初読は面白くなかったです
2度目再読は少し納得
要は著者の思索の楽しみであって
読者の思索の楽しみでないので当然かな?
少し納得は著者の思索と重なるか感心する箇所が
出てきたからでしょうか?
取上げた名著の感想的記述で連なりますが
私の好みも個別にまちまちで仕方ないかも・・・。
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いまこそ読みたい哲学の名著 単行本 – 2004/7/23
長谷川 宏
(著)
- 本の長さ251ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2004/7/23
- ISBN-104334974597
- ISBN-13978-4334974596
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
読む愉しみ、そして地に足のついた思考を探り、作りあげ、また「考えること」そのものを深めることができる読書論。哲学書だけではなく、宗教、文学、社会学方面から、著者が自信を持って薦める古典的名著15冊を取り上げる。
登録情報
- 出版社 : 光文社 (2004/7/23)
- 発売日 : 2004/7/23
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 251ページ
- ISBN-10 : 4334974597
- ISBN-13 : 978-4334974596
- Amazon 売れ筋ランキング: - 473,560位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,029位哲学・思想の論文・評論・講演集
- - 3,567位哲学 (本)
- - 4,029位思想
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年3月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
内容が充実しており、しかも非常に分かりやすく示されているので、大変参考になりました。
2015年7月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昔流行った『名著のあらすじ』みたいなものかな?と思って読んでみました。全く違いました。最初の章でアランへの共感を私も共感できましたし、論語に対する違和感に私は違和感を感じました。また、ドストエフスキーの獄中日記の記述にものめり込みました。それぞれの章で、自分の感情が激しく揺れたり…15章じゃ物足りないと思いました。この続きがあったら、教えてください。
2005年3月11日に日本でレビュー済み
セレクトされた本は比較的読みやすい本が多い
引用文を解説、そこから哲学的な背景を読み取る
文章はわかりやすく、用語などが乱発されない、親しみやすい文だ
しかし残念ながら私はどの本も読みたいとは思わなかった
なぜなら本の解説で終始している気がするからである
しかもその内容は主観的で作者の哲学を追うには甘く感じた
どっちつかずという印象だが
難解そうな哲学書も「意外に読めるな」と思えたなら
この本の目的は成就しているかもしれない
しかし解説頼みで引用文を読み飛ばしてしまうので
あんまり意味がなかったりする
やはりどっちつかずといった印象を感じた
引用文を解説、そこから哲学的な背景を読み取る
文章はわかりやすく、用語などが乱発されない、親しみやすい文だ
しかし残念ながら私はどの本も読みたいとは思わなかった
なぜなら本の解説で終始している気がするからである
しかもその内容は主観的で作者の哲学を追うには甘く感じた
どっちつかずという印象だが
難解そうな哲学書も「意外に読めるな」と思えたなら
この本の目的は成就しているかもしれない
しかし解説頼みで引用文を読み飛ばしてしまうので
あんまり意味がなかったりする
やはりどっちつかずといった印象を感じた
2013年5月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
こういう本がベストセラーになればいいのになあ。そうすれば、日本も世界も、もっと美しく、もっと深い社会になるのに。やや大袈裟ではありますが、そんな感想が湧いてきました。著者個人の批判的精神でろ過した上質で旨い哲学案内。まるで極上の深煎りコーヒーのようです。全体は、人間、思索、社会、信仰、美、と5つのカテゴリーの中にそれぞれ3編ずつ収められています。この15編の中で、とりわけ私に印象深かったのは、次の5編です。プラトン「饗宴」(古代ギリシャのエロス)、アウグスティヌス「告白」(聖なるドラマ)、ルソー「社会契約論」(人間への限りない信頼)、J.S.ミル「自由論」(自由な社会のむずかしさ)、ドストエフスキー「死の家の記録」(小説家の獄中生活)、マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(歴史の奥を見る目)。こうして、おおよそ年代順に並べてみると、哲学の流れ、高度な知性の変遷も浮かび上がってきます。古代の人間社会は全体としては貧しかった。プラトンもアウグスティヌスも、目に見えない理想に強く激しく憧れた。ところが、人間社会が全体として豊かに成熟してくると、冷徹なリアリズムが尊重されるようになる。しかし、人間は、特に経済活動ではついつい行き過ぎる。現代の資本主義は、プロテスタンティズムの倫理とはかけ離れてしまった。今の日本は、バブル崩壊とか、失われたX年などと言われ続けているが、資本主義の精神に照らしてみると、まだまだ日本もバブル経済の真っ只中で社会全体が右往左往し、エネルギーを浪費し続けている。もったいない。などなど、そんな感想が湧いてきました。もっと簡素な社会で、個人がそれぞれの哲学を楽しむ。それは、現代社会の病気を軽くする処方箋になるのではないでしょうか。本書は、良い本だと思います。
2014年1月3日に日本でレビュー済み
在野の哲学者長谷川の著作を年始年末にゆっくり読んだところだ。
本書で一番注目したのは「論語」に対する長谷川の評価である。元来ヘーゲル研究で名高い著者が
中国の古典をどう読み解くのか。興味深いチャレンジである。
端的に言うと、長谷川は論語における孔子のいわば「上から目線」にかなり違和感を感じている。僕としては
そんな著者の違和感に対して、更に違和感を感じた。自分として長谷川の論に納得しがたいものがある点こそが
考えるに足る課題である。
確かに「女子と小人は養い難し」と論語は断言する。現代に読むと違和感を持つべきなのかも
しれない。但し、そのように長谷川に指摘される迄は気が付かなかった。孔子が厳密に設定してきた
上下関係に僕自身が絡め取られていたからだ。
論語における上下関係とは「師弟関係」である。日本において教師と生徒の間はかなり厳密なものが
歴史的にあったと思う。「仰げば尊し」を好例と言えるかもしれない。例えば米国におけるteacherと
studentの間にかような関係が築かれているのかどうか。直感的には日本のそれと米国のそれには
大きな違いがあるのではないか。
その「師弟関係」から「女子と小人は養い難し」という、ある種の暴言まで案外距離は近いような
気がしてきた。僕自身が、その路線を(若しくは袋小路を)歩いてきたからこそ、長谷川の論語批判を
聞いて、皮膚感覚で違和感を覚えたのではないかと考えたところだ。であるならば、僕は今その
違和感を大事にしなくてはならない。
在野の哲学者が師をどう持つことが出来たのか。若しくは象牙の塔にいる哲学者の方が本当に師を持ちやすい
のか。そもそも哲学においての師とはどのようなものなのか。それは僕には想像もつかない世界だ。但し、
長谷川は「師」というものに対してとても敏感になっているのかもしれない。そんな繊細な感覚が論語を
あぶりだしたと読めば良いのかもしれない。
本書で一番注目したのは「論語」に対する長谷川の評価である。元来ヘーゲル研究で名高い著者が
中国の古典をどう読み解くのか。興味深いチャレンジである。
端的に言うと、長谷川は論語における孔子のいわば「上から目線」にかなり違和感を感じている。僕としては
そんな著者の違和感に対して、更に違和感を感じた。自分として長谷川の論に納得しがたいものがある点こそが
考えるに足る課題である。
確かに「女子と小人は養い難し」と論語は断言する。現代に読むと違和感を持つべきなのかも
しれない。但し、そのように長谷川に指摘される迄は気が付かなかった。孔子が厳密に設定してきた
上下関係に僕自身が絡め取られていたからだ。
論語における上下関係とは「師弟関係」である。日本において教師と生徒の間はかなり厳密なものが
歴史的にあったと思う。「仰げば尊し」を好例と言えるかもしれない。例えば米国におけるteacherと
studentの間にかような関係が築かれているのかどうか。直感的には日本のそれと米国のそれには
大きな違いがあるのではないか。
その「師弟関係」から「女子と小人は養い難し」という、ある種の暴言まで案外距離は近いような
気がしてきた。僕自身が、その路線を(若しくは袋小路を)歩いてきたからこそ、長谷川の論語批判を
聞いて、皮膚感覚で違和感を覚えたのではないかと考えたところだ。であるならば、僕は今その
違和感を大事にしなくてはならない。
在野の哲学者が師をどう持つことが出来たのか。若しくは象牙の塔にいる哲学者の方が本当に師を持ちやすい
のか。そもそも哲学においての師とはどのようなものなのか。それは僕には想像もつかない世界だ。但し、
長谷川は「師」というものに対してとても敏感になっているのかもしれない。そんな繊細な感覚が論語を
あぶりだしたと読めば良いのかもしれない。
2009年11月10日に日本でレビュー済み
筆者が読んで感じたことを、原文の日本語訳を引用しつつ解説してある。本書は、ドストエフスキー、シェイクスピア、ボードレールといった作家が取り上げられており、哲学者の枠にとらわれない思想案内となっている点がユニーク。
いずれも、手放しで賛美する内容ではなく、どちらかといえば批判的に論じているところが誠実な感じがあってよい。特に「論語」や「告白」に対しては辛辣。読者に自分の意見を持つことの大切さを、間接的に問うているようでもある。
内容は人間、思索、社会、信仰、美、の分類で、以下が紹介されている。
幸福論(アラン)、リア王(シェイクスピア)、方法序説(デカルト)、饗宴(プラトン)、論語、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(ヴェーバー)、社会契約論(ルソー)、自由論(J.S.ミル)、死の家の記録(ドストエフスキー)、告白(アウグスティヌス)、パンセ(パスカル)、キリスト教の本質(フォイエルバッハ)、悪の華(ボードレール)、色彩について(ウィトゲンシュタイン)、眼と精神(メルロポンティ)
この中から気に入った作品や、作者についての理解を深めるきっかけによい書だと思う。
いずれも、手放しで賛美する内容ではなく、どちらかといえば批判的に論じているところが誠実な感じがあってよい。特に「論語」や「告白」に対しては辛辣。読者に自分の意見を持つことの大切さを、間接的に問うているようでもある。
内容は人間、思索、社会、信仰、美、の分類で、以下が紹介されている。
幸福論(アラン)、リア王(シェイクスピア)、方法序説(デカルト)、饗宴(プラトン)、論語、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(ヴェーバー)、社会契約論(ルソー)、自由論(J.S.ミル)、死の家の記録(ドストエフスキー)、告白(アウグスティヌス)、パンセ(パスカル)、キリスト教の本質(フォイエルバッハ)、悪の華(ボードレール)、色彩について(ウィトゲンシュタイン)、眼と精神(メルロポンティ)
この中から気に入った作品や、作者についての理解を深めるきっかけによい書だと思う。
2009年12月19日に日本でレビュー済み
まるで散文詩のような、美しい韻律と粒よりの明瞭な言葉で
織り上げられた評論集です。
取り上げられている「名著」の一つ一つは、著者が言うほど
易しく読めるものではないと思いますが、著者の文章の
リズムに酔わせられると、それぞれの「名著」も
楽しんで読めるような気になってきます。
織り上げられた評論集です。
取り上げられている「名著」の一つ一つは、著者が言うほど
易しく読めるものではないと思いますが、著者の文章の
リズムに酔わせられると、それぞれの「名著」も
楽しんで読めるような気になってきます。