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日本の伝統 (知恵の森文庫) 文庫 – 2005/5/10
岡本 太郎
(著)
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「法隆寺は焼けてけっこう」「古典はその時代のモダンアート」「モーレツに素人たれ」――創造であり、生きるための原動力でもあると主張する著者が、縄文土器・尾形光琳・庭園を題材に、日本の美の根源を探り出す。『今日の芸術』の伝統論を具体的に展開した名著、初版本の構成に則って文庫化。著者撮影写真、多数収録。解説・岡本敏子
- 本の長さ292ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2005/5/10
- ISBN-104334783562
- ISBN-13978-4334783563
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登録情報
- 出版社 : 光文社 (2005/5/10)
- 発売日 : 2005/5/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 292ページ
- ISBN-10 : 4334783562
- ISBN-13 : 978-4334783563
- Amazon 売れ筋ランキング: - 70,183位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2021年2月19日に日本でレビュー済み
岡本太郎が昭和25年から34年にかけて発表した日本芸術論。一般向けの啓蒙書として書かれているので、とても親しみやすく、読みやすい。
岡本太郎は18歳でパリに渡り、当時最先端の抽象芸術に飛び込み、太平洋戦争直前に帰国して兵隊に行き、戦後は日本で活躍した。
終戦後まもない日本で、岡本は日本の文化の生命力と熱量の低さに失望する。日本美術は「根本的な矛盾」との対決を避けるのが身についた、チマチマした「重箱文化」であり、明治以降にうやうやしく扱われるようになった日本美術の「伝統」は「西欧文化へのコンプレックスとして急ごしらえされた、いわば影のようなつくりもの」だという。
しかし単にディスるだけではない。その全体的な生命力のなさを嘆きつつ、日本の美術の中にもすぐれた精神を発見して大興奮する。
岡本太郎は、縄文美術にたくましい美意識と驚異の空間構成を、尾形光琳に「非情の美」を、そして日本庭園の中に緊張に満ちた思想を発見するのだ。
縄文、光琳、そして特に日本庭園についての論は熱く、面白い。とくに、日本庭園についてとても詳細に独自の視点で検証をかさね、深い論を張っているのに驚いた。
日本文化についての考察は、言い過ぎの感がある箇所や異論をはさみたい部分もあるけれど(江戸文化を単なる型の追求とする主張など)、歴史を俯瞰しての視点は鋭く、うなずかされる。
日本の文化は徳川の封建体制下でますますチンマリまとまり、「人間の表側よりも裏側だけに神経を集中し、強烈な生命力の奔出よりも繊細なひねりを「通」とする」ようになった日本の文化は、「洒落や、味や、型の世界に堕落して」いったという。
異論もあるが、日本が「型」を偏重するあまり、息苦しさを感じさせる社会であるのは事実。
敗戦後10年たらずの日本で、岡本太郎はそれを痛烈に批判する。約70年後の今これを読んで驚くのは、そんな日本の精神的な状況が半世紀以上たってもあまり変わっていないように見えることだ。
短い最終章「伝統論の新しい展開」での「伝統」についての主張が面白い。
20世紀の人間にとって、伝統とはもはや地域に限定される小さなものではなく、人類の文明文化のすべてであり、個人にとって開かれたものである、というきわめてコスモポリタンな主張だ。世界中の情報に簡単にアクセスできるようになった現代人にとって、受け継ぐ「伝統」というのは、人類共通の知ではないか、という考え方。
「伝統」という言葉の意味とはすこし違うのではとも思うが、でもその考え方はうなずけるし、21世紀の今ではますますその状況は加速している。
これはもっとも楽観的なグローバリゼーション思想だと思う。実際には、人間というのは通常、具体的で泥臭く身体感覚のある、土地や血縁やその他の所縁に所属・同化したいという願いを持っているようなので、個人が自分を完全にユニバーサルな存在だと意識するようになるというのはまだ当分先の話になりそうだし、それまでは土地や国や民族の「伝統」に対するニーズはなくならないと思う。
でも、相変わらず妙な「型」にあちこちを縛られ、出口を見失って元気をなくしている人の多い日本に、この書はビタミンのように栄養を補給してくれるはずだと思う。
岡本太郎は18歳でパリに渡り、当時最先端の抽象芸術に飛び込み、太平洋戦争直前に帰国して兵隊に行き、戦後は日本で活躍した。
終戦後まもない日本で、岡本は日本の文化の生命力と熱量の低さに失望する。日本美術は「根本的な矛盾」との対決を避けるのが身についた、チマチマした「重箱文化」であり、明治以降にうやうやしく扱われるようになった日本美術の「伝統」は「西欧文化へのコンプレックスとして急ごしらえされた、いわば影のようなつくりもの」だという。
しかし単にディスるだけではない。その全体的な生命力のなさを嘆きつつ、日本の美術の中にもすぐれた精神を発見して大興奮する。
岡本太郎は、縄文美術にたくましい美意識と驚異の空間構成を、尾形光琳に「非情の美」を、そして日本庭園の中に緊張に満ちた思想を発見するのだ。
縄文、光琳、そして特に日本庭園についての論は熱く、面白い。とくに、日本庭園についてとても詳細に独自の視点で検証をかさね、深い論を張っているのに驚いた。
日本文化についての考察は、言い過ぎの感がある箇所や異論をはさみたい部分もあるけれど(江戸文化を単なる型の追求とする主張など)、歴史を俯瞰しての視点は鋭く、うなずかされる。
日本の文化は徳川の封建体制下でますますチンマリまとまり、「人間の表側よりも裏側だけに神経を集中し、強烈な生命力の奔出よりも繊細なひねりを「通」とする」ようになった日本の文化は、「洒落や、味や、型の世界に堕落して」いったという。
異論もあるが、日本が「型」を偏重するあまり、息苦しさを感じさせる社会であるのは事実。
敗戦後10年たらずの日本で、岡本太郎はそれを痛烈に批判する。約70年後の今これを読んで驚くのは、そんな日本の精神的な状況が半世紀以上たってもあまり変わっていないように見えることだ。
短い最終章「伝統論の新しい展開」での「伝統」についての主張が面白い。
20世紀の人間にとって、伝統とはもはや地域に限定される小さなものではなく、人類の文明文化のすべてであり、個人にとって開かれたものである、というきわめてコスモポリタンな主張だ。世界中の情報に簡単にアクセスできるようになった現代人にとって、受け継ぐ「伝統」というのは、人類共通の知ではないか、という考え方。
「伝統」という言葉の意味とはすこし違うのではとも思うが、でもその考え方はうなずけるし、21世紀の今ではますますその状況は加速している。
これはもっとも楽観的なグローバリゼーション思想だと思う。実際には、人間というのは通常、具体的で泥臭く身体感覚のある、土地や血縁やその他の所縁に所属・同化したいという願いを持っているようなので、個人が自分を完全にユニバーサルな存在だと意識するようになるというのはまだ当分先の話になりそうだし、それまでは土地や国や民族の「伝統」に対するニーズはなくならないと思う。
でも、相変わらず妙な「型」にあちこちを縛られ、出口を見失って元気をなくしている人の多い日本に、この書はビタミンのように栄養を補給してくれるはずだと思う。
2021年5月27日に日本でレビュー済み
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この本のベースは1956年に刊行された文章だそうです。昭和31年です。戦後間も無く、昭和25年に法隆寺金堂が火災になり慌てた文化庁は文化財保護法を施行しました。文化財保護の制度が構築される中で昭和29年には第一回日本伝統工芸展が開催されています。重要無形文化財いわゆる人間国宝もこのときに認定されました。そうした環境下で、「法隆寺は燃えてけっこう」「モーレツに素人たれ」と言っていた岡本太郎って受け入れられてたの?と思い頁をめくりました。
一人でも戦い続ける芸術家、そんな印象が岡本太郎氏にはあります。
例えば、光琳(琳派)に関する考察はときに攻撃的で刺激的、酒井抱一でさえ琳派を形式化したと一刀両断にされています。一方、オリジナルである尾形光琳への賛美は惜しみません。何かを踏襲することには意味がない、伝統とは、創造であるというのがこの本の骨子かと思います。
巻末、当時、岡本太郎の本はベストセラーであったと岡本敏子氏の文章がありました。
いつの時代も、さまざまな考え方があってお互いに刺激しあって時代が創られていくのだと、そして岡本太郎はその圧倒的なエネルギーゆえ今日、この時代にも影響を与え続けていると感じました。
偉大な芸術家に改めて敬意を表したいと思います。
一人でも戦い続ける芸術家、そんな印象が岡本太郎氏にはあります。
例えば、光琳(琳派)に関する考察はときに攻撃的で刺激的、酒井抱一でさえ琳派を形式化したと一刀両断にされています。一方、オリジナルである尾形光琳への賛美は惜しみません。何かを踏襲することには意味がない、伝統とは、創造であるというのがこの本の骨子かと思います。
巻末、当時、岡本太郎の本はベストセラーであったと岡本敏子氏の文章がありました。
いつの時代も、さまざまな考え方があってお互いに刺激しあって時代が創られていくのだと、そして岡本太郎はその圧倒的なエネルギーゆえ今日、この時代にも影響を与え続けていると感じました。
偉大な芸術家に改めて敬意を表したいと思います。
2018年4月14日に日本でレビュー済み
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1956年刊行。
日本の伝統文化を縄文土器、光琳、中世の庭、この3つのテーマから掘り下げていく。
岡本太郎の誰にも影響受けずの自らの豊かな感性と猛烈な知識でもって、論理的に分析、感動等で、日本に燦然と輝く芸術を語る。
今読んでも新しい。
当時としてはついていけない人多数ではないか。
実際、一番スペースを取っている庭園のところは正直自分が全く分かっていないのでチンプンカンプン。
しかし、岡本太郎は文章を書くのもうまいし、自分の考えを貫き通しているところの説得力に感動を覚える。
日本の伝統文化を縄文土器、光琳、中世の庭、この3つのテーマから掘り下げていく。
岡本太郎の誰にも影響受けずの自らの豊かな感性と猛烈な知識でもって、論理的に分析、感動等で、日本に燦然と輝く芸術を語る。
今読んでも新しい。
当時としてはついていけない人多数ではないか。
実際、一番スペースを取っている庭園のところは正直自分が全く分かっていないのでチンプンカンプン。
しかし、岡本太郎は文章を書くのもうまいし、自分の考えを貫き通しているところの説得力に感動を覚える。
2017年10月23日に日本でレビュー済み
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子供の進路と自分の趣味も兼ねて。子どもの進路がデザイン関係になりそうで、知識が乏しく相談相手になれないと情けないため勉強のために購入します。自分も多少デザインについては興味もあるので一石二鳥です。
2017年2月1日に日本でレビュー済み
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筆者の熱い文章にとても感動しました。すごく面白かったです。ありがとうございました。
2020年1月29日に日本でレビュー済み
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90年前の書、未だ褪せない斬新さを認めるにしても、また縄文土器の美発見の眼を称賛するにしても、返す刀で切りまくる「伝統美」に対する記述は、余りに論理矛盾と言わざるを得ない。なぜなら「自然の環境が人間の性情に決定的な影響をおよぼし、文化を性格づけるということは当然の理です」としながら、一向にその立場からの論考を展開していないし、さらには「とくに日本民族のように、島のなかに住み、一定の自然の枠にはめこまれているばあい、それはひとしお肌にしみこんだ運命であるにちがいない」としながら、大陸西欧に魅せられ異質性を纏った自らを剥き出しにして、批判に終始しているからである。結果、斬新な視点や感性を投じた発見多々としつつも、一般性を欠いた表題にそぐわない底の浅い議論となり、説得力を損ねている。私論と銘打てば、未だしもである。