烈に批判しました。そしてその一方で、「理義」を血肉にした兆民は西洋から学んだその哲学と論理をもって、西洋列強が口ではキリスト教的博愛を唱えながら植民地のインド人や中国人を牛馬以下に扱っていることをも批判しました。
兆民逝きて一世紀以上の歳月が経ちました。日本にも西田幾多郎などの哲学者は現れましたが、現代人が、兆民に負けないようなしっかりとした自己と健全な批判精神を持ち、責任を自覚し自分の頭で「考えて」自分なりの哲学を胸に生きているかというと・・。自民党は硬骨漢とリベラルさを失い、信念なく容易に強者になびく政治屋の群れになり、沖縄県民への「土人」発言は差別に当たらないなどと暴論をぶつ大臣までいるという状況です。原発再稼働に対する警戒心や世論の関心も薄れてきていますし、マスメディアは音もなく事故前の報道姿勢へと戻っていってはいないでしょうか。
兆民が展開した熱き日本人批判は、今なおその有効性を失っていません。
2020年2月9日に日本でレビュー済み
"紳士君の説は、純粋で正しく、豪傑君の説は、豪放で卓抜だ。紳士君の説は、強い酒だ。(中略)私はもう老人です。私の衰えた頭脳では、到底、理解し消化することはできない"1887年発刊の本書は3人の思想の異なる登場人物、架空の理想主義者、膨張主義的国権主義者、現実主義者の討論で【民主主義の可能性を追求した】一冊。
個人的には、産業主義・自由主義・個人主義を3つの柱とする『小日本主義』を早い段階で提唱したとも言われる本書、名前こそ知っていたものの未読でしたので今回手にとりました。
さて、そんな本書は生まれつき【酒が大好き、また政治を論ずることも大好き】な南海先生のもとへ、ブランデー片手に面識のない2人のお客"紳士君"と"豪傑君"が訪ねる所から始まり、理想主義者的な紳士君が【社会進化論、武装放棄や非戦論を】対して国権主義的な豪傑君が【積極的な大陸進出論を唱える】のを最後は現実主義者な南海先生が調停にのりだす流れなのですが。辺境の島国の在り方として、時代や形こそ違えど不思議な位に【現在でも通じるような議論で違和感がない】ことにまず驚かされました。
一方で、私たちにとっては当たり前になっている民主主義が、本書が発刊された当時の【様々な思想家や政治活動によって獲得されてきた事】が本書を読んで想起され、読後に明治時代の社会を復習する機会も本書は与えてくれました。
政治的無関心が指摘される最近ですが。あらためて誰かではなく『自分ごと』として日本の未来を考えたい人へ。また明治時代の世相を感じたい人にもオススメ。
個人的には、産業主義・自由主義・個人主義を3つの柱とする『小日本主義』を早い段階で提唱したとも言われる本書、名前こそ知っていたものの未読でしたので今回手にとりました。
さて、そんな本書は生まれつき【酒が大好き、また政治を論ずることも大好き】な南海先生のもとへ、ブランデー片手に面識のない2人のお客"紳士君"と"豪傑君"が訪ねる所から始まり、理想主義者的な紳士君が【社会進化論、武装放棄や非戦論を】対して国権主義的な豪傑君が【積極的な大陸進出論を唱える】のを最後は現実主義者な南海先生が調停にのりだす流れなのですが。辺境の島国の在り方として、時代や形こそ違えど不思議な位に【現在でも通じるような議論で違和感がない】ことにまず驚かされました。
一方で、私たちにとっては当たり前になっている民主主義が、本書が発刊された当時の【様々な思想家や政治活動によって獲得されてきた事】が本書を読んで想起され、読後に明治時代の社会を復習する機会も本書は与えてくれました。
政治的無関心が指摘される最近ですが。あらためて誰かではなく『自分ごと』として日本の未来を考えたい人へ。また明治時代の世相を感じたい人にもオススメ。
2014年4月21日に日本でレビュー済み
女っ気のないことおびただしい。3人の男がお持たせの洋火酒(ブランデー)を酌み交わしつつ談義をする設定とあっては無理からぬところ。そして訳文はその雰囲気をよく伝えている。
つまり、オジサン臭が炸裂する(^_^;)
本作品は明治20年に世に出た。干支で言えば2回りしない過去にはまだ人々が頭にちょんまげを載せていたという頃合い。
が、著者中江はどうやら英・仏・和のトリリンガルだったらしい。さらに漢文の素養を合わせてクワルトリンガルといえる。原文は漢文書き下し調。印刷所にあるのが不思議なくらいの、見たこともない漢字がバンバン出てくる。
だから現代語訳が不可欠。ありがたい。
当時、中央集権国家としてデビューした日本を迎えたのは帝国主義の世界だった。
日本に憲法はまだなく、いわば徒手空拳で世界に乗り出していったのだった。
そうした中、著者中江が地球的な視座で国家体制のあり方、国家と個人の緊張関係を巡って書いたのが本作品です。
政治は生き物で、その意味では現代の地政学としては参考にならないかもしれない。
がしかし、およそポストモダンとは正反対の“大文字”の骨太な思考は魅力的です。
随所に「眉批」というツッコミを入れているのがポストモダン的な関節はずしに見えなくもないわけですが、どの意見にも容易に弱点を指摘できるとしても、その時点ですでに読者は思考にいざなわれているわけです。
本を閉じても終わらないと思わせるところが古典の古典たる所以なのでしょう。
なお、年譜を見ると兆民の幼名は「竹馬」、弟は「虎馬」といったとか。
どうでもいいことだけど、なぜかどうしてもご紹介しておきたかった。
つまり、オジサン臭が炸裂する(^_^;)
本作品は明治20年に世に出た。干支で言えば2回りしない過去にはまだ人々が頭にちょんまげを載せていたという頃合い。
が、著者中江はどうやら英・仏・和のトリリンガルだったらしい。さらに漢文の素養を合わせてクワルトリンガルといえる。原文は漢文書き下し調。印刷所にあるのが不思議なくらいの、見たこともない漢字がバンバン出てくる。
だから現代語訳が不可欠。ありがたい。
当時、中央集権国家としてデビューした日本を迎えたのは帝国主義の世界だった。
日本に憲法はまだなく、いわば徒手空拳で世界に乗り出していったのだった。
そうした中、著者中江が地球的な視座で国家体制のあり方、国家と個人の緊張関係を巡って書いたのが本作品です。
政治は生き物で、その意味では現代の地政学としては参考にならないかもしれない。
がしかし、およそポストモダンとは正反対の“大文字”の骨太な思考は魅力的です。
随所に「眉批」というツッコミを入れているのがポストモダン的な関節はずしに見えなくもないわけですが、どの意見にも容易に弱点を指摘できるとしても、その時点ですでに読者は思考にいざなわれているわけです。
本を閉じても終わらないと思わせるところが古典の古典たる所以なのでしょう。
なお、年譜を見ると兆民の幼名は「竹馬」、弟は「虎馬」といったとか。
どうでもいいことだけど、なぜかどうしてもご紹介しておきたかった。
2015年3月18日に日本でレビュー済み
中江兆民が三人の座談形式で語る政治。
理想の民主主義を意気揚々と語る西洋紳士君、現実的に軍事を語ると見せて思い切った奇策を語る豪快君。どちらも才気煥発でその言説は魅力的ながらも、どこかバランスを欠いている。
それまで聞き役に回っていた南海先生が最後に語る極めて普通な意見。だが、それによって今までの全ての議論の意味が鮮やかになり、なるほどと深く唸らされる。この組み立ては本当に見事。
100年以上前に書かれた中江兆民の理論は今聞いても古ぼけておらず、おおいに勉強になる。
政治思想としても、座談(擬似だけど)の体感としも貴重な一冊。
改めて訳してくれたことに感謝。
理想の民主主義を意気揚々と語る西洋紳士君、現実的に軍事を語ると見せて思い切った奇策を語る豪快君。どちらも才気煥発でその言説は魅力的ながらも、どこかバランスを欠いている。
それまで聞き役に回っていた南海先生が最後に語る極めて普通な意見。だが、それによって今までの全ての議論の意味が鮮やかになり、なるほどと深く唸らされる。この組み立ては本当に見事。
100年以上前に書かれた中江兆民の理論は今聞いても古ぼけておらず、おおいに勉強になる。
政治思想としても、座談(擬似だけど)の体感としも貴重な一冊。
改めて訳してくれたことに感謝。
2017年12月7日に日本でレビュー済み
日本に偉大な思想家など居ないかと思っていたが、中江兆民という稀有な思想家が存在して居たという事を今頃になって気付かされた名著であった。日本史や倫理の教科書で東洋のルソーなどとただのルソーの『社会契約論』の翻訳者などと勘違いさせられて居た。脱帽である。