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太陽の季節 単行本 – 2002/7/1
石原 慎太郎
(著)
戦後の青春はこの1冊から始まった。ドラマ化で話題の表題作のほか、伝説の名作「乾いた花」全面改稿決定版、あとがき「青春のピュリティ」、「処刑の部屋」、「完全な遊戯」、「ファンキー・ジャンプ」を収録。
- 本の長さ389ページ
- 言語日本語
- 出版社幻冬舎
- 発売日2002/7/1
- ISBN-10434400213X
- ISBN-13978-4344002135
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
竜哉が強く英子に魅かれたのは、彼が拳闘に魅かれる気持と同じようなものだった…。伝説の名作「乾いた花」の全面改訂版や、戦後の青春を代表する作品「太陽の季節」他3編を収録した短編集。
登録情報
- 出版社 : 幻冬舎 (2002/7/1)
- 発売日 : 2002/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 389ページ
- ISBN-10 : 434400213X
- ISBN-13 : 978-4344002135
- Amazon 売れ筋ランキング: - 915,657位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 20,857位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
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1932年神戸市生まれ。一橋大学卒。55年、大学在学中に執筆した「太陽の季節」で第一回文學界新人賞を、翌年芥川賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 オンリー・イエスタディ (ISBN-13: 978-4344414501 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年8月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本の短編小説はどれも表現力がズバ抜けている。このような本が文学の世界の歴史に残ることは、日本人の1人として喜ばしいことであると思う。
2015年4月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
紙書籍では入手困難で、
キンドルで
まとめて読めるのは
とてもありがたい。
移動中などに最適。
古びていなく、
いまもって新鮮。
キンドルで
まとめて読めるのは
とてもありがたい。
移動中などに最適。
古びていなく、
いまもって新鮮。
2022年2月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
氏が亡くなられて今更ですが読んでみました。
内容は、若い時の自分自身の感性に通ずるものを感じ取りました、自滅的というか、刹那的というか。意外と若い時に考えてることは近いのかなとも思いました。
筆者の後書きが一番わかり易かったかもしれない。青春がその時代を最も直接的に表現すること、そしてその時代はそれまでになかった、人々が自分自身の意思で生きられる時代であったこと。
今は所詮この時代の延長線上なんだろうなと思う、変化の激しい時代と言っても、根本的に自分の意思のままに生きていけるのだから。
内容は、若い時の自分自身の感性に通ずるものを感じ取りました、自滅的というか、刹那的というか。意外と若い時に考えてることは近いのかなとも思いました。
筆者の後書きが一番わかり易かったかもしれない。青春がその時代を最も直接的に表現すること、そしてその時代はそれまでになかった、人々が自分自身の意思で生きられる時代であったこと。
今は所詮この時代の延長線上なんだろうなと思う、変化の激しい時代と言っても、根本的に自分の意思のままに生きていけるのだから。
2022年2月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
石原慎太郎が亡くなったので読んでみましたが期待外れでした、石原氏が大学在籍中に書いとことは、評価できるが小説の内容はスケールが小さすぎます。彼の作品は小説よりもエッセイの方が面白い。
2015年12月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まず収録作品名を記します。
太陽の季節
処刑の部屋
完全な遊戯
ファンキー・ジャンプ
乾いた花(初出時「渇いた花」)
あとがき-青春のピュリティ
はじめは『太陽の季節』を読むつもりでしたが、こちらの本に『ファンキー・ジャンプ』が収録されているので、もとめました。
作者は1959年の発表に際して「去年パリのサン・ジェルマンでホレス・シルバーをきいて感銘を受けたのが執筆の契機だ」と言ったそうで、加えて作品の構成にはホレス・シルバーのアルバム「シルバース・ブルース」を下敷きにした、とのこと。調べてみましたが、シルバーの渡仏については資料がみつかりませんでした。ジャズ・メッセンジャーズならば1958年12月21日と12月28日にクラブ・サン-ジェルマンで演奏をしていますが、ホレス・シルバーは1956年にジャズ・メッセンジャーを脱退しており、1958年のアート・ブレイキーの楽旅に随行したピアニストはボビー・ティモンズです。
まあいいか、と『ファンキー・ジャンプ』を読みました。批評家は「音楽を文章に昇華させた」「詩的文体である」と称賛したらしいのですが、わたしは一見して「ああ、こりゃ宇能鴻一郎だ」と思いました。
「して」
「うむ」
「はやく」
「よし」
これで四行稼げます。それから、地の文章がまことに悪文です。
「男は俺たちのブレークダウンの時 連れて来たミンクを着た売女のようなアナウンサーにスタンについて能書を言った」
「俺はあの肢のために何をかけがえてもいい」
そもそもこの話、中学生あたりに読ませて、この短編の主題を書けと教師が言ったら「ヘロインを注射すると天才的な演奏ができる」という答案がすこし出てくるんじゃないかという気がします。そうなった場合に作者はなんと反駁するのでしょうか。
それからこの作品について、ELLIOTT GRENNARD 『SPARROWS' LAST JUMP』(エリオット・グレナード著『スパロー最後のジャンプ』)を参考にしているのではないか、という評がありました。グレナードは小説家ではなく『ビルボード』誌の記者ですが、1946年7月29日の「ラヴァー・マン・セッション」の現場の取材のため様子を見てメモをとっていたのです。この事件から書き起こした文章は1948年にO・ヘンリ賞を受賞しています。
読んでみたかったのでまずROSS RUSSEL著『 BIRD LIVES!』を取り寄せてみました。その後邦訳があることを知ってロス・ラッセル著『バードは生きている』を入手。同じ内容でした。ちょっとひっかかったのは『スパロー最後のジャンプ』の著者は目次にはエリオット・グレナードとあるのに、文章の中の「わたし」はロス・ラッセルだということ。グレナードの文章の初出は1947年5月『 HARPER'S MAGAZINE 』ですから、機会があったら調べてみます。いろいろあたっているうちに思うことがあったのですが、このロス・ラッセルというひと、わたしは嫌いですね。ついでに慎太郎も。
太陽の季節
処刑の部屋
完全な遊戯
ファンキー・ジャンプ
乾いた花(初出時「渇いた花」)
あとがき-青春のピュリティ
はじめは『太陽の季節』を読むつもりでしたが、こちらの本に『ファンキー・ジャンプ』が収録されているので、もとめました。
作者は1959年の発表に際して「去年パリのサン・ジェルマンでホレス・シルバーをきいて感銘を受けたのが執筆の契機だ」と言ったそうで、加えて作品の構成にはホレス・シルバーのアルバム「シルバース・ブルース」を下敷きにした、とのこと。調べてみましたが、シルバーの渡仏については資料がみつかりませんでした。ジャズ・メッセンジャーズならば1958年12月21日と12月28日にクラブ・サン-ジェルマンで演奏をしていますが、ホレス・シルバーは1956年にジャズ・メッセンジャーを脱退しており、1958年のアート・ブレイキーの楽旅に随行したピアニストはボビー・ティモンズです。
まあいいか、と『ファンキー・ジャンプ』を読みました。批評家は「音楽を文章に昇華させた」「詩的文体である」と称賛したらしいのですが、わたしは一見して「ああ、こりゃ宇能鴻一郎だ」と思いました。
「して」
「うむ」
「はやく」
「よし」
これで四行稼げます。それから、地の文章がまことに悪文です。
「男は俺たちのブレークダウンの時 連れて来たミンクを着た売女のようなアナウンサーにスタンについて能書を言った」
「俺はあの肢のために何をかけがえてもいい」
そもそもこの話、中学生あたりに読ませて、この短編の主題を書けと教師が言ったら「ヘロインを注射すると天才的な演奏ができる」という答案がすこし出てくるんじゃないかという気がします。そうなった場合に作者はなんと反駁するのでしょうか。
それからこの作品について、ELLIOTT GRENNARD 『SPARROWS' LAST JUMP』(エリオット・グレナード著『スパロー最後のジャンプ』)を参考にしているのではないか、という評がありました。グレナードは小説家ではなく『ビルボード』誌の記者ですが、1946年7月29日の「ラヴァー・マン・セッション」の現場の取材のため様子を見てメモをとっていたのです。この事件から書き起こした文章は1948年にO・ヘンリ賞を受賞しています。
読んでみたかったのでまずROSS RUSSEL著『 BIRD LIVES!』を取り寄せてみました。その後邦訳があることを知ってロス・ラッセル著『バードは生きている』を入手。同じ内容でした。ちょっとひっかかったのは『スパロー最後のジャンプ』の著者は目次にはエリオット・グレナードとあるのに、文章の中の「わたし」はロス・ラッセルだということ。グレナードの文章の初出は1947年5月『 HARPER'S MAGAZINE 』ですから、機会があったら調べてみます。いろいろあたっているうちに思うことがあったのですが、このロス・ラッセルというひと、わたしは嫌いですね。ついでに慎太郎も。
2008年12月1日に日本でレビュー済み
都知事のファンではありませんので、念のため。
しかし、無軌道な若者を爽快に描いていると思います。
まだまだ倫理観や古い道徳観に縛られた人が大勢いた当時に、ここまでのことを
書いたのはさすがと思いました。
しかし、無軌道な若者を爽快に描いていると思います。
まだまだ倫理観や古い道徳観に縛られた人が大勢いた当時に、ここまでのことを
書いたのはさすがと思いました。
2010年12月15日に日本でレビュー済み
2010年12月15日に東京都の青少年健全育成条例修正案が可決されました。条例の文面を拡大解釈せずに素直に解釈する限り、本書は東京都ではアダルトコーナー行きになると思われます(本書の場合は改正以前でも同様ですが)。本書がアダルトコーナー行きになるのは、著者自身が積極的なので、著者の意志を尊重しますが、他の多くの素晴らしい作品が本書と同じ扱いになってアダルトコーナー行きにならないよう、切に願います。
レビューには星一つのものが結構多いようですが、だからと言って駄作だというわけではありません。別に大した作品だとも思わないけど、エロ漫画と比べて特に劣っているとは思いません。石原慎太郎東京都知事の発言と条例案の文面と議決から推測される、知事と議会の見識によると、アダルトコーナーが妥当だというだけです。
レビューには星一つのものが結構多いようですが、だからと言って駄作だというわけではありません。別に大した作品だとも思わないけど、エロ漫画と比べて特に劣っているとは思いません。石原慎太郎東京都知事の発言と条例案の文面と議決から推測される、知事と議会の見識によると、アダルトコーナーが妥当だというだけです。
2012年2月12日に日本でレビュー済み
古参の作家さんの新人作家に対する批評は、当然の如く手厳しくなされる傾向にあるが、石原慎太郎さんの場合は、書き手が新人であると分かれば、それだけで、辛辣な批評を、というか罵詈雑言とも思える批判を加える嫌いがあるので、如何なものかと、常々思っていたので、ではその張本人の小説は、たいそう素晴らしい文学的作品なのだうと思い、安っぽい好奇心に誘われて、いままで彼の作品は何一つとて読んでこなかったが、この際、二三作品当たってみようと思いたってその日が吉日、古書店で、『太陽の・・・』と『完全な・・・』とを手にした。作品の出来としては、いずれも悪くはない。無論、素晴らしい、これはまことに素晴らしい良作だ!とは嘘でも褒められない。まずは、少しばかり感想を。文体に関してだが、スピード感がある為か、読み手をグイグイと引っ張っていってくれる。文法上の誤りがどきどき散見されるが、作家だって人間だ、多少の誤りはあろう。ストーリーは、単純で、少しく下劣。どちらのも、さる女を取り巻いての話。ところで、読んでいる中途、石原慎太郎都知事のカオがよく表れていると思って、自ずと笑いのガスが噴出した。その程度に卑しい作品で、ババア発言やら、その他の失言やらが、なんだか「マジ」に感じた。失言大魔王の作品に、大魔王様の観念が表れているいても何ら不思議では無いのは、小説とはすなわちそんなもんだろ、と思うからである。そんなもんとはどんなもんなのかは、人それぞれ。脱線したが、『太陽』も『遊戯』も、共通して、似通った描写があったのに気づいた。まあ、おそらくだいたいの読者が気付くであろうが、女性を玩具の如く扱っているような描写があった。フィクション小説だから、ある程度までの自由は赦されるはず。いや、相当の自由が赦されているはずである。しかし、彼は、ことのほか、マンガだか、小説だか、忘れたが、その描写によっては、(おそらくエロチックな描写があれば)18歳未満の読むのを規制するという法を提案?したような気がする。その法が可決されたかは定かではない。しかし、はっきり云うが、まずは、自分の作品を規制すべきである、こんな訳のわからない法をつくるくらいなら。自らが、悪を作品にしていて、しかも自分ではそれが文学だとか芸術だとか、うぬぼれているなら、なおさら、そんな法を通してはならぬ。はたして、石原慎太郎(都知事)はどちら側の人間なのだろうか?制度側の人間なのか?それとも・・・
これ以上云うと、蛇の足のように延々と云いたいことが出来てしまうので、この辺りで止めておきます。
これ以上云うと、蛇の足のように延々と云いたいことが出来てしまうので、この辺りで止めておきます。