羽生の将棋観を読み解きながら、「思考」についての著者の思いが言語化されているとは思うが、果たして羽生の将棋を"言語化"しているのかと考えると疑問が残る。そういう意味では羽生の将棋の解説と考えて手に取るべきではない。著者はエッセイでも小説でも一貫して作品と作者の関係性について語っており、それは端的に言えば小説は作者を超え、小説自身が独自に運動している、ということだ。そこにおいて作者の意図などはあくまで小説のもつ運動に比べれば付属する存在でしかない、と。
その小説観、芸術観を、羽生の将棋観にも見出した著者が、羽生と自分との「共鳴」を言語化しようとしたのが本書だと思う。
羽生は著作も複数あり、マスコミへの登場も多いので実に多くのことを語っている。必ずしも著者が共鳴した将棋観だけでは捉えきれない、むしろ矛盾するような発言もあるが、本書は解説ではなく、あくまで著者による批評として受けとめる必要がある。
批評もまた、批評の対象を超えて独自の運動をするものなのだ。
棋譜の解説ではなく、棋士の評伝でもない、将棋を題にとった批評文として興味深い一冊。
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羽生: 「最善手」を見つけ出す思考法 (知恵の森文庫 t ほ 1-1) 文庫 – 2007/6/1
保坂 和志
(著)
- 本の長さ213ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2007/6/1
- ISBN-10433478481X
- ISBN-13978-4334784812
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商品の説明
出版社からのコメント
本書は「将棋の本」ではない。著者は、棋士・羽生善治のインタ
ビュー、自戦記などを丁寧に読み解き、彼の思考の「核」に迫っていく。羽生の
将棋観のキーワードである「最善手」を軸にして思考プロセスを辿り、将棋が分
からない読者でも「人が考える」という行為の本質的な面白さに到る、芥川賞作
家の画期的「羽生」論かつ「思考」論。 解説・茂木健一郎
ビュー、自戦記などを丁寧に読み解き、彼の思考の「核」に迫っていく。羽生の
将棋観のキーワードである「最善手」を軸にして思考プロセスを辿り、将棋が分
からない読者でも「人が考える」という行為の本質的な面白さに到る、芥川賞作
家の画期的「羽生」論かつ「思考」論。 解説・茂木健一郎
著者について
保坂和志
1956年山梨県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。90年『プレーンソング』でデ
ビュー。93年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、95年『この人の閾(いき)』
で芥川賞、97年『季節の記憶』で平林たい子賞、谷崎潤一郎賞を受賞。他の作品
に『カンバセイション・ピース』『小説の自由』『途方に暮れて人生論』など。
1956年山梨県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。90年『プレーンソング』でデ
ビュー。93年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、95年『この人の閾(いき)』
で芥川賞、97年『季節の記憶』で平林たい子賞、谷崎潤一郎賞を受賞。他の作品
に『カンバセイション・ピース』『小説の自由』『途方に暮れて人生論』など。
登録情報
- 出版社 : 光文社 (2007/6/1)
- 発売日 : 2007/6/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 213ページ
- ISBN-10 : 433478481X
- ISBN-13 : 978-4334784812
- Amazon 売れ筋ランキング: - 782,686位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 438位知恵の森文庫
- - 2,142位将棋 (本)
- - 71,096位エンターテイメント (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
1956年、山梨県生まれ。鎌倉で育つ。早稲田大学政経学部卒業。1990年『プレーンソング』でデビュー。1993年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、1995年『この人の閾(いき)』で芥川賞、1997年『季節の記憶』で平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞を受賞。その他の著書に『生きる歓び』『カンバセイション・ピース』『書きあぐねている人のための小説入門』『小説の自由』『小説の誕生』ほか。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
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2010年11月19日に日本でレビュー済み
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単行本「羽生 21世紀の将棋」を文庫化したもの。文庫化に当たって題名が変わっているため、私はネット購入してしまった。皆様には気を付けて頂きたい。冒頭で著者が、「これは将棋の本ではない」と断っている様に、羽生を通して人間の思考法を考察した書である。ただし、羽生を題材にしている関係上、羽生が将棋界に起こした革命について「最善手」の考え方を中心に述べられている。具体的な局面例も多く出ているので親しみ易く、著者の思考法も分かり易く説明されている。
羽生が「最善手」に関して起こした革命を著者は次の2点に纏めている。
(1) 「最善手」とは棋士個人の産物でなく、一局の将棋の持つ法則である。
(2) 「最善」の基準は結果からではなく、そこにいたる指し手が決める。
つまり、初手から棋理に沿って指し続ければ「最善手」の連続となる筈であり、「最善手」を見つけるという事は、その対局の初手からの局面の流れや膨大な読みの蓄積に叶う棋理に即した手を選ぶ事である。そこには棋風や「盤面と人生とを重ねる」といった考え方が入り込む余地がない。羽生の将棋観をかなり的確に捉えていると思う。
最終章ではコンピュータ将棋にも触れている。羽生の自信に溢れる言葉に勇気付けられた。 私の目が黒いうちは「あから」が羽生に勝つことはないだろう。
羽生が「最善手」に関して起こした革命を著者は次の2点に纏めている。
(1) 「最善手」とは棋士個人の産物でなく、一局の将棋の持つ法則である。
(2) 「最善」の基準は結果からではなく、そこにいたる指し手が決める。
つまり、初手から棋理に沿って指し続ければ「最善手」の連続となる筈であり、「最善手」を見つけるという事は、その対局の初手からの局面の流れや膨大な読みの蓄積に叶う棋理に即した手を選ぶ事である。そこには棋風や「盤面と人生とを重ねる」といった考え方が入り込む余地がない。羽生の将棋観をかなり的確に捉えていると思う。
最終章ではコンピュータ将棋にも触れている。羽生の自信に溢れる言葉に勇気付けられた。 私の目が黒いうちは「あから」が羽生に勝つことはないだろう。
2011年10月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この「羽生」という本を保坂さんの代表作だと言う人もいると聞いたので読ませて頂きました。後年の保坂氏のエッセイで当人の小説観みたいなものを先に僕が読んでしまっていて内容がかぶってる感じがしたので、例えば「人は将棋を指しているのではなく将棋に指されている」とかいう文に、そんなに驚きは感じなかったのと分量そのものが短めだったのでちょっと物足りなかったです、1日で読めます。けど比較的面白い本であることには間違い無いと思います
将棋のルールぐらいは知らないと読めないかもしれませんが、具体的な将棋の図が出てくる箇所とか飛ばしながら読めばルールを知らない人でもその思考プロセスを追うことは可能かもしれません。僕が一番気になったのは文庫版のp149、p199で出てくる考え方です。こんな単純で良いのか?とあの方みたいに2日間考え込んでしまった。結論ではなく出発点ですか・・・むむむ。
その他、相手とは差がないという前提で差すとか、形勢判断や棋風、スタイルにも「読み」の根拠を求めないとか、羽生は「読み」より前にテーマがあるとか、形勢判断とはそもそも何なのかとか、論理を超えた感覚とは?とか、いろいろ興味深い考えが羽生という天才を中心にして語られています。短いですが比較的おすすめな本です
将棋のルールぐらいは知らないと読めないかもしれませんが、具体的な将棋の図が出てくる箇所とか飛ばしながら読めばルールを知らない人でもその思考プロセスを追うことは可能かもしれません。僕が一番気になったのは文庫版のp149、p199で出てくる考え方です。こんな単純で良いのか?とあの方みたいに2日間考え込んでしまった。結論ではなく出発点ですか・・・むむむ。
その他、相手とは差がないという前提で差すとか、形勢判断や棋風、スタイルにも「読み」の根拠を求めないとか、羽生は「読み」より前にテーマがあるとか、形勢判断とはそもそも何なのかとか、論理を超えた感覚とは?とか、いろいろ興味深い考えが羽生という天才を中心にして語られています。短いですが比較的おすすめな本です
2007年8月15日に日本でレビュー済み
数ある羽生さんの本(本人著も含めて)の中でも異彩を放っています。帯の茂木氏の言葉「本書は、まだ言葉にもできない何ものかに向き合っている」があまりに的確なコメントだと感じました。私自身の言葉で言えば、なんだか学術論文の草稿を読んでいるような気がしました。棋譜の解説と本人の肉声(往々にして不完全で抽象的)と著者の解説が入り乱れて、頭の整理が苦手な私は理解しえたとは思いませんが、常々感じている強さの不思議を改めて認識させられた書でした。思考や脳のファジーな部分は、同じことをしてるのにどうして個々人で様々に異なって構成されていくのか、その不思議を誰か解明してください!それこそが個性なのでしょうか?
2007年6月17日に日本でレビュー済み
「最善手」を見つけるために羽生善治氏はどのように考えているのか?
その過程を(将棋のプロではない)小説家が迫っているところが面白いです。しかもそこから引き出した結論が、至極尤もらしいのです (→ 初版刊行時(1997年)に指摘している事実は素晴らしい)。つまり、言語化できている「形式知」だけでは「最善手の選択」は説明がつかない。(それならばデータや局面判断のルールを教え込んだコンピュータがとっくに人間を凌駕しているハズ) 「大局観」「駒が笑う」「手の流れが美しい」とかいった、どうしても言語化しにくい「暗黙知」の部分が指し手を決定に占める割合が大きいわけです。そんな言語化しにくい処を、"言語化のプロ"である小説家がうまく表現していると思います。小説の世界で例えるなら、正しい文法を教え込んだコンピュータが正しい文章を書けたとしても、"文章の流れの美しさ"を判断するには未だ至っていない、よって小説は人間の領域である、ということと似てなくもないです。(→ ポランニー「暗黙知の次元」でも似た議論がありましたね) ゲーデルの不完全性定理も想起したりして、愉快でした。
最後の章「コンピュータ観」のところは、1997年から10年経った今、Bonanzaの登場により「(読みの)量は質を凌駕するか?」という課題が再浮上して来た感もあり、文庫化の際に少し補足しても良かったもしれません。とはいえ、ここで語られている話は、今でも十分通用する話です。将棋に限らず、科学の研究活動でも当てはまることが多いですね。「科学者は頭が悪いと同時に頭が良くないといけない」(寺田寅彦)なわけです。羽生氏はその両方の側面をバランス良く備えています。そんな観点で羽生氏の書籍(※)を読み直すと面白いでしょう。
(※)「決断力」、「簡単に、単純に考える」、「先を読む頭脳」
その過程を(将棋のプロではない)小説家が迫っているところが面白いです。しかもそこから引き出した結論が、至極尤もらしいのです (→ 初版刊行時(1997年)に指摘している事実は素晴らしい)。つまり、言語化できている「形式知」だけでは「最善手の選択」は説明がつかない。(それならばデータや局面判断のルールを教え込んだコンピュータがとっくに人間を凌駕しているハズ) 「大局観」「駒が笑う」「手の流れが美しい」とかいった、どうしても言語化しにくい「暗黙知」の部分が指し手を決定に占める割合が大きいわけです。そんな言語化しにくい処を、"言語化のプロ"である小説家がうまく表現していると思います。小説の世界で例えるなら、正しい文法を教え込んだコンピュータが正しい文章を書けたとしても、"文章の流れの美しさ"を判断するには未だ至っていない、よって小説は人間の領域である、ということと似てなくもないです。(→ ポランニー「暗黙知の次元」でも似た議論がありましたね) ゲーデルの不完全性定理も想起したりして、愉快でした。
最後の章「コンピュータ観」のところは、1997年から10年経った今、Bonanzaの登場により「(読みの)量は質を凌駕するか?」という課題が再浮上して来た感もあり、文庫化の際に少し補足しても良かったもしれません。とはいえ、ここで語られている話は、今でも十分通用する話です。将棋に限らず、科学の研究活動でも当てはまることが多いですね。「科学者は頭が悪いと同時に頭が良くないといけない」(寺田寅彦)なわけです。羽生氏はその両方の側面をバランス良く備えています。そんな観点で羽生氏の書籍(※)を読み直すと面白いでしょう。
(※)「決断力」、「簡単に、単純に考える」、「先を読む頭脳」
2007年11月23日に日本でレビュー済み
興味深いといえば深いのですが、やはり小説と、こういう思考の「筋トレ」のような読み物であれば、小説の読み方や哲学に関してのエッセイのほうがとっつきやすいように思いました。朝日新聞社から出た当時は羽生という人が今よりも世間の耳目を集めていたような気がするので、その頃からずっと羽生という人を追っていれば、今また本書をもっと興味深く読めたのかもしれません。
2019年8月31日に日本でレビュー済み
芥川賞作家が、羽生将棋の深奥に迫る。大局観は、形成判断だという。駒の損得、効率、速度、王の硬さ、遠さ、などでデータ判断できるのか。野球の投手とバッターの駆け引きのように、無限の可能性を秘めているのではと思う。