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縄文人の世界観 単行本 – 2016/3/29
大島直行
(著)
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見るものの心を激しくゆさぶる不思議な造形の土器や土偶にこめられた意味とは。認知考古学・脳科学・心理学・神話学・文化人類学・宗教学・民俗学などの諸学問の知見を援用し、シンボリズムとレトリックを鍵に縄文人の世界観を明らかにする。
- 本の長さ265ページ
- 言語日本語
- 出版社国書刊行会
- 発売日2016/3/29
- ISBN-104336060002
- ISBN-13978-4336060006
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商品の説明
著者について
1950年北海道生まれ。札幌医科大学客員教授、北海道考古学会会長。第29回藤森栄一賞受賞。日本人類学会評議員、日本考古学協会理事などを歴任。医学博士。著書に『対論・文明の原理を問う』(共著、麗澤大学出版会、2011年)、『月と蛇と縄文人』(寿郎社、2014年)。
登録情報
- 出版社 : 国書刊行会 (2016/3/29)
- 発売日 : 2016/3/29
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 265ページ
- ISBN-10 : 4336060002
- ISBN-13 : 978-4336060006
- Amazon 売れ筋ランキング: - 458,926位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2016年4月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、これまで、考古学がタブーとしてきた「縄文人の世界観」に、科学的に迫ろうとする。そもそも、これまでの考古学は、科学的な根拠や理論のないままに、ひたすら想像だけで、先史時代人の心を読み解いてきたきらいがある。残念ながら、考古学者がまことしやかに囁く「世界観」の多くは、現代人のものの考え方(概念)でしかない。
たとえば、個人(私)、家(住居)、家族、部族、共同体、定住、集落(ムラ)、絆、人間関係(親子、集団)、祖先崇拝、霊魂(女神、アニミズム)、死(恐怖、祟り、あの世)、二項対立(男女、生死)、宗教(祭り、祀り)、哲学(送り、共生と循環)、芸術(美、装飾性)、階層(リーダー、奴隷、殉死、威信)、交易、贈与、シャーマニズム(シャーマン、巫女)、発展(進歩)、合理性、戦争(殺人)、栽培(農耕、里山、養殖)などといった用語は、考古学のどんな本にも登場するが、しかし、こうした概念が、縄文時代にあったかどうかを、ちゃんと議論・研究した上で使っている学者はほとんどいない。
面白い例を一つ。考古学は、これまで、なんの根拠を示すことなく、「竪穴住居」という用語を使ってきた。しかし、「竪穴」が「住居」であるという明確で科学的な根拠はないのだ。〝柱穴や炉があるから「住居」だ〟と言うが、残念ながらそれは、保証の限りではない。ましてや、炉や柱穴のない竪穴まで「住居」や「集落」とされている。国史跡上野原遺跡はその代表的な例だ。
もう一つ例を。土偶を「女神」あるいは「精霊」とするのも根拠はない。そもそも、「女神」は、ヨーロッパの霊魂を表現する用語であり、日本であれば、女神ではなく、「妖怪」だ。・・・これは、余計なこと。本題に戻すとして、すでに、こうした根拠のない言説への批判は、ネリー・ナウマンが行っている(『生の緒』2005)。じつに痛烈だ。つまり、これまでの考古学は、人間であれば、だれでも祭祀や儀礼の一つや二つは行うし、〝美〟意識の一つや二つは持っているなどという、根拠のない〝見てきたような〟言説に、あぐらをいてきたのだ。
本書は、こうした問題点を踏まえたうえで、それを解決すべく、〈シンボリズム論〉を提起する。結論的に言うならば、〈シンボリズム〉の中でも、とくに心理学者のカール・ユング、エーリッヒ・ノイマン、そして宗教学者のミルチャ・エリアーデ、民族学者のネリー・ナウマンの主張する〈再生・誕生のシンボリズム〉という概念が、縄文社会の本質ともいえる重要な位置(「普遍的認知」として)にあることを確信し、具体的に資料を読み解く。
〈再生・誕生のシンボリズム〉論は、ややもすると、恣意的であり「こじつけ」的などと揶揄される。それは、例えば、この理論が民俗学や民族学、「神話」を援用していることが、嘘くさく感じさせているようだ。もちろん、民俗学や民族学や「神話」は、現代的な変容を遂げた〈シンボリズム〉であり、それをそのまま縄文社会に置き換えることは誤りだし、本書ではそうした援用の仕方はしていない。現代的な変容を削ぎ落としてから使う。誤解があるようだ。本書は、あくまでも、人間の根源的な「普遍的認知」としての〈シンボリズム〉を追求しているのである。それは、「脳」レベルの問題なのだ。だから、現代的な変容の削ぎ落としには脳科学(神経心理学)を使う。
同様な視点からの研究に、コリン・レンフリューや松本直子、松木武彦などが推進する「認知考古学」がある。しかし、「認知考古学」は、あくまで、「普遍的認知」の〝存在〟について議論するもので、「普遍的認知」の〝中身〟には踏み込まない。たとえば、縄文のストーンサークルが〝なぜつくられるか?という問題には、心理学的な解釈によって、「凝りとか、セックスアピールとか、アイデンティテイの誇示」などということで〝存在〟を理解できるが、しかし、〝なぜサークル(円)なのか?〟という問題については解釈しない。それを解釈するためには、新たな理論が必要なのだ。・・・、それが〈シンボリズム〉論だ。
筆者の〈シンボリズム〉論は、まさに、この〝ストーンサークルは、なぜ円いのか?〟という「普遍的認知」の中身に対する疑問を解決するための解釈論だ。従来の、民族学や民俗学だけでなく、心理学や哲学、宗教学、言語学そして脳科学(神経心理学、遺伝学)などを総動員して、先史・古代の謎を読み解こうとする試みだ。なぜ、そうするのか?それは、根拠のない想像や類推の考古学からの脱却であり、〝科学的根拠のある考古学〟の確立を目指すからだ。
そうした意味からも、本書は、これまで考古学がタブーとしてきた領域において、きわめて有効な方法論を提起する。これまで、考古学者の言説に、フラストレーションの溜まった読者には、必読の書だ。
たとえば、個人(私)、家(住居)、家族、部族、共同体、定住、集落(ムラ)、絆、人間関係(親子、集団)、祖先崇拝、霊魂(女神、アニミズム)、死(恐怖、祟り、あの世)、二項対立(男女、生死)、宗教(祭り、祀り)、哲学(送り、共生と循環)、芸術(美、装飾性)、階層(リーダー、奴隷、殉死、威信)、交易、贈与、シャーマニズム(シャーマン、巫女)、発展(進歩)、合理性、戦争(殺人)、栽培(農耕、里山、養殖)などといった用語は、考古学のどんな本にも登場するが、しかし、こうした概念が、縄文時代にあったかどうかを、ちゃんと議論・研究した上で使っている学者はほとんどいない。
面白い例を一つ。考古学は、これまで、なんの根拠を示すことなく、「竪穴住居」という用語を使ってきた。しかし、「竪穴」が「住居」であるという明確で科学的な根拠はないのだ。〝柱穴や炉があるから「住居」だ〟と言うが、残念ながらそれは、保証の限りではない。ましてや、炉や柱穴のない竪穴まで「住居」や「集落」とされている。国史跡上野原遺跡はその代表的な例だ。
もう一つ例を。土偶を「女神」あるいは「精霊」とするのも根拠はない。そもそも、「女神」は、ヨーロッパの霊魂を表現する用語であり、日本であれば、女神ではなく、「妖怪」だ。・・・これは、余計なこと。本題に戻すとして、すでに、こうした根拠のない言説への批判は、ネリー・ナウマンが行っている(『生の緒』2005)。じつに痛烈だ。つまり、これまでの考古学は、人間であれば、だれでも祭祀や儀礼の一つや二つは行うし、〝美〟意識の一つや二つは持っているなどという、根拠のない〝見てきたような〟言説に、あぐらをいてきたのだ。
本書は、こうした問題点を踏まえたうえで、それを解決すべく、〈シンボリズム論〉を提起する。結論的に言うならば、〈シンボリズム〉の中でも、とくに心理学者のカール・ユング、エーリッヒ・ノイマン、そして宗教学者のミルチャ・エリアーデ、民族学者のネリー・ナウマンの主張する〈再生・誕生のシンボリズム〉という概念が、縄文社会の本質ともいえる重要な位置(「普遍的認知」として)にあることを確信し、具体的に資料を読み解く。
〈再生・誕生のシンボリズム〉論は、ややもすると、恣意的であり「こじつけ」的などと揶揄される。それは、例えば、この理論が民俗学や民族学、「神話」を援用していることが、嘘くさく感じさせているようだ。もちろん、民俗学や民族学や「神話」は、現代的な変容を遂げた〈シンボリズム〉であり、それをそのまま縄文社会に置き換えることは誤りだし、本書ではそうした援用の仕方はしていない。現代的な変容を削ぎ落としてから使う。誤解があるようだ。本書は、あくまでも、人間の根源的な「普遍的認知」としての〈シンボリズム〉を追求しているのである。それは、「脳」レベルの問題なのだ。だから、現代的な変容の削ぎ落としには脳科学(神経心理学)を使う。
同様な視点からの研究に、コリン・レンフリューや松本直子、松木武彦などが推進する「認知考古学」がある。しかし、「認知考古学」は、あくまで、「普遍的認知」の〝存在〟について議論するもので、「普遍的認知」の〝中身〟には踏み込まない。たとえば、縄文のストーンサークルが〝なぜつくられるか?という問題には、心理学的な解釈によって、「凝りとか、セックスアピールとか、アイデンティテイの誇示」などということで〝存在〟を理解できるが、しかし、〝なぜサークル(円)なのか?〟という問題については解釈しない。それを解釈するためには、新たな理論が必要なのだ。・・・、それが〈シンボリズム〉論だ。
筆者の〈シンボリズム〉論は、まさに、この〝ストーンサークルは、なぜ円いのか?〟という「普遍的認知」の中身に対する疑問を解決するための解釈論だ。従来の、民族学や民俗学だけでなく、心理学や哲学、宗教学、言語学そして脳科学(神経心理学、遺伝学)などを総動員して、先史・古代の謎を読み解こうとする試みだ。なぜ、そうするのか?それは、根拠のない想像や類推の考古学からの脱却であり、〝科学的根拠のある考古学〟の確立を目指すからだ。
そうした意味からも、本書は、これまで考古学がタブーとしてきた領域において、きわめて有効な方法論を提起する。これまで、考古学者の言説に、フラストレーションの溜まった読者には、必読の書だ。
2018年4月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
縄文人の世界観の中身を明らかにする研究は”単なる想像”という理由で評価されない、と筆者はいう。それでも象徴研究を通じて縄文人の思想や世界観の中身を明らかにすることはできると考え、挑んでいるのが本書である。
具体的には、縄文土器、土偶、祭祀具、施設跡、遺跡のシンボルを読み解き、縄文人の世界観解明に挑戦する。
縄文土器については、「皿も鉢も高杯も、形は、煮炊きや灰汁抜きに直結した機能性に由来しているわけではなく、再生を象徴する月の水を集めるという目的を第一に考え出された、呪術・祭祀道具である」とし、縄文人が最初に土器を構想した理由を、「月の”生きるための水”を呼び込み、新たな生命を宿すための”まじない”のため」だとする。
自分も火焔土器のような縄文土器で料理をしたとはとても思えないので、呪術・祭祀道具であるというのは、そうなのかなと感じるが、月の水を集める目的といわれると、なかなか理解できない。
筆者のお気に入りの話として、神奈川県足柄郡に伝わる二十三夜の月待の習俗が紹介される。グーグル検索してもこの事例そのものはヒットしなかったが、二十三夜の月待のことはいろいろ出てくる。
二十三夜は深夜に東の空に昇る下弦の半月である。その月を待って女性たちが願いをかけていたようだ。
月のことをすっかり忘れている現代人には、縄文人が持っていた月への想いに共感することは難しい。正直なところ、今の自分の知識ではついていけない、という読後感である。
具体的には、縄文土器、土偶、祭祀具、施設跡、遺跡のシンボルを読み解き、縄文人の世界観解明に挑戦する。
縄文土器については、「皿も鉢も高杯も、形は、煮炊きや灰汁抜きに直結した機能性に由来しているわけではなく、再生を象徴する月の水を集めるという目的を第一に考え出された、呪術・祭祀道具である」とし、縄文人が最初に土器を構想した理由を、「月の”生きるための水”を呼び込み、新たな生命を宿すための”まじない”のため」だとする。
自分も火焔土器のような縄文土器で料理をしたとはとても思えないので、呪術・祭祀道具であるというのは、そうなのかなと感じるが、月の水を集める目的といわれると、なかなか理解できない。
筆者のお気に入りの話として、神奈川県足柄郡に伝わる二十三夜の月待の習俗が紹介される。グーグル検索してもこの事例そのものはヒットしなかったが、二十三夜の月待のことはいろいろ出てくる。
二十三夜は深夜に東の空に昇る下弦の半月である。その月を待って女性たちが願いをかけていたようだ。
月のことをすっかり忘れている現代人には、縄文人が持っていた月への想いに共感することは難しい。正直なところ、今の自分の知識ではついていけない、という読後感である。
2017年2月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
別の本「月と蛇と縄文人」と一緒に読んだ。新しい研究分野を開拓する勇気と努力にエールを送りたくなる。
2018年6月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
他の方々のレビューが高いのが不思議です。
借り物の理論で断片的に縄文人の精神文化を読み解こうとしていて、全体観が乏しいように思えました。
縄文土器のモチーフと日本神話の両方を見事に読み解いた田中基氏の「縄文のビーナス」とは比べるべくもないです。
独創的なアプローチを開発しながら、ひとつの土器を深く掘り下げて欲しかったです。日本は縄文以来の独自の文明があるのですから。。
借り物の理論で断片的に縄文人の精神文化を読み解こうとしていて、全体観が乏しいように思えました。
縄文土器のモチーフと日本神話の両方を見事に読み解いた田中基氏の「縄文のビーナス」とは比べるべくもないです。
独創的なアプローチを開発しながら、ひとつの土器を深く掘り下げて欲しかったです。日本は縄文以来の独自の文明があるのですから。。
2019年9月23日に日本でレビュー済み
本書は、縄文人には、再生を希求する「思想」があるので、それを道具・施設等に、機能性だけでなく、再生がイメージできる生物・現象(特に月・子宮・水・蛇)等も、「形式」として、誇張的・隠喩的に表現されていると(シンボルやレトリック)、主張しています。
当時は、概念的な「思想」を、伝達する文字がないので、口承での神話や儀礼、道具・施設等の中で、シンボルやレトリックの視覚的な「形式」に、置き換えましたが、そうするのは、大勢の人々に、認知・記憶されやすく、「思想」は、忘れ去られても、「形式」は、生き残りやすいからです。
しかし、ここで、いくつかの点が、気になるので、それらを列挙してみます。
○縄文人の「思想」は、再生への希求だけなのか?
筆者は、このような主張をするにあたって、ルーマニアの宗教学者のミルチャ・エリアーデの概念から、出発していますが、エリアーデは、豊穣と再生を、対比させていたようです。
ところが、筆者は、そのうち、豊穣は、農耕社会が前提なので、狩猟採集社会の縄文期には、関係ないと除外し、再生だけを中核にしましたが(p.32)、狩猟採集社会にも、食糧用の動植物には、季節ごとの旬があるので、豊猟・豊漁・豊穣も、必要ではないでしょうか。
たとえば、縄文期の一面が貝殻だらけの貝塚は、干貝加工場で、大量生産されていたので、交易で物々交換もしていたとみられ、そこの人々は、自給自足できない食料・物品等を、交易で取得するため、豊猟・豊漁・豊穣を希求したはずで、当時は、すでに余剰品と不足品の交易が、活発化していました。
もし、再生だけを希求したなら、成長期の若くて小さな動植物を、主な食糧にし、家族が短命でも悲しまないはず(子供の墓を、大人と区別しないはず)ですが、豊猟・豊漁・豊穣(最盛)も希求するからこそ、成熟期の大きくなった食べごろの動植物を、主な食糧とし、家族の長寿を喜んだでしょう。
私は、筆者の主張の半分には賛同でき、それは、縄文人に、再生の「思想」があったとしているからですが、もう半分の豊穣(最盛)の「思想」を除外したので、日本列島の人々が、自然の摂理と同化・寄生(共生ではない)しようと生活していたという根本が、不充分になってしまったと、みています。
自然の摂理は、…→増進期(1日の朝、1年の春、1月/ひとつきの上弦)→最盛期(昼、夏、望/ぼう=満月)→減退期(夕、秋、下弦)→仮死・再生期(夜、冬、晦/つごもり・朔/さく=新月)→…と、永遠に循環します。
一方、万物は、必死必滅で、おおむね誕生期→増進期→最盛期→減退期→死滅期と移行し、縄文人の平均寿命は、31歳程度だったようなので、成長期での死は、短命で、成熟期での死は、長寿といえます。
したがって、自然の摂理のように、死滅期と誕生期をつなぎ、そこを仮死・再生期とみなせれば、循環できるので、永久不死不滅になります。
こうして、日本列島の人々は、古来より、自然の摂理と同化・寄生するように、生活してきたとみられ、豊穣の「思想」は、最盛期に、再生の「思想」は、仮死・再生期に、相当するので、永遠に循環させるには、縄文期でも、豊穣と再生の双方が、必要ではないでしょうか。
○月・子宮・水・蛇に、結び付けすぎでは?
まず、人々は、1日のうちで、おおむね日中に活動し、夜間に睡眠するので、1日の生活は、太陽の運行に影響されています。
つぎに、日本列島の人々は、1年のうちで、寒暑の差があり、それは、半年ごとの、太陽の冬至と夏至の往復が、関係し、冬至と夏至は、特定地点からの日の出・日の入の位置が、関係しており、食糧用の動植物は、寒暑の差で、季節ごとの旬ができるので、1年の生活も、太陽の運行に影響されています。
さらに、地球では、1月(ひとつき、約29.5日)のうちで、月の満ち欠けがあり、それが12回だと、1年未満になり、しだいに季節がズレていくので、太陽の運行からの補正が、必要になります。
また、地球と月・太陽との位置関係が、潮(海水)の満ち引きになり、女性の生理(月経)周期は、約1ヶ月間隔なので、これらは、月の運行の影響ともいえます。
よって、日本列島の人々の生活に密着していたのは、月とともに、太陽の影響もあったはずで、もし、縄文期が、月の影響だけなら、毎月同一の祭祀が執り行われていたはずで、祭祀が年中行事化していたとみるのは、太陽の運行と、食糧用の動植物の季節の旬が、影響していたと、推測するからです。
数の4が多用されたのも、晦・朔(新月)→上弦→望(満月)→下弦の4区分の、月の影響だけでなく、東西南北の四方・春夏秋冬の四季の、太陽の影響がないと、根拠が希薄ではないでしょうか。
それを筆者は、月に特化し、それを再生の「思想」に結び付けていますが、太陽は、けっして不変・不動ではなく、1日のうちと、1年のうちで、…→増進期→最盛期→減退期→仮死・再生期→…と、永遠に循環することに、注視すべきで、冬至や夜間の祭祀は、太陽の仮死・再生期でもあるのです。
歴代天皇が、特別視してきた、伊勢神宮の内宮の祭神は、太陽神・アマテラス、外宮の祭神は、穀物神・トヨウケヒメで、いずれも女神なのは、太陽や穀物も、月と同様に、仮死・再生期を通過しつつも、永久不死不滅だからで、本書で、日本列島と海外の知見を、同等に取り扱いすぎるのは、疑問です。
ちなみに、中国・道教だと、太陽神は、男性で、中国・朝鮮神話だと、月神は、女性のようですが、記紀神話だと、太陽神は、女性で、記紀神話や「万葉集」だと、月神は、男性なので、当初は、太陽神が男性、月神が女性だったのが、大和政権が、神話編纂の段階で、両者を入れ替えたと、推測できます。
そのうえ、筆者は、水も特化していますが、水は、火と関連し、それは、火が、減退期の最後の、夕日の斜陽を連想させ、イザナミの火の神・カグツチ出産時の火傷死のように、仮死期の前で、水が、ミソギに使用され(聖性)、イザナギのミソギハラエでの3貴子誕生のように、再生期の前だからです。
遊動生活では、水の携帯が必須で、当時は、木を刳り抜いた丸木舟が、すでにあったので、旧石器後期には、木製か、節を利用した竹製等の、水の容器が存在していたでしょう。
なので、定住生活では、水の確保を、重い縄文土器でも、代用できましたが、それ以前から、軽い木製等の容器で、筆者のいう、「月の水」を運び入れられたのに、縄文期にはじめて、月と水が結び付いたとするのは、納得しにくいです。
それよりも、縄文土器を火にかけ、水での動植物の長時間の煮込が、可能になりましたが、火と水は、動植物が死滅(仮死)し、人間の食糧として再生する過程で、利用されているので、水だけでなく、火にも、再生への希求が、表現されているともいえます。
記紀神話でも、ニニギの妻・コノハナサクヤヒメは、産屋に火をつけ、3人の息子を出産しています。
それに、本書では、妊娠・出産を表現した、女性の象徴の土偶を、大幅に取り上げられているとともに、男性の象徴の石棒は、蛇と結び付けられ、蛇は、脱皮・冬眠するので、再生への希求が表現されていると、言及されていますが、蛇に男女の性別を、安直に当て嵌めるべきではないでしょう。
それは、蛇が、「日本書紀」だと、巫女・オオタタネコが祭祀した、三輪山の神・オオモノヌシ(蛇=男性)ですが、「古事記」だと、垂仁天皇の息子・ホムチワケと結婚した、ヒナガヒメ(蛇=女性)だからです。
むしろ、石棒は、女性の象徴の石皿・土器・竪穴住居内の土手や、胎児・幼児の象徴の丸石との、関連をみるほうが、妥当で、男根も、勃起(増進期)→性交(最盛期)→射精(減退期)→収縮(仮死・再生期)の過程を、反復します。
石器・石製品(岩偶・岩板等)と、土器・土製品(土偶・土板等)は、対照的な性格で、土器より石器の製造のほうが、圧倒的に力仕事で、石棒から、石剣(両刃)・石刀(片刃)が、派生したようなので、土系は、女性が、石系は、男性が、製造を担当し、材質での男女区分があったと、みられます。
筆者が、縄文土器の模様を、オスとメスの蛇が、巻き付いて交尾する姿だと、指摘しているのは、交尾(性交)が、最盛期で、緑色を、新芽・若葉の成長だと、指摘しているのは、成長が、増進期ということなので、減退期からの再生だけでなく、増進期からの最盛(豊穣)も、希求したといえるでしょう。
このように、私は、あれもこれも、月・子宮・水・蛇に結び付けるのは、少し強引なので、もっと大きな視野とし、太陽‐月、火‐水、石‐土、男根‐女陰(母胎)や、豊穣の「思想」(最盛期)と再生の「思想」(仮死・再生期)等、自然の摂理のような、二項往来の中で、捉えるべきだと思います。
○円環状の施設は、すべて子宮の表現なのか?
キウス周堤墓群(北海道千歳市)では、周堤内の中心・周堤内の周縁(周堤内には、装身具・副葬品が多数)・周堤上・周堤外の4区分に、土坑墓が分布しているので、もし、子宮の表現であれば、人々を周堤上や周堤外に埋葬するのは、子宮外とみなせるので、再生の「思想」と矛盾します。
環状列石・環状貝塚等も、もし、子宮の表現であれば、円環形・馬蹄形等の部分でなく、その穴(女陰)の部分に、人を埋葬・物を廃棄しないと、再生の「思想」に、つながらないのではないでしょうか。
円環状の施設の先例には、後期旧石器での環状ブロック群や、縄文前・中期での環状集落が、ありますが、これらも、人間と自然の関係からできた形とみて、子宮と結び付けるのは、無理があります(ただ、環状集落の中央の集団墓地や、環状木柱列の中心での祭祀は、子宮内とみなすこともできます)。
縄文期の定住+狩猟採集生活は、集落内・集落外ともに、対等なヨコの関係が原則の、ネットワーク社会だったので、異様に突出した有力者が不在の、人間どうしの関係からできた形が、円環だとみるほうが、妥当ではないでしょうか。
景観も、洞窟・湾・山間部の川・湖等の、凹状の地形を、子宮になぞらえるのは、まだ理解できても、砂丘・島・丘等の、凸状の地形まで、子宮になぞらえるのは、理解困難で、どうも、縄文期の道具・竪穴住居を読み解いた方法を、施設等にそのまま援用するのは、注意すべきです。
イギリスの地理学者のジェイ・アップルトンは、人間が生活場所を選定する際、自分の姿を見せることなく、相手の姿を見ることができるのが、基本条件だとし、これを縄文期で適用すれば、総体的には、高所に包囲されつつも(休息性)、局所的には、低所への眺望がある(意志性)場所になります。
おそらく、縄文期の各遺跡も、最も低い場所や、最も高い場所には、立地しておらず、包囲と眺望の度合・程度の差を、確認すべきです。
私は、凹状の地形が、再生の「思想」(仮死・再生期)に、凸状の地形が、豊穣の「思想」(最盛期)に、つながっていると、みています。
縄文期は、ヨコの関係だったので、凹状の地形に、集落が多く立地した一方、砂丘・島・丘等の、凸状の地形は、集団墓地・貝塚等なので、みんなの共有とし、地形の凹凸で、生者と死者を区分することも、あったのでしょう。
それが弥生期から、タテの関係ができ、古墳期には、階層が高次化していったので、凸状の地形のように、個人墓地(墳丘墓・古墳)を造営するようになり、しだいに高くし、地形の高低が、権威・権力と結び付いていったのではないでしょうか。
○祭祀が第一で、実用が二の次ではなく、実用と祭祀が、未分化だったのでは?
縄文土器を、筆者は、「月の水を集める祭祀容器として作られたが、煮炊き用の鍋としても使った」(p.258)とし、祭祀が第一で、実用が二の次としています。
ですが、それだと、石槍・石斧の出現後に、後期旧石器の神子柴(みこしば)遺跡(長野県南箕輪村)の全長25.2cm・最大厚1.4cmの槍先形尖頭器や、縄文前期の上掵(うわはば)遺跡(秋田県東成瀬村)の全長59.3cm・最大厚2.2cmの磨製石斧といった、超長・極薄の実用不可の登場が、説明できません。
現在の日本最古とされる、縄文草創期の大平山元(おおだいやまもと)Ⅰ遺跡(青森県外ヶ浜町)の土器等、最初の土器には、縄文等の模様がなく、スス・コゲが付着しているので、煮炊の実用が先で、祭祀が後だとしか、読み取れません。
実用と祭祀の、どちらが第一だったかという問題は、近代人が、それを分析する過程で、便宜上、機能的側面と象徴的側面に二分したからにすぎず、本来は、縄文期に、実用と祭祀が、未分化な状態だったとし、それが、弥生期に、実用的な弥生土器と、青銅器等の祭具に、分化したとみるべきでしょう。
祭祀と実用の問題は、ヨーロッパ建築・都市・調度品等での、前近代の古典主義(クラシック)・ゴシックの様式・装飾と、近代以降の機能主義の構成・無装飾の、対比を連想させますが、筆者は、縄文文化と、その前後の旧石器文化や弥生文化との比較で、精緻に検討しなかったのが、残念です。
私が気になるのは、筆者が、縄文期に戦争がなかったので、人間どうしの軋轢もなかったとしていることで(p.259)、定住は、家族の同居生活と、家族以外の集団での生業(分業と協業)が、不可避になり、生活・生業形態は、縄文草創期や早期と、前・中期、後・晩期で、変化もしたと、推測できます。
だから、筆者の主張とは逆で、人間どうしの軋轢を抑止し、共存・共栄のために、血縁・地縁等、ある程度の人数を巻き込んだ、祭祀が必要になり、祭祀的な道具も、流通・普及したとみるのが、妥当で、もし、遊動的な定住生活なら、祭祀性が、そこまで大勢の人々に、共有できなかったでしょう。
○縄文期を、それ以前の旧石器期と、それ以後の弥生期の、連続性でみるべきでは?
本書の図36の、「人の思考はこのようにつくられる」(p.239)では、各概念を、左右で対比させ、筆者は、左側を、農耕社会の弥生期以後(p.235)、右側を、狩猟採集社会の縄文期以前と、しているようですが、私には、左側が、日本の近代以後に、右側が、日本の近世以前に、みえてしまいます。
縄文期の死を、筆者は、儒教的・仏教的な死と区別していますが、日本に儒教・仏教が伝来したのは、古墳後期~飛鳥期からとされているので、これでも離れ過ぎで、比較の対象にする意味がないでしょう。
筆者の主張は、縄文期以前と弥生期以後の二項対立へと、誘導していますが、縄文期は、旧石器期と弥生期の、連続性でみるべきで、私は、縄文人の世界観が、循環的・協調的なのに、それを近代人の世界観で、敵対的な構図に押し込むのには、抵抗があり、二項往来でみるのが、適切ではないでしょうか。
当時は、概念的な「思想」を、伝達する文字がないので、口承での神話や儀礼、道具・施設等の中で、シンボルやレトリックの視覚的な「形式」に、置き換えましたが、そうするのは、大勢の人々に、認知・記憶されやすく、「思想」は、忘れ去られても、「形式」は、生き残りやすいからです。
しかし、ここで、いくつかの点が、気になるので、それらを列挙してみます。
○縄文人の「思想」は、再生への希求だけなのか?
筆者は、このような主張をするにあたって、ルーマニアの宗教学者のミルチャ・エリアーデの概念から、出発していますが、エリアーデは、豊穣と再生を、対比させていたようです。
ところが、筆者は、そのうち、豊穣は、農耕社会が前提なので、狩猟採集社会の縄文期には、関係ないと除外し、再生だけを中核にしましたが(p.32)、狩猟採集社会にも、食糧用の動植物には、季節ごとの旬があるので、豊猟・豊漁・豊穣も、必要ではないでしょうか。
たとえば、縄文期の一面が貝殻だらけの貝塚は、干貝加工場で、大量生産されていたので、交易で物々交換もしていたとみられ、そこの人々は、自給自足できない食料・物品等を、交易で取得するため、豊猟・豊漁・豊穣を希求したはずで、当時は、すでに余剰品と不足品の交易が、活発化していました。
もし、再生だけを希求したなら、成長期の若くて小さな動植物を、主な食糧にし、家族が短命でも悲しまないはず(子供の墓を、大人と区別しないはず)ですが、豊猟・豊漁・豊穣(最盛)も希求するからこそ、成熟期の大きくなった食べごろの動植物を、主な食糧とし、家族の長寿を喜んだでしょう。
私は、筆者の主張の半分には賛同でき、それは、縄文人に、再生の「思想」があったとしているからですが、もう半分の豊穣(最盛)の「思想」を除外したので、日本列島の人々が、自然の摂理と同化・寄生(共生ではない)しようと生活していたという根本が、不充分になってしまったと、みています。
自然の摂理は、…→増進期(1日の朝、1年の春、1月/ひとつきの上弦)→最盛期(昼、夏、望/ぼう=満月)→減退期(夕、秋、下弦)→仮死・再生期(夜、冬、晦/つごもり・朔/さく=新月)→…と、永遠に循環します。
一方、万物は、必死必滅で、おおむね誕生期→増進期→最盛期→減退期→死滅期と移行し、縄文人の平均寿命は、31歳程度だったようなので、成長期での死は、短命で、成熟期での死は、長寿といえます。
したがって、自然の摂理のように、死滅期と誕生期をつなぎ、そこを仮死・再生期とみなせれば、循環できるので、永久不死不滅になります。
こうして、日本列島の人々は、古来より、自然の摂理と同化・寄生するように、生活してきたとみられ、豊穣の「思想」は、最盛期に、再生の「思想」は、仮死・再生期に、相当するので、永遠に循環させるには、縄文期でも、豊穣と再生の双方が、必要ではないでしょうか。
○月・子宮・水・蛇に、結び付けすぎでは?
まず、人々は、1日のうちで、おおむね日中に活動し、夜間に睡眠するので、1日の生活は、太陽の運行に影響されています。
つぎに、日本列島の人々は、1年のうちで、寒暑の差があり、それは、半年ごとの、太陽の冬至と夏至の往復が、関係し、冬至と夏至は、特定地点からの日の出・日の入の位置が、関係しており、食糧用の動植物は、寒暑の差で、季節ごとの旬ができるので、1年の生活も、太陽の運行に影響されています。
さらに、地球では、1月(ひとつき、約29.5日)のうちで、月の満ち欠けがあり、それが12回だと、1年未満になり、しだいに季節がズレていくので、太陽の運行からの補正が、必要になります。
また、地球と月・太陽との位置関係が、潮(海水)の満ち引きになり、女性の生理(月経)周期は、約1ヶ月間隔なので、これらは、月の運行の影響ともいえます。
よって、日本列島の人々の生活に密着していたのは、月とともに、太陽の影響もあったはずで、もし、縄文期が、月の影響だけなら、毎月同一の祭祀が執り行われていたはずで、祭祀が年中行事化していたとみるのは、太陽の運行と、食糧用の動植物の季節の旬が、影響していたと、推測するからです。
数の4が多用されたのも、晦・朔(新月)→上弦→望(満月)→下弦の4区分の、月の影響だけでなく、東西南北の四方・春夏秋冬の四季の、太陽の影響がないと、根拠が希薄ではないでしょうか。
それを筆者は、月に特化し、それを再生の「思想」に結び付けていますが、太陽は、けっして不変・不動ではなく、1日のうちと、1年のうちで、…→増進期→最盛期→減退期→仮死・再生期→…と、永遠に循環することに、注視すべきで、冬至や夜間の祭祀は、太陽の仮死・再生期でもあるのです。
歴代天皇が、特別視してきた、伊勢神宮の内宮の祭神は、太陽神・アマテラス、外宮の祭神は、穀物神・トヨウケヒメで、いずれも女神なのは、太陽や穀物も、月と同様に、仮死・再生期を通過しつつも、永久不死不滅だからで、本書で、日本列島と海外の知見を、同等に取り扱いすぎるのは、疑問です。
ちなみに、中国・道教だと、太陽神は、男性で、中国・朝鮮神話だと、月神は、女性のようですが、記紀神話だと、太陽神は、女性で、記紀神話や「万葉集」だと、月神は、男性なので、当初は、太陽神が男性、月神が女性だったのが、大和政権が、神話編纂の段階で、両者を入れ替えたと、推測できます。
そのうえ、筆者は、水も特化していますが、水は、火と関連し、それは、火が、減退期の最後の、夕日の斜陽を連想させ、イザナミの火の神・カグツチ出産時の火傷死のように、仮死期の前で、水が、ミソギに使用され(聖性)、イザナギのミソギハラエでの3貴子誕生のように、再生期の前だからです。
遊動生活では、水の携帯が必須で、当時は、木を刳り抜いた丸木舟が、すでにあったので、旧石器後期には、木製か、節を利用した竹製等の、水の容器が存在していたでしょう。
なので、定住生活では、水の確保を、重い縄文土器でも、代用できましたが、それ以前から、軽い木製等の容器で、筆者のいう、「月の水」を運び入れられたのに、縄文期にはじめて、月と水が結び付いたとするのは、納得しにくいです。
それよりも、縄文土器を火にかけ、水での動植物の長時間の煮込が、可能になりましたが、火と水は、動植物が死滅(仮死)し、人間の食糧として再生する過程で、利用されているので、水だけでなく、火にも、再生への希求が、表現されているともいえます。
記紀神話でも、ニニギの妻・コノハナサクヤヒメは、産屋に火をつけ、3人の息子を出産しています。
それに、本書では、妊娠・出産を表現した、女性の象徴の土偶を、大幅に取り上げられているとともに、男性の象徴の石棒は、蛇と結び付けられ、蛇は、脱皮・冬眠するので、再生への希求が表現されていると、言及されていますが、蛇に男女の性別を、安直に当て嵌めるべきではないでしょう。
それは、蛇が、「日本書紀」だと、巫女・オオタタネコが祭祀した、三輪山の神・オオモノヌシ(蛇=男性)ですが、「古事記」だと、垂仁天皇の息子・ホムチワケと結婚した、ヒナガヒメ(蛇=女性)だからです。
むしろ、石棒は、女性の象徴の石皿・土器・竪穴住居内の土手や、胎児・幼児の象徴の丸石との、関連をみるほうが、妥当で、男根も、勃起(増進期)→性交(最盛期)→射精(減退期)→収縮(仮死・再生期)の過程を、反復します。
石器・石製品(岩偶・岩板等)と、土器・土製品(土偶・土板等)は、対照的な性格で、土器より石器の製造のほうが、圧倒的に力仕事で、石棒から、石剣(両刃)・石刀(片刃)が、派生したようなので、土系は、女性が、石系は、男性が、製造を担当し、材質での男女区分があったと、みられます。
筆者が、縄文土器の模様を、オスとメスの蛇が、巻き付いて交尾する姿だと、指摘しているのは、交尾(性交)が、最盛期で、緑色を、新芽・若葉の成長だと、指摘しているのは、成長が、増進期ということなので、減退期からの再生だけでなく、増進期からの最盛(豊穣)も、希求したといえるでしょう。
このように、私は、あれもこれも、月・子宮・水・蛇に結び付けるのは、少し強引なので、もっと大きな視野とし、太陽‐月、火‐水、石‐土、男根‐女陰(母胎)や、豊穣の「思想」(最盛期)と再生の「思想」(仮死・再生期)等、自然の摂理のような、二項往来の中で、捉えるべきだと思います。
○円環状の施設は、すべて子宮の表現なのか?
キウス周堤墓群(北海道千歳市)では、周堤内の中心・周堤内の周縁(周堤内には、装身具・副葬品が多数)・周堤上・周堤外の4区分に、土坑墓が分布しているので、もし、子宮の表現であれば、人々を周堤上や周堤外に埋葬するのは、子宮外とみなせるので、再生の「思想」と矛盾します。
環状列石・環状貝塚等も、もし、子宮の表現であれば、円環形・馬蹄形等の部分でなく、その穴(女陰)の部分に、人を埋葬・物を廃棄しないと、再生の「思想」に、つながらないのではないでしょうか。
円環状の施設の先例には、後期旧石器での環状ブロック群や、縄文前・中期での環状集落が、ありますが、これらも、人間と自然の関係からできた形とみて、子宮と結び付けるのは、無理があります(ただ、環状集落の中央の集団墓地や、環状木柱列の中心での祭祀は、子宮内とみなすこともできます)。
縄文期の定住+狩猟採集生活は、集落内・集落外ともに、対等なヨコの関係が原則の、ネットワーク社会だったので、異様に突出した有力者が不在の、人間どうしの関係からできた形が、円環だとみるほうが、妥当ではないでしょうか。
景観も、洞窟・湾・山間部の川・湖等の、凹状の地形を、子宮になぞらえるのは、まだ理解できても、砂丘・島・丘等の、凸状の地形まで、子宮になぞらえるのは、理解困難で、どうも、縄文期の道具・竪穴住居を読み解いた方法を、施設等にそのまま援用するのは、注意すべきです。
イギリスの地理学者のジェイ・アップルトンは、人間が生活場所を選定する際、自分の姿を見せることなく、相手の姿を見ることができるのが、基本条件だとし、これを縄文期で適用すれば、総体的には、高所に包囲されつつも(休息性)、局所的には、低所への眺望がある(意志性)場所になります。
おそらく、縄文期の各遺跡も、最も低い場所や、最も高い場所には、立地しておらず、包囲と眺望の度合・程度の差を、確認すべきです。
私は、凹状の地形が、再生の「思想」(仮死・再生期)に、凸状の地形が、豊穣の「思想」(最盛期)に、つながっていると、みています。
縄文期は、ヨコの関係だったので、凹状の地形に、集落が多く立地した一方、砂丘・島・丘等の、凸状の地形は、集団墓地・貝塚等なので、みんなの共有とし、地形の凹凸で、生者と死者を区分することも、あったのでしょう。
それが弥生期から、タテの関係ができ、古墳期には、階層が高次化していったので、凸状の地形のように、個人墓地(墳丘墓・古墳)を造営するようになり、しだいに高くし、地形の高低が、権威・権力と結び付いていったのではないでしょうか。
○祭祀が第一で、実用が二の次ではなく、実用と祭祀が、未分化だったのでは?
縄文土器を、筆者は、「月の水を集める祭祀容器として作られたが、煮炊き用の鍋としても使った」(p.258)とし、祭祀が第一で、実用が二の次としています。
ですが、それだと、石槍・石斧の出現後に、後期旧石器の神子柴(みこしば)遺跡(長野県南箕輪村)の全長25.2cm・最大厚1.4cmの槍先形尖頭器や、縄文前期の上掵(うわはば)遺跡(秋田県東成瀬村)の全長59.3cm・最大厚2.2cmの磨製石斧といった、超長・極薄の実用不可の登場が、説明できません。
現在の日本最古とされる、縄文草創期の大平山元(おおだいやまもと)Ⅰ遺跡(青森県外ヶ浜町)の土器等、最初の土器には、縄文等の模様がなく、スス・コゲが付着しているので、煮炊の実用が先で、祭祀が後だとしか、読み取れません。
実用と祭祀の、どちらが第一だったかという問題は、近代人が、それを分析する過程で、便宜上、機能的側面と象徴的側面に二分したからにすぎず、本来は、縄文期に、実用と祭祀が、未分化な状態だったとし、それが、弥生期に、実用的な弥生土器と、青銅器等の祭具に、分化したとみるべきでしょう。
祭祀と実用の問題は、ヨーロッパ建築・都市・調度品等での、前近代の古典主義(クラシック)・ゴシックの様式・装飾と、近代以降の機能主義の構成・無装飾の、対比を連想させますが、筆者は、縄文文化と、その前後の旧石器文化や弥生文化との比較で、精緻に検討しなかったのが、残念です。
私が気になるのは、筆者が、縄文期に戦争がなかったので、人間どうしの軋轢もなかったとしていることで(p.259)、定住は、家族の同居生活と、家族以外の集団での生業(分業と協業)が、不可避になり、生活・生業形態は、縄文草創期や早期と、前・中期、後・晩期で、変化もしたと、推測できます。
だから、筆者の主張とは逆で、人間どうしの軋轢を抑止し、共存・共栄のために、血縁・地縁等、ある程度の人数を巻き込んだ、祭祀が必要になり、祭祀的な道具も、流通・普及したとみるのが、妥当で、もし、遊動的な定住生活なら、祭祀性が、そこまで大勢の人々に、共有できなかったでしょう。
○縄文期を、それ以前の旧石器期と、それ以後の弥生期の、連続性でみるべきでは?
本書の図36の、「人の思考はこのようにつくられる」(p.239)では、各概念を、左右で対比させ、筆者は、左側を、農耕社会の弥生期以後(p.235)、右側を、狩猟採集社会の縄文期以前と、しているようですが、私には、左側が、日本の近代以後に、右側が、日本の近世以前に、みえてしまいます。
縄文期の死を、筆者は、儒教的・仏教的な死と区別していますが、日本に儒教・仏教が伝来したのは、古墳後期~飛鳥期からとされているので、これでも離れ過ぎで、比較の対象にする意味がないでしょう。
筆者の主張は、縄文期以前と弥生期以後の二項対立へと、誘導していますが、縄文期は、旧石器期と弥生期の、連続性でみるべきで、私は、縄文人の世界観が、循環的・協調的なのに、それを近代人の世界観で、敵対的な構図に押し込むのには、抵抗があり、二項往来でみるのが、適切ではないでしょうか。