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経済成長って何で必要なんだろう? (SYNODOS READINGS) 新書 – 2009/6/25
- 本の長さ294ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2009/6/25
- ISBN-104334975747
- ISBN-13978-4334975746
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商品の説明
出版社からのコメント
本書の第一のメッセージは、
「経済成長が必要である」
につきます。これだけが本書のメッセージなのです。連続対談の依頼をいただいたとき、経済学者として、いまもっとも伝える必要がある、やや大仰にいえば使命感を感じたのがこの主張です。本書でとりあつかった格差と貧困の問題に一番有効なのは長期的には経済成長、短期的には景気対策です。現在起きている問題にとどまらず、システムとしてのセーフティネット確立のためにも経済成長が必要でしょう。(あとがきより)
●ケインズとハイエク、フリードマンの違い
●経済成長で格差・貧困を吹き飛ばす
●儲けはインチキか?
●年2~2・5%成長は当たり前
●景気がよければ、ダメ企業は淘汰される
●エリート官僚の堕落という幻想
●不人気な成長とインフレ
●日本人の生涯所得を決める最大の要因は?
●なぜ「溜め」は失われたのか?
●正規と非正規が連帯するためには
●格差を解消する累進課税強化
●若者に冷たいメディアと政治
【目次】
1章 高度成長とは何だったのか----戦後日本経済思想の源流と足枷
岡田靖×飯田泰之
2章 戦争よりバブル、希望はインフレ
赤木智弘×飯田泰之(司会・芹沢一也)
3章 何が貧困を救うのか
湯浅誠×飯田泰之(司会・荻上チキ)
【編著者紹介】
芹沢一也(せりざわかずや)
1968年東京生まれ。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了。SYNODOS代表。慶應義塾大学非常勤講師。専門は近代日本思想史、現代社会論。
荻上チキ(おぎうえちき)
1981年兵庫県生まれ。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。批評家、「トラカレ!」主宰。テクスト論、メディア論が専門。
飯田泰之(いいだやすゆき)
1975年東京生まれ。エコノミスト。駒澤大学経済学部准教授。専門は経済政策、マクロ経済学。
岡田靖(おかだやすし)
1955年東京生まれ。内閣府経済社会総合研究所主任研究官。大和総研、クレディスイスファーストボストン(現クレディスイス証券)、学習院大学経済学部特別客員教授を経て、現職。
赤木智弘(あかぎともひろ)
1975年栃木県生まれ。フリーライター。ウェブサイト『深夜のシマネコ』運営。著書に『若者を見殺しにする国』(双風舎)、『「当たり前」をひっぱたく』(河出書房新社)
湯浅誠(ゆあさまこと)
1969年東京生まれ。自立生活サポートセンター・もやい事務局長。『反貧困----「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書)で大佛次郎論壇賞を受賞。08年末から09年年始にかけて、日比谷公園「年越し派遣村」の運営を行う。
登録情報
- 出版社 : 光文社 (2009/6/25)
- 発売日 : 2009/6/25
- 言語 : 日本語
- 新書 : 294ページ
- ISBN-10 : 4334975747
- ISBN-13 : 978-4334975746
- Amazon 売れ筋ランキング: - 265,476位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 21,433位新書
- - 28,787位ビジネス・経済 (本)
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著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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デフレの理由は日銀の無策の結果だというのは確かだろうが、もっと根本的に経済成長に対するジレンマがあるだろう。それは資源の有限性、地球温暖化といった環境問題である。この本はこれらのことに触れていないという指摘がここの他のレビューにもなされている。これは私自身も感じていたことである。しかし、これは極めてマクロな複雑で困難な問題である。現在の日本の危急の問題を考えるとき、このようなマクロの問題を取り込むとおそらく収拾のつかないことになるだろう。このような問題はどのような意見であれ、突っ込みどころは果てしなく次から次へと出てくるものである。それをしていると現在の問題に対応できなくなってくる。これはエントロピーの問題であり、 (ジェレミー・リフキン『エントロピーの法則』などを参照)実に巨大な難問である。
私が最近気づいたことを述べると、経済成長と資源、エネルギー消費の増大は必ずしも一致するわけではない、ということである。さらに言うと経済成長を右肩上がりにし、資源、エネルギー消費を右肩下がりにすることは理論的には完全に可能である。貨幣価値は情報であり、交換される一方も情報ならそれは無限に増大し続けることが可能なのである。ただし、現実には資源、エネルギー消費は付随するので問題は複雑である。反経済成長論者は経済成長=資源、エネルギー消費の増大と決めつけない方が良いと思う。また、単に資源、エネルギー消費を減少させれば良いというものではない。われわれはもうその水準の過去に戻れるわけではないのである。例えば、原発が存在しないエネルギー水準に戻っても、放射性廃棄物を無いものとするわけにはいかない。経済成長がマイナスになっていけば、放射性廃棄物の管理をボランティアでしなければならなくなる-このような事態も想定できるのである。
湯浅誠さんは、底流では繋がっているのかもしれませんが、経済学者への不信感があるのか、警戒している様子が伺えますし、赤木智弘さんとはそもそも議論が噛み合っていないような印象を受けます。それがかえってこういう仕事や試みの意義かもしれませんが。
ただ、最後の鼎談での飯田泰之氏が引越しが多い家庭であった等は、もちろん読む対象を考えての配慮だとは思いますが、蛇足であるように思いました。
妄想に近い仮想敵(例:市場原理主義や新自由主義)を拵え上げ嬉々として総力戦に突入している人々は、その不毛さに早く気づいてくれないものか。問題は、己自身の実態と世界情勢から眼を背ける我々自身にある。事実、太平洋戦争開戦時もそうだったではないか。
○日本は理論闘争が多過ぎ。プラクティカルな工学的発想や実証研究こそ必要
○90年代はメディアも社会党も労組も、政治的閉塞を打破する規制緩和と市場原理を支持していた
○好景気はダメな企業を人手不足で淘汰する
○日本の税制は正社員を優遇し過ぎ、特に退職金を盛大に優遇するから労働者が安定職にしがみつく
○日本のメディアは不況を喜び過ぎ、アメリカの大不況で異様に興奮している
○「反貧困」の湯浅氏は実は増税論者、中間層の増税アレルギーを恐れて黙っている
○日本の専門家には「自分の頭で考えて問題を解決する能力・経験」が乏しい
○実際に格差が開いている若年層の大半は、なぜか格差拡大を悪いと思っていない
これだけ箇条書きにしても、本書の功績が大きいのが分かる。これまでの経済論戦にいかに無駄が多かったことか。。
70年代のイギリスも90年代初頭の北欧も、当時は見る影もなく沈滞していたのだ。現実を直視して、目前の課題から逃げずに正面から取り組めば、必ずや日本経済は成長軌道に復帰できる。それを決して忘れてはならない。
なども主張しておられます。経済学でも非新保守の保守派は90年代から言ってきたこと
ではありますが。ただ思想的面に重点がおかれすぎ、その他の面も庶民の実感、と
いったところで、必ずしも厳密に使えるわけではないです。勿論サブカル評論や思想よりか
は使えるのでしょうけれども。経済学者にしても方法論の違う学者があと6人は欲しい
ところです。どうしても思想系思想系に極端なまだに偏りすぎだと思います。今後に
期待します。
その理由を対談を通して示し、整理しているという形をとっています。
若手マクロ経済学者とエコノミストの岡田靖さん、
フリーター出身評論家の赤木智弘さん、
反貧困活動家の湯浅誠さんの対談は、
それぞれのバックグランド・考え方が違うこともあり、
面白い議論になっていると思います。
齟齬がなんなのかという点が明確になり、
それゆえ問題点の理解もしやすくなります。
飯田さんにはドライすぎる感じがありますが、
有効な政策を導くための技術屋としての経済学者には必要なことで、
センチメンタルでは議論を確からしくするのは難しいのは
確かにそのとおりだと思いました。
また、難しい話をシンプルでわかりやすい言葉で語っています。
ケインズは「病気の人には治療が必要である」といって、
フリードマンは「健康な人間は、鍛えるともっと健康になれる」といっている。
というのはわかりやすいたとえ話でした。
飯田氏の本はいつも詰めがあまい。
結局、いまさらのインタゲをやれという話と、
「そんな土地にしがみつくな、さっさと移住しろ」と
東京などの政令指定都市への移住を勧める内容になってしまっています。
田園都市線がこれ以上混んだら、駒大に行くのも一苦労ではないかと、
心配してしまいます。
結局、経済学なんてしょせん役に立たないと思わせてしまう逆効果を招きかねない
編集者のセンスが問われる一冊ですね。
私は正直この著者の顔ぶれで経済成長の必要を説くような書名に初めいくらかの疑問を持った。なんとなく平等主義的な左派は経済成長や競争を批判する傾向が強いイメージがあったし経済成長が必要なんだよと頑固に説き競争に動員するような人はむしろ反平等主義的な人が多いようなイメージがあったからだ。しかし本書の実態はそんな偏見からの違和感とは無縁であり、一貫して平等主義的な色彩、機能する分配への意志が見られ、一部で話題のベーシックインカムにも極めて好意的な評価がされる。本書の主張は経済成長が必要なので皆バンバン働いて競争しろといった新自由主義的なものではなく、経済成長の恩恵は確かなものであり、経済成長は必要だが同時に分配や平等も欠かせない。両方やりましょう、という話である。
このような主張は新自由主義とそれに対抗する立場のいいとこ取りないし、どっちつかずに見えるかもしれない。著者の内の中心人物である経済学者、飯田氏はそれに関連して新自由主義、ハイエク、フリードマンといった経済学の立場と、ケインズのような立場を安易に対立するものとして二項対立的に片方の肩だけを持つ事は賢明ではないと言う。現在論壇の多くで交わされる経済的な議論は純粋に経済学的な議論ではなく、経済理論的な、もっと言えばイデオロギー的な対立に終始しており、この状況では経済学は本領を発揮する事が出来ないらしい。というのも飯田氏によれば経済学は価値判断や思想よりは、目的達成のための手段の理論、ツールとしての役割に特化した学問であるからだそうだ。著者によれば新自由主義的なハイエクと社民主義的なケインズは対立も矛盾もしていない。ただ景気が悪く社会が風邪をひいてる時は無理に競争させず薬を飲んで(ケインズ)調子がいい時はバンバン競争して成長しよう(ハイエク)という状況に応じた使い分けをする事が賢明なのだ。…といった事が語られる。だから飯田氏は今はニューケインジアンだが景気などが変わればコロリと立場を変えうるとも堂々と述べる。このような飯田氏の主張は全面的に正しいとは言えないのかもしれないが、兎にも角にもケインズとハイエク・フリードマンは真っ向から対立し相成りえないというイメージに囚われている人には本書はなかなか刺激的で新しい観点を与えるものになるだろうし、分配問題、平等問題について考える際にも有意義な本となるだろう。
尚、当サイトの著者の並べ方では芹沢氏が中心ないし全員が同じくらいに活躍する対談本かのような誤解を与える可能性があるが、実際は飯田氏が芹沢氏、岡田氏、赤木氏、湯浅氏と順々に対談し最後にチキ氏を交えてまとめるという、飯田氏中心の対談本と言うべき内容である。