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人生、意気に感ず 単行本 – 1998/2/1

4.2 5つ星のうち4.2 9個の評価

商品の説明

内容(「MARC」データベースより)

人生、金なんか残したってしょうがないじゃないか。自分がどんなに努力しても、すぐに結果が出るとはかぎらない。生きているうちは、最善を尽くすしかない。八方破れの化け物にして名誉棋聖・藤沢秀行の魅力を伝える一冊。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ ひらく (1998/2/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1998/2/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 203ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4341190210
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4341190217
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 9個の評価

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藤沢 秀行
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カスタマーレビュー

星5つ中4.2つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2015年10月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
残念なことに生前の藤沢名誉棋聖のことは全くしらず、また私は囲碁のことを一切知らない。
とある囲碁好きの先輩から「面白いから」と紹介されて手に取っただけのこの本には、人生というものの甘さ辛さがつまっていた。
この方が囲碁について天の恵みがあったことは間違いないだろうが、囲碁についてはひたすら努力もされている。
しかし生き方は破天荒そのもので、酒乱と借金地獄を楽しんでおられたようにすら見えてくる。
そんな文面から凡人がこの本から感じることができるのは、「人生、生きていればなんとかなる」という前向きな風。
「このオッサン、あほちゃうか?」となんどもおもいながら、人それぞれの人生には役割というものがありそうだとも感じられる素晴らしい一冊だと思う。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2011年5月27日に日本でレビュー済み
私は人間のタイプには、目先の勝利にこだわる{現実派}と{明日の勝利に向かって努力する{未来派}の2つがあると思う。どちらがいいとは言えないが、私は{未来派}に属する。弟子たちにも、毎日の勉強の積み重ねが勝負なのだから、目先の試合にこだわるなと常にいい聞かせている。確かに、勝負では、勝つと負けるのでは天と地の差がある。だから、勝ちにこだわるようになるのだが、そうなるとどうしても安全な道を選び、戦って戦いぬく、“蛮勇”が失われてくる。怖いのは、そのために進歩が止まってしまうことである。私の弟子にも、10代で将来を約束された男がいたが、勝負にこだわるあまり、30にして、ただの碁打ちになってしまった。今は、何事も実利が優先する時代だから、現実派が増えるのは、どこの社会にも共通した現象かもしれない。しかし、現実派だけが活躍する社会はどうも薄っぺらなような気がしてしょうがない。両者が競り合ってこそ、厚みのある社会になってくる。

ビジネス社会でも、優秀な現実派は、若いうちから着々とポイントを重ねて、先行するだろう。それを見ながら、俺は晩成型だから、今は力を蓄えておけばいいんだ、という自信を持てば、別に焦ることはない。やがてチャンスが来れば、十分に追いつくこともできるはずである。努力はすぐには報われないが、いずれは必ず報われるのだ。最近の風潮として、そこまで我慢できずに、現実派の尻を追いかける人が多い様な気がする。そうすれば、一応人並みの成績は上げれるかもしれないが、会社にとって本当に有能な人材になれるかどうかは疑わしい。

碁では「厚み」という表現が使われる。ごく簡単に、「目先の利益にこだわらず、将来に備えて力をためること」と考えてもいいかもしれない。碁は最終的には、双方が確保した地所の目数を勘定して、多いほうが勝つ。では、最初からせっせと地所を稼ぎまくってしまえば勝てるかと言うと、そうとは限らない。碁も人生も同じで、あまり機敏に立ち回りすぎると、どこかに欠点が生じてくる。その欠点を突かれると、もう地所を増やすどころではなく、逆に相手の地所が増えてしまう。だから、地所を稼がずに、じっくり力をためて、将来に備える戦法も有力になってくる。厚みを背景にして、相手の欠陥を突けば、自然に地所を盛り上げることができる。人生にたとえるなら、一見歩みが遅いように見えるけれど、その間に力を蓄え、時至らば、存分に力を発揮して、一気に遅れを取り戻すタイプである。

しかし、いくら力を蓄えても、それを発揮するチャンスを逃しては何にもならない。また、チャンスを掴んでも、力の使い方を間違えては効果は期待できない。碁も同じで、厚みを築いただけでは勝てない。その活用方法を誤れば、宝の持ち腐れになってしまう。地所を稼ぐ現実派と、厚みを重視する未来派に大別すれば、私は明らかに後者に属する。これは先天的なものであり、人生観と言ってもいいかもしれない。一般的に言って、厚みで打つタイプの方が勝率が悪い。当面、地所がなくて、相手を追いかけるわけだから、骨が折れる。戦いの方向を間違えれば、厚みが無用の長物と化してしまう。また、同じような意味合いから厚みを重視する碁は、大成するのに時間がかかる。つまり、晩成型だから、若いうちは、どうしても勝率が上がらない。それに比べて、現実派の方が楽というわけでもないのだが、取り敢えず地所を稼いでいるので、現ナマを握っているように強みがある。財布でも落とさない限り、金が減る心配もないから、未来派に比べれば、ある程度、安定していると言える。そのせいか、最近は若い棋士に現実派の碁が増えてきた。さっさと地所を稼いで勝つ、戦上手のタイプが目立つ。その方が、厚みで打つ碁より勝率もいい。もちろん、現実派の碁を打って悪いという理由はない。それはそれで立派な一つの道である。しかし、自分の個性を曲げて、勝ちたい一心で現実派になっているとしたら問題である。私の目から見ると、そういう若手棋士が増えている。

武田信玄は、は碁好きだったらしく、そのせいか信玄の戦法には厚みの碁に共通している面があって面白い。ある冬、信玄は、部下から見ると、どうでもいい様な小城を攻めた。部下は、今、なぜこんなちっぽけな城を攻めるのか分からない。うちの大将どうかしたんじゃないか、と首をかしげた。ところが、冬が過ぎて、春の大作戦が開始されると、その子城が重要な前進基地になっていた。つまり、「彼我の要衝」であり、碁でいう厚みになっていたわけである。それが信玄の正しい大局観に裏打ちされていたことは、言うまでもない。地所を稼ぐのだけが碁ではない。

自分の個性が厚みの碁にあると思ったら、とことん追求すべきである。当座、勝率は悪いだろう。時間はかかるけれど、努力を続ければ、必ず大成する。努力を惜しんで、現実派気取りの碁を打ったりすれば、大成は望めない。どこまで努力できるかも、才能のうちである。

そんな生半可な姿勢では、現実派になっても大成できるわけがない。現実派でトップに立っているほどの棋士たちは、それぞれ個性を生かすために、自分の道を追求してきた。そこそこ勝てるからと言って安住したら、とても一流にはなれない。結局、現実派にしろ、未来派にしろ、勝つためには正しい大局観が要求される。目前の利益にこだわって、「彼我の要衝」とでもいうべきポイントを逃しては勝てない。また、自分では厚みを作るつもりでも、それが「彼我の要衝」から外れていては、無駄な一着になってしまう。

私の人生観は、何事も積み重ねだということだ。仮に、最初の1ページがうまくいかなかったとしても、次のページ、次のページと努力を重ねていけば、必ず良い結果が得られると思っている。だから私は、人生の1ページを開くごとに最善を尽くす。それでうまくいかなかったら次のページで最善を尽くすし、決してあきらめることはしない。うまくいかなかったのは自分のせいなのだから、勉強するしかない。芸事の勉強は、すぐに結果に表れない。特に私のような晩成型は、天災並みに、忘れたころに効果が出てくる。辛いからと言って途中でやめてしまったら、元も子もなくなってしまう。とにかく続けるしかないのである。これは、碁の勉強に限らないだろう。大学教授から、こんな話を聞いたことがある。「社会人になる学生に、毎朝、飯の食う前に、20分だけまとまった本を読め、と勧めているんです。ただし、20分たったら、区切りが悪くてもやめろ、と。これがコツなんです。それ以上続けると長続きしません」私は、なるほどなと、大いに感心した。

酒も、ギャンブルもという私だが、自慢じゃないが、私は22,3歳までは、全く「遊び」と縁がなかった。とにかく、私は碁の勉強に明け暮れた。碁以外にも、読書好きだった私は、哲学書から中国の古典まで、むさぼるように読みもした。お酒を覚え、本格的に飲みだすようになったのは、30を過ぎたころからである。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年8月22日に日本でレビュー済み
如何に生きるべきか、悩み考える方は絶対読んだらいいと思います。
小生、碁はできないと言っていいレベルですが、目先の勝ち負けでなく芸を極めようとする品格のある姿勢があるからこそ、秀行さんの破天荒な生き方が肯定されるのだと感じました。
傍目には無茶苦茶、私が30年以上前の学生時代、棋聖防衛後の深夜の自戦解説で女流棋士(最近将棋はヴィジュアルで見られる方がようやく出てきましたが、当時から囲碁は美形がたくさんいました)をくどく筆者にある意味呆れましたが、誠に自由に遊び、一方で自分の目指した道(日本流の芸)を極めようとした素晴らしき先人の著書です。将棋で言えば、升田幸三ですね。
一番感銘したのは、「糟糠の妻は堂より下さず」。NHKの番組で奥様の素晴らしさを感じましたが、この一途など阿呆(天才と言ってはヘボになるので敢えてこう言います)が感謝の気持ちを素直に記録に残したのは感動です。
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