・全15章中、最初の数章の続きは11章(下巻)という、ル・カレ作品の中でもものすごい極端な構成。その間、主人公の誕生時(インド独立の年である1947年)から冒頭の時代(2000年代初頭のイラク戦争の時代)までの人生が語られる。「蛇足が多い」「まわりくどい」といった理由でル・カレ作品が嫌いな人には耐えられない作品だろうが、そうした部分を愛する人間には、「これぞル・カレ!」という感じだ。
ただし、過去と現在を頻繁に行き来し、人称の変化も著しい「パーフェクト・スパイ」等に比べ、過去が語られる部分がこのようにまっており、人称も、ほぼ一貫して主人公の視点で語られる分、読みやすい作品とは言える(実は、パーフェクト・スパイも人が言うほど難解だとは思わなかったのだが、ま、原文で読んだ訳じゃないし、「ディケンズの文体」とかは分かりませんけれど)。
・常々「冷戦」の「リアリティー」を描かせたら、ル・カレに優るものはない、と考えているのだが、この作品では、「ベルリンの壁」建設(1961年)からそう日がたたない時代に20歳前後の人生で最も多感な時期を送った主人公を通じ、当時の西ベルリンの様子が生き生きと描かれている。
「リアリティー」と書いたが、私にとってのル・カレ作品の魅力は、自身の体験や綿密な取材に基づき、フィクションとはいえ、かなり現実に近い当時の雰囲気が描かれていると思われるところ。「物語」とは別に、「現実(リアリティー)」が味わえるところが、大昔、冷戦時代について学んでいた者の心をときめかせる理由でもある。
「へ~、当時の西ベルリンってこんな感じだったんだ…」と、いうのが何となく分かっただけでも、私にとっては読んだ価値があった。(ちなみに、1960年代の西ベルリンだけでなく、1950年代のインド・パキスタンの様子も、主人公の少年時代を通じて描かれている)。
・そういう意味では、1989年(平成元年!)の「ベルリンの壁崩壊」時の西側情報機関の混乱ぶりと、冷戦時に現場工作員をやっていた人たちの「末路」の様子も面白く読んだ。
・また、「物語」についても、納得がいく出来だ。ル・カレ作品で直近に読んだ「われらが背きし者」(2010)や、「ロシア・ハウス」(1989)がイマイチ(得に前者は超イマイチ)だったので、「やっぱり冷戦体制崩壊後のル・カレ作品は、一部の例外を除いてイマイチなのかな~」と思い始めていたのだが、この作品の刊行は2003年。「9.11後の世界を描いた」という触れ込みにもかかわらず、得意の冷戦時代を扱った部分が物語の基底をなしているから、ということもあるのだろうが、結末に、「われらが…」のような唐突感もないし、「ロシア…」のような「いくら冷戦末期で旧ソ連が混乱していたとして、そんな甘い話はないでしょ~」感もない。しっかりと、そうした結末に至る必然性が描き込まれており、そういう意味では安心して読める。
・下巻の「解説」(これが結構秀逸!)等、ほかの人の論評には、には「ル・カレが珍しく『怒り』を露わにした作品だ」というのが、賛否両論としてあるが、私は、その辺はそれ程気にならなかった。個人的には、そうした「感情」を露骨に表現してしまうと、ル・カレのいいところが損なわれる、という考えだが、確かに、他の作品に比べ、荒っぽい部分があるのは感じるが、それ程極端に感情むき出しにしている訳ではない。
・しかし、そんな中でも、米国に対しては極端な「悪者」に仕立て上げている一方、英国に対しては「米国のわんこ」に成り下がっていることに怒りながら、多少のgentleman的良心は残っていることを示している辺りに、ル・カレの隠しきれない愛国心(この言葉が「右翼」の専売特許になっている国はおそらく日本だけ)を感じる。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
サラマンダーは炎のなかに 上 (光文社文庫 ル 1-1) 文庫 – 2008/11/11
学生運動に燃える1960年代のヨーロッパ。イギリス人のマンディは西ベルリンに渡り、急進派学生セクトのリーダー、サーシャと知り合う。学生集会の騒乱のさなか、マンディはサーシャを命がけで救出、二人は固い友情で結ばれる。だが、そのためにマンディはイギリスに強制送還されることに。やがて英国文化振興会で働くマンディの前にスパイとなったサーシャが現れた......。
- 本の長さ368ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2008/11/11
- ISBN-104334761879
- ISBN-13978-4334761875
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
出版社からのコメント
スパイ小説の名匠が、イラク戦争後の世界を描く! テロに対する戦いと友情を描いた傑作エンターテインメント小説!
著者について
1931年生まれ。オックスフォード大学卒。外務省書記官となり、英国情報部にも在籍。在任中より作家活動を始め、『寒い国から帰ってきたスパイ』で世界的に評価を得る。スマイリー・シリーズなどでその地位は不動のものに。アメリカ探偵作家クラブ賞巨匠賞、イギリス推理作家協会賞ダイヤモンド・ダガー賞などを受賞。
登録情報
- 出版社 : 光文社 (2008/11/11)
- 発売日 : 2008/11/11
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 368ページ
- ISBN-10 : 4334761879
- ISBN-13 : 978-4334761875
- Amazon 売れ筋ランキング: - 510,967位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2019年3月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
冷戦の頃にドイツでイギリスの青年が過激な思想の若者と知り合いになり・・・というお話。
世界大戦後の欧米から21世紀までの戦後政治と国際情勢の流れを一人の青年の軌跡に託して語った小説に思えました。戦後、よりよい世界を目指して色々な運動や行動がありましたが、結果として戦争やテロや貧困で毎日大量の死者が出るというあまりいい社会にならなかった世界を、怒りをこめて振り返った回顧小説とも思いました。元々あまり読み易い小説を書く人ではないですが、本書でも時代や地域が行ったり来たりで読み易くはないですが、全体を俯瞰すると読んで面白かったというカタルシスを持ちました。人によっては全然違う読後感を持つかもしれませんが。
30年前はベルリンの壁がなくなって、共産圏も資本主義化し、どんどん良くなると思ったら、民族問題や宗教の対立が表面化、テロ、戦争が増えてしまいまして、その責任が誰にあるかとかではないですが、もうちょっと進む方向を変えた方が良かった様な・・・というのは個人的な慨嘆ですが、ル・カレ氏もブッシュ氏やブレア氏に注文があるらしく、作中で名指しで怒っています。
書かれて10年くらい経ちますが、その後の現在(2019年頃)かってない不評のトランプ大統領が誕生したり、あまり良くない感じで右傾化が進んでいたり、貧困で低年齢の人が飢えを我慢させられたりと問題が山積しており、これから改善する希望も見えないので、どんどん悪くなっていくのかなぁとか思ってしまいました。今現在のル・カレ氏は何を思っているのでしょうか。
スパイ・謀略小説の大半は書かれた時の時事ネタを扱う物が多いので、経年で少し古くなりがちですが、本書の場合は劣化かた免れている様に思います。その理由が世界の不幸の為だとなんだかなぁとも思いますが・・・。
今読んでも示唆に富む現代史政治小説。是非ご一読を。
世界大戦後の欧米から21世紀までの戦後政治と国際情勢の流れを一人の青年の軌跡に託して語った小説に思えました。戦後、よりよい世界を目指して色々な運動や行動がありましたが、結果として戦争やテロや貧困で毎日大量の死者が出るというあまりいい社会にならなかった世界を、怒りをこめて振り返った回顧小説とも思いました。元々あまり読み易い小説を書く人ではないですが、本書でも時代や地域が行ったり来たりで読み易くはないですが、全体を俯瞰すると読んで面白かったというカタルシスを持ちました。人によっては全然違う読後感を持つかもしれませんが。
30年前はベルリンの壁がなくなって、共産圏も資本主義化し、どんどん良くなると思ったら、民族問題や宗教の対立が表面化、テロ、戦争が増えてしまいまして、その責任が誰にあるかとかではないですが、もうちょっと進む方向を変えた方が良かった様な・・・というのは個人的な慨嘆ですが、ル・カレ氏もブッシュ氏やブレア氏に注文があるらしく、作中で名指しで怒っています。
書かれて10年くらい経ちますが、その後の現在(2019年頃)かってない不評のトランプ大統領が誕生したり、あまり良くない感じで右傾化が進んでいたり、貧困で低年齢の人が飢えを我慢させられたりと問題が山積しており、これから改善する希望も見えないので、どんどん悪くなっていくのかなぁとか思ってしまいました。今現在のル・カレ氏は何を思っているのでしょうか。
スパイ・謀略小説の大半は書かれた時の時事ネタを扱う物が多いので、経年で少し古くなりがちですが、本書の場合は劣化かた免れている様に思います。その理由が世界の不幸の為だとなんだかなぁとも思いますが・・・。
今読んでも示唆に富む現代史政治小説。是非ご一読を。
2014年1月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
作者の名前にひかれ、市中では見つからなかったので、ここで購入でき助かりましたが、あまり面白くありませんでした。
2009年12月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
冷戦中の学生運動から米英のイラク侵攻までを生き抜いた、
ひとりの男の生涯として読んでもいいのではないでしょうか。
リクツ抜きで、エンターテイメント性も高い。引き込まれます。
邦題を「サラマンダーは炎の中に」としたことには、翻訳者の本作品への深い理解と卓越したセンスがうかがえると思います。
火の精は、炎の中に。
彼は、ベルリンの学生運動の炎の中に身を投じた人物です。
そこにいた、もう一人の火の精、サーシャ。
原題は、Absolute Friends、無二の親友。
だが、炎が消えたら、どうなる?
イートン出身の元外交官僚、という肩書きのある作者ル・カレは、
ブッシュ+ブレア主導の中東戦争に厳しいコメントをしてきた人物でもあります。
しかし、そのブレアもまた、実はこの小説の主人公同様、名門パブリックスクール出身で、
法律家の妻によって左翼の政治活動に導かれていった、という経歴もあるようです。
炎の中に踊る主人公を描くル・カレの、温かく、しかし醒めた筆致には、
なかなか浮き足立った熱情に絡めとられない、古きよきイギリスらしい安定感がありますね。
ひとりの男の生涯として読んでもいいのではないでしょうか。
リクツ抜きで、エンターテイメント性も高い。引き込まれます。
邦題を「サラマンダーは炎の中に」としたことには、翻訳者の本作品への深い理解と卓越したセンスがうかがえると思います。
火の精は、炎の中に。
彼は、ベルリンの学生運動の炎の中に身を投じた人物です。
そこにいた、もう一人の火の精、サーシャ。
原題は、Absolute Friends、無二の親友。
だが、炎が消えたら、どうなる?
イートン出身の元外交官僚、という肩書きのある作者ル・カレは、
ブッシュ+ブレア主導の中東戦争に厳しいコメントをしてきた人物でもあります。
しかし、そのブレアもまた、実はこの小説の主人公同様、名門パブリックスクール出身で、
法律家の妻によって左翼の政治活動に導かれていった、という経歴もあるようです。
炎の中に踊る主人公を描くル・カレの、温かく、しかし醒めた筆致には、
なかなか浮き足立った熱情に絡めとられない、古きよきイギリスらしい安定感がありますね。
2009年7月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は、どういうジャンルに分類されるのか?非常に難しい内容でした。
ル・カレの作品を読むのは初めてでした。そのせいか前半の3/4は非常に難解でした。理由は原文にあるのか訳文にあるのか?難解にしている理由は2つありますが、おそらく原文に起因する(ル・カレの作風による)ものと思われます。1つめは、ほとんどすべてが現在形で書かれているので時制がつかみづらいことです。2つめは社会のあり方、思想などが詳細に議論されているためです。加えて、原題が "Absolute Friends" ということから察せられるとおり、友情(理論を超えた人間の信頼関係)に関するバックグランドが大きく関わってきます。
終盤1/4はスピーディーに話は進み、ややエンターテイメント性はあがります。しかし、一貫して背後に流れているのは、複雑な出生および生育背景を持つ2人の男の価値観を通して考えさせられる、社会状況、信頼関係、哲学などです。そのため、娯楽小説として本書を手にすると、「重い」と感じざるを得ません。そこから考えると、この本は現代の思想書の一つと考えても良いと思います。解説などによると「パックスアメリカーナに対する批判と反抗」を読み取るべきなのかもしれませんが、思想書から何を読み取ろうと自由です。軍産政治は否でしょうが、それでは何が真に正解なのか?考えさせられる作品です。
ル・カレの作品を読むのは初めてでした。そのせいか前半の3/4は非常に難解でした。理由は原文にあるのか訳文にあるのか?難解にしている理由は2つありますが、おそらく原文に起因する(ル・カレの作風による)ものと思われます。1つめは、ほとんどすべてが現在形で書かれているので時制がつかみづらいことです。2つめは社会のあり方、思想などが詳細に議論されているためです。加えて、原題が "Absolute Friends" ということから察せられるとおり、友情(理論を超えた人間の信頼関係)に関するバックグランドが大きく関わってきます。
終盤1/4はスピーディーに話は進み、ややエンターテイメント性はあがります。しかし、一貫して背後に流れているのは、複雑な出生および生育背景を持つ2人の男の価値観を通して考えさせられる、社会状況、信頼関係、哲学などです。そのため、娯楽小説として本書を手にすると、「重い」と感じざるを得ません。そこから考えると、この本は現代の思想書の一つと考えても良いと思います。解説などによると「パックスアメリカーナに対する批判と反抗」を読み取るべきなのかもしれませんが、思想書から何を読み取ろうと自由です。軍産政治は否でしょうが、それでは何が真に正解なのか?考えさせられる作品です。
2008年12月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
上下合わせて約800ページの作品だが、初めの700ページほどまでは、ルカレらしい難解ではあるが、示唆に富んだ会話と詳細すぎるほどの現場描写、そしてくるくる変わる時代の流れにやや辟易させられながら、最後は圧倒的な展開とルカレ自身の英米に対する大いなる怒りの表現で、抜群の読後感を残す作品になっている。主人公マンディはパキスタン生まれの英国人、欧州に帰ってから参加する70年代の学生運動で知り合ったドイツ人サーシャ。彼らはやがて英国諜報部の二重スパイとなってもかたい友情で支えあってきている。このあたりの時代の雰囲気をルカレは難解なまでの政治論議や哲学論議を絡ませながら見事に描いてみせる。やがて、9.11事件を経て、彼らに近づく謎の富豪ドミトリー。彼は欧州に自由主義者の学校を作るという名目で二人に夢を与える。それは、欧州でテロ組織壊滅という大義名分のために自作自演を行うという米国ネオコンの陰謀であること、米国と欧州諸国、なかんずく英国とが団結を深め、やがてイラクに侵攻するきっかけとなる。世界の世論をイラク侵攻に傾くかせんがための米国の猿芝居である。作品のいたるところにルカレの米国や英国に対する怒りがもえたぎっている作品だ。「ナイロビの蜂」で大手製薬メーカーに対して大きな怒りをぶつけたルカレであるが、この作品での怒りの対象は米国と英国政府なのだ。深くて大いに共鳴を受ける作品、流石ルカレ、ルカレ万歳である。あと2作の訳本出版が待たれる。