このような、物語を読めることは、本当に幸せな事である。
読んでいる時は至福の一時。山尾さんの物語は、ずっと以前から
興味を持ち、次にいつ出るのかと待ちわびていたのですが、
この本で、またさらに次の物語が待ち遠しい。
評価を星でするのは、ナンセンスだが、このような物語が語られて、
本として市場に出る事の価値を、また、無数の書籍群の中であっても、
硬質なギラリと光る美しい文体があるのだと、
生意気にも主張したいのである。
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歪み真珠 単行本 – 2010/2/25
山尾 悠子
(著)
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社国書刊行会
- 発売日2010/2/25
- 寸法15.5 x 2.5 x 22.6 cm
- ISBN-10433605021X
- ISBN-13978-4336050212
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登録情報
- 出版社 : 国書刊行会; 初版 (2010/2/25)
- 発売日 : 2010/2/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 240ページ
- ISBN-10 : 433605021X
- ISBN-13 : 978-4336050212
- 寸法 : 15.5 x 2.5 x 22.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 635,438位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 145,476位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年8月9日に日本でレビュー済み
山尾悠子さんの作品に関してはすでにレビューされている通りです。
純粋に言葉で構築された透明感のある世界観は、幻想的なものや非日常的なものに愛着のある方ならぜひぜひ一読される価値があると思います。
もう一つ特筆したいことは、装丁の素晴らしさです。
この本に限らず、山尾悠子さんの他の作品や最近話題になった久生十蘭全集などもそうですが、国書刊行会の装丁のセンスは本当に素晴らしいと思います。山尾悠子さんの作品のもつ気品にも全然負けていなくて、名画がそれにふさわしい額縁に収められている、という感じ。
本棚に置いた姿を見るだけでも楽しく、本好きにとってはとても嬉しい一冊です。
純粋に言葉で構築された透明感のある世界観は、幻想的なものや非日常的なものに愛着のある方ならぜひぜひ一読される価値があると思います。
もう一つ特筆したいことは、装丁の素晴らしさです。
この本に限らず、山尾悠子さんの他の作品や最近話題になった久生十蘭全集などもそうですが、国書刊行会の装丁のセンスは本当に素晴らしいと思います。山尾悠子さんの作品のもつ気品にも全然負けていなくて、名画がそれにふさわしい額縁に収められている、という感じ。
本棚に置いた姿を見るだけでも楽しく、本好きにとってはとても嬉しい一冊です。
2013年9月21日に日本でレビュー済み
もしも、私が大金持ちだったら
この作者の為だけに迷宮のような美術館を作って
彼女を閉じ込めたい
この作者の為だけに迷宮のような美術館を作って
彼女を閉じ込めたい
2011年2月27日に日本でレビュー済み
幻想文学に分類される著者の最近(2010)の短編集。15の作品から成り、そのどれもが異なる語り口で興味深いが、なかでも「ドロテアの首と銀の皿」は最高。
人物、場面、文章、そのどれもが奥深い。個人的には、小さい頃、萩尾望都の静かな作品群を読んだときのような感覚だった。一つ一つの文章、言葉が静かに関係して積み重なってゆく。それは女性たちの秘め事に似ている。その静けさはまた、春樹の「世界の終わりー」の向こうの世界の静けさにも通じる。静かな世界とは、何も起こらないことを意味するのではない。それは起こりうる事柄が、我々の元に直接返ってこないということである。それはいつもある境界の向こう側に存在し、我々の生きているこの世界とつながることはない。だから安易な共感も生まれないし、さしたる興奮もなく、カタストロフィーもない。だが、その手の届かなさ、つまり静けさを少しずつ確かめてゆく、その過程が我々を惹きつけるのだ。
我々は解釈を拒否されたものに対してより強く解釈を指向する。そして閉ざされた世界に対してより興味を覚える。全く拒否された小説を読めるのはごくわずかの読者であり、完全に閉ざされた世界を読むのはオタクだ。その微妙なバランスをこの作品は保っている。それが前述の作者達に共通する部分なのだ。
人物、場面、文章、そのどれもが奥深い。個人的には、小さい頃、萩尾望都の静かな作品群を読んだときのような感覚だった。一つ一つの文章、言葉が静かに関係して積み重なってゆく。それは女性たちの秘め事に似ている。その静けさはまた、春樹の「世界の終わりー」の向こうの世界の静けさにも通じる。静かな世界とは、何も起こらないことを意味するのではない。それは起こりうる事柄が、我々の元に直接返ってこないということである。それはいつもある境界の向こう側に存在し、我々の生きているこの世界とつながることはない。だから安易な共感も生まれないし、さしたる興奮もなく、カタストロフィーもない。だが、その手の届かなさ、つまり静けさを少しずつ確かめてゆく、その過程が我々を惹きつけるのだ。
我々は解釈を拒否されたものに対してより強く解釈を指向する。そして閉ざされた世界に対してより興味を覚える。全く拒否された小説を読めるのはごくわずかの読者であり、完全に閉ざされた世界を読むのはオタクだ。その微妙なバランスをこの作品は保っている。それが前述の作者達に共通する部分なのだ。