建前上は書評集という体をとっているが、取り上げられている本は架空のものであり、
実際に存在しないのだが、二次創作やヒット作の二番煎じを狙うフォロワーに対する
アイロニーは、現代において、雨後の筍のように量産されている異世界転生チートものの
ライトノベル(その多くは『現代社会ではマイノリティの主人公の想定外の死』『神による
異世界転生』『偶然出会った美少女を助ける』『現代社会の知識でチートし放題』
『現代社会では叶わなかった社会的地位の構築』というテンプレートで成立している)全般に
あてはまると言えるし、コンセプトそのものもまた、かつて『伊集院光・深夜の馬鹿力(TBSラジオ)』で
展開されていた『3点ゲーム』という、週刊ファミ通のレビューで10点満点中3点が付けられるで
あろう架空のゲームのレビュー(ただ実際はクソゲー全般に対するアイロニーに集約されていた)を
紹介するコーナーにも相通ずるものがある。
『あなたにも本が作れます』は、古典文学をマッシュアップすることによって素人でも小説が書けると
謳ったツールだが、数十年後実際に小説を書くAIが登場し、一次選考を通過するようになるという
まさかの展開をあたかもレム自身が予想していたかのような評であり、先見の明に驚かされる。
また、『てめえ』においては、文学は芸術という側面を持ちながら、作者は本を売るために読者に
媚を売らなければならないという、純文学原理主義者と異世界チートラノベ作者たちにとって
耳が痛くなる厳然たる事実を突きつけている。言うまでもなく後者を著者は意識したわけではないと思うが。
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完全な真空 (文学の冒険シリーズ) 単行本 – 1989/12/1
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誇大妄想的宇宙論からヌーヴォーロマンのパロディ評まで、16冊の架空の書物を論じたペダンティックな仕掛けに満ちた書評集。「ポスト・ボルヘス的書物」とカート・ヴォネガットの絶讃を浴びた異色の作品集。
- 本の長さ309ページ
- 言語日本語
- 出版社国書刊行会
- 発売日1989/12/1
- ISBN-104336024707
- ISBN-13978-4336024701
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登録情報
- 出版社 : 国書刊行会 (1989/12/1)
- 発売日 : 1989/12/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 309ページ
- ISBN-10 : 4336024707
- ISBN-13 : 978-4336024701
- Amazon 売れ筋ランキング: - 580,149位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 108,805位文学・評論 (本)
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2017年7月21日に日本でレビュー済み
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2012年12月7日に日本でレビュー済み
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架空の本の書評集というボルヘス的な趣向で、奇想・パロディ色が強いユーモラスなSF短篇集として読める。
自分の出生の確率を太古の昔にまで遡って算出しようとして、その不可能性を立証してしまう男の話、
コンピュータ内の仮想世界で数学を環境として進化する人工生命が神学論争を繰り広げる話、
この宇宙の自然現象と物理法則は理性的な存在たちによる意図的なゲームの産物だとする珍説の話などは非常に面白い。
自分の出生の確率を太古の昔にまで遡って算出しようとして、その不可能性を立証してしまう男の話、
コンピュータ内の仮想世界で数学を環境として進化する人工生命が神学論争を繰り広げる話、
この宇宙の自然現象と物理法則は理性的な存在たちによる意図的なゲームの産物だとする珍説の話などは非常に面白い。
2013年5月23日に日本でレビュー済み
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本作は、架空の本の書評という、なんとも人を食ったような考えで作られた作品。その架空の本というものも、一癖も二癖もあるような(実際にはそんな本ないんだけど)内容の本。そして、それをさらに、著者の多彩な知識と言葉の洪水によって評価していく。本来、書評というものは、それを書く人も読む人も、紹介されている本に何らかの形で縛られてしまう。だけど、この架空の書評は、それを見事に反転してみせた。中心が完全な真空だからこそ、書く人も読む人も、自由に思うがままそこに描きたいものを描くことができてしまう。久々に、本物のフィクションを見たような感動があった。
2005年1月30日に日本でレビュー済み
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巻末の『新しい宇宙創造説』はぜひともじっくり読んでみてください。
哲学者アヘロプーロスの書いた『新しい宇宙創造説』を元に、
物理学者テスタ教授が発表した新しい宇宙論とは、ビックバン宇宙論を
否定し、自然現象や物理法則は全て《宇宙創造ゲーム》の結果である、
とする革命的なものです。その上でなぜ宇宙は膨張しているのか、なぜ
時間は逆行できないのか、宇宙の沈黙の謎、つまりなぜ知的生命から
のコンタクトがないのか、なぜエントロピーは増大するのか、なぜ光速
を超える移動できないのか等の問題に鮮やかに解答を出しています。
数式を一切用いず平易な言葉で書かれていますが、内容は科学的な
学説に匹敵するものではないでしょうか。
物理学者や天文学者がSFを書いてもお遊びにすぎませんが、
SF作家が本業のレムが作品として『新しい宇宙創造説』を書いては、
科学の異端論を発表したとして、反論の矢面に立たされてしまいます。
そこで彼は実在しない本の中でその説を発表することにしたのであり、
沈黙を守りながら書くという荒業に成功したのです。そのことは巻頭の
『完全な真空』自体の書評の中で種明かしされています。
実際『新しい宇宙創造説』は例外的に書評の形をとっていません。
その理由は明白で、『新しい宇宙創造説』こそがこの本の主要作品なの
であり、架空の本の書評集という形にしたのは、その巻頭に『完全な真
空』自体の書評を掲載することで、『完全な真空』なる本は存在しない
ということにするためなのです!存在しない本の中でだったら、科学の
常識を根底から覆すようなことも活字にできるというわけです!
レムが80年代にノーベル賞受賞を逃したことは非常に残念です。
実はアヘロプーロスとは他ならぬレム自身のことで、この作品を読んで
物理学に革命を起こし、自説の真価を証明してくれるテスタ教授の出現
を待っているのかもしれませんね。
哲学者アヘロプーロスの書いた『新しい宇宙創造説』を元に、
物理学者テスタ教授が発表した新しい宇宙論とは、ビックバン宇宙論を
否定し、自然現象や物理法則は全て《宇宙創造ゲーム》の結果である、
とする革命的なものです。その上でなぜ宇宙は膨張しているのか、なぜ
時間は逆行できないのか、宇宙の沈黙の謎、つまりなぜ知的生命から
のコンタクトがないのか、なぜエントロピーは増大するのか、なぜ光速
を超える移動できないのか等の問題に鮮やかに解答を出しています。
数式を一切用いず平易な言葉で書かれていますが、内容は科学的な
学説に匹敵するものではないでしょうか。
物理学者や天文学者がSFを書いてもお遊びにすぎませんが、
SF作家が本業のレムが作品として『新しい宇宙創造説』を書いては、
科学の異端論を発表したとして、反論の矢面に立たされてしまいます。
そこで彼は実在しない本の中でその説を発表することにしたのであり、
沈黙を守りながら書くという荒業に成功したのです。そのことは巻頭の
『完全な真空』自体の書評の中で種明かしされています。
実際『新しい宇宙創造説』は例外的に書評の形をとっていません。
その理由は明白で、『新しい宇宙創造説』こそがこの本の主要作品なの
であり、架空の本の書評集という形にしたのは、その巻頭に『完全な真
空』自体の書評を掲載することで、『完全な真空』なる本は存在しない
ということにするためなのです!存在しない本の中でだったら、科学の
常識を根底から覆すようなことも活字にできるというわけです!
レムが80年代にノーベル賞受賞を逃したことは非常に残念です。
実はアヘロプーロスとは他ならぬレム自身のことで、この作品を読んで
物理学に革命を起こし、自説の真価を証明してくれるテスタ教授の出現
を待っているのかもしれませんね。
2020年1月9日に日本でレビュー済み
偽書評集で構成された本作品は前代未聞である。レムにとって自分の作品を創作することは、自分の作品に拘束される点において自由を喪失し、書評を書くという行為は他人の作品に拘束されることによって自由を喪失する。では架空の作品の書評(偽書評)はどうか?そもそも誰の作品でもないのだから、拘束されるものは何もなく、自由を喪失することもない。著者の論理によってはその通りであるけれども、架空の作品を自分で創作しなければ書評が書けない。ということは、結局自分の作品を創作することによって、作品に拘束されるので、偽書評を創作することも自由を喪失することを意味するのである。
もっとも、こういう自己撞着に陥ることを十分承知の上で、レムは衒学的な言葉遊びを楽しみながら、本作への創作意欲を語るのである。これがレムなのだ。数学、ゲーム理論、物理学、言語学、哲学、何でもありなのが本作である。換言すれば、ある種の言語実験が本作である。読者はレムに翻弄されながら、さ迷い、最後は煙に巻かれる。それで良い。本作は真理を得るための書物ではなく、言語的宇宙旅行を楽しむ本である。理解できなくても良い。というか、理解しなくても良い本だ。
こういう本が会っても良い。
お勧めの一冊だ。
もっとも、こういう自己撞着に陥ることを十分承知の上で、レムは衒学的な言葉遊びを楽しみながら、本作への創作意欲を語るのである。これがレムなのだ。数学、ゲーム理論、物理学、言語学、哲学、何でもありなのが本作である。換言すれば、ある種の言語実験が本作である。読者はレムに翻弄されながら、さ迷い、最後は煙に巻かれる。それで良い。本作は真理を得るための書物ではなく、言語的宇宙旅行を楽しむ本である。理解できなくても良い。というか、理解しなくても良い本だ。
こういう本が会っても良い。
お勧めの一冊だ。
2012年2月29日に日本でレビュー済み
ロラン・バルトは『エッセ・クリティック』において「メタ書物」という概念について語っている。
いわば文学をたえず明日に延ばして、いつまでも いまに書くぞと宣言し、この宣言そのものを文学と化す[……]。(「文学と記述言語」p142)
端的な言い方をするならば、これは要するに「書かない」ということである。何を書くか、どのように書くか、そのことばかりを言い続け、しかしそれを決して文字として固定しない。それが理想の文学のあり方ではないか、とバルトは述べているのだ。何故にそれが理想か。何故ならその文学は、常に流動的であるからだ。流動的であるが故に、いかなる形式の批評でも成功しない。つまりは固定した解釈を許さない。別の言い方をすれば無限に多様な解釈を許容するということでもある。
レムはバルトと逆である。逆でありながらバルトと同じ地点を目指す。存在しない書物の批評によって。それは「非=在」の指示である。「そこだよ」と「ないもの」を指さす。それと同じことだ。「私はこの本を、このように読んだ」と言いながら、「この本」そのものは存在しない。ただ批評だけがある。批評は畢竟、余剰である。その「余剰」しか存在するもののないパラドクス。批評は解釈の固定であると言ったが、存在しないものを固定することなど不可能である。つまりは「メタ書物」の作者と同じことを、逆方向から行なうのがレムの「批評」である。この批評によって、批評された書物が「メタ書物」として現前する。現前するとは言うが、実はそんな書物は存在しないわけで、従って正確には「不在として」現前するのだ。その上、この虚構批評の中には『完全な真空』そのものの書評まで抜かりなく収録されている。つまりは実体として存在するはずの書物が、形式上「存在しないもの」として扱われているわけだ。周到に構築されたクラインの壺。一言で言えば「ややこしい」。
それはともかくも、例えば『とどのつまりは何も無し』や『生の不可能性について』などは、読んでみたいと強く思う。
存在しないんですけどね、そんな本。
いわば文学をたえず明日に延ばして、いつまでも いまに書くぞと宣言し、この宣言そのものを文学と化す[……]。(「文学と記述言語」p142)
端的な言い方をするならば、これは要するに「書かない」ということである。何を書くか、どのように書くか、そのことばかりを言い続け、しかしそれを決して文字として固定しない。それが理想の文学のあり方ではないか、とバルトは述べているのだ。何故にそれが理想か。何故ならその文学は、常に流動的であるからだ。流動的であるが故に、いかなる形式の批評でも成功しない。つまりは固定した解釈を許さない。別の言い方をすれば無限に多様な解釈を許容するということでもある。
レムはバルトと逆である。逆でありながらバルトと同じ地点を目指す。存在しない書物の批評によって。それは「非=在」の指示である。「そこだよ」と「ないもの」を指さす。それと同じことだ。「私はこの本を、このように読んだ」と言いながら、「この本」そのものは存在しない。ただ批評だけがある。批評は畢竟、余剰である。その「余剰」しか存在するもののないパラドクス。批評は解釈の固定であると言ったが、存在しないものを固定することなど不可能である。つまりは「メタ書物」の作者と同じことを、逆方向から行なうのがレムの「批評」である。この批評によって、批評された書物が「メタ書物」として現前する。現前するとは言うが、実はそんな書物は存在しないわけで、従って正確には「不在として」現前するのだ。その上、この虚構批評の中には『完全な真空』そのものの書評まで抜かりなく収録されている。つまりは実体として存在するはずの書物が、形式上「存在しないもの」として扱われているわけだ。周到に構築されたクラインの壺。一言で言えば「ややこしい」。
それはともかくも、例えば『とどのつまりは何も無し』や『生の不可能性について』などは、読んでみたいと強く思う。
存在しないんですけどね、そんな本。
2004年8月5日に日本でレビュー済み
この本は「“架空の本”について
書かれた“架空の書評”集」です。
本文より先に「あとがき」や「解説」を読むということは、その本が
面白そうかどうかチェックするためだったり、はたまた読書感想文を
(本文を読まずに!)手っ取りばやく書くためだったり、理由は様々
にせよ多くの人に経験があることでしょう。
そうしたときに読む「解説」や「解題」は、知ってはいけない秘密を
垣間見ているようなスリルや、内容を知らないがゆえにかき立てられ
る実作品への興味などがない交ぜになって、不思議と面白いものです。
この本に書かれているのはあくまで“書評”ですが、私自身は作中で
言及されている“架空の本”に対して、同じような感覚を覚えました。
難しいことは考えず、そうした楽しさだけでさらっと読むことも十分
可能だと思います。
----------------
しかし、やはりそれだけでは済まない部分も確かに存在します。
例えばこの本の冒頭にある、“『完全な真空』に関する書評”はその
一例でしょう。なぜならこれによって、この本の「“架空の本”につ
いての“架空の書評”集」という形式を、この本自身が壊してしまう
からです。
読者(実際に本を読む私たち)が現実に目にしている本が、“架空の
本”たちと同様に扱われている。これは例外的なことなのか? この
書評に書かれた『完全なる~』と我々が読んでいるこの本は、違う物
なのか? それとも『完全なる真空』という書物自体が存在しないと
でも言うのか?
----------------
さすがはレム、です。
書かれた“架空の書評”集」です。
本文より先に「あとがき」や「解説」を読むということは、その本が
面白そうかどうかチェックするためだったり、はたまた読書感想文を
(本文を読まずに!)手っ取りばやく書くためだったり、理由は様々
にせよ多くの人に経験があることでしょう。
そうしたときに読む「解説」や「解題」は、知ってはいけない秘密を
垣間見ているようなスリルや、内容を知らないがゆえにかき立てられ
る実作品への興味などがない交ぜになって、不思議と面白いものです。
この本に書かれているのはあくまで“書評”ですが、私自身は作中で
言及されている“架空の本”に対して、同じような感覚を覚えました。
難しいことは考えず、そうした楽しさだけでさらっと読むことも十分
可能だと思います。
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しかし、やはりそれだけでは済まない部分も確かに存在します。
例えばこの本の冒頭にある、“『完全な真空』に関する書評”はその
一例でしょう。なぜならこれによって、この本の「“架空の本”につ
いての“架空の書評”集」という形式を、この本自身が壊してしまう
からです。
読者(実際に本を読む私たち)が現実に目にしている本が、“架空の
本”たちと同様に扱われている。これは例外的なことなのか? この
書評に書かれた『完全なる~』と我々が読んでいるこの本は、違う物
なのか? それとも『完全なる真空』という書物自体が存在しないと
でも言うのか?
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さすがはレム、です。
2003年6月11日に日本でレビュー済み
とにかく驚愕する小説?。
本好きにはたまらん。
ミツヨスキーの翻訳も難しすぎず、くだけすぎず、分かりやすい。
絶対お勧め。この本読んで何も感じない人とは友達になりたくない。
本好きにはたまらん。
ミツヨスキーの翻訳も難しすぎず、くだけすぎず、分かりやすい。
絶対お勧め。この本読んで何も感じない人とは友達になりたくない。