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アートにとって価値とは何か 単行本 – 2014/9/19
三潴 末雄
(著)
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購入オプションとあわせ買い
アートの価値とは何で決まるのか? 日本人のアートは西洋人にとって土人の土産物なのか? 日本の現代美術界において常に台風の目となってきたミヅマギャラリーの闘いのすべて。
海外では草間彌生、村上隆、奈良美智などを筆頭にした日本人アーティストが脚光を浴び、目の飛び出るような価格で作品が売り買いされている。そんな中でつねに日本の現代美術の中心にいて気を吐いていたのが三潴末雄率いるミヅマアートギャラリーだ。彼は、毒と批評精神に溢れた作家を世界に紹介するとともに、ジパング展等の展覧会を積極的にキュレーションし、会田誠、山口晃、OJUN、鴻池朋子、天明屋尚、宮永愛子など注目すべきの作家を輩出させた。彼の四半世紀の過程は、まさに日本人が日本のアートをどうやったら世界に認めさせることができるのかという歴史でもあった。アーティストを評価し、売り出すこと、アート作品を売買することの中で、いったいアートの価値とは何なのか。本書はその闘いの集大成である。
海外では草間彌生、村上隆、奈良美智などを筆頭にした日本人アーティストが脚光を浴び、目の飛び出るような価格で作品が売り買いされている。そんな中でつねに日本の現代美術の中心にいて気を吐いていたのが三潴末雄率いるミヅマアートギャラリーだ。彼は、毒と批評精神に溢れた作家を世界に紹介するとともに、ジパング展等の展覧会を積極的にキュレーションし、会田誠、山口晃、OJUN、鴻池朋子、天明屋尚、宮永愛子など注目すべきの作家を輩出させた。彼の四半世紀の過程は、まさに日本人が日本のアートをどうやったら世界に認めさせることができるのかという歴史でもあった。アーティストを評価し、売り出すこと、アート作品を売買することの中で、いったいアートの価値とは何なのか。本書はその闘いの集大成である。
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社幻冬舎
- 発売日2014/9/19
- ISBN-104344026411
- ISBN-13978-4344026414
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商品の説明
著者について
東京都生まれ。ミヅマアートギャラリー東京、北京、シンガポールディレクター。成城大学文芸学部卒業。1980年代からギャラリー活動を開始、1994年ミヅマアートギャラリーを青山に開廊(現在は市谷田町)。2000年からその活動の幅を海外に広げ、インターナショナルなアートフェアに積極的に参加。日本、アジアの若手作家を中心にその育成、発掘、紹介をし続けている。また、アジアにおけるコンテンポラリーアートマーケットの更なる発展と拡大のため、2008年に北京にMizuma & One Galleryを、2012年にシンガポールのギルマンバラックスにMizuma Galleryを開廊した。
登録情報
- 出版社 : 幻冬舎 (2014/9/19)
- 発売日 : 2014/9/19
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 272ページ
- ISBN-10 : 4344026411
- ISBN-13 : 978-4344026414
- Amazon 売れ筋ランキング: - 427,599位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 177位現代美術
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年9月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
良かったです(*^_^*)安く手に入れることができました。期待通りの内容でした☆
2019年2月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
タイトルに惹かれて勝手に「アートの価値について論じた本」と思い購入したのは間違いでした。
自分の浅はかさを反省する良い材料になりました。
作者の半世紀と人間関係、作者個人の考えなどが大半を占めます。作者自身に興味のある方には良い本かと思います。
自分の浅はかさを反省する良い材料になりました。
作者の半世紀と人間関係、作者個人の考えなどが大半を占めます。作者自身に興味のある方には良い本かと思います。
2015年5月22日に日本でレビュー済み
「アートにとって価値とは何か」と言うより、
「アートマーケットにおいて、ギャラリストとしての私の価値と役割とは何か」と言うべき内容の本ですね。
読み初めて間もなく「何か底が浅い感じ」がじわじわとはあったのですが、
本の半ば過ぎの166ページで
「美術(芸術、アート、contemporary art)とは何か --- このような問いを前提に作られるものは、すべて近い将来滅びる運命にあるだろう。
美術で何であろうがなかろうが、作りたいものを作る/作られるべきものを作る/生きたいように生き、その痕跡として何かが残る --- そのようなものしか後世には残らないだろう。
悪いが今や美学者たちは、その忠言を聞く事が命取りになるウィッチドクターだ。
このような僕の日常的な確信の一環としてこの展示はある」
(会田誠「美術であろうとなかろうと」展パンフレットより。トーキョーワンダーサイト本郷)
に対して、
「これには、わたし自身が引退勧告を受けたような衝撃を受けた。」
という一文に行き当たり、「(そんな事、当たり前やろ) 衝撃受けてどないすんねん(苦笑)」って変な納得をしてしまいました。
「衝撃を受けた」という言葉は「美術を芸術愛好家気取りで有り難がる人向けのハッタリ」という感じで、
全編を通じて見受けられるこういう言葉の軽薄さが残念です。
また、「自分の中の既成概念を壊してくれる事が書かれているかもしれない」という部分が、
本を読む楽しみの一部でもあり、
タイトルからこの本にもそういった要素があるだろうと勝手に期待していましたが、
残念ながらそういう内容ではありませんでした。
この本は「著者がどうしても書きたかった本」と言うより、
「幻冬舎の企画によってとりあえず書かれた本」という印象を受けました。
まあまあ期待していただけに、ガッカリ感はけっこう強かったですが、
作家のエピソード(会田誠も奈良美智も藤田嗣治を高く評価している、など)も書かれていて、そういった部分は楽しめました。
また、三潴氏の目利きには一目置いているのでこれからも活躍していただきたいです。
「アートマーケットにおいて、ギャラリストとしての私の価値と役割とは何か」と言うべき内容の本ですね。
読み初めて間もなく「何か底が浅い感じ」がじわじわとはあったのですが、
本の半ば過ぎの166ページで
「美術(芸術、アート、contemporary art)とは何か --- このような問いを前提に作られるものは、すべて近い将来滅びる運命にあるだろう。
美術で何であろうがなかろうが、作りたいものを作る/作られるべきものを作る/生きたいように生き、その痕跡として何かが残る --- そのようなものしか後世には残らないだろう。
悪いが今や美学者たちは、その忠言を聞く事が命取りになるウィッチドクターだ。
このような僕の日常的な確信の一環としてこの展示はある」
(会田誠「美術であろうとなかろうと」展パンフレットより。トーキョーワンダーサイト本郷)
に対して、
「これには、わたし自身が引退勧告を受けたような衝撃を受けた。」
という一文に行き当たり、「(そんな事、当たり前やろ) 衝撃受けてどないすんねん(苦笑)」って変な納得をしてしまいました。
「衝撃を受けた」という言葉は「美術を芸術愛好家気取りで有り難がる人向けのハッタリ」という感じで、
全編を通じて見受けられるこういう言葉の軽薄さが残念です。
また、「自分の中の既成概念を壊してくれる事が書かれているかもしれない」という部分が、
本を読む楽しみの一部でもあり、
タイトルからこの本にもそういった要素があるだろうと勝手に期待していましたが、
残念ながらそういう内容ではありませんでした。
この本は「著者がどうしても書きたかった本」と言うより、
「幻冬舎の企画によってとりあえず書かれた本」という印象を受けました。
まあまあ期待していただけに、ガッカリ感はけっこう強かったですが、
作家のエピソード(会田誠も奈良美智も藤田嗣治を高く評価している、など)も書かれていて、そういった部分は楽しめました。
また、三潴氏の目利きには一目置いているのでこれからも活躍していただきたいです。
2014年11月27日に日本でレビュー済み
三潴氏のアートに対する真摯な熱意を感じる。
しかし結局、現代アートのマーケットの中心はニューヨークであり
アーチストはニューヨークに拠点をもたない限り
誰も振り向かない現実があることを浮かび上がらせている。
しかし結局、現代アートのマーケットの中心はニューヨークであり
アーチストはニューヨークに拠点をもたない限り
誰も振り向かない現実があることを浮かび上がらせている。
2014年9月25日に日本でレビュー済み
日本の現代美術界の表裏、世界的な位置付け等を、自身の経験を基に俯瞰的視野で語ると同時に、また、一開拓者としての足跡を綴る一冊である。しかし、その視線は常に前方を向き、現状を鑑み、今後を視座に見据えた新たな取り組みを問題提起する姿勢を忘れてはいない。これは将来のキュリエイターやギャラリストを目指す若い世代にとっては一つの明確な行動指針であり、背中を強く後押ししてくれる励みにもなるであろう。また、作家の身近にいる著者だからこその視点で捉えた村上隆や会田誠等の作家論も大変興味深い。
本著の源泉の一つである「西洋の価値基準への違和感」の件は、単に美術館等の関係者だけではなく、所詮は西洋美術紹介者でしかない一部の西洋美術史家の欺瞞への風刺とも読み取れる。確かに、H・ゼーデルマイヤーは神の死を看破し、近代の始まりであるルネサンス以降続くキリスト教プロパガンダとしてのイコノグラフィーの崩壊を記した。しかし、それは既に埃にまみれた近代保守的美術評論家の仮初の旗印にこそなれ、深度を伴わない論理の裏づけにはならない。R・ホッケが唱える繰り返されるマニエリスムという人間の根源的な心情現象への反証すらできないであろう。
浅薄な現代美術論が数多く見受けられる昨今、体温をともなった言葉で平易に、そして力強く読者を導いていく本著はまさに、近年稀に見る快著である。美術のみならず、様々な芸術関係者に勧めたい一冊である。
本著の源泉の一つである「西洋の価値基準への違和感」の件は、単に美術館等の関係者だけではなく、所詮は西洋美術紹介者でしかない一部の西洋美術史家の欺瞞への風刺とも読み取れる。確かに、H・ゼーデルマイヤーは神の死を看破し、近代の始まりであるルネサンス以降続くキリスト教プロパガンダとしてのイコノグラフィーの崩壊を記した。しかし、それは既に埃にまみれた近代保守的美術評論家の仮初の旗印にこそなれ、深度を伴わない論理の裏づけにはならない。R・ホッケが唱える繰り返されるマニエリスムという人間の根源的な心情現象への反証すらできないであろう。
浅薄な現代美術論が数多く見受けられる昨今、体温をともなった言葉で平易に、そして力強く読者を導いていく本著はまさに、近年稀に見る快著である。美術のみならず、様々な芸術関係者に勧めたい一冊である。
2014年9月24日に日本でレビュー済み
アートの現在。また三潴氏を取り巻くアートの歴史がわかる本書。
脈々と流れるアートへの情熱は文章のいたるところに垣間見れる。
面白く読めた。
脈々と流れるアートへの情熱は文章のいたるところに垣間見れる。
面白く読めた。
2015年2月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
もっと客観的な内容と思って購入したが著者の店の宣伝になってしまっているのが残念。
2015年4月7日に日本でレビュー済み
挑発的なタイトルですが、個人的な話題に終始し、「アート」とか「価値」というような普遍的な主題を扱う文脈にまで辿り着きません。
以前は臆面も無く「芸術」とか「美術」とか言っていた訳ですから、一歩引き下がって「アート」と言い始めたことは、業界の改善と受け止めることもできるでしょう。ただし、言葉選びは依然として見当違いで、一向に改善が見られないとすら言えるでしょう。
著者は業界関係者の中では社会的な作法を知る人で、本書のような見当違いの企画も引き受けるのでしょうが、こういう企画に価値があったのは昔の話でしょう。自らが同席した時代の美術活動の一部が歴史にならならなかったことを無視して、おためごかしを言っても世間は取り合わないのです。
著書で自分と親密でない人の話をすることは事前の折衝を含めて極めて骨の折れることですが、反対に、自分と親交の厚い人にしか言及しないというのもおかしな話です。この辺りに、著者の見識と度量の限界が伺えるでしょう。
以前は臆面も無く「芸術」とか「美術」とか言っていた訳ですから、一歩引き下がって「アート」と言い始めたことは、業界の改善と受け止めることもできるでしょう。ただし、言葉選びは依然として見当違いで、一向に改善が見られないとすら言えるでしょう。
著者は業界関係者の中では社会的な作法を知る人で、本書のような見当違いの企画も引き受けるのでしょうが、こういう企画に価値があったのは昔の話でしょう。自らが同席した時代の美術活動の一部が歴史にならならなかったことを無視して、おためごかしを言っても世間は取り合わないのです。
著書で自分と親密でない人の話をすることは事前の折衝を含めて極めて骨の折れることですが、反対に、自分と親交の厚い人にしか言及しないというのもおかしな話です。この辺りに、著者の見識と度量の限界が伺えるでしょう。