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プルーストと過ごす夏 単行本(ソフトカバー) – 2017/2/16
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- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2017/2/16
- 寸法13.8 x 2.3 x 19.5 cm
- ISBN-104334979157
- ISBN-13978-4334979157
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登録情報
- 出版社 : 光文社 (2017/2/16)
- 発売日 : 2017/2/16
- 言語 : 日本語
- ISBN-10 : 4334979157
- ISBN-13 : 978-4334979157
- 寸法 : 13.8 x 2.3 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 446,821位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 75,868位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年8月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「フランスの労働者は一年間に五週間の休暇をとる権利があり、クリスマス休暇を別にして、夏休みは四週間ほど休むのがふつうである」と編者のローラは註記して、甘美な時の流れに身を任せてプルーストとともに夏季休暇を過ごそうと呼びかける。それを導いてくれるのが八人のプルースト通の学者である。各章に、さわりをプルーストから引用しながら、読みどころを示してくれる。それらを呼んだだけで、本文を読みたくなる。コロナ禍のおうち時間の長い条件は、プルーストの読書を進める人を増やすであろうか。
2017年4月7日に日本でレビュー済み
長い期間をかけて『失われた時を求めて』(マルセル・プルースト著、鈴木道彦訳、集英社、全13巻)を読み終えた時、私が感じたのは、プルーストは最終篇「見いだされた時」が書きたくて、この長大な小説を書いたのだなということであった。
この私の印象が間違っていないかを確かめたくて、『プルーストと過ごす夏』(アントワーヌ・コンパニョン、ジュリア・クリステヴァ他著、光文社)を手にしたのである。
本書では、『失われた時を求めて』の練達の読み手8人が、それぞれが得意とするテーマ――「時間」「登場人物」「プルーストと社交界」「愛」「想像界」「場所」「プルーストと哲学者たち」「プルーストと芸術」――について、縦横無尽に語っている。
私がとりわけ興味を惹かれたのは、「時間」と「愛」の章である。
驚くべき内情が明らかにされている。「もし彼(プルースト)がもっと長く生きていれば、この本は3千ページではなく4千ページになっていた可能性すらある。『囚われの女』と『消え去ったアルベルチーヌ』と『見いだされた時』は、もっと増えていたかもしれないのだ」。
「『見いだされた時』で、語り手は、病気のために戦争中何年ものあいだ留守にしていたパリに戻る。ゲルマント大公夫人の家に招かれた彼は、かつて知っていた人たちがことごとく年老いているのを目の当たりにする。長い時の流れは、ついにこの『仮装パーティー』で終局を迎えるのだ。文学の中に自分の道を見いだしたばかりの主人公は、悲愴であると同時に歓喜に満ちたこの『仮装パーティー』で、ほかの人たちよりも優位に立ったような感情を抱く。自分が彼らのことを語り、彼らを忘却から救い出し、死者を祀る記念碑を建ててやろうと、彼は思う」。ここでいう「仮装」とは、時の経過により、登場人物たちが肉体的、精神的に、また身分の上でも、大きく変貌してしまったことを表現したものである。
「プルーストは、『目に見えない時間というものの実体』を言葉で書き写したいと思っていた。そしてそれに成功している」。
「主人公の成長と老化こそ、この物語の導きの糸なのだ」。
「1950年代になって、(手書きの)草稿資料が刊行されたとき、人々はプルーストが驚くべき仕事の鬼だったことを知ったのである」。
「時の流れに、われわれは幻惑される。われわれが何をしたところで、そこからは逃れられない。だが、『失われた時を求めて』は、その時を意のままにする。なぜなら、『見いだされた時』で、語り手は、この無意志的記憶を文学の原動力にする方法を発見するからだ。第1篇『スワン家のほうへ』から最終篇『見いだされた時』までのあいだに、いわばその解の過程がある」。
「プルーストは、書き出しを書いたすぐあとに結末部を書いたと言っている。だがこれはやや誇張しすぎである。・・・彼はもう文学の、生と死を贖ってくれる、贖罪の役割に気がついている。この意味で、『失われた時を求めて』は幸福な書物だ。幸せな終わりを迎える本なのである」。
「『失われた時を求めて』は、まずは失望と喪失の小説として現れる。だがそのあとに、もう少し晴れやかな未来の約束が待っている。『見いだされた時』は、純粋状態の時が到来し、時間の順序が乗り越えられて、過去を取り戻すという展望を語っているもののように見えるからだ。語り手は、ついに時から解放される。『時の外に』立つ。だが、その直後、『仮装パーティー』で、彼はまたしても時の中に落ち込む。目の前には、年齢や病気や老化によって変質した、死を控えた仮面がずらりと並んでいるのだから。ひとり語り手だけが、いやむしろ、ひとり文学だけが、やがて時を超えることができるのである。・・・そしてそれは、希望で締めくくられる」。
「時間」の章のアントワーヌ・コンパニョンのこの見解は、いささか楽観的過ぎるように私には思える。最終章のゲルマント邸のマチネー(午後の集い)の場面に至って、語り手が時の流れという抗い難い圧倒的な力を目にして打ちのめされ、時というものの生態を文学という形で描いておかねばと決意を固めたことは確かだが、ここで語り手の胸の奥の襞に分け入ってみよう。いよいよ小説に取りかかるぞという昂揚感と同時に、他の人々と同じように時の風化作用を受けている自分にその時間が残されているのかという不安に駆られていたのではないだろうか。
プルーストの愛については、プルーストが自らの同性愛の経験を物語の中では異性愛に置き換えているため、正直言って、『失われた時を求めて』を読んでいる間中、違和感が始終私に付きまとっていた。同性愛を非難しているわけではなく、感覚的に私には理解できないからである。そこで、異性愛であろうと同性愛であろうとこの感情は同じと思われる「嫉妬」に注目してみた。
「嫉妬はさまざまな形で説明されうる。一般的に言うと、愛のためにわれわれは一人の他人を必要不可欠なものと感じ、その人を失うことにも、その人から愛されなくなることにも耐えられないという気持ちを抱くようになる。これが嫉妬の生まれる根本である。その人が自分のものでなくなるというこの感情に加えて、自己愛が傷つけられるということもある。自分のことを拒否した人が、ほかの人のものになることを受け入れるのを見ることになるからである。ほかの誰かが自分を押しのけ、自分の場所を奪ってしまう。愛する者を失った絶望が、その時、恨みや悔しさから来る怒りによって、ますます激しい苦しみの感情となる」。
「嫉妬とは想像力の生み出す精神の病理だからである。疑いのないところに嫉妬は生まれないように、想像力のないところに疑いは生まれない。ところで、『疑い』の特性とは、こういうことがあり得るかもしれないという可能性に対するわれわれの想像が、われわれが現実について持っているイメージをずたずたに引き裂いてしまうことである。愛する女が視界からいなくなるやいなや、われわれはあらゆることを想像する。彼女は今どこにいるのか。何をしているのか。誰といるのか。どんな様子なのか。嫉妬深い男はこうして相手の男を思い描く」。
「嫉妬の最も秘められた強靭さをわれわれに教えてくれるのは、おそらく語り手が持っているあの強迫観念だろう。語り手は、アルベルチーヌがもう死んでしまった後までも、彼女の人生のどんな詳細も掘り起こし、見つけ出そうとする。・・・アルベルチーヌとは、いったい何者だったのか。私は、いったい誰を愛していたのか。自分の人生をある人に捧げたのに、実はその人は存在していなかったとするなら、私の人生はいったい何だったのだろう。私はただ夢を見ていただけなのか。嫉妬はこうして、愛する人への疑いばかりでなく、ついにはわれわれの現実について疑い、われわれが生きていると思い込んでいた現実についての疑いにまで行き着く」。私自身の過去の嫉妬経験がまざまざと甦ってきて、息苦しくなってしまった。
プルースト・ファンには見逃すことのできない一冊である。
この私の印象が間違っていないかを確かめたくて、『プルーストと過ごす夏』(アントワーヌ・コンパニョン、ジュリア・クリステヴァ他著、光文社)を手にしたのである。
本書では、『失われた時を求めて』の練達の読み手8人が、それぞれが得意とするテーマ――「時間」「登場人物」「プルーストと社交界」「愛」「想像界」「場所」「プルーストと哲学者たち」「プルーストと芸術」――について、縦横無尽に語っている。
私がとりわけ興味を惹かれたのは、「時間」と「愛」の章である。
驚くべき内情が明らかにされている。「もし彼(プルースト)がもっと長く生きていれば、この本は3千ページではなく4千ページになっていた可能性すらある。『囚われの女』と『消え去ったアルベルチーヌ』と『見いだされた時』は、もっと増えていたかもしれないのだ」。
「『見いだされた時』で、語り手は、病気のために戦争中何年ものあいだ留守にしていたパリに戻る。ゲルマント大公夫人の家に招かれた彼は、かつて知っていた人たちがことごとく年老いているのを目の当たりにする。長い時の流れは、ついにこの『仮装パーティー』で終局を迎えるのだ。文学の中に自分の道を見いだしたばかりの主人公は、悲愴であると同時に歓喜に満ちたこの『仮装パーティー』で、ほかの人たちよりも優位に立ったような感情を抱く。自分が彼らのことを語り、彼らを忘却から救い出し、死者を祀る記念碑を建ててやろうと、彼は思う」。ここでいう「仮装」とは、時の経過により、登場人物たちが肉体的、精神的に、また身分の上でも、大きく変貌してしまったことを表現したものである。
「プルーストは、『目に見えない時間というものの実体』を言葉で書き写したいと思っていた。そしてそれに成功している」。
「主人公の成長と老化こそ、この物語の導きの糸なのだ」。
「1950年代になって、(手書きの)草稿資料が刊行されたとき、人々はプルーストが驚くべき仕事の鬼だったことを知ったのである」。
「時の流れに、われわれは幻惑される。われわれが何をしたところで、そこからは逃れられない。だが、『失われた時を求めて』は、その時を意のままにする。なぜなら、『見いだされた時』で、語り手は、この無意志的記憶を文学の原動力にする方法を発見するからだ。第1篇『スワン家のほうへ』から最終篇『見いだされた時』までのあいだに、いわばその解の過程がある」。
「プルーストは、書き出しを書いたすぐあとに結末部を書いたと言っている。だがこれはやや誇張しすぎである。・・・彼はもう文学の、生と死を贖ってくれる、贖罪の役割に気がついている。この意味で、『失われた時を求めて』は幸福な書物だ。幸せな終わりを迎える本なのである」。
「『失われた時を求めて』は、まずは失望と喪失の小説として現れる。だがそのあとに、もう少し晴れやかな未来の約束が待っている。『見いだされた時』は、純粋状態の時が到来し、時間の順序が乗り越えられて、過去を取り戻すという展望を語っているもののように見えるからだ。語り手は、ついに時から解放される。『時の外に』立つ。だが、その直後、『仮装パーティー』で、彼はまたしても時の中に落ち込む。目の前には、年齢や病気や老化によって変質した、死を控えた仮面がずらりと並んでいるのだから。ひとり語り手だけが、いやむしろ、ひとり文学だけが、やがて時を超えることができるのである。・・・そしてそれは、希望で締めくくられる」。
「時間」の章のアントワーヌ・コンパニョンのこの見解は、いささか楽観的過ぎるように私には思える。最終章のゲルマント邸のマチネー(午後の集い)の場面に至って、語り手が時の流れという抗い難い圧倒的な力を目にして打ちのめされ、時というものの生態を文学という形で描いておかねばと決意を固めたことは確かだが、ここで語り手の胸の奥の襞に分け入ってみよう。いよいよ小説に取りかかるぞという昂揚感と同時に、他の人々と同じように時の風化作用を受けている自分にその時間が残されているのかという不安に駆られていたのではないだろうか。
プルーストの愛については、プルーストが自らの同性愛の経験を物語の中では異性愛に置き換えているため、正直言って、『失われた時を求めて』を読んでいる間中、違和感が始終私に付きまとっていた。同性愛を非難しているわけではなく、感覚的に私には理解できないからである。そこで、異性愛であろうと同性愛であろうとこの感情は同じと思われる「嫉妬」に注目してみた。
「嫉妬はさまざまな形で説明されうる。一般的に言うと、愛のためにわれわれは一人の他人を必要不可欠なものと感じ、その人を失うことにも、その人から愛されなくなることにも耐えられないという気持ちを抱くようになる。これが嫉妬の生まれる根本である。その人が自分のものでなくなるというこの感情に加えて、自己愛が傷つけられるということもある。自分のことを拒否した人が、ほかの人のものになることを受け入れるのを見ることになるからである。ほかの誰かが自分を押しのけ、自分の場所を奪ってしまう。愛する者を失った絶望が、その時、恨みや悔しさから来る怒りによって、ますます激しい苦しみの感情となる」。
「嫉妬とは想像力の生み出す精神の病理だからである。疑いのないところに嫉妬は生まれないように、想像力のないところに疑いは生まれない。ところで、『疑い』の特性とは、こういうことがあり得るかもしれないという可能性に対するわれわれの想像が、われわれが現実について持っているイメージをずたずたに引き裂いてしまうことである。愛する女が視界からいなくなるやいなや、われわれはあらゆることを想像する。彼女は今どこにいるのか。何をしているのか。誰といるのか。どんな様子なのか。嫉妬深い男はこうして相手の男を思い描く」。
「嫉妬の最も秘められた強靭さをわれわれに教えてくれるのは、おそらく語り手が持っているあの強迫観念だろう。語り手は、アルベルチーヌがもう死んでしまった後までも、彼女の人生のどんな詳細も掘り起こし、見つけ出そうとする。・・・アルベルチーヌとは、いったい何者だったのか。私は、いったい誰を愛していたのか。自分の人生をある人に捧げたのに、実はその人は存在していなかったとするなら、私の人生はいったい何だったのだろう。私はただ夢を見ていただけなのか。嫉妬はこうして、愛する人への疑いばかりでなく、ついにはわれわれの現実について疑い、われわれが生きていると思い込んでいた現実についての疑いにまで行き着く」。私自身の過去の嫉妬経験がまざまざと甦ってきて、息苦しくなってしまった。
プルースト・ファンには見逃すことのできない一冊である。
2017年3月25日に日本でレビュー済み
プルーストは20世紀を代表する大作家に違いないが、畢生の大作『失われた時を求めて』は、哲学的な内容もさることながら、気の遠くなるような長さからも決して近付き易い作品ではない。本書はフランスのラジオ番組が元になったプルースト入門だが、わかり易く語るということが必ずしもレベルを落とすことと同義でないことを思い知る。こんなラジオ番組が成立するというのもお国柄だろうか、日本ではちょっと考えにくい。プルーストの多面的な魅力をバランスよく配した構成も秀逸で、プロデューサーの力量を感じさせる。そして有難いのはプルーストの文章がかなりの長文でふんだんに引用されていることだ。確かに『失われた時を求めて』は大病で入院でもしない限り読破するのは容易でない。評者も井上究一郎訳で「スワン家の方へ」と「見出された時」、あとは鈴木道彦の抄訳しか読んでないが、全部でなくとも直にその文章を味読することが最良のプルースト入門であると改めて感じた。引用は原則として光文社から刊行中の高橋弘美訳だが、井上訳や鈴木訳と比べても随分読み易く日本語としてのリズムと格調を重んじた好訳である。ちなみに執筆者の一人コンパニョンは同じラジオ局の番組を元に『
寝るまえ5分のモンテーニュ 「エセー」入門
』を書いており、こちらもお勧めだ。
簡単に内容を紹介するが、個人的には一、四、五、七章が特に面白かった。
【第一章】一かけらのマドレーヌの味というはかなく消え去るものが永遠へと通じている。この有名なエピソードを軸に無意志的記憶を介して文学が時を越えるという核心的なテーマを論じる。
【第二章】五百人近い登場人物を通じてあらゆる階層の社会が描き出されるこの小説の今一つの魅力を語る。
【第三章】社交界のスノビズムへの風刺、それは同時にプルーストの自己風刺でもある。
【第四章】愛はそれが成就しないからこそ成立し、成就とともに退屈に変わるという残酷な欲望と恋愛の心理学。
【第五章】プルーストにとって書くということの意味を問う。生の意味は外部にあるのではなく想像する力のうちにある。書くこととは過去の再創造であり、経験の残り滓のような現実を言葉によって凌駕することである。
【第六章】コンブレーを始めとするこの小説の舞台となった重要な場所について。
【第七章】ベルクソンやニーチェなどの哲学者との対比。芸術が苦しみをむしろ興味深いものに変えてくれるという発想にニーチェとの共通性を見出す視点は新鮮だ。
【第八章】音楽や絵画の美、さらには言語芸術の美についてのプルーストの思想。
蛇足だが七章を担当するラファエル・アントーヴェンは1975年生まれの若い世代を代表する哲学者。エリック・クラプトンやミック・ジャガーとも浮名を流したカーラ・ブルーニ(サルコジ元大統領夫人)との不倫歴もあるというツワモノだが、本業の方でもかなりの実力者と見た。シャープな論理と軽快な語り口は中々のもので、どこかの国に多い中身の薄いイケ面タレント文化人とは随分違う。この他有名どころでは上記のコンパニョン(第一章)、プルーストの伝記作者ジャン=イヴ・タディエ(第二章)、構造主義のテクスト論で知られるクリステヴァ(第五章)等が執筆に加わっている。
参考までに評者の知り得たプルースト論で手頃なお奨めを数冊挙げておく。コンパクトな入門書で全訳者の鈴木道彦による『 プルーストを読む (集英社新書) 』、哲学的なプルースト論として定評のある保苅瑞穂『 プルースト・印象と隠喩 (ちくま学芸文庫) 』、世紀末の風俗の中にプルーストを位置づけて論じた海野弘『 プルーストの部屋(中公文庫) 』、プルーストそのものを扱ったものではないが日本文藝における時間の問題を論じた九鬼周造『 時間論 他二篇 (岩波文庫) 』。九鬼の時間論は「見出された時」出版の翌年(1928年)に仏語で行った講演であり、日本人によるプルースト論の嚆矢と言えるが、橘の匂いに「永遠の今」を感得した芭蕉の一句にプルーストを重ね合わせる興味深い論考だ。
簡単に内容を紹介するが、個人的には一、四、五、七章が特に面白かった。
【第一章】一かけらのマドレーヌの味というはかなく消え去るものが永遠へと通じている。この有名なエピソードを軸に無意志的記憶を介して文学が時を越えるという核心的なテーマを論じる。
【第二章】五百人近い登場人物を通じてあらゆる階層の社会が描き出されるこの小説の今一つの魅力を語る。
【第三章】社交界のスノビズムへの風刺、それは同時にプルーストの自己風刺でもある。
【第四章】愛はそれが成就しないからこそ成立し、成就とともに退屈に変わるという残酷な欲望と恋愛の心理学。
【第五章】プルーストにとって書くということの意味を問う。生の意味は外部にあるのではなく想像する力のうちにある。書くこととは過去の再創造であり、経験の残り滓のような現実を言葉によって凌駕することである。
【第六章】コンブレーを始めとするこの小説の舞台となった重要な場所について。
【第七章】ベルクソンやニーチェなどの哲学者との対比。芸術が苦しみをむしろ興味深いものに変えてくれるという発想にニーチェとの共通性を見出す視点は新鮮だ。
【第八章】音楽や絵画の美、さらには言語芸術の美についてのプルーストの思想。
蛇足だが七章を担当するラファエル・アントーヴェンは1975年生まれの若い世代を代表する哲学者。エリック・クラプトンやミック・ジャガーとも浮名を流したカーラ・ブルーニ(サルコジ元大統領夫人)との不倫歴もあるというツワモノだが、本業の方でもかなりの実力者と見た。シャープな論理と軽快な語り口は中々のもので、どこかの国に多い中身の薄いイケ面タレント文化人とは随分違う。この他有名どころでは上記のコンパニョン(第一章)、プルーストの伝記作者ジャン=イヴ・タディエ(第二章)、構造主義のテクスト論で知られるクリステヴァ(第五章)等が執筆に加わっている。
参考までに評者の知り得たプルースト論で手頃なお奨めを数冊挙げておく。コンパクトな入門書で全訳者の鈴木道彦による『 プルーストを読む (集英社新書) 』、哲学的なプルースト論として定評のある保苅瑞穂『 プルースト・印象と隠喩 (ちくま学芸文庫) 』、世紀末の風俗の中にプルーストを位置づけて論じた海野弘『 プルーストの部屋(中公文庫) 』、プルーストそのものを扱ったものではないが日本文藝における時間の問題を論じた九鬼周造『 時間論 他二篇 (岩波文庫) 』。九鬼の時間論は「見出された時」出版の翌年(1928年)に仏語で行った講演であり、日本人によるプルースト論の嚆矢と言えるが、橘の匂いに「永遠の今」を感得した芭蕉の一句にプルーストを重ね合わせる興味深い論考だ。
2022年9月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は、文学作品はガイド本などは読まずに直接原典を読むべきだという主義だが、プルーストの『失われた時を求めて』に限ってはそうもいかない。なんといっても長大な作品だし、登場人物も多数で、文学や芸術の浩瀚な知識を踏まえた伏線が張り巡らされている。
ただし、あらすじ紹介ではなく、原典の理解を深め、興味を持続させるようなガイド本が望ましい。
本書はプルースト研究者や作家、哲学者ら超一流の講師8人によるラジオ講座を編集したものである。
訳者解説によると、「2013年7月1日から8月23日までの月曜から金曜、8週にわたって、毎週1人ずつ」(ジェローム・プリウールの週だけは水・木・金の3回)講義されたということなので、38日間の講義ということになる。各講師ごとに大テーマを設定し、これを5日間に分割して1日ごとに小テーマの解説と対応する原文のかなり長い紹介がつけられている。原文はプロの朗読者によって朗読されたのであろうか。
いわば夏休みの集中講義という観があるが、このような贅沢な番組が放送されるのはさすがはフランスである。ただし、これはプルースト人気の高さを示すものであるとともに、『失われた時を求めて』を全文読んだ人がフランスでも少ないことを反映した夏休みの読書案内なのだろう。
ちなみに、各章の大テーマと講師を掲げる。
第一章 時間 アントワーヌ・コンパニョン(プルースト研究者)
第二章 登場人物 ジャン゠イヴ・タディエ(プルースト研究者)
第三章 プルーストと社交界 ジェローム・プリウール(作家)
第四章 愛 ニコラ・グリマルディ(哲学者)
第五章 想像界 ジュリア・クリステヴァ(文学理論、精神分析)
第六章 場所 ミシェル・エルマン(作家、哲学者)
第七章 プルーストと哲学者たち ラファエル・アントーヴェン(作家、哲学者)
第八章 プルーストと芸術 アドリアン・グーツ(作家、美術史家)
ラジオ講義を編集したものなので読みやすいし、どこから読んでもかまわない。
『失われた時を求めて』を読み進める合間に、気になるところを併読するつもりだ。
ただし、あらすじ紹介ではなく、原典の理解を深め、興味を持続させるようなガイド本が望ましい。
本書はプルースト研究者や作家、哲学者ら超一流の講師8人によるラジオ講座を編集したものである。
訳者解説によると、「2013年7月1日から8月23日までの月曜から金曜、8週にわたって、毎週1人ずつ」(ジェローム・プリウールの週だけは水・木・金の3回)講義されたということなので、38日間の講義ということになる。各講師ごとに大テーマを設定し、これを5日間に分割して1日ごとに小テーマの解説と対応する原文のかなり長い紹介がつけられている。原文はプロの朗読者によって朗読されたのであろうか。
いわば夏休みの集中講義という観があるが、このような贅沢な番組が放送されるのはさすがはフランスである。ただし、これはプルースト人気の高さを示すものであるとともに、『失われた時を求めて』を全文読んだ人がフランスでも少ないことを反映した夏休みの読書案内なのだろう。
ちなみに、各章の大テーマと講師を掲げる。
第一章 時間 アントワーヌ・コンパニョン(プルースト研究者)
第二章 登場人物 ジャン゠イヴ・タディエ(プルースト研究者)
第三章 プルーストと社交界 ジェローム・プリウール(作家)
第四章 愛 ニコラ・グリマルディ(哲学者)
第五章 想像界 ジュリア・クリステヴァ(文学理論、精神分析)
第六章 場所 ミシェル・エルマン(作家、哲学者)
第七章 プルーストと哲学者たち ラファエル・アントーヴェン(作家、哲学者)
第八章 プルーストと芸術 アドリアン・グーツ(作家、美術史家)
ラジオ講義を編集したものなので読みやすいし、どこから読んでもかまわない。
『失われた時を求めて』を読み進める合間に、気になるところを併読するつもりだ。